第22話 風流の花
葉と二人で僧坊の一室にいた。板の間ではなく座敷で、別格の待遇と言っていいだろう。おれはそんなつもりでここに来たわけではないっつうの。優良な檀那が泊まるような客間で、期待されている感がありありである。どちらかというとぶち壊しに来たんだぜ。葉もちゃんと部屋がしつらわれていることだし、こんなことなら野宿で十分だった。
「今、反鬼幽斎の盟主を決めてるの。四郎は望月家としてそこに出席しているわ」
望月葉が女言葉に戻っていた。
「きっとあなたも評定に呼ばれるわよ。なんたって十二鴉の筆頭だもの」
いいや、呼ばれないさ。鬼幽斎はおれの師父だ。だが、待てよ。で、この待遇。連中、おれにどうしろっていうのか。いやな予感がする。
「でも、なかなかじゃないわね。全然、決まらない」
望月葉がそう言って詰め寄ってきた。
「あなた、名乗りをあげなさい」
あほか! っていうか、緋色の唇があだっぽい。二年ほど前に会ったときは子供であった。考えてみればもう年頃なのだ。後ずさった。
「あなた、わたしを嫌いになったの?」
望月葉の覗き込むような目線。腕を組んでいる。
はぁ? と思った。
「好きだって言ってたじゃない」
えっ! 確かに言ったが、あれはおちょくっていただけ。もう少し女らしくなれって気持ちもあった。
「言ったよ」
「じゃぁ、なんで逃げるのよ?」
あ、そうだ。
「盟主は誰に決まりそうか?」
「知らない。だからなんで逃げるの?」
めんどくさいな。このわがまま姫はこうなったら人の話なんて聞かないからな。ま、しょうがない。またからかってやろう。
「ここじゃ、まずいだろ」
と小声で言った。
「馬鹿だねぇ。このスケベっ」
望月葉はどうやらご満悦である。
「で、誰に決まりそうだ?」
それが気になるところだった。鬼幽斎の隠遁で手打ちにするよう、その男を説得しなければならない。道理の分かる者がなってくれるよう願うばかりだ。
「決まるまで誰だか分からないようにしているようよ。でも望月家としては鬼幽斎を殺してくれる者を推すわ。なんたってあいつは兄上の仇」
え? おいおい、どこでどうなったらそうなるの? っていうか、やっぱりその理由でここにいた。で、おれはここで驚くべきか。いや、冷静を装う方がいい。
「ああ、政元から聞かされた。残念だ。すまぬ」
葉が続ける。
「あなたに罪はないわ。菅浦に潜んでいる最中、兄上は大浦で殺されたんですもの。殺したのは『太白精典』習得者。すなわち鬼幽斎」
なんとか切り抜けたはいいとして、だからなんで師父なんだよ。
「待ってくれ。師父にはその理由がない。それにその頃は熊野で他の大鴉と戦っていたというぜ」
「そんなこと知りやしない。でも兄上をやったのは間違いなく金神使い。大浦の政所でそれを見た者がいたわ。その者らの話からそこへ行き着いたの。金神使いは天下に二人といない。どこにいようがそんなのでまかせ。『太白精典』を使ったという事実が証拠なの」
そうか! 金神使い。師父が神護寺で披露しちまったんで噂が広がってしまったんだ。これはまずい。まずいぞー。金神使いはもう一人いる。
「大浦で見ていたそいつ、信用出来るのか? どうせ足軽稼ぎだろ?」
ここはなんとか誤魔化す! 葉の言葉尻を掴んで話の筋をひねくってやる。
「出来るも出来ないも兄上と一緒に戦っていた者も死んじゃったし」
ああーっ、ひねくるどころではない。一瞬、血の気が引いた。
「一緒に戦ったやつ?」 と言いつつ、取り敢えず、死んでいることになっていてほっとする。
「見てた男がそう言っていた。死んだやつが不思議な術を使うとも。鬼幽斎の刀を宙で止めたそうよ」
「宙で止めた?」
「そう、カキンと全く動かなかったそうよ、空中で。そんな凄い術者、聞いたことがない」
また血の気が引いた。そこまで具体的に? その足軽稼ぎか牢人か分からんけど、ちゃんと最後まで見やがって。あの時、大浦の政所は大混乱だったんだせ。ばかやろうーが、ちきしょー。
「やはり、おれはその目撃者を信用できないな。そんな術者、聞いたことがない」
「四郎も不信がっていたわ。もしかして仇は鬼幽斎じゃないかもしれないって。兄上と一緒に死んだその術者の身元さえ分かれば」
出来れば、このまま分からないままで終わってほしい。葉の本心としてはまだ迷いがあるのだろう。顔色が憂鬱だ。きっと四郎は政元を訪ねたはずだ。その政元はというと仕事の依頼主だったからな。だが政元は四郎が嫌いだ。いや、四郎の健全な思考が苦手なんだろう。それに四朗は『穏行法』を使う。警戒もしていたのであろう。未だかつて二人が顔を合わしたとこを見たことがない。今度も、多分に漏れず門前払いをしたのであろう。不幸中の幸い。
「四郎の言うとおりだ。あいつは技だけでなく頭も切れる。やはり仇は他をあたるんだな」
「そうかしら。わたしは反対。殺せばいいんだわ。鬼幽斎しかいないって思うし、それは一族の考えでもあるの。四郎は取り敢えず鬼幽斎を生け捕りにして尋問しようって。でも一族の考えである以上、四朗の考えがどうであれ、四朗は鬼幽斎を倒す手立てを考えなければいけない。四郎が出来ることと言えば鬼幽斎のいまわの際に尋問することぐらいなわけ。もう穏便には済まされないわ」
さすがに四郎は誤魔化せないか。何もわからないままで終わらせるってのは、やっぱり無理がある。いつか時を見計らって四郎には真実を話さないといけない。
「あなたに頼みたいのは評定に出たら四朗と話し合って、四朗のいいようにしてあげて。あなたが兄上を無念だと思うなら。わたしが言いたかったのはそのこと」
呼ばれないとは思うが、「わかったよ」
笑顔を見せ、葉は大きくうなずいた。
悪いな、葉。おれは戦いに拍車をかけに来たんではない。それは望月家にも分かってもらうつもりだ。おまえにとっては裏切り同然だが、このままでは災いが天下に蔓延してしまうんだ。
「それはそうと、鈴木」
望月葉はそうはいっても十五六の娘だった。話し出したら止まらない。昔話から最近のことまで思いつくままに喋る。やがて喋り疲れたのか寝入ってしまった。
日が暮れようとしていた頃である。やはり鍛えていると言っても十五六の娘なんだろう、この騒ぎと緊張感で疲れが出たに違いない。傍らにおれがいるから安心もしていたと思う。葉が気持ちよさそうにすやすや眠っていたところ、案内をしてくれた戒光院の男が障子越しに声をかけてきた。
「鈴木様。お弟子様がお会いしたいと来られました」
弟子? 何かの間違いじゃないのかと断ると、
「あなた様が断ったら、『松』と言えとそのお方が……、いかがなさりましょう」と男が言う。
……松! あいつ、何しに来んだ。
傍らで望月葉が目覚めていた。目を擦っている。
「松がどうしたの?」
まずい。まずいだろ。葉の仇は落合清澄なのだ。互いが知らないとしても……。いや、ほうっておくことも出来まい。男ばかりの中、女一人は危険だ。それに普通に葉に接していたらばれることもあるまい。
「相言葉さ。さ、さ、早く通してくれ」
しばらくして松が現れた。男装して障子の前で畏まっている。
「遅参したこと、お詫び申し上げます」
「いいんだ。おれはそんなかたっ苦しいのは好まん。さ、さ、早う、中に入って」
松が顔を上げた。
「師弟の礼儀を師の方からそれでは……」
畏まっているのと裏腹に、目が半輪を描いている。
「いいんだ。いいんだ」
松の顔を見て、改めて思ってもみない再会に重景は心踊った。松と何年も会ってなかったような感覚に襲われる。より一層の喜びに興奮を隠しきれない。
その一方で望月葉はというと不信な顔をしている。
その葉の前で松が畏まった。
「鈴木の弟子、夜叉蔵です。どうかお見知りおきを」
望月葉が会釈した。
「これは殊勝なご挨拶。われは望月悪太郎と申す」
まずい。まずいだろ。いや、よそう。考えるな。普通にしていたらばれることはない。
「ところで鈴木殿、いつお弟子を取りなさったのだ」
葉の鋭い眼差し。
「二年程前に」 やはり、まずかったか。いや、いや、会ってすぐ仇の妹だとばれることなんてまずないだろう。が、それでもなぜか葉が松を敵視している。考え得るのは一つ。松が女ということがばれたのか。
「なるほど風流というわけですな。鈴木殿は京兆家に影響なされたのですね」
葉が言う風流というのは男色である。武者が戦場で目立つため鎧兜に趣向を巡らすように美男を愛するも武家のたしなみの一つであり、武骨一辺倒ではない、華やかさもあることの証明でもあった。細川京兆家政元も多分に漏れず男色を好んだが彼の場合、女性を遠ざけていた。武士の重大事は家を絶やさないことにあり、そういう面から言えば、政元は異常であるのだが、この際、それはおいといてこの葉の勘違いに、重景は飛びついた。
「おれも花ある武者だ。つまりはそういうことだ」
そうは言っても、いまだに二人の間にはピリピリとした空気が漂っている。葉の≪京兆家に影響為されたのですね≫っていう物言いもあって松はというと、葉がおれの男色の相手だと見てはいないだろう。旧知の間柄、あるいは知人の弟ぐらいの認識なはずだ。一方で葉はとうと松を男色の相手だと思っている。男色をたしなむことで女性から軽蔑や、愛想を尽かされるってことは度を越さねば、まずない。それでもってお互いがお互い、相手が男で私は女と思っているはずだ。認識が完全にすれ違っている。そんな状況下で松と葉が対抗心を燃やすっていう事態にはならないと思う。争う種はどこを取ってもみても何もないはずだ。ところがなぜかお互いを敵視している。これは本能的なものだろうか。松を見た。
松がギロリとした視線を向けてきている。
ここは逃げの一手。
「お互い同じ年の頃、話もあろう。おれのことは気にするな。寝る」
向き合った二人に対して背を向けて寝転んだ。が、ちょっと心配になって釘でも指しておこうかと体をお越し、言った。
「どうせ、三人ここで寝るんだ。仲良くしといたほうがいいぜ」 とまた背を向けて肘枕に寝た。
「偉っそうに」
そう言ったのは、松と葉ほぼ同時だった。はっとして二人、顔を見合わせる。お互いふっと吹き出す。
「あんたも大変な人を師にしたな」
「しょうがないさ。この人は普通の人とはちょっと違う」
「確かに。前世でよほど善行を積んだんだろう」
二人が手を叩いて笑っている。
それを背中で聞いて鼻をほじった。なんだい、人を小馬鹿にして。だが、いがみ合うよりはよっぽどいいか。
松も葉も男装はしているものの女子である。趣味趣向も大体似通っていた。特に幸若舞の話題は盛り上がっている。
重景は二人を微笑ましく思った。
翌朝、飯道寺山に集った全ての者が元三大師堂の前に集められた。どうやら盟主が決まったようだ。鈴木ら三人もそこに向かった。ところが着いてみると様子が違っていた。濡れ縁に立った戒光院庵主は、候補は挙がったものの決まらないという。黒山の人だかりは騒然とした。
「お静かに! お静かに!」と声が飛ぶ。
それが静まるのを見計らい戒光院庵主が言う。
「ゆえに、ここにいる皆様方の意見を聞きたい」
また、どよめきが上がる。
「お静かに!」の声が飛ぶ。
ある程度、場が収まって来たのを見計らい、戒光院庵主が言った。
「盟主の候補、まず一人目は愛洲移香斎殿。剣で天下に知らぬ者がいない。また熊野鴉党であり、長年、大鴉の職を固辞していた。今こそ彼の方に尽力願いたい」
皆の熱い視線が一斉に、黒山の人だかりの中に向けられた。そこには年の頃四十四五、総髪、美髯の男が立っていた。愛洲移香斎である。
「二人目は山崎景隆殿。鞍馬山の刀法を伝えた古流と代々重ねた工夫にて天下に比類無き中条流の相伝者。飯道寺山の各院とその周辺諸家から絶大な指示を受けた。彼の方こそ飯道寺山の軍をまとめるに相応しい」
聴衆の外枠の方でどっと声が上がった。大峰系の梅本院、岩本院の連中であろう。山崎景隆の姿が見えない。たぶん山崎はその中に紛れ込み、姿を隠してこの状況を見守っているのだろう。
「三人目、鈴木重景殿。十二鴉の筆頭で管領京兆家に仕える。山本鬼幽斎に殺されかけた過去を持つ。彼の方こそ我らの恨みを晴らすのに相応しい」




