第21話 掟
落合が帰った後も重景は重い気持ちを引きずっていた。冷静に考えれば落合は、文句は言えても批難される云われはない。そもそも一番の当事者はおれなのだ。
「いや、鬼幽斎のやつはそういう性分であったのさ」
もう一人の自分が言った。そして続けた。
「自分自身を責める必要はない。おれがいようといまいと鬼幽斎は『太白精典』に手を出したさ」
それでもおれがその火付け役であった事実は変わりない。いや、鬼幽斎がやっていることはおれがやらしているも同然なんだ。
「馬鹿なことを。全てをしょい込むというのか? いい度胸だ。ならばおれは腹を切ったらいいのか? そんなのは糞の役にも立ちゃしない。では鬼幽斎を殺してそうするのか? なら、ちっとぁマシだ。おれには鬼幽斎を殺す理由があるしその権利もある。鬼幽斎のやつが大鴉になったのを境におれへのいじめは熾烈を極めたではないか。無理な修行を命じたり、ガキ相手に大人の事情をちらつかせて叱責折檻したりしていたではないか。挙句に命まで奪おうとした。だがそれは果たせなかった。当然だ。すぐに鬼幽斎の仕業と分かるし、なんたっておれはガキといっても十二鴉だ。他の大鴉が黙っちゃぁいまい。幸か不幸か、いや、今となっては幸福だったさ。折り良く京兆家の分家が政元の遊び相手を探していた。といっても、それに鬼幽斎が飛びつくたぁ、あの時は信じられない思いだったぜ。当時、政元の立場は微妙だったからなぁ。下手したら今頃、おれは墓ん中だったかもしれないぜ。だが人生ってもんは面白いもんだ。不幸だったのはあの五人。鬼幽斎を師父と共に呼んだ者たち。あいつらはきっと殺されているぜ。『やいばの修験者』で本格なのはおれたちなんだ。鴉党を挙げてやいばの修験者が繰り出すとなればあの五人がいなければ始まらない。それで五人も覚悟したと思うぜ。それも一通りではない。きっと苦しみ抜いたさ。その証拠におれに連絡があったか? ないのがその理由だ。鬼幽斎を何とかしたいんなら、やつを殺しておれも死ぬんだな。おれにもあの五人と同じようにその覚悟があるというならな」
いや、違う。そういうことではないんだ。鬼幽斎は殺してはいけない。血で血を洗えば恨みが残る。この問題が何代にもわたって引継がれてしまう。血を見ずに終わらさなければいけないんだ。
「笑えるな。だがそれも一理か。おれの中で何かがざわめく。心臓が早鐘を撃つのに、血を引いてく感覚。地に足が着いてないこの感じ。なんなんだ、これは? おれは急いてるんか?」
だけどやっぱり鬼幽斎は殺してはいけない。殺させてはいけない。そうしてしまったら、なにか良からぬことが起きるだろうと。
「では、どうする?」
最も良いのは、分かっているだろうが、鬼幽斎に隠遁してもらうこと。となればまず飯道寺山に行かなければ。飯道寺山の連中には鬼幽斎を説得している間、事を起こさないようにしてもらわなければならない。当然、双方手打ちが鬼幽斎隠遁にあるのをまず飯道寺山の連中に承諾させねばならんが、それを誰がやる?
「間に立てるといったら……、思いもつかないな。皆、渦中に飲み込まれてしまっている」
おれならば、どうだ?
「確かにおれしかいないさ。何かをしなければならないことも、鬼幽斎を殺してはいけないのも分かる。だけど考えようによっちゃぁ、おれがそこまでする義理があるのか。やらせとけばいいのさ、連中には。だってそうだろ。おれは鬼幽斎だけでなく鴉党みんなにも虐げられていた。おかげで嫌な思い出ばかり。良いのは全て吹っ飛んでしまったさ。あの五人のことのように。今更、熊野の誓い? 笑わせる」
そうさ。だが考えてみろ。十二鴉の一人が言っていた。『啓明祓太刀』の使い手を探すと。あの馬鹿らは見境を失っている。ほっとけるか?
「そうだ。それがある。そういう意味でならおれしかいない。いや、おれがやらなくてはならん」
一刻も早くこの騒動を収めなくては。
「ただしだ、おれは鴉党のために、鬼幽斎のために命は掛けないぜ。これだけは覚えておけ」
ああ、分かっている。
夜更け、重景は落合の惣を一人、出た。
尾根の鞍部に差し掛かる。そこで足を止め、振り返った。
落合の惣を探す。
真っ暗闇で何も見えない。黒い山々の向こう、田と伊勢湾のみが、雲間からの薄明かりできらきら反射しているばかりであった。
……落合と松に礼を言えなかった。
向かうは飯道寺山。伊勢の海を背に、必ず帰って来ると心に誓った。
翌朝、松はいつもの通り森の屋敷に食べ物を運んできた。すると重景がいない。森のあちこちを探し廻り、それでも姿を見つけることが出来なかった。
「お兄様!」
血相を変えて家に帰ると落合に向かって泣いて責めたてた。「なぜ、あのことを重景に言ったのか」と。落合は、「惣の宿老と話して決めた」とだけ言う。そして妻の清に、「宿老を集めてくれ」と言い残して家を出ていった。鈴木重景の出奔について改めて評定しようというのだ。
しばらくして落合は帰ってきた。待ちかねた松がせきを切る。
「重景の手助けしてくれるのでしょ?」
落合の返事はそっけないものだった。
「熊野のことは熊野に解決させる」
松は両手で顔の下半分を覆った。残った眼がわなないていた。
「それが兄様の決めたことなの?」
「いや、皆の意見だ」
「うそ! 兄様が決めたんだわ」
「松、お前もこうなることは分かっていたはずだ。俺たちはここまでだ。後は鈴木に全てを委ねよう」
「委ねようって、助けなしで? 重景一人で?」
「鈴木にたすけなど必要はない」
「ひどい。自分が重景に負けたからって」
松が言いたいのは、勝負には勝ったが実力は重景の方が上だったということなのだ。その言葉に落合は無反応であった。囲炉裏端に腰を落ち着け、火箸で灰をまさぐり始めた。その姿に、松はあっけにとられた。これ以上取り合わないと言わんばかりである。
「わかったわ」
松は開き直った。ああ、そうなんだと腕を組んでうなずいている。
「重景は惣の秘密を知ったわ。知った者はどうなるの?」
落合は答えない。知らんぷりを決め込んでいる。
「惣から出さないか殺すかでしょ。いいわ、私が殺しに行く。文句ないわね!」
飯道寺山は西に琵琶湖、東に鈴鹿山脈を望む飯道神社を備えた神宮寺である。別名飯道山城とも言う。南北朝の動乱時、婆娑羅大名として知られる佐々木道誉が城塞化を進めたと伝える。曲輪を重ね、物見櫓を立て、柵、堀、土塀、石垣を設けている。門は重厚な上、二階構造で上段には盾板が貼られ、非常時には射手を配備することが出来る。鈴木重景はその上段の射手から所属と名を問われた。それに答えるとすぐに重い扉がきしむ音を立てた。
開ききる前に門をくぐる。
境内は、あまりの人で僧坊には収容できなかったのだろう、早朝にもかかわらず多くの人で溢れかえっていた。
「鈴木殿が来られた! 鈴木殿が来られた!」
高く呼ばわる声が山に木霊した。
すぐに黒山の人だかりとなった。前に進めない。
「鈴木殿、よくぞ来られた!」
「どの面下げて来た!」
「待っていましたぞ!」
「よく来られたもんだな!」
喜びの声と罵声が入り交じっている。そこに「どけ! どけ!」と人を割って近づいて来る者がいた。それが「鈴木殿の道を空けろ!」と黒山の人だかりに命じる。皆はたちどころに静まり、進むべき道を開けた。
「ようこそ、戒光院に。待ってましたぞ」
飯道寺山は幾つもの院と一つの神社で構成されていた。飯道神社は熊野本宮からの分霊で社殿が創建されたという。戒光院は飯道山寺のほぼ中央に位置し、その庵主は熊野先達を務めていた。
ところが近頃、ここでの熊野系は影が薄くなりつつあった。寺内に梅本院、岩本院と呼ばれる建物がある。両庵主は大峰山先達の最高位、三十六正大先達衆に数えられる大峰山の有力者であった。それが飯道寺山で力を振るうようになっていた。そんな飯道寺山に反鬼幽斎の人々が集結したということは意味深である。
戒光院の前で重景は待たされていた。部屋を用意するとのことだったが、これだけの人がいて空いているということは考えられない。ということはその部屋にいた誰かは追い出されるということか。
いや、この際、そんな些細なことは考えないでおこう。重景は黒山の人だかりの中に取り残されて、そんなたわいのないことを考えていた。
ふと、傍らに少年が立っていた。どこぞの院の稚児かと思った。ところが見覚えのある顔である。
ああー、あっちゃーーー。
姫、と言いかけて「ひ」で止める。少年は望月千早の妹、葉であった。十五六の娘が男装しているためだいぶ年少に見えたのだ。
「ひっ! って、ひどい驚き様」
望月葉は怒っている。
「なんでここにいる? 一人か?」
飯道寺山は甲賀者の修行場でもあった。また甲賀者で熊野の檀那となっている者も少なくない。だが望月葉はそんな関係でここに来たわけではなさそうだ。悪い予感がした。当たらなければいいが、きっと兄の千早のことでここにいるのだろう。
「なんで一人かって。四郎が元三大師堂に行ってるからな」
望月葉が不貞腐れている。四朗とは葉の従兄弟でもちろん甲賀者だ。
「元三大師堂?」
戒光院の向かいにある本堂である。そこで何かが行われているのだろう。戒光院の男が戻ってきた。
「鈴木殿、中に」
望月葉との話の途中であった。
「おい、こいつも連れて行くがいいか?」
それに望月家の姫をこんな物々しい所に置いては行けない。ところがそんな心配をよそに、望月葉はへそを曲げた。
「構うな。ほっといてくれ」
「って、まさか野宿じゃないだろな」
「そのまさかだ」
おいおいと思い、重景は戒光院の男を見た。その想いが伝わったのだろう、男が小首を傾げた。
「この方は望月家の方でしょ。ちゃんと用意させていただいています。迷いなさったか? 良ければそっちの方もご案内を」
意地悪して心配かけさそうとしたのだろうが、戒光院の男にネタばらしされた。それで観念したのか、望月葉が言った。
「けっこう。おれは鈴木の所に泊まると決めていた」




