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第20話 明応の政変

「皆、納得でよかったわ」


 部落から離れた沢に、重景と松が居た。濡れた岩が月光に照らされ淡く光り、その上を松が意図なく次から次へ飛び移っている。


「義経様の龍笛は気力が強くないと音色が出ないの。舞いはそのまま武術の型。清盛公が大陸の武術書から採ったと言うわ。だから舞いが美しくないと武術はからっきしってことになる。婚儀はいわば品定め。惣を背負っていけるかどうかのね」


 やはりなと思いつつ、岩の上で戯れる松を、重景は腕を組んで見守っていた。一方で頭の中はというと清が太刀を振るのと、舞うのが重なっていた。


 松が岩をとんとんとんと跳ね、不意に重景に飛びついてきた。そしてぶら下がる。


「おいおい」


 重景は松を下した。

 松が含み笑いをしている。


「なんだ?」

「この惣ではまだ掟があるの」

「どんな掟だ」

「惣の秘密を知ったよそ者は外に出さない。つまり、死んでもらうか、ずっと暮らしてもらう」


 おいおい、と今度は心の中で言った。だがむちゃくちゃな掟ではない。それはこの惣にとって成り立ちに係わる重大事なのだ。


「いやがらないのね」


 松が顔色をうかがっている。


「しかたないのだろ。死ぬのはごめんだし」


 実際、ここにずっといたいと思うようになっていた。

 松が後ろ手を組んでくるっと回る。


「そう」


 松はなんだかうれしそうだ。だがその顔が急に曇った。


「でも、……清お姉様、かわいそう」

「不服なのか、清はここが? おいおい、さっき婚儀があったばかりだぞ」


 松が首を振る。そしてうつむく。


「滝のおばあ様、逝ったの。二日前に」


 !


 あれはやっぱり滝だった。霊魂となって現れたんだ。


 昼間に見た滝の画が頭に浮かんだ。色白の目鼻の整ったいい女だった。それが悲しそうな目をしていた。そして抱きしめられた感触が今も体に残っている。そこから温かみが、どう言ったらいいのか、守られている、そんな感じがする。いや、実際にたすけられたのかもしれない。おれが滝の霊魂を見て踏み止まらければ、落合の思念に操られた棒手裏剣は間違いなくおれの背を貫いていた。


 ……不思議なばあさんだ。


 重景は岩に腰をかけた。

 その横に松がちょこんと座る。そして、

「重景も悲しいの?」と覗き込んでくる。


「よく分からない」


 松がまた含み笑い。


「なんだ、その笑は」

「重景も悲しいんだ」

「そう見えるか?」


 松がうなずいた。

 どういう訳だか自分でもわからない。松の言う通り、そんな気分になっていた。





 落合との対決、そしてその落合が清と婚儀を挙げるという目まぐるしい一日からもう一か月が過ぎようとしていた。その間、相も変わらずほとんど毎日、森の屋敷に不貞腐れ五人組と松が入り浸っていた。六人が喧嘩したり冗談を言い合ったりする。このような暮らしは初めてだった。季節は新緑。森が生き生きとしていた。鈴木重景はその日その日を噛みしめるように送っていた。


 そんなある日の早朝、落合清澄が一人で姿を現した。顔を洗っているところへ入ってきて稽古場に来るようにと言う。普段と違い堅苦しい態度と、暗く重たい表情から何かよからぬことが起こったのではないかと心がざわめいた。案の定、稽古場に入り、落合の口をついて出た言葉は聞きたくない報せであった。


 この年二月、畠山政長は同じ一族に横領されていた自国の河内を奪回すべく将軍義材を擁して幕府軍を動かした。幕政は事実上、畠山政長に独占されていたといっていい。ところが四月、戦況順調な河内をしり目に新たな将軍が京で擁立された。十一代将軍足利義澄である。日野富子が直接指揮を執り、細川京兆家政元が京を制圧、新将軍を立てるという荒業だった。


 固唾を呑む。


 それですべてが繋がってしまった。菅浦も神護寺も。奇行としか思えぬ所業が実は用意周到に仕組まれたことであった。大浦が日野裏松家に戻ってこないことと、それがあたかも畠山長政の策謀であることを利用して日野富子を自陣営に引き入れる。神護寺のバカ騒ぎは河内親征に外されるよう、しかも京に留まることに警戒されないための道化。


 ……恐ろしいやつ。


 政元の顔が頭に蘇った。目が見開き、口角が上がって歯を剥き出している。そこから一転、その政元が冷たく笑っていた。神護寺のように、「どうだ! 驚天動地だろ!」と雄叫びを上げている政元はもう想像出来ない。鳥肌がたつ。政元は一挙に自身の敵を一掃してしまったのだ。神護寺にしたって師父の山本鬼幽斎に名だたる能力者をかっさらわられ、結果的に畠山政長に利用されたようなものである。ところが政元は悠然と、いや、確かあの時、笑みを浮かべていた。それはそういう笑いだったのだ。あの態度の意味が今にして思い知らされる。


 それで割を食ったのは師父鬼幽斎。当然、率いる鴉党は河内親征に加わっていた。神護寺で公然と言い放っている。「将軍義材様も管領家畠山政長様もこのわたしにご期待をかけていただいている。それをないがしろにするということは、わたしには出来ない」


 満を持しての参陣だったろうに……。


 ところがそこに京の政変の報せが届いた。途端、遠征に同行した守護、幕臣、それも義材の側近までが京に帰還してしまった。鴉党も例外でない。陣は崩壊。それでも鴉党の半数は鬼幽斎の元に留まったという。義材を擁して熊野に帰還するという企てがあったからだ。だがそれも水の泡と消えた。京に帰還した河内親征軍が取って返して河内を目指しているという。足利義材と畠山政長を討伐しようというのだ。もちろん細川京兆家政元の仕業である。鬼幽斎ら鴉党は義材を河内に捨てて熊野に逃げ帰った。


 落合が重い口調で続ける。


「鬼幽斎は求心力を失ったかに見えた。ところがだ……」


 鬼幽斎は手元に残った鴉党員に、裏切り者を容赦なく殺せと命じた。裏切り者とは河内での逃亡者を指す。鬼幽斎の怒りはその者たちにぶつけられたようだ。その一方でそれに口答えする者も惨殺した。


「結果的に鬼幽斎は勢いを増した。恐怖は組織を強くする。だが両刃の剣だ。果たせる哉、鬼幽斎に反発する者が飯道寺山に集結しているという」


 単純に熊野三山といってもその地の信仰や組織でない。飯道寺山だけでなく天下に点在する、例えば伊吹山などの霊山には、熊野先達が置かれ当地の守護にも軍忠していたし、その信仰者、檀那と呼ばれる者らにしてみてもそれこそ守護組織の一員なのだ。そのうえ修法対決と称し神護寺で引き入れた民間信仰の徒や名も無き者たち。鬼幽斎は市井をも巻き込んでいた。こうなってはもう熊野だけの問題ではない。一方で勢力を争う大峰山などの一大霊山が黙ってはいない。そして落合はこう締めくくった。


「災いが天下に広がろうとしている」


 愕然とした。ところが唐突に全く関係のない画が頭に浮かんだ。松や不貞腐れ五人組の顔である。ここの日々は得難く尊いものであった。そう、尊いもの……。


 衝撃が走った。


 おれを含めて、そう、六人。あれも六人だった。間違いない、鬼幽斎はおれら六人を教えていた。この惣での充実した暮らしは初めての体験ではなかった。あの時も楽しかった。修行はつらかったが皆、鬼幽斎を父と慕い、寄り添って暮らしていた。だけどおれが十二鴉に数えられていからはあの五人と一度も会っていない。あの時、おれは十二歳。その年齢では異例だと聞いた。必死だった。多くの大人の目におののきながらその日その日を送っていた。他の五人のことなんてもう構ってられない。あれから皆はどこへ行ったのだろうか。どこかの守護に仕えたのか? 熊野にゆかりあるどこかの霊山に潜り込んだのか?


 いや、そうじゃない。きっと鬼幽斎と戦ったやいばの修験者の中にいた……。


 気が動転した。


 そんなことがあってたまるか!

 もう、いやだ。おれはあんなに楽しかったその記憶さえも失せてしまっている。それで今度も兄弟弟子を置いていったように、おれだけが行かなければならないのか。いやだ。ここにいたい。


「おまえが…」


 落合ではないだれかの声! 二人以外誰もいない。

 ……幻聴?


「おまえがやるしかない。重景」


 言ったのはおれ、もう一人の自分! 


 息をのんだ。


 思いもよらぬことだった。もう一人の自分がこころの奥底に隠して止まない確信を貫いたのだ。


 落合を見た。

 災いが云々という言葉以降、落合はなにも語ってはいない。だがその眼差しは訴えている。熊野は今こそ誓いを守れ。それをやるのはおまえしかいないと。


 無性に腹が立った。落合に対してではない。因縁めいたものを感じる。そうは分かっていても怒りの矛先は落合に向けられていた。


「あんたら、耳が早いな。なぜだ?」

「地頭のために諜報を行っているからな」

「ははーん。それで惣は裕福なんだ。やっているのは諜報だけではないだろ。殺しもやってんだろ」


 落合は動じなかった。平然と言った。


「おれの役目だ」

「その鍋倉ってやつが地頭と約束したのか? いい奴なのか悪い奴なのか」

「いや、初めはそうではなかったさ。南北朝の動乱の最中からと聞いている」


 落合が答えている間、嫌なことを言ってしまったと悔やんでいた。落合はその身をなげうってこの惣を守っている。それをだれが責められるというのだ。それにこの場面でそれを訊くか? ひどいとしかいいようがない。どうしてそんな話になってしまったのか。








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