第19話 婚儀
木漏れ日の下、座禅を組む。
深閑としていた。
そよ風に春の息吹を感じる。
おおよそ落合と戦う算段がついた。それは当初、到底不可能だと思えた。その点から言って重景としては当然、喜ばしいはずであった。だが迷いもあった。今や問題は違うところにある。その根本なのだ。この戦いの意味に疑問を持ってしまっている。落合は望月千早の仇には違いない。違いないが自身の恩人でもある。いや、それ以上に戦いたくない理由が出来てしまった。松の悲しい顔を見たくはないのだ。それなのに落合。やつはというと戦うことを拒んでいない。むしろ楽しみにしているようだ。……なぜだ。
それに『太白精典』! 落合は邪法と言った。だが、それうんぬんは別として誓いを破ったのは熊野の方だ。落合らは自らの掟をかたくなに守ろうとしている。その落合が怒るとするならば矛先は師父鬼幽斎にではなく熊野全体。だが、そんなもん、ほっとけばいい。誓いなぞ遠い昔のことなんだ。
「鈴木、迷いがあるようだな」
振り向くと落合だけでなく松もいた。
「兄様っ」
松が動揺している。
「兄様、やっぱり」
松の言葉を遮るように落合が軽く手を上げる。腕越しに松の顔が青ざめているのが分かった。
座禅を解いて、重景は立った。そして落合に問う。
「おまえは何を考えている」
「何も考えていないさ」
「うそだ。おれにさせたいんだろ」
熊野の誓い、『太白精典』の封印を落合はおれに望んでいる。
「おまえはそうやって生きてきたんだな」
ああ、そうさ。師父に対してもしかり。政元に対してもしかり。落合の言うとおりだ。
「鈴木よ、それも限界なのだろ? おまえはもうお前自身を探し始めている」
話を逸らすな。おれは今、熊野の誓いを言っている。
「戸惑っているな。されど誰しも通らなくてはならない道がある」
いやだ。いや、やっぱり無理だ。師父と事を構えるなぞ。ましてやお前とも。
落合が含み笑いをした。
「これ以上は無駄なこと。武人なら言葉で語らず剣で語ろう」
……そうかい。剣で語るとはよく言ったもんだ。望月千早の仇にかこつけておれの腕をみたいんだろ? おれが師父鬼幽斎と戦えるかを。分かっているさ。だが、おれがお前を倒してしまうってことも有り得るんだぜ。で、もし勝ったとしたら、政元も喜ぶだろうし、おれも自由。全てが解決ってわけだ。それでもいいっていうんならやってやろうじゃないか。あとで吠え面かくなよ。
「いいんだな?」
落合が言った。
「さぁ、やろう」
致し方なし。重景はこの戦いから逃げることが出来ないのも分かっていた。望月千早の仇討ちはもとより、師父鬼幽斎の命も、それに政元の命までも己の勝利にかかっているといっていい。
二人は互いに間合いを探るように対峙した。
重景の背に炎が立つ。その中から不動明王が姿を現した。
落合の背が金色に輝く。その光の中からどす黒い二匹の龍と深い青の鬼が現れた。
「鈴木、最初っから飛ばしてゆくぞ」
落合が瓢箪から砂鉄を取る。それを空中にばらまいた。
黒い粉が光芒を放ちつつ宙に拡散、それがおのおの固まり無数の棒手裏剣を象った。それが一斉に重景に向かって来る。
「破っ」
剣指なぞもう必要がない。全身から気のやいばを放つ。
棒手裏剣と気のやいばが激しくぶつかり合い、棒手裏剣が四方八方に飛び散る。
無数の葉擦れと途切れなく幹を打つ乾いた音。
落合の口角が微かに上がった。と同時に幹に刺さっている棒手裏剣が形を崩してゆく。さらさらと粉になって地に落ちた。そして残ったのは光芒。あちこちで揺らめいていた。それが筋を造って落合に向けて流れてゆく。落合の前で渦を巻く。そして落合の中に消えた。
途端、
!
落合の姿がない。
超速。目で追いきれない。神護寺での政元と落合の戦いが脳裏に蘇る。あの時、政元は目に見えぬ速さで動く落合に自身の思念体を飛ばしていた。きっと政元は目で見ず、直感に従ったのだろう。政元が出来ておれに出来ないことはない。気の剣、『倶利伽羅剣』を出現させた。そして半眼に目蓋を垂らす。
突然、落合の気配!
『倶利伽羅剣』を頭の上で水平にする。そこに凄まじい衝撃が加わった。落合の太刀である。受けることに成功した。間髪いれず、「破」、「喝っ」 気が拡散、そして圧縮。落合は固まった。『不動金縛り』が落合をとらえたのだ。
重景は左に回り込み、落合の止まった太刀筋から体を外した。そして『倶利伽羅剣』を掲げる。ところが振り下ろせない。
「重景ーっ」
止めてというのであろう、松の悲鳴にも似た声。と同時に望月千早の殺される画が重景の脳裏に蘇る。
望月千早の腹に食い込んでゆく太刀。
太刀の刃に沿って流れる血。
千早がその太刀の刃を握る。
だが太刀はスルスルと差し込まれていく。
握った手からも血がボタボタと落ちた。
千早の瞳が小刻みに動いていた。それにうわずった声。
「望月殿―っ」 重景は『倶利伽羅剣』を降りおろした。
! 目の前に女?
若く美しい女だった。それが悲しそうな目をしている。直観的に滝だと思った。菅浦の老婆である。その若い滝に抱きしめられた。が、なぜか抱きしめられているのは徳叉迦、幼き重景であった。
「……む?」
重景は振り下ろす手を止めた。背中に尖った何かが突きつけられている。振り向かなくても分かった。多分、落合の棒手裏剣。落合は一旦、術を解いたと見せかけて地面に砂鉄を潜ませていた。この瞬間を待っていたのだ。
……そういうことか。
落合の体を呪縛出来てもその思念までも縛ることは出来ない。
一杯食わされた。
「……まいった」
別に口惜しさも腹立たしさもなかった。ただ、今になって滝の悲しい目の色に言葉を感じた。
――かわいそうな子。
……おれのことか?
落合の金縛りを解き、『倶利伽羅剣』を消した。
……おれはおれ自身を傷つけていただけでないのか? 師父や望月や政元にかこつけて。
太刀を収めた落合が棒手裏剣の神気も手の平に戻す。棒手裏剣が砂鉄に戻り、粉となって風に流されていった。
……望月殿、すまぬ。おれは死んだと思ってくれ。今あるおれはもう前のおれじゃない。同じ名前の別な人間なんだ。だから前のおれと違う道を歩む。おれ自身の望む道に。許してくれ、望月殿。
落合が笑顔を見せていた。
「憑き物が落ちたな」
「ああ、だが全てではない」
「そうか。されど一歩前に進んだろ?」
「おまえは見かけによらず前向きなんだな」
落合が鼻で笑った。
「そうでないと生きてはいけない」
前向きか。そう思うと笑えてきた。落合のこころが見えた気がする。多分、落合は熊野やら鬼幽斎やらは関係なく、おれをなんとかしてやろうってだけで戦っていたのかもしれない。おせっかいにもほどがある。そう思うと涙も出て来た。泣き笑い。そこに松が飛びついてきた。その顔は涙と鼻水でグチャグチャだった。
その夜、惣民は広場に集っていた。落合と清の婚礼が行われるのだ。皆、地べたにむしろを敷き、その上に胡坐をかく。新郎新婦はまだいない。幾つものかがり火が灯される。持ち寄った御馳走に箸をつける。真ん中に置かれた大きな甕から枡で酒をすくう。飲めや歌えの大騒ぎとなった。
鈴木重景もその場にいた。松に母親を紹介された。黒髪の艶だった品のある女だった。父親は生まれつき病弱で数年まえに死没したという。
宴たけなわになった頃、落合と清が現れた。
落合は侍烏帽子にくすんだ緑の直垂姿、清は水干、大口に高烏帽子。
「重景、『啓明祓太刀』の継承者は婚礼の時、今様を披露するのが決まりなの」
落合を見る松の目が輝いている。
なるほどと思った。菅浦で二人は結婚の儀式の練習していたんだ。
落合は座り、袂を広げると龍笛を口に当てた。
松は進み出て、扇子を広げると構えた。
松が耳元で囁く。
「龍笛は源義経様ゆかりの品で、今様は平清盛公が工夫なされた歌舞なの。始祖鍋倉澄様と奥方の清様が婚礼に披露したのがこの始まり」
義経に清盛。なんと変わった取り合わせか。そこから鍋倉澄という人物がうかがい知れる。それに鍋倉殿の奥方が清というのも感慨深い。そして地べたでの婚儀。この地に入った時は未開であったのだろう。初めはここから始まった。人というのは豊かになれば苦労を忘れる。そして些細な利得にいがみ合う。初心に帰れということか。なかなか気の利いた風習だと重景は思った。
かくして落合と清は歌舞いし演奏した。清が、二人は永遠に一緒だ、と歌い上げ舞った。それに落合が曲を乗せた。二人の気持ちの合わさり様がその歌舞、曲にえもしれぬ雰囲気を与える。そして幸福な空間が惣全体を包んでいった。
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