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第18話 鍋倉澄

「じゃあ、あっちに立ってくれ」


 重景は稽古場の中央を指差した。

 腕試しを提案した青年が皆の注目の元、そこに立つ。


 さぁ、男をみせろよ。咳払い一つして、重景は自身の笑みを振り払う。それからその青年と十歩ほど間合いを取り、剣指を造る。


「ではいくぞ。用意はいいか?」


 青年はうなずいた。


「かーっ」 男の一点に向けて気を集める。


 !


 案の定、男は固まった。

 松と残りの四人は手を叩いたり指を差したりして笑う。

 剣指を切る。動き出した。青年はがっくりして元の席に戻る。


「次はおれだ」


 別の青年が稽古場の中央に向かった。そしてその青年にも『不動金縛り』をかけた。固まった。見物している五人は腹を抱えて笑っている。残り三人にもそれぞれ行い、同じことが三度繰り返えされた。五人は全て『不動金縛り』にかかってしまったのだ。


「だらしないわね」


 松がご満悦であった。青年らが不貞腐れている。


「じゃっ、帰ろ」


 松が立った。


「松、待てよ。おまえ、人のこと笑えるのか?」と五人のうち、一人が言った。


「あのねぇ、わたしは兄様に言いつけられて重景の面倒を見ているの。あなたたちみたいに粋狂じゃないの。惣の仕事なの、これは」

「清澄様の気がしれん」


 青年たちのだれもがうなずいている。


「もしもだ。このおっさんが松に金縛りをかけたら?」と青年の一人。

「絶対このおやじ、いたずらするな」と別の青年。


 次の瞬間、男の頭を松が引っ叩いた。おれもそうしようとしたが、残念ながら松のが早かった。果たして重景の手は半分出ていて宙で遊んでいる。


「おれたちは心配なんだ、松」


 別の青年が大真面目に言う。松がその言葉に思うことがあったのか、すこし黙っていて、それから言った。


「分かった。重景、たのむ」


 松に『不動金縛り』をかける。おれとしては願ったり叶ったりである。落合は松の方のが自分より才能は上だと言った。松が『粋調合気』なるものの使い手ならばその最高峰にいると言っていい。『粋調合気』とやらの真価、問わせてもらう。


 二人は十歩程、間合いを取り対峙した。


「どうぞ」


 松がいつになく真剣である。

 剣指を向ける。


 ふと、違和感がした。内功に巧みな者ほど丹田に気が集まっているものである。それがどうも違う。何と言っていいのか。松はこの森と繋がっている。いや、森の一部と言う方が適当か。なぜ、そんなことになっているのか? 気を吸収したのを京で目の当たりにした。松は自身の丹田を使わず、体外から得ているということか。だとしたらおれは松を捕えることが出来るのか? ……難しいが、出来る。放った気はある程度のところまで圧縮しないと密度が出ない。密度が出れば捕えることが出来る。松の気が必ずしも丹田にないとしても、外界と遮断して全身からかき集めるようにしてどこか一点に集めればいい。気の濃度を上げれば可能だ。


「かーっ」 松の一点に向けて気を圧縮した。


 !


 松は動いている。ほっとした表情で近づいてきた。


「兄様の言うとおりだったわ」


 うまくやれなかったのではない。松に外されたのだと感じた。張った投網の網目から小さいエビやメダカが逃げていくように、松は密度が出る前に自身の気を細かくし一気に散らしたのだ。密度を出せなかったおれの腕も悪かろうが、こんな芸当が出来るものではない。天才、としか言いようがない。それに驚くべきは『粋調合気』。大抵の使い手は気を集めたり濃度を上げたり、量を増やしたりするのに終始する。それが敵味方互いを計る力量であったし、戦闘に有利になるからこそ、そう考えられていた。『粋調合気』はまさに逆転の発想。相手の気をいなし、流し、あるいは吸収する。それは相手の力をそのまま返してしまうっていうことに繋がっていくのだろうが、鴉党では絶対にお目にかかれない。いや、世広しといっても稀有と言っていい。


 松らが帰った後、森に入った。


 一から修行を始めよう。気のやいばの到達点に『不動金縛り』がある。だが、おれのはまだ、ほんの触り。さらにその上を目指す。ひとまずの目標は松に金縛りを掛けること。


 鈴木重景の修行が始まった。







 それから毎日、松といっしょにあの若い五人が顔を出した。そして『不動金縛り』をせがむ。皆、松のようにはいかない。金縛りにかかって身動きが出来ない。それが二か月過ぎても変わらなかった。五人の一人がやはり、金縛りにかかってふて腐れた。


「もう、やめじゃ」


 座り込んで腕を組んでいる。

 松の満面の笑顔。ここ二か月、完全な傍観者であった。


 かわいそうにと、重景はちょっと思った。実際、五人は上達している。だがそれをいうなら重景の方がずっと早い。松に『不動金縛り』をかわされて以来、森に入って修行を続けている。


 別の一人が苛立っていた。


「くそおやじめ。いい加減なことを教えやがって」

 さらに別の一人がため息交じりに言う。

「おまえんとこはおれのとこよりまだ、ましだ。おれのおやじときたら自分でなんとかせいだって。あいつは息子のことがかわいくないんだ」


 どうやら各家々で『粋調合気』の伝承の仕方が違うようだ。とはいえ、どの家のおやじも松の域には達しているとは思えない。


「おまえら、松に教わった方がいいんじゃないか? こう言うのも失礼で申し訳ないが、惣の勇者が金縛りにかかっているんだ。そもそも教えを請おうとしても、おまえらのおやじでは無理があるっていうことなんじゃないか?」


 五人は顔を見合わせる。皆の顔には、確かに、と書いてあった。困ったのは松である。


「わたしは嫌。こんなむさくるしいの」


 笑えた。ずっと傍観者だった松である。ちょっと意地悪だが、それを当事者に加えてやろう。


「いいじゃないの。皆、兄弟のように育ったんだろ」

「だから嫌なの。こいつら絶対に私のいうこと聞かないわ。それにえらっそうだし」


 いやはや、おもしろくなってきた。この五人もからかってやれ。


「おまえら、松を師姉と言え。そしたら松も教えてくれるかもよ」


 五人の不貞腐れらは嫌そうな顔で一斉に、「ええーっ」と声を上げる。松は、ふんと鼻を鳴らして引き戸を開けて廊下を走ってゆく。五人は慌てて、「待てよ」と追っかけて行く。

「どれどれ」と廊下を覗いた。六人はもういない。取って返して稽古場から濡れ縁に出、履物を突っ掛け、門に向かう。


 松が森の小道を足早にずんずんと進んでいた。五人がそれを追っている。重景はそれを門から眺めていた。


「若人諸君、うまくやれよ」


 そういいつつも、松を射止めるのはあの五人では荷が重いなと思い、笑ってしまっていた。

 







 森の中にいた。

 重景は一人、静かに佇む。


 足元に揺れる木の葉の陰。

 山鳥の甲高い泣き声。

 木々の枝葉から差し込む無数の斜光線。


 目は細められ、ほとんどまばたかない。


「破っ」


 全身から気のやいばが四方八方無数に飛んだ。それが枝々の間を突っ切り、空に抜けて消える。

 残されたのは宙に舞う木の葉。重景を中心とした空間いっぱいに、はらはらと舞い落ちる。


「破っ」


 一気に気を拡散、それで周囲を覆った。


 『不動金縛り』。だが剣指を造らない。ただ、一点を睨んでいた。


「喝っ」


 一挙に気を圧縮、舞う無数の木ノ葉がその一点に集められていく。


 !


 木の葉は鞠大に固められ宙に固定された。


「破ぁぁぁぁーっ」


 右手に気の剣が現れた。その剣を、さらに気が螺旋状に取り巻き、その取り巻いた気が発火する。そして宙に固定された木ノ葉の塊を、その剣で両断する。


『倶利伽羅剣』……、重景はそう名付けた。


「重景ーっ」


 松が突然現れ、走りよってきた。どこからかの時点から見られていたのだろう。飛んで抱きつかれた。


「もう、わたしはあなたに敵わないわ」


 嬉しそうにそう言う。その足が地に付いていない。重景は松の腰を掴み地に降ろした。

 見上げる松が、満面の笑みで興奮ぎみにまくし立てる。


「あのね、あのね、重景。『太白精典』の書はほぼ全てが金神を祭り奉り、神託を頂くのに費やされているというわ。自身を超人に変える方法は最後の数枚。『太白精典』は古から伝わる呪法とも武術ともつかないものなの。修得するには何年もかけて金星から降り注ぐ神気を取り込むの。その神気は地上のどの気とも異質で調和することはないわ。始めにその名を世に知らしめたのが鬼一法眼様。三百年以上も前。熊野三山の奥深くに眠っていたのを会得し、歴史の表舞台に現れたの。それに対抗して考え出されたのが『やいばの修験者』と『粋調合気』。『やいばの修験者』は文覚様の手によって生み出されたわ。中長距離で『太白精典』を対処しようとしたの。もう一方の『粋調合気』は接近戦を想定し、金星の神気でやられないように工夫されたわ。考案したのは西行様。ところがその技は金星の神気を我物に変えるだけでなくその力を引き出し『粋調合気』自体を強くするものだったの。そこで鬼一法眼様は武か呪か正体のつかめない『太白精典』を武術として特化なされたわ。それが『啓明祓太刀』なの。わたしはそれが最強であると今日の今日まで信じていた。でも違った。あなたの術はそれをも上回るかもしれない。文覚様は凄いお人。それで重景、あなたも凄いお人」


 松がまた、飛びついてきた。


 ……そういうことか。熊野ではまったく話にも出ていなかった。おそらくは大鴉のみに伝えられることなのであろう。


「なぜ、『太白精典』は封印されたんだ?」

「鬼一法眼の子息今出川鬼善。彼がそれを悪用した。各派の武闘家を倒しその盟主にならんとほっした」


 今出川鬼善と同じような道を師父が歩もうとしているというのか。松が続けた。


「それを阻んだのが鍋倉澄様。わたしらの始祖よ。『太白精典』を熊野に引き渡し、熊野はそれを封印すると誓ったわ。そしてご自身はこの地に隠遁したの」


 熊野の誓い! 

 それに……、

「……鍋倉澄?」

 聞いたことがない名だ。松が答えた。


「佐渡の産で文覚様の孫弟子。その後、西行様の孫弟子となり、鬼一法眼様の孫弟子となったわ。それでわたしたちは『粋調合気』と『啓明祓太刀』を伝えているの。『やいばの修験者』は鍋倉澄様が使えるまで達していなかったんで伝えられていなかったわ」

「みたところ、惣のほとんどの家が『粋調合気』を伝えているな。どうしてだ?」

「兄様だけが『啓明祓太刀』なの。代々、神気を受け継いでいるの。金星の神気は増えも減りもしない。ただ金星から取り込むなら別。『啓明祓太刀』はその部分が欠落しているの。でも増えも減りもしないんだからその必要ないって言えばそうだけど」

「落合殿の体内にあるのは鍋倉殿の神気。なるほど、それでたった一人、とすると落合殿はその嫡流ってわけだ。……んっ?」


 松の笑顔が目の前にある。鼻と鼻がぶつかりそうだ。話しているその間、松はずっとぶら下がっていたのだ。話に夢中になって忘れていた。慌てて松を降ろす。


 松が、ふふっと笑い、自慢げに言った。


「でも鍋倉様は言ったわ。皆は家族だって。その証にと全員に落合って名付けられたわ。当然、自分もその名に変えたの。嫡流も何もないわ。それにこの地に移れたのも鍋倉様のおかげ。鍋倉様以外は皆、京の河原者だったそうよ。幸せに暮らせるのも鍋倉様のおかげ。地頭の工藤長野家と暮らし良いように取決めをしてくれたわ。それが二百六十年にわたってずっと破られずに続けられているの」


 かえって重い気持ちになった。望月千早のことである。

 おれはこんな鍋倉の末裔落合と戦わなくてはならないのか? 


 落合も望んでいる以上、やらなければならない。考えれば考えるほど益々、気持ちが沈んでいった。








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