第14話 『啓明祓太刀』
鈴木重景は京兆家にぶら下がる土倉の一室に身を寄せていた。借上で儲かっているのは明らかで、出てきた夕食はそれなりの料理人が作ったのであろう、納得せざるを得ない。塩気で誤魔化す田舎調理とは訳が違い、素材も一級品だし、その味も余すことなく引き出されている。
ところが重景は、それに舌つづみ打ちつつも、柄にもなく箸をおとなしく動かす。時折手を止め、ため息を漏らす。丸五日も粥ばかりをとっていた。あの修法対決後、なんとか京に入ったはいいがその夜、疲労からか倒れてしまっていた。それで五日間寝込んで今日の昼、やっと体が元に戻った。
食欲もあるし、だるさもない。久々の膳。鯉や豆腐、野菜の煮しめを楽しみにしてたというのに……。正面に落合がいる、右手に清がいて、左手に松がいる。険悪な雰囲気に押しつぶされそうだ。そんなにおれが嫌いか?
まぁ、聞くまでもないか。おれが寝込んでいた時はおまえらは賑やかに飯を食っていたものな。
にしても政元のやつ、神護寺を出る時、この土倉を紹介した。税の土倉役をお目こぼししてやっている、安心しなって言っていたが、何が安心しなだ。ここって京兆家の持ち物って噂の土倉じゃねいか。そんで言うに事欠いて、やつはおれに、こうも言った。
「やつらは田舎もんだ。京見物したら機嫌を直すさ」
んなわけないだろ。この雰囲気、悪寒さえ覚える。
とはいうもののそれでは何も始まらない。第一、この落合を連れて熊野に行きたくない。師父との決着は二人のみで行う。落合がそこにいたとなれば、師父への裏切りとなるのだ。さて、どうしたものか。落合、清、松と順に見る。向けられた目の色はやはり懐疑であった。
そうか。問題はおれが信用されていない所にある。とすれば政元のあの言葉もまんざら的外れではないかもしれない。親しくなればおれを信用してくれるかも。思い切って明日、京見物を誘ってみるか。
「落合殿? で良かったのかな。失礼ながら明日のご予定は?」
落合がムッとした。感じが悪い。松も清も睨んでくる。
「あ、いや、言いたくなかったらいいんです」
無理だ。無理に決まっている。政元め。相変わらずのいい加減な発言。重景は飯をかき込んだ。
とこの時、この屋敷の空気に違和感がした。
殺気!
箸を置いた。政元の手の者か? 落合も松も清も箸を置いている。間違いない。敵は……。感覚を研ぎ澄ます。九人といったところか。おれを助けに来てくれたってこと? であるなら、さて、おれはどうしたものか。忍び込んで来たやつらと一緒に落合を討つか。
正面の落合がまたあの瓢箪を手にした。
「ああぁ」と思わず頭に手を置いた。どうもこうもない。またゲロを吐いてのたうち回るだけ。乗せた手が顔を滑り顎まで降りてきていた。
落合の手の平に黒い山ができる。それが例のごとくキラめく。案の定、嘔吐にみまわれた。さっき食べたものを全部吐き出して、それでもなお治まらない。その間、光る砂鉄は生きているように自ら動き真珠大の玉となった。その数、九個。それがふわっと浮くと落合の廻りを回り始める。瞬く間に速度が乗って目で追いきれなくなり、消えてしまった。
障子や襖が、プスっとつかれた音が幾つかした。それと同時に悲鳴がそこかしこから上がる。襖や障子を倒し、黒ずくめの男らが座敷に倒れて転がった。砂鉄の玉がこの男らを貫いたのだ。
ところが二人、それをかわした。折り重なって倒れている仲間を飛び越え、どういう訳か、落合の方ではなくこっちに太刀を向けてきた。なぜ? 逃げようがない。嘔吐していた。無防備に這いつくばっている。死んだ!
と思った瞬間、清がその一人を切った。その清の動きは緩慢に見えた。襲ってくる敵の渾身の太刀。ところが届かなかった。それより先に清の太刀が敵を討った。もう一人は、松が倒した。すれ違いざまに何かをしたのであろう、敵がうずくまっている。見るとすねから血が吹き出していた。そして敵の太刀にも血がべっとり付いている。きっと振り下ろした太刀が自身のすねに当たったのだろう。落合はというとその場に座ったまま微動だにしていなかった。だが、その周りには小さな鉄球が九個、円を描いて回っている。それが、ことが終わったと判断したのであろう、落合の手の平に全て帰ってきた。砂鉄に戻る。重景の吐き気も収まった。
とにかく驚いた。落合の妹の松は別として、清にだ。まさか、田舎娘の清に助けられるとは思いもしなかった。それも相手はあの落合の術をかわした強者なのだ。清の、その卓越した剣技。どうやって身に付けたのだろう。
はたと思った。襲ってきた男に目を凝らす。自身の同輩だが、格下、十二鴉の一人であった。苦痛に顔を歪め、血を流しているためか、青ざめている。だがその一方でその目の色は怒りに染まっていた。
「おまえの師、鬼幽斎が大鴉二人を殺した。許せぬ」
血の気が引いてくのを感じた。
なんてことを師父はしたんだ。おれがどうなろうともそれはいい。だけど師父よ、このままただじゃ済まされない。きっと悪い結果が待っている。あなたはそれを望んでないはずだ。
唐突に土倉の用心棒が十八人、部屋に飛び込んできた。
「もう終わった! もう終わった!」と叫んで用心棒らを押しとどめた。
用心棒らは察したのか、死体だけを運んで出ていった。
残った十二鴉の一人、それを松と清が挟み込むように立って見下ろしている。冷たい表情であった。とどめをさそうとしているのか、二人は視線のやり取りをした。
「待ってくれ。多分これはおれたちのいざこざだ。あんたらに関係ない」
納得したのか、初めからそうする気だったのか、松と清が十二鴉の男の手当を始めた。その間、十二鴉の男が鬼幽斎との熊野での戦いを恨めしげに、時折苦痛に顔を歪めて話した。
先ほど、大鴉二人殺したと言ったが、やはりそうだった。因縁吹っ掛けられて、危うく殺されかけたこの男に、なにも言えなかった。まさに惨劇。熊野鴉党五百人は有象無象三千人になぶり殺しにあったのだ。生きている者もいるようだが、そんなのほんのひとにぎりであろう。
松と清の処置は終わった。十二鴉の男が太刀を杖にして立つ。
「あの師にしてこの弟子か。鈴木、おまえも妖しいやつらとつきあってるんだな」
足を引きずって庭に降り、立ち止まった。そして振り返って言う。
「おまえは京兆家とつるんでいて、熊野のことはもうどうでもいいんだろ? こいつらをみたら分かるさ。京兆家がどっかから拾ってきた者たちなんだろ? それで熊野での戦いにも参加せず、京兆家の土倉で悠々自適か。憎しみに駆られて、おまえなかんか襲っておれは馬鹿だった。大事な仲間を失って、このざまだ。悔しいが、腑抜けてもおまえは強いんだろうな。全く割に合わなかったよ。正直もう、おまえとは関係を持ちたくないって気持ちになったぜ。助けてもらった挙句、手当してもらって言うのもなんだが、勝手にしろ。おれたちは伝説の『啓明祓太刀』を探す。ずっと昔、今出川鬼善を倒し『太白精典』を熊野に戻してくれたのがその使い手だ。鬼幽斎を止められるのはもうその使い手をおいて他にいない」
はっとした。
落合と師父の術は似通っている。両方とも気がこの世のものとは思えない。『太白精典』に勝ったというのなら、そいつも同じような能力を持っていたと思えるのは至極当然。そして落合は『太白精典』を邪法と呼んだ。こういう時、術者は自身の術を正法と信じている。きっと多分に漏れず落合も、邪法は封印されるべきだと思っているはず。さらに言うと、落合は熊野の者でもないのに熊野の者でも殆ど知らされない事実を知っていた。
間違いなく、落合がそのなにやらの使い手に違いない。ここにいると言いかけたが、松と清が前に立って遮られた。待ってくれ。押しのけてそれを言おうとしたがその一歩が出ない。そうしてはいけない気もする。『啓明祓太刀』は『太白精典』を倒すことが出来る。師父が危ないのだ。一方でじっとしていられない自分もいる。仲間が大勢死んでしまった。師父は許せない。
迷いに迷った挙句、十二鴉の男が裏門から出ていくのを見守るだけとなってしまった。
ひるがえって重景は、落合の前に飛び込んだ。そして土下座する。
「どうか熊野を、師父をお助け下さい」
そうすること以外、なにも考えられなかった。
「鈴木、おまえは知っていよう。我々は世に出ないことを」
「ですが、あなたのお爺様は」
「菅浦か? 一緒にするな。おまえらは生きるのに真摯ではない」
確かにと思った。その最たる者がおれだ。落合が続けて言った。
「京を出る。そのまえに松、鈴木を直してやろう」
傍らの松がにこっと笑った。ここに座れということなのか、前の床を指さした。




