第13話 有象無象
修法対決から丸三日たったその日の夕、山本鬼幽斎は神護寺からの者らと道中で引き寄せられた者らの有象無象三千人を引き連れ熊野三山の領内に入った。が、そこにはすでに熊野鴉党が陣を敷いて待ち構えていた。耕地を挟んで向こう側に五百人。山を背にし、一隊を長方、それを十隊固めた正方の陣形である。山本鬼幽斎の行軍はというとずっと後方まで伸びきっていた。後ろの者たちはまだ山を抜けてない。それが耕地を踏み荒らしだらだらと集まりだす。かくして有象無象、丸く固まった。陣内は押し合いへし合いぎゅうぎゅう詰めである。沢慶が鬼幽斎に囁いた。
「やはり仕掛けては来ませぬな」
相手にとってみれば、当然であろう。足軽稼ぎや牢人だけならまだしも、荒くれ者や気まま暮らしの雑輩がほとんどなのだ。気の利いた陣形を敷くなんて考えられないし、ましてや戦いの最中、軍を有機的に動かすなんてありえない。統制訓練された鴉党なら負けるわけはく、ならば追っ払うつもりで先に仕掛けるかと言えば、窮鼠猫を噛むではないけれど、手痛い反撃を食らうことだってありうる。有象無象を何人討ち取ろうとも自軍の鍛えられた兵と天秤にかければ勘定が合わないのだ。それになんだかんだ言っても、数の上では鬼幽斎の方が断然有利、六倍である。それよりは動かず、圧迫感を絶えず与え続けるほうが、思わぬ怪我をせずに済む。鬼幽斎の軍は時間が経てば経つほどに我慢を失い、おのおの勝手に行動し始めるはず。そこを攻めるもよし、あるいはそもまま放っておくか。どのような形にしろ一端、陣が崩れれば蜘蛛の子を散らすように四散するのは目に見えている。あとは寄って集って鬼幽斎の首さえ取ってしまえば、有象無象なぞ追撃するまでもない、と、まぁこんな具合に考えているだろう。
こっちとしてみれば浮足立つ前に、数を嵩にかかって一気に勝負を決したい、と思うところではあるが、さて、吉と出るか凶と出るか。鬼幽斎は一人、軍から離れ、前に進んだ。やがて敵に声が届くだろう目一杯の所で立ち止まった。
「快湛! 目吉良! 出ませい!」
熊野鴉党の陣から白羽織を着た僧兵と武者の初老二人が姿を現した。それが後ろに二十人を横に並べ前進してくる。陣は山を背に、そのまま動かなかった。
「やはり、やいばの修験者が出てきたか。……小賢しい」
鬼幽斎はほぞを噛んだ。
白羽織の一人、鎧兜の目吉良が三十歩程前方で立ち止まり手を挙げる。やいばの修験者らもそこで歩みを止めた。
白羽織のもう一人、僧兵姿の快湛がそこから一歩前に出た。
「鬼幽斎! とうとう『太白精典』を世に出してしまったな。快命様以来の厳命を破った貴様は万死に値する」
鬼幽斎は大音声に笑った。
「このおれをおまえらが裁くというのか? 神をも恐れぬとはおまえらの事だ」
そう言って、両袖から巻いた布を左右一つづつ手に取った。
そして掲げた。
掛け軸が重力に任せて開くように、巻いた布が解かれる。左右それぞれの布には棒手裏剣が無数に並べて固定されていた。その棒手裏剣が弾けるように飛んだ。そして空中を旋回し、それぞれが位置を決めたのか動きを止め、鬼幽斎の廻りを浮遊する。
快湛と目吉良は、居並ぶやいばの修験者の後ろに下がった。
「やれ!」
目吉良が命じた。
やいばの修験者二十人が一斉に気を放つ。
鬼幽斎は宙に浮く手裏剣を始動させた。一つ一つが鬼幽斎を中心に円を描いて飛び、まるで五月蠅い蝿を思わせる。その無数の棒手裏剣が襲って来る気のやいばにかち合う。
気の跳弾。それがずっと後方の友軍に飛び込んでいく。悲鳴がいくつも聞こえた。気の目視は修行して始めて可能となる。友軍の九割九分はその心得もなく、なぜ体が裂け、血を吹いているのか分かっていない。
カマイタチのごとく何もないところから切り裂かれる恐怖。沢慶が自陣を見渡した。どの表情を取って見ても、長くは耐えられないと分かる。いつ陣が崩れてもおかしくはない。沢慶が吠えた。
「高悦殿!」
僧が人山の黒だかりから躍り出た。太刀を手にやんや喚いて自陣の廻りを走り出す。これは呪師走りという呪法で、走った道程の内側を結界とする。
はたと沢慶が見とがめた。遠く、やいばの修験者に人の倍ほどの体躯の男がいた。それが大弓を矢なしに引いている。
「これはまずい」
沢慶が青ざめた。
巨漢の引く弦と大弓の間に気の矢が現れた。弦を引くほどに矢柄を長く太くし、やじりはというと大きくそれでいて先端は鋭く尖らせていっている。沢慶が、「はやく!」と慌てた。待ち望んだ高悦が自陣を一周回ってやっと戻って来た。次の瞬間、結界が形成され有象無象三千人を覆う。巨漢が気の矢を放つ。陣から一人突出している鬼幽斎は受けきれないとみるや、横に飛んでかわす。その矢が、沢慶らに向かって来た。目の前で電光が走る。気の矢が結界に当たったのだ。そして消えてしまったのだろう、気の矢の直撃はなかった。沢慶が胸をなでおろす。
「間に合った。ちょっと思惑から外れ申したが、段取りどおり妙塵居士殿、お願い致します」
興福寺の僧、妙塵居士は沢慶の傍らで悠然とたたずんでいた。神護寺では見物人に亡き肉親をおのおのそれぞれ出して見せた男である。この世にはそこにあるが、見えないものがある。感覚の帯域を変えてやることによってそれを見えるようにする。その暗示が柏手であった。今度もその時のようにパンと手を一つ打つ。有象無象三千人がどよめきを上げた。今まで見えなかった気のやいばがその目に明らかになった。前方の鬼幽斎が無数の棒手裏剣で気のやいばを弾いている。さっきはその跳弾が飛来し仲間を傷つけていたと理解できた。今は結界に接触すると消滅している。
沢慶が叫んだ。
「安楽太夫殿、次はおぬしの番です。皆の者、太刀を抜け!」
三千人が一斉に抜刀し、その太刀を高々と掲げる。黒山の人だかりが剣山と化す。
「では、始めるぞ! 上げたまま動かすな!」
刀禁呪使いの安楽太夫がそう叫んで呪文を唱える。神護寺ではこの呪文で錆びた太刀を鋭利な刃物に変えた。当然今度もそうであったが妙塵居士の術のおかげでだれの目にもまざまざと見えた。どの太刀にまがまがしい何かが乗り移っている。
沢慶が嬉々とした。
「これで気のやいばを弾くことが出来まするぞ。われらにもう怖いものはない。突撃し申す。決めたとおり祥太夫殿の隊、福太夫殿の二隊に分かれて切り込もうぞ」
二人は幸若舞の新進気鋭。神護寺では木曽義仲と平景清をおのおのに乗り移らせ鬼気迫る舞を見せた。すでに祥太夫殿には木曽義仲、福太夫殿には平景清が乗り移っているようである。強気に満ち、闘志がみなぎっている。それにあてられたか、皆が武者震いを始めている。
沢慶が空を見上げた。
「気の跳弾のおかげで慌ててしもうたが、蛟太夫殿なら気付かれていよう」
果たして暗雲が垂れ込め、辺りが暗くなってきた。時折、旋風が吹き、それが度重なって暴風に変わる。
沢慶らのずっと後方、行軍が伸びていたその後端。そこに男が一人、取り残されていた。式神使いの声聞師、蛟太夫である。修法対決では五人の精霊を呼び出して観衆に見せた。その蛟太夫が朗々と法文を読み上げている。その頭上、空中に五人の精霊がきゃっきゃ騒ぎながら手をつないでくるくる回っている。その精霊が突然、回るのを止めた。つないでいた手を離し、その一人がかわいく、えいっといきんだ。すると天に無数の稲妻が走った。落雷は所を選ばない。雷雲から地表面へ向けて放電が始まった。
「おみごと!」
敵の陣が秩序を失い大混乱となった。正方形の陣が崩れていく。
沢慶たちはというと結界の中にいる。落雷は遮断されていた。
「まだだ。今飛び出すとこっちまで雷にやられるぞ」
沢慶が怒号した。敵の逃げ惑う姿に興奮状態の味方がつられそうになっている。
その落雷が止まった。空が明るくなってゆく。
「軽技の鷲太殿、鷹次殿、鳶三殿。力士の阿殿、吽殿。わたしといっしょに鬼幽斎様の援護を!」
水干の小男三人が三人とも、にやっと笑う。
大男二人も互いに見合わせうなずく。おのおの五尺の大太刀を左右一本ずつ手にしている。
祥太夫と福太夫が同時に怒号する。
「用意はいいか!」
地鳴りのような返事が返ってくる。
「進め!」と祥太夫と福太夫が号令をかける。
皆が狂ったように走り出した。




