第11話 大芝居
最終日は余興から始まった。声聞師の刀禁呪である。錆びた太刀を手に「我は此れ、天帝の使者なり」うんぬんかんぬんと呪文を唱える。するとその太刀はスパスパ切れる。用意された太い藁束が大根のようであった。政元も唸っている。この術師、名を安楽太夫といった。
次は剣舞で念仏剣舞、鬼剣舞、雛子剣舞などが行われ、太刀踊りで境内を盛り上げる。その流れで田楽座が登場。豊作を祈る活気溢れた踊りを披露する。続いては猿楽座。滑稽芸や義理人情の寸劇を行なって、見る人に笑いや涙を誘い、最後に翁面を付けた男が舞う。この翁の芸は娯楽芸と区別され翁猿楽と言い、呪術的で仏教の世界観を土台としている。場の雰囲気がガラリと変わった。そこから大和猿楽四座、伊勢猿楽三座の登場である。特に伊勢三座は翁猿楽が中心で呪師とも呼ばれていた。翁は幽玄な世界を織り成す芸能ともいわれる。境内はまさにその幽玄な空気に包まれる。それから一転、曲舞である。立烏帽子に水干、大口の姿で女、稚児らが演舞台にさっそうと躍り出る。どよめきから歓声に変わった。児舞、女舞である。各地で名を馳せた一座がおのおの美男、美女を要して艶やかに舞う。
「重景。見ろ、見ろ。みんな鼻の下を伸ばしてやがる」
膝を叩いて政元が笑っていた。
その後は幸若舞であった。武勇伝の長編物語が二人舞形式で進行してゆく。それは幸若が猿楽を発展させ作り上げたものであった。強く生き生きとしたさまと悲しくあわれなさまが相対して進む物語。単調でその繰返しが馴染みやすい音楽。それが時代の風潮に合致し貴賎問わず京で熱狂的な支持を得た。その新進気鋭、祥太夫と福太夫が舞を披露した。舞うほどに木曽義仲と平景清がおのおの体に乗り移って鬼気迫る。
それから幾つもの幸若舞が演じられその最後に大御所、いや、生きる伝説、幸若舞の創始者幸若太夫とその一座が姿を現した。
思ってもみないことに、境内の熱気は最高潮に達した。振売りの桶や天秤が空を舞っている。してやったりなのだろう、政元が雄叫びを上げ、立ち上がった。
「おれの手腕! 見ろ! 重景!」 さらに言う。
「どうだ! 驚天動地だろ!」
朝廷のお気に入りの芸人を呼び下した。そういいたいのか? 唖然とした。今日この日以上に政元という人間を分からなくなったことはない。天下の政務を取り仕切る、それが細川政元の職なのだ。
「ようし、こうなったらおれも楽しむぞ」
腰を落ち着けた政元が、肩をくねらせる。そして前乗り加減に演舞台の幸若太夫らを凝視する。
幸若太夫の演舞が始まった。
さすがに朝廷に愛されるのは分かる。幸若太夫の芸は他の追随を許さない。その音曲・舞姿は芸として常軌を逸していた。
その幸若太夫とその一座が演舞台を去った。
熱狂はやがて沈下し、辺りには静けささえ漂う。
政元の家人がぞろぞろと演舞台に上がって来た。演舞台中央に縦型の太刀受け台を四十台設置する。一辺が十個の正方形に手際よく並べ、それぞれに太刀を立掛けてゆく。
いよいよか。高雄山神護寺、この修法対決を締めくくるのは言わずとしれた山本鬼幽斎。気を研ぎ澄まし重景は観衆を注視した。神護寺は水を打ったようであった。どの視線も演舞台の太刀、四十本を凝視している。
突然、壇上に影が走った。
それが並ぶ太刀の前で上空に飛んだ。
着物が風を受ける音と共に、正方に並べられた太刀受け台の中心に影が舞い降りた。
山本鬼幽斎!
鍾馗を思わせる風貌で立っている。
だれもが凍りついていた。境内の空気が変わったのだ。威風が漂っている。
……落合は必ず来る!
いつでも飛び出せるように身構える。重景の緊張はすでに頂点に達していた。
一方で命を狙われているかもしれない山本鬼幽斎は悠然と、太刀の鯉口を一本一本切っていっては太刀台に戻している。政元の指示で重景は会うことを禁じられていた。身の危険が迫っているかもしれないことを鬼幽斎は知る由もない。やがて全ての太刀の鯉口を切り終わるとまた、その中央に位置した。
観衆はというと音一つ立てず鬼幽斎を見守っている。どの表情にも期待と恐れがない交ぜであった。いないのか? 棚田、いや、落合。いないはずがない。だが、観衆の中には殺気を醸し出す者なぞ皆無であった。
山本鬼幽斎が雄叫びを上げた。
途端、全ての太刀が鞘から飛び出し上空に消えた。
観衆は唖然とした。
……この感じ。そして鬼幽斎の体全体から発すほのかな光。
あの時と一緒だ。あの時と……。
突然、吐き気に襲われた。心にある傷の影響なのだろうか。両手で口を塞ぎ、喉を登ってくる小間物を必死に押しとどめた。
バタバタバタっと演舞台を打つ音がした。鬼幽斎の立ち位置を中心にいくつもの太刀が円を象って床に突き立っている。そこに遅れてきた太刀一本が、鬼幽斎の鼻先をかすめて床に突き刺さる。鬼幽斎は飛んだ。そして最後に落ちてきた一本の上に舞い降りる。
奇妙な風景だった。円を描いて突き立つ三十九本の太刀とその中心に刺さった一本の太刀。その一本の上に腰まであろう髪と腹まであろう髭、堂々たる押し出しの鬼幽斎が立っていた。不用意にも、重景はそれをあんぐりと見てしまった。そこへ吐き気が一挙に押し上げて来る。はっとしてぐっと抑える。この瞬間にも落合が襲ってくるかもしれないのというのに、おれは何をやってんだ。
おもむろに、鬼幽斎が垂らしていた手を天に掲げた。それに合わせて円を描いて刺さっていた三十九本の太刀が宙に浮き、鬼幽斎を中心に回り始める。これまで幻術など、不可思議な光景を見せられてきた観衆は目が肥えていて、驚いてはいたがこれで終わりではないことは流れの中で分かっていた。果たして、回転速度が上がるのに合わせ、徐々に切っ先が外側に向けて起き上がってゆく。そこからさらに速度が上がり、やがて刀身が水平になるまでになった。この時には刀身一つ一つがもはや形を失い三十九本が一体となり、一個の円環となっていた。
「過去、『太白精典』の使い手今出川鬼善は太刀を自在に操ったという。されどそれは一本のみ。山本鬼幽斎はそれを四十本だ」
政元の目が生き生きと輝いている。おれに解説をしてくれているのだろうが、横目に見る。それが今の精一杯。吐き気を抑えるのに必死だった。
一方演武台上はというと、うなりを上げる鬼幽斎の円環に変化があった。水平で安定していたのが、斜に傾きだしたのだ。そしてその一番高いところから一本、また一本と太刀が発射されていく。
宙を走る閃光。
高台の巨木に次々と太刀が刺さってゆく。応仁の乱をかいくぐり、どれくらい生きたか分からないほどの胴回りを持った巨木である。高雄山神護寺開創以来、いや、それ以前からそこにあったのかもしれない。それが最後の三十九本目が発射されるに至り、唸りを上げて倒れていく。
境内に轟音が響く。
驚いたはずである。だが誰も声を出せなかった。きっとそれを通り越して怯えているに違いない。倒した相手はどれくらい生きた分からない神木である。高雄山の高台でずっと神護寺を見守っていたはずだ。どの目にも恐怖の色が見えた。
その反応に満足したのだろうか、一本突き立った太刀から観衆を見渡した鬼幽斎は、そこからふわりと降りた。
「皆様方、わたしに力をおかしください」
神木をぶっ倒した後だから、その言葉の意味が誰の頭にもぴんとこなかったのであろう、神をも恐れぬ男がどういう訳か、取るに足りない者たちに向けて深々と頭を下げている。神護寺は水を打ったようであった。恐怖で怯えていたさっきとは違い、引いていた観衆が鬼幽斎の言葉、態度に疑問を持ち、次に発する言葉を待っている。それに答えるように鬼幽斎は続けた。
「わたしは熊野鴉党の大鴉を務めておりました。されどこの術、『太白精典』を習得した途端、仲間は手のひらを返しました。わたしの職を解いただけでなく、わたしを亡き者にせんがため、やいばの修験者を二十人も養成したのです。わたしは日夜、その攻撃にさらされました。こんなことがあってよいのでしょうか? 良い訳がありません。将軍義材様も管領家畠山政長様もこのあわれな境遇に涙を流して嘆いてくださいました。どうか、呪師走りの高悦殿、軽技の鷲太殿、鷹次殿、鳶三殿、力士の阿殿、吽殿、お助けくだされ。どうか、興福寺の妙塵居士殿、声聞師の蛟太夫殿、刀禁呪使いの安楽太夫殿、お助けくだされ。どうか、幸若舞の祥太夫殿、福太夫殿、お助けくだされ。どうか皆様、この哀れな初老の男を助けてやってくだされ。どうか、どうか、お願いします」
そう言って頬を涙で濡らした。
不意に一人、壇上に上がって来る者がいた。
「まずい」
重景は慌てた。不快感はすでに収まっていたのに師父の嘆きに心がとらわれてしまっていた。遅くはない。飛び出す、その寸前、政元に手を掴まれた。
「今、いいところなんだ」
振り向くと政元が目を見開き、歯を剥き出している。その表情が言った。
「おまえ、この寸劇をぶち壊す気か」
寸劇? 馬鹿をいうな! 師父が危ないんだ。離せって、え? 危なくは、……ないわ。
よく見ると壇上の男、格下であるが同輩の十二鴉、僧の沢慶であった。重景はよく知っていた。ずっと鬼幽斎の身の回りの世話をしていた男だ。それが膝を付いて鬼幽斎に擦り寄り、その足にしがみつく。
「皆様にご無理はなりませぬ。哀れはこの世の常。我々はどこか遠くに行って身を隠しましょうぞ」
「されど幕府は前将軍の湖南征伐に引き続き河内征伐を行おうとしている。将軍義材様も管領家畠山政長様もこのわたしにご期待をかけていただいている。それをないがしろにすることはわたしには出来ん」
そう言って、鬼幽斎がさめざめと泣くと足にしがみつく沢慶もさめざめと泣いた。
二人の悲劇に胸を打たれた、という訳でもないのだが、誠実さと人情味は伝わったのだろう。なによりもあの幸若舞の後である。高揚感というか、現実と非現実の区別を失っていたというか、違和感さえ誰も持ち得なかった。観衆の中から、
「おい、もしあんたらの手助けをしたらおれらを幕府の役人にしてくれるか?」と声が出た。
沢慶が意気揚々に立ち上がった。「もちろん!」
また、声がした。「熊野に田畑はもらえるのか?」
「もちろん!」
境内が一転、さわがしくなった。
「おれは行くぜ! 山本殿について行く!」
「もう、その日暮らしは飽き飽きしてたんだ!」
「山本殿にあれだけの力があって負けるわけがない」
あちらこちらでそのような声が上がる。
鬼幽斎は握った拳で涙を拭った。
「有難う。有難う」
鍾馗然としていた男が観客の隅々までまんべんなくぺこぺこと頭を下げた。そして言った。
「皆様方、では熊野三山へ。先ずはそこを悪い輩から取り返えしましょうぞ」
観衆が、一斉に気勢の声を発した。




