第10話 興行
燭台の明かりがポツンポツンと六つ。暗闇に男たち四人が浮かび上がっていた。
皆、顔を突合せ、つっ立っている。その中に鈴木重景はいた。そして傍らに細川政元。その目が異様に輝き、真っ白な歯を剥き出している。笑っているのだろう。いや、興奮するとこのような顔になるに違いない。色黒のため漆黒の闇に溶け込み、目と歯が強調されている。だからこそ、それに気付いた。この男はしょっちゅうこんな顔をしているのかもしれない。いや、していたような気がする。変わった男だと重景は思った。
「選者の方々の御出ましーーーっ」
高らかに、呼ばわる声が聞こえた。
「っしゃー」
政元が掛け声を発し先頭を行く。
面前の扉が開く。
まばゆい光が押し寄せる。目を覆った。
そこに地鳴りのような大歓声。今度は耳を覆った。
見渡す限り人、人、人。視界は修法対決を見物しようと集まった観衆でいっぱいであった。
ここは高雄山神護寺。
金堂も毘沙門堂も山門も何も無かった。応仁の乱で大師堂以外の建造物をすべて焼失していた。あるのはまっさらな演舞台。それが、山門があったであろう場所から大師堂の手前まで縦に長く、方形に設えてあった。
大師堂から出た政元が濡れ縁の床几に腰を掛けた。重景もそれに続き、他の二人も腰を下ろす。
それを見計らって、演舞台で男が大音声を発した。
「今から五日間、皆様に楽しんで貰えるよう趣向を凝らしています。先ずは今出川鬼善の物語を堪能していただきましょうーーーっ」
演舞台は木人形を抱かえた黒子ら八人と鼓や笛を手にする奏者四人、そして女が一人立っていた。彼らは傀儡師である。
「あれはおれの演出だ」
床几の政元が鼻の穴をピクつかせている。
今出川鬼善の木人形が次々に他の木人形を倒してゆく。比叡山『四身式』の鶴丸を手始めに、高野山『三武書』の遍照、愛宕三山『周天廻宝』の半眼居士、大峰山『役三行』の宗憲法印、三井寺『福聚輪』の空尊らと続き、神刀ことひらの興福寺衆徒順覚と対決。木人形の剣舞は華麗で優美であった。そして最後に強敵、栂尾山高山寺『洗髄経』の高弁である。激しい木偶回し。その速さ、力強さ。その操作はまるで木人形が生きているようである。そこに曲と女の力強い歌こえ。観衆は熱狂の渦となった。果たして今出川鬼善の勝利となると拍手喝采は鳴り止まない。
それから演目は放下に移った。数人の僧が演舞台に上がると律動的な音楽に合せ茶碗や徳利を天高く投げる。それを細い棒の先端に付けた小さい駕で受け止める。合間合間に道化師と放下僧との漫才が入る。観衆が沸く。物売りの声もそこらかしこから聞こえる。高く伸びた細い棒にまた細い棒を付け足し付け足し延々と伸ばしてゆく。棒はゆらゆら揺れ、きしみ、クワンクワンと波をうつ。先端は天高く、どこまで行ったかよく見えない。パンと破裂音と共に先端であろうところから紙吹雪が青空に舞う。やんややんやの大喝采。
次も放下僧の登場。一尺程度の竹棒二本を曲に合わせて空中に投げては掴む。それが三本となり、空中、手元と自在に操る。
「さて、我らに福を呼び込む呪力を持つのはどの組かな?」
たしかに放下芸は伊勢神宮に参拝できない人の代わりに神楽を奉納する神事ではある。政元にとってこのお祭り騒ぎはあくまでも修法対決のようだ。
放下芸はこの後も何組みも続けられた。
翌日の主は、雨乞いであった。それは演舞台のさらに上、多宝塔があった高台で催された。僧が地蔵を縛り上げたり、大乗経を読んだりする。雨はというと、一滴も降らない。陰陽師が呪文を唱える。天気晴朗、雨の気配も見えない。修験の行者が護摩を焚く。やはり空は真っ青、天はどこまでも高かった。
その青空の下、演舞台では多くの観衆で沸き立っていた。雨乞いだけでは盛り上がらない。僧が剣や鈴を持ち、あるいは拳印を結び入れ替わり立ち代り演舞台を走り回っていた。派手に騒ぎ、大仰な動作で駆けるその姿は滑稽でもあり、神聖でもある。これは呪師走りという呪法で四天王などを召喚し、走った内陣を結界して悪意悪霊を防ぐ行法であった。政元はそれを見て、あいつのは笑えるとかこいつのは勢いがないとか指をさしたり手を叩いたりして笑っている。観衆も野次を飛ばしたり、掛け声を入れたり、手拍子を入れたりで大いに盛り上がる。
その呪師走りの僧らの中に高悦という名の呪師がいた。重景の目には本物と映った。高悦が走った線の交差する内側に結界が形勢されている。覆う壁は薄膜で、それでいて滑らかでどこをとっても均等に見える。おれの気のやいばでも破ることはかなわないのではないか。そう思えた。
その日は雲一つ出ない晴天で幕を閉じた。
三日目は曲芸と力試しである。綱渡りの蜘蛛舞が青い空に踊る。物売りの声も昨日より増えている。人出は倍か。
「今日は縁起物だ。これだけ賑やかなら魔除けとしては十分なのだがな」
政元がご満悦である。
数々の軽技、力自慢が出てきた。そのなかでも水干の三兄弟、鷲太と鷹次と鳶三の軽技は見事であった。空中で捻ったり、回転したり。速さが違った。跳躍も他を圧倒した。そのうえ兄弟三人の連携である。観客も息をのんだ。
その他に力士の阿と吽の双子にも、驚かされた。背丈は重景の倍。大きな岩を二人で投げては受けし合う。観衆もそれに掛け声を合わせる。境内は一体となって盛り上がった。
夕暮れ、雨がポツポツと当たってきた。今日の演目は全て終了し、政元は大師堂の花頭窓を少し開け、外を覗いていた。それが振り返ってニヤリと笑う。
「来た、来た」
外で、言い争いと水たまりを蹴る音を重景は聞いた。そのいかにも先を争っている雰囲気から雨乞いの僧や陰陽師、修験者であることは疑うべくもない。窓を閉め、そわそわと上座に着く政元のその様子から、彼らを弄ろうとしているのがありありと見えた。案の定、政元はいっぺんには合わず外に控えさせておいてひとりひとり個別に呼び出し、その言い分を聞く。そして僧やら陰陽師やら修験者やら誰にも、あんたは大した呪術師だと賞賛する。開いた口が塞がらないとはこのことだ、と重景は見ていてそう思った。
翌日は快晴、演目は幻術である。呑牛の術をやる者が何人もいた。常人が牛一頭を丸呑みにするのだ。この他にも刀を飲んだりする者もいたし、逆に口から馬を吹きだしたり、無数の蜂を延々と吹きだす者もいた。口は口でも細く長い壺の口から自分自身が中に入ってしまう者もいる。すべて奇術の類であったが二人、興福寺の僧と声聞師は呪術と言えた。興福寺の僧は名を妙塵居士という。観衆の中から一人、演舞台に上げるとその者の死んだ母を出して見せた。それを、観衆の一部からサクラではないかと疑いを掛けられた。「しかたなし」と両手の平を打ち鳴らす。境内は騒然となる。観衆一人一人に死んだ肉親が見えていた。泣いたり喜んだりその反応は様々で、また手を打つと見えていたものが消え、誰もが正気に戻った。そしてもう一人、声聞師は式神を使った。名を蛟太夫という。法文を読み上げるとどこからともなく笑い声が聞こえ、空から異形の精霊が五体が舞い降りてくる。法文を閉じるとそれは消えて失せてしまった。
「四日目は滑稽であったが、中には気味が悪いのもあったな」
それが政元の感想である。
「さて、明日は最終日だ。気分を取り直してパーッと騒ごうぞ」と大師堂の中に引っ込んで行った。
その夜、重景は何度も寝返りを打った。神護寺に入ってからかれこれ五日、ほとんど不眠であった。原因は師父山本鬼幽斎。不吉な妄想をしてしまう。それに静けさが手伝って心臓の鼓動が耳を撃つ。その一方で他の選者の安らかな寝息である。気に障って目が冴える。それでも睡魔が隙をつく。そこにいつもの悪夢である。飛び起きる。また耳を撃つ。目が冴える。どうにもこうにも出来ず、布団に縮こまる。寝返りを打つ。明日は鬼幽斎の出番であった。そのためだろう、今夜は不吉な妄想がなによりも強かった。
「寝付けないのか?」
闇の中、二つの寝息と混じって声がした。……政元だ。
「ああ」と答える。
「もう何日も満足に寝ていないだろ」
「知ってたか」ということは政元も……。
「虫の息だな。大丈夫か?」
政元の声は笑い混じりであった。茶化しているのか。
「おまえこそ寝ろ」
ふふっと政元から笑い声が漏れた。今度は本当に笑いやがった。こっちがどれだけ気に病んでいるか知っているのに。
「政元っ」
「そうカリカリするな。おまえのことを笑ったのではない」
「じゃ、誰を笑った?」
「おれ自身に笑ったのさ。おれは子供のころからぐっすり寝た記憶がない」
そうだったのか……。虚空を見つめた。政元とは数えきれないほどの寝食を共にして来たのだ。
「重景、物事はなるようにしかならん。あまり根を詰めるな」
普段の言動とかけ離れていた。おれへの政元のやさしさ?
「心配してくれるのか?」
「ああ。心配ついでに一つ言っておく」
「なんだ?」
「終わるまで会いに行ってはならんぞ」
政元らは出場者の評価にあたって秘密保持を原則としている。そのため大師堂から一歩も出ていない。もちろん方便である。政元がそんな真摯に評価するように思えない。選者の意見をそのまま通すだろう。
「おまえは選者なんだ。鬼幽斎に栄誉を与えたいならそれぐらいは分かるだろ」
そうだ。師父が一番になるのは知れたこと。もしも、棚田、いや落合が現れたとして、その機は師父が壇上に上がったその時。おれの役目はその一点。なにを悩むことがあるというんだ。
「すまぬ。政元」
「礼はいい。早く寝ろ。明日は忙しくなる」
言われた通りに目を瞑った。なるようになるか……。ありがとう、政元。




