第4章
1
茉由理と食事に行った日を境に、英里佳は変わった。
打ち合わせの時、積極的に発言するようになったし、よく笑うようになった。
英里佳の変化に一番喜んだのは、なんとアカリだった。
日に日に沈んでいく英里佳をどうにかしないと、と焦っていたらしい。
アカリからの相談を受けて、茉由理は英里佳を呼びだしたのだそうだ。
「心配かけて、ごめんなさい……」
英里佳が謝ると、
「心配なんかしてないよ! ただやる気、出させようとしただけ」
アカリはプイッとそっぽを向く。
「アカリ姉、素直じゃないなぁ〜」
そんなアカリを、からかう啓。
「うるさいやい! ほら、黙って短冊をつくんなさいよ!」
「はいはい」かみつくアカリを、あしらいながら、啓は画用紙を手に取った。
今日は七夕。晴れたことだし、笹を飾ろうと提案したのは茉由理だった。
みんなでわいわい騒いで、短冊や飾りなんかをつくっている。
短冊を書きながら啓は言う。
「オレ、好きだなー、サトカさんの作品」
啓の言葉に、英里佳は思わず彼の顔を見る。
「わたしの作品、読んだの?」
問うと、そりゃ〜、気になるじゃんと啓が答えた。アカリに頼んで見せてもらっていたらしい。
「だから、サトカさんの今の作品が本当に読みたいと思うよ」
ほら、と啓は英里佳に短冊を見せた。
ーーアカリ姉とサトカさんの二人展が成功しますように。
几帳面な小さな文字で、そう書いてある。
(啓くん……)
彼の優しさに、目尻が熱くなる。
「ありがとう、頑張るから」
英里佳が言うと、啓はビッと親指を立てて笑った。
2
一週間は飛ぶようにすぎた。
前日の木曜日、仕事帰りに英里佳は作品を持ってギャラリーMにやってきた。
「お、持ってきたね!」
ギャラリーで待っていたのは、啓だった。作業中なのか、デニム地のエプロンをかけている。
「啓くん、セッティングどう?」
英里佳が聞くと、ぼちぼちってとこかなと腰を回した。骨がなる音が聞こえて、思わず英里佳はふきだしてしまう。
いままであったテーブルは片づけられていて、中央にでん、と七夕の笹がある。その周りを椅子が点在していた。
笹はアカリの作品に使うのだという。
「あ、そうそう。もう少ししたらアカリ姉も来ると思うから待っといて」啓は言った。
とりあえず、アカリを待っているあいだに見てもらおうと、作品を啓に渡す。
「これ、どういうコンセプトなの?」啓は作品をパラパラめくりながら、聞いてきた。
400字詰原稿用紙を綴り紐でとめてある。タイトルは、『ささやかな言葉』。
なんの変哲もない手書き原稿。
マス目が黒く塗りつぶしある上に、修正ペンで文字が書き込まれている以外は。
「過去のわたしを、塗りかえるって感じかな……」英里佳が言う。
学生時代に創った短編の原稿を使った。一マス一マス、マーカーで塗りつぶしていく。
その上に、物語を書いた。何気ない日常の、ささやかな物語。
小説ではないかもしれない。
でも、今の自分はこれなのだと思う。
「あー、それで」黒く塗ってある上に、新しく書いているんだ、と感心したようにいう。
「でも、もったいないよ、これ!」
だって過去の作品消しちゃってるじゃんと、啓が口を尖らせる。
「部誌に載せてるヤツだから、大丈夫!」啓くんだって読んでいる筈だよ、と英里佳は付けくわえる。
啓が呆れた顔をしていると、ドアの開く音が聞こえた。
振り返ると、アカリがギャラリーに入ってくる。
「あ、アカリ姉、来た来た」
手を振る啓には目もくれず、真っ直ぐ英里佳の前までやってきた。
「サトカ」真剣な眼差しで、話しかけるアカリ。
「は、はい」思わず英里佳は後ずさりした。
(わ、わたし、またアカリさんの機嫌そこねるようなこと、したかな……)
ぐるぐる。固まったまま、考えていると。
「ごめん! お願いがある!」
ガバッと頭を下げるアカリに、英里佳は素っ頓狂な声をあげた。
「はいぃ!?」
3
そして、待ち望んでいた二人展がはじまった。初日には、ささやかながらオープニングパーティをした。
茉由理が家から持ってきたオードブルと、アカリと英里佳で買い出しにいったお菓子や飲み物で乾杯をする。
土曜日には、急な雷雨から避難してきた人がちらほらやってきた。
みんな、それぞれ英里佳とアカリの作品を鑑賞した。
ギャラリー内には、英里佳が朗読する物語がひっきりなしに流れている。アカリが創った物語だ。
木曜の夜、アカリに頼まれたのは、実はこれだった。
物語の朗読を、録音させてほしいと頼みこんできたのだ。
「やー、ビビビと来ちゃってさ、あんたの声がちょうどイメージに合うんだよ」
急にでごめん、とアカリは頭を下げる。
アカリが創った物語は流石に、クオリティが高かった。
童話調のファンタジーで、本当にわくわくする。
話しかけられて、受け応えするアカリが眩しく見えた。
(いつか、アカリさんのような小説を書きたい)
英里佳は、願いを胸に刻んだ。
「あっという間ですね……」
片づけられてがらんどうになったギャラリーを見て、名残惜しそうに英里佳は呟いた。
「そうね、お疲れ様」茉由理が缶の青りんごサワーを持ってくる。
「パーティの残りだけど、乾杯しましょ」言って、英里佳とアカリに配る。
「二人展の成功を祝して」
「かんぱーい!」
プルトップを開けると、ぷしゅっと噴きだす音がした。
「ぷはー、一仕事終わった後の酒はうまい!」
ぐびぐび飲んだ後、アカリは叫んだ。
「はじめての展示会、どうだった?」飲みながら茉由理が聞いてきた。
少し考えてから、英里佳は口を開く。
「はい……参加できて良かったと思います」
諦めた事、迷った事、落ちこんだ事、そしてやっと掴んだ物語のカケラ。英里佳の脳裏に浮かんでくる。
思えば、ここに偶然迷いこんでから二ヶ月ぐらいしか経っていない。
もう長い間過ごした馴染みの場所みたいに思えてくるけれど。
英里佳は茉由理とアカリを見て、思う。この人たちは、かけがえのない仲間だと。
茉由理が啓の様子を見てくると言って、二階に上がっていった。
アカリと二人きりになる。
「ーーわたし、負けないから」
ポツリといった英里佳の言葉に、
「言ってくれるじゃない」アカリはニヤリと笑った。
「それでこそ、あたしのライバルよ」
「ーー次もよろしく」
す、とアカリが右手を差しだす。
「よろしくお願いします」
にっこり笑って、英里佳がその手を取った。
完