禁煙法時代に転生した僕は、カフェインレスを嘆く
あ、ヤバイ。死ぬ……。
走馬灯が流れ出し、人生が巻き戻る。
十歳→九歳→八歳→七歳→六歳→五歳→四歳→三歳→二歳→一歳→生後一ヵ月→胎児→命の芽生える前……命を失おうとしている俺。
……って、僕じゃないっ!
いや、俺だ……僕、だった。
僕として生まれる前の、俺。
平成に生まれ、令和を迎える前に死んだ俺。
そう、今と同じような状況で。
……マズイ!
助けを呼ばなきゃ、また死んでしまう!
死力をふりしぼって指を動かし、霞む視界で電話をかける。
コール音を聞きながら、必死で意識を保とうと努力する。
「はい、救急センター……」
応答があったことに安堵した途端、ふっと暗転した。
次に眼を醒ました時には、病室のベットの上だった。
――そんな訳で、僕は前世を思い出し、命も助かった。
一説によると、走馬灯とは死を目前にした生存本能の働きだという。命が危い状態で生きのびるために必要な知恵を得ようと、それまでの経験をふり返っている状態なのだ、と。
僕の場合は、正にソレだった。
だから、前世を思い出した原因はハッキリしている。
実際、おかげで同じ死に方を繰り返さずに済んだ。
お話なら『めでたし、めでたし』だが、人生とは生きているかぎり終わらない物語である。
閑話休題。
死にかけて間もないせいか、『俺』の記憶の影響が色濃くて、今の僕は色んなものが新しく感じられる。
何というか、SF映画の中に入り込んだみたいなイメージだ。
『俺』の時代より、様々なものが進化している。
とは言え『俺』が死んでから三十年程度なので、何が何だか見当もつかないくらい変わり果てている事もない。
老人が若い頃とくらべながら「便利になったなぁ」と呟く、そういう一コマだ。
さて、「全快おめでとう」ということになった僕は、ひとりで退院した。
十歳の子どもなのに親が迎えに来なかった時点でお察しだが、僕の方も会いたくなかったので、ちょうど良い。
病院から街へ出ると自動車が走っているが、『俺』お馴染みのガソリン車ではなく、電気か太陽光発電で動く車に替わっている。それどころか、今ではドライバーのいない自動運転の車も普通に走っている。そのせいで『俺』の認識からすると危険運転をしているように見えた運転席の乗客にギョッとしたあと、僕は「別に危なくなんかないぞ」と自身に言い聞かせる。
……こんな調子が続くんじゃ、ちょっと困るよな。
落ち着くための深呼吸をしてから、病み上がりの僕はゆっくりと歩き出す。
まっすぐ帰宅したくない気分なので、休憩もかねて家電量販店に寄り道する。
前世の『俺』視点だと、初めて眼にするような機械が所狭しと置いてある。
『俺』が現役だった頃のスマートフォンや液晶画面のテレビは、今では骨董品だ。
空中に立体映像を写しだすテレビやパソコン。携帯電話も「ホロホ」と呼ばれるホログラムフォンが主流だ。ゲーム機器はVRの製品が人気で、3D画像のオンラインゲームは廃れてしまっている。
最先端の技術をもの珍しい気持ちでながながと観賞したあと、しぶしぶ帰路につく。
念のために自宅へ戻る前にマンションのインターフォンで確認してみると、やっぱり客が来ている。
また煙草の密売か。……はちあわせが嫌で時間潰ししてきたのに、無駄だったか。
僕の生まれた年に禁煙法が成立し、煙草は違法になった。
それまでの愛煙家は『ニコチン依存症患者』として医療機関に登録され、医者の診察と治療を受けなくてはならない。もちろん拒否しても良いけれど、その場合は処方箋が貰えないので、減煙処置という名目で煙草を手に入れることが出来ない。もし自宅で煙草を栽培した場合は警察に逮捕される。
僕の親は「上限があるとは言ってもゼロよりマシだ」と、病院通いを選んだ喫煙者だ。
それは良いのだけれど、良くないのは処方された煙草の大部分を転売して稼いでいるという点である。これもバレれば捕まる。
もっともウチの親の場合、犯罪行為はコレだけじゃない。
父親は『俺』の生きてた時代なら「ヤクザ」と呼ばれる職業だったろう。『俺』が死んでいる間に警察の取り締まりが功を奏したらしく、そういう職種は今では廃業されて現存していない。
だがしかし、犯罪は無くならず、犯罪を繰り返す前科者は地下に潜っているだけという世の中である。
ウチの父親のような犯罪常習者は警察の監視を潜り抜けるために、人目を惹くような違法組織は構成しなくなったのだ。
仕事ごとに仲間をひそかに募集し、その場かぎりのグループを作る。
僕にとって残念なことに、そういう場合の父親はヒラの構成員ではなく首謀格である。
まだ検挙された事はないけれど、うすうす警察も勘づいてマークしているのではないか。
そろそろ善悪の区別がつくようになった年頃の僕が、成人した『俺』の知識を引き継いだのだから、それまで意識していなかった親の犯罪行為に気づいて当然だ。
将来は親と縁を切ることも視野にいれて、海外移住を考えてみるべきか……。
それまでは自分の身を守らなきゃな。
僕はため息を吐き、喉の渇きをおぼえて自販機を探す。
ところが、見つけた自販機の品揃えを確認してガックリと落ち込む。
『俺』が飲み慣れていたお茶類は全滅だったのだ。
コーヒーどころか、紅茶も緑茶も抹茶も買えやしない。辛うじて麦茶は買えるが、真冬に飲みたくないぞ。
僕が生まれる前に『カフェイン中毒』が健康問題となり、酒と同じ扱いになったのだ。つまり、未成年者のカフェイン摂取は法律違反。
街角のカフェなども居酒屋のような大人のためのお店になってしまった。
子どもが買える飲み物は天然水かカフェインを含まないハーブティー、あとは乳製品や果汁と炭酸のジュースだ。
って事は、ココアやチョコレートも駄目なのか。『俺』が子ども時代食べてたお菓子も規制の対象だろうし……。
なんという世知辛さ。……愛煙ツアーが流行るのも頷けるわ。
いまだに煙草が合法な国への旅行が日本の愛煙家たちのブームとなっており、問題視している人々もいるようだ。税関では麻薬犬ならぬ煙草犬が活躍してるって話だし。
でも、その気持ちが分かっちゃうよ。
あと八年……成人まで長いよなぁ。ホント、生き辛い世の中になったもんだぜ……。
僕はノンカフェインのたんぽぽコーヒーを飲みながら、失われた嗜好品の数々を思って嘆くのだった。