漫画か小説か、それが問題だ
「私、描く人じゃなくて、読む人だわ」
結論を述べて、私は机に突っ伏す。
「はいはい、締め切り迫ってるんだから頑張って」
友人はカリカリとペン入れしている原稿用紙に視線を向けたまま、投げやりな調子の言葉を返した。
部室棟の漫画研究会の部室には、私と友人の二人きり。デジタルで漫画を描く部員が増えているため、締め切り前になると部室は閑散とする。残念ながら漫研にパソコンはない。だから、みんな自宅でパソコン前に陣取っているんだろう。
「分かってる、分かってるんだけど……ゼロから描ける画力は無いから、漫画は無理!」
のろのろと顔を上げて、今更の発言をしてしまう。
「なんで漫画研究会に入ったの?」
友人が手を止めて、ちょっと冷たい視線を向けてくる。
「それは、学校の方針で一年生は部活動必須だから仕方なく……」
少し気まずくなって、私は言い訳を口にした。
「ほかのクラブがあるでしょ?」
「本命の帰宅部が不可だから、第二希望は文芸部だったんだけど……」
「絵描きがダメで、字書きが出来るなら文芸部一択でしょ」
「そのつもりだったんだけど、同じ中学校出身の先輩に忠告されたんだよねえ。
『高校の文芸部は、中学とは違うよ』って」
「違うって、何が?」
「私が卒業した中学の文芸部は顧問の先生が放任主義で、部活動の時間はお喋りタイムだったし、部誌の作品はライトノベルが主流だったの」
「楽しそうね」
「うん、楽しかった。でも、高校の文芸部は、毎回部活動の時間に顧問の先生がしっかり指導してるらしいの」
「それがイヤなの?」
「私、詩歌の才能が無いんだよね」
ポツリと、私は白状する。
「えっ?何のこと?」
友人が怪訝な表情になる。
「歌会があったり、夏休みには俳句甲子園へ出場するって聞いて……私には向かないな~って思ったんだよね」
正直な気持ちを吐露すると、椅子に凭れた。
思い出すのは、中学時代の国語教師である。私が提出した俳句の宿題に目を通したあと、『これは俳句じゃなくて川柳だね』と宣告した。でも、その一首のどういう点が川柳と判断されたのかは解説してくれなかった。それ以降、どうも俳句を始めとする詩歌には苦手意識があるのだ。
「なるほど。……だけど絵が描けないなら、漫研は無謀だったんじゃない?」
「実物を見ながらイラストを描くことなら出来るから、大丈夫かな~って……」
そうなのだ。入部を考えた時はそういう希望的観測を心に抱いて、安易に決めてしまったのだ。
「じゃあ、そうしなよ」
「著作権の問題で雑誌の写真とかは使えないから、自分で見本を撮影しようとしたんだけどね。自撮りしようとしたらカメラ片手だとポーズが上手く取れなくて、モデルを頼める人もいないし……。人物画は諦めて、アニマルイラストに変更しようかと思ったんだけど、ペットの写真もブレてばっかりで撮影に成功しなくて……」
いちおう模写のための画像を用意する努力はしてみたのだが、思ったとおりに撮れなくて失敗ばかり。
イラストを描くための見映えのするポーズというのは難易度が高く、しかもカメラを持ったままという事もあってバランスを崩して転んだりした挙げ句、物音を聞きつけた母親に『小さい子じゃないんだから室内で暴れたりしないの!』と叱られてしまった。
で、いま現在どうしようかなって悩んで、あれこれ煮詰まってるというわけである。
「自撮りがダメなら誰かに撮影してもらいなよ。わたし撮ってあげようか?
あっ、制服じゃ味気ないか。それなら家でお兄さんとか……」
「ええっ!絶対っ、嫌っ!」
背もたれから身を起こし友人の申し出を受けようとして開いた口が、兄について言及されたことで拒否反応の叫び声を発した。
「うわっ、スゴイ顔してるよ……」
大声に驚いた友人が、退きぎみの態度で指摘した。
「からかわれるし、私の体型がどうだの服がダサイだの駄目出しばっかだもん」
「……仲悪いの?」
思案するような顔つきの友人に対して、私はなるべく明るい声で答える。
「仲悪い、というか正反対のタイプだから喧嘩になるんだよね。ときどき兄貴風吹かしてきて鬱陶しいし。親に訴えても『ケンカするほど仲が良い』みたいに思われて放置だよ。
この前もさ~、真顔で『おまえ本ばかり読んでるけど、こんなことは現実で起きないからな』って説教口調。コッチは『なに言ってんの?コイツ』って感じ。私の読書ジャンルは異世界ファンタジーが主流なのに、いまどき小学生でもリアルに有ることなんて思わないでしょ。自分が読む漫画が学園モノばかりだからって、馬鹿じゃないの」
「ああ、自分の価値観でしか物事を考えない人なんだ」
「そうなの!昨日の夜も、私の部屋に置いてあった本を無断で持ち出して読んでたから文句いったんだけど、謝るどころか逆ギレしてさ、『俺の物も貸してやらないからな!』だって。今まで一度も貸してくれた事ないクセに。しかも今朝、『寝坊した、学校に遅刻する。おまえの自転車貸してくれ、俺のは壊れてるんだ』って言うんだから、面の皮厚いわよ!仕方なく貸したけど、迷惑千万だわ」
友人が理解を示してくれたことが嬉しくて、つい日頃の不満を漏らす。
「優しいね」
「どうせ遅刻したら私のせいにされるに決まってるから、嫌々渋々よ。
あ~あ、ひとりっ子が良かったなあ」
兄弟姉妹のいる人間が一度は考えるだろう事を呟いた。
「ひとりっ子のわたしからすると、兄弟いたら楽しそうだけどな。前に聞いたエイプリルフールの話は面白かったしね」
「ええっ!?あんなの幼稚なイタズラじゃん!
急に『指がっ、指がっ』って片手を押さえて傍に来て、目の前でソーセージをポトッ!って落としてさ、『驚いた?指だと思ったか?』だって。お母さんには『食べ物で遊ぶんじゃありません!』って叱られてんの。本当に馬鹿なんだから」
「他人事で聞いてると楽しいよ」
笑顔で感想を述べる友人に、
「まあね、私も赤の他人なら笑ってるかも」
私は苦笑で応えた。
「ねえ、お兄さんとの日常エピソードをマンガに描いてみたら?」
良い事を考えついたと言わんばかりの表情で、友人が提案してくる。
「無理無理、画力無いもん。漫画は難しいよ、ハードル高いって」
私は両手を振って、その気が無いことをアピールする。
「わたしにはマンガより小説のほうが難しいけどな」
「そんな事無いよ。漫画が描けるなら小説も書けるよ。
まず漫画のセリフを書き出すでしょ。次は会話の行間に登場人物の表情やしぐさを書き足して、あとは漫画なら絵で表現する背景を文章で説明したら、小説の一丁上がり!」
「分かった。……今度はわたしが簡単なマンガの描き方をレクチャーするね。
絵が難しい、画力がないって言っても、棒人間に表情を描くぐらいは出来るよね?」
友人からの質問に、私は考えながら首肯く。
「うん、それ位なら描けるよ」
「だったら、表情を描いた棒人間に吹きだしのセリフつければマンガになるよ」
「いくら何でも落書きじゃ無いんだから、それは駄目でしょ」
「それなら、棒人間に毛をはやして服を着せてやれば良いよ」
友人の説明に、私は反論する。
「いや、でも、登場人物の動きとか、背景とか効果線とか必要でしょ」
「だから、兄妹の日常マンガならセリフがメインのギャグになるし、絵の難易度も下がるはず。そもそも学生のクラブ活動にプロのレベルは求められてないから」
「でも、身内ネタだし……」
何も知らない他人が読んでも面白い話にはならないと思うな、と考えてとまどう。
「お兄さんにバレるとマズイ?だけど、お兄さんの愚痴を言うより、復讐のつもりでマンガのネタにしたほうがスッキリすると思うな」
「うううっ、どうしようかな……」
「描いちゃえ、描いちゃえ!描く阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら描かなきゃ損損!」
悩む私を、友人がそそのかす。
「私は高みの見物が良いよ~」
茶化して誤魔化そうとした私に、キッとなって友人が叫ぶ。
「あのね、創作には勢いが必要なの!正気に返るのは描いた後にしなよ!締め切りは待ってくれないんだからね!」
「でも――」
「デモデモダッテ禁止!いい加減にしないと見捨てるからね!」
「ごめんっ!見捨てないでっ!」
締め切り前で大変なのは友人も同じなのに、私が愚痴をこぼしたせいで作業を止めさせてしまったことを反省する。
「じゃあ、描くよね?はい、決定!約束だからね、破ったら針千本で」
「そんな殺生な……」
私はガックリと肩を落としてみせながら、もはや諦めの境地である。覚悟を固めつつある私に向けて、したり顔の友人が呟く。
「だって、わたしら漫研部員だもん、『描くか描かないか、それが問題だ』でしょ」