5章 10話
人に歴史あり、そんな言葉を思い出していた。
モラン爺はすごい人だと思っていたけど、宰相になるかもしれない人だったなんて知らなかった。知りようもなかった。
大事な話ばかりだった。ヘランの地を思ってくれている人がそんなにいたとは。しかし、今は、まずこれが聞きたい。
「モラン爺はハープさんのこと、まだ大事に思っているの?」
「……ええ、もちろんじゃ」
「そう……」
それはよかった。
話を聞いて、俺の中でもいろいろと整理がついた。モラン爺がこの地を救えるかもしれない、と言っていた意味も。
「モラン爺、つまりは言い伝えの、300年後の子孫に託された仕事を俺がやるってことでいいんだろ?」
「ご明察。わが友ペタルと、ハープ、二人が言っていた予言の子は、クルリ様のことじゃろうなぁ。まったく、こんな事態になり、こんな年を取ってようやくそんなことに気が付くとはのぉ。案外近すぎると気づかないものじゃ」
「まだ、まだ手遅れじゃなかったんだ……。モラン爺の話でいろいろと分かった。見てほしいものがある。少し待っていて」
なんだか、生命力がわいてきた。気力もあふれ出す泉のようにわいてくる。俺はモラン爺に見せるべきものを探し出した。
先日届いた手紙と、そして、カギとなるものを。
「これを見て」
書庫に戻るなり、モラン爺に手紙を渡した。
書かれていたのは、先日ふざけた内容だと決めつけて放っておいたものだった。
『ヘラン領ピンチなり。早急に手を打つべし。時間にして後一か月で大干ばつがやってくるなり!こちらでも手は考えているが、未だ打開策が見つからないなり。領主よ、領民を逃がす準備に入るなり!急ぐなり!ヘラン領は呪いに負けそうなり!』
「これ、モラン爺が言ってた、ペタルっていう人からの手紙じゃないかな。きっと、この人は今でもヘランのどこかにいて、戦い続けているんだよ」
モラン爺は手紙を受け取り、中身をなんどもなんども読み返していた。
そんなに長い内容ではないのだが、それは大事に大事に丁寧に読み込んでいく。
気が付けば、乾ききったように見えていたモラン爺の瞳が潤んでいた。
「またまたご明察ですな。ああ、これはかつての我が友、ペタルの字に違いないわい。ああ、あぁ、あいつはまだこの地で戦ってくれていたのか……」
こらえていた涙がどっとあふれ出した。きっと、なつかしさ、うれしさ、いろんな感情の乗った涙なんだろうと分かった。
しばらく、なつかしさに浸って、モラン爺は再びこちら見た。
「まだなにかあるのでしょう?さっき出て行った坊ちゃんにはみなぎる活力を感じましたのでな」
「まだある! これを」
手紙の後に、俺は本を一冊、モラン爺に手渡した。
『魔法書 5巻』
「そうですか。すでに坊ちゃんの手元にありましたか。長年探し続けてきたのに、本はあるべきところにあったのですね」
これは数年前、屋敷に盗賊が入ったときに偶然見つけたものだった。まさか、俺にとってこんなに重要な一冊になるとは思いもしなかった。
「モラン爺のお陰で、4巻までの内容はすべて頭に入っている。今から5巻をマスターすれば、この呪いに勝てるのだろう?」
「言い伝え……いや、ハープが伝えてくれた話ではそうだ。間違いあるまいよ」
「なら、ならまだ! このヘランの地は救えるってことだ」
「しかし、代償はあります。坊ちゃんの命が。300年前、ヘランが命をささげた時のように」
「それが役目なら、甘んじて受け入れよう」
モラン爺に強い視線を投げかけた。もう議論の余地はない。その意思を彼も察してくれた。あとは、行動あるのみだった。
「領民のことは心配いらんでしょう。坊ちゃんが築いた良縁が彼ら彼女らを守るでしょう。今は、これからは、最後の究極魔法を習得することに専念できますな」
「といっても……」
屋敷の外をみた。すでに砂色しかなく、乾いた空気が満たされている。ただそこにいるだけで、水分が奪われる。もう食料はない。下手したら一週間も生き延びられないかもしれない。
「かつての友、ペタルを頼りましょうか」
モラン爺の提案に驚いた。なぜか、彼は悟ったように、急にそんなことを言い出した。
まるで、ペタルが今何をしているか、全部わかっているかのような言いまわしだ。
「ペタルがまだこの地で戦っている。ならば、さまざまな用意をして、彼はあそこにいるに決まっています」
「あそことは? ……まさか」
「ええ、すべてが始まった場所、そして終わりの場所。”呪いの沼”彼ならそこにいるはずです」
友を信じた目をしていた。モラン爺が若々しく見える。
そうだ、それが一番理にかなっている。それに、言い伝えじゃ、あそこが一番呪いが弱いはずだ。それなら、5巻目を習得するにも、そこが一番条件がいいはずだ。
「場所はわかるの?」
「何年、このことについて考えてきたことやら。目を瞑ってでもたどり着けますわい」
目的地は決まった。
最低限の荷物を手に持ち、俺とモラン爺は旅立った。
乾いた土地が体には厳しい。しかし、初代ヘランの苦労を思い出すと、なんだか大したことでもないような気がしてくる。
”呪い沼”
そこはヘラン領の最も南に位置する場所にあった。
北のほうが栄えているこのヘラン領において、ここらは開発の及んでいな場所であった。交易のルートからも外れており、その地に近づくにつれて民家は減っていった。
「あそこですじゃ」
目的地が見えてきた。言い伝え通り、そこにはまだ緑が根付いていた。砂漠の中のオアシスにも見える。水もあるだろう。はやく、何か口に入れたい。
それにしても、やはり”呪いの沼”なんて怖い呼ばれ方をされるほどの場所には見えない。付近に近づくと、ここだけ乾いた強烈な風から守られていることがわかる。自然な現象ではありえない。間違いなく人為的なものだ。呪いは、強力な古代から続く魔法はやはりこの地にあるらしい。
「モラン爺、水を汲んでくるよ。どこか木陰で休んでて」
「すまんな。老体には答える旅立ったわい。おとなしくここらで待たせてもらうよ」
荷物をモラン爺に任せ、二人分の水筒を手にして、あたりに水を探しに歩いた。
この呪いの地、森みたいな感じだろうか。
木々に覆われ、外の世界とは隔離されているみたいだ。乾いた外の地とは気温も湿気も違う。こんなに明確に違いがでると、もはやこの世ではないのでは、という疑念さえ出てくる。
そんなに長いこと彷徨ったわけじゃない。感が働いて、すぐに水は見つかった。大きな泉があった。澄んだ、きれいな水だ。
手で掬って、一口飲んでみる。
うん、うまい。飲める水だ。それから汚れた顔ごと湖に突っ込み、飲みたいだけ飲んだ。腹がタプタプだ。
水筒を開けて、二つとも満タンにして、早くモラン爺に届けてやりたかった。きっと心待ちにしているはずだから。
水筒を抱えて駆け出そうとしたとき、凛とした音を聞いたような気がした。音、かな。何か、でも響いてきた。不思議な響きがしたそちらに首を向けて、見てみた。
「……クルリ、様?」
凛とした響きの正体は……、そこには一人の女性が立っていて、しかも、その人はずっとずっと心配して、ずっとずっと探していた人で。なんでこんなところに。なんでこんなところエリザがいるんだ……。
「エリザ……本当にエリザなのか?」
「あなたこそ、本当にクルリ様なのですか?」
気が付くと、こちらもあちらも歩み寄って、泉の端でお互いの顔が間違いなく見える位置まで歩み寄って、何度も確認した。
ああ、間違いなくエリザだ。
いつものようにきれいなドレスは来ていない。どこかアイリスっぽい装いで、でもいつもの華麗さは一遍も失われておらず、こんな場所にいても、威厳のあるいつもの感じがある。
エリザの手が伸びてきて、俺のほほに触れた。
そして、親指と人差し指で頬をつねられた。
「いたっ……」
「夢ではありませんのね」
えっ!? そういうのって自分の頬で試すものじゃないの? 人の頬でやるの?
「クルリ様がここにいるってことは、予言の子孫っていうのは、やはりあなたなのですね」
「なぜエリザがその話を?」
「ペタルさんから聞きました。随分と、彼にはお世話になりましたので。それに、この地は、私にも大切に思える地ですので、彼のお手伝いをしておりましたのよ」
「じゃあ、謎の男女って、まさかペタルさんとエリザのことだったの!?」
「ええ、お恥ずかしいですが……」
そうだったのか。それにしても、なぜエリザがこの土地に残って、しかも、ペタルさんの手伝いを……。彼女がここにそんな思い入れがあっただなんて。
しかも、王都で姿を消して、一人でここまでやってきたのか。彼女、今更だけど、結構逞しいよなぁ。農家の娘でもやっていけるかも。
「エリザ、話したいこと、話さなくちゃいけないこと、いっぱいあるんだ。でも、まずはモラン爺に水を届けさせて、枯れちゃいそうだから」
「ええ、わたくしも話したいことがたくさんあります。このあとペタルさんのところに行きましょう。目的は、同じはずですよね?」
「ああ」
モラン爺に水を届けて、エリザの案内のもと、俺たちはペタルの住まいを訪ねた。
呪いの沼のほんと、すぐすぐそばに木造の家が建っていた。言い伝えでは、300年前、ヘランたちもここに家を建てて、呪いの研究を行っていたらしい。
エリザの声がして、ペタルはその特徴的な語尾、なり!なり!をつけて家の扉を開いた。
「エリザ譲、戻ってきたなりか?」
水を汲みに行ったエリザを気遣って、彼が内側から扉を開けたのだが、そこにはエリザだけではなく、俺とモラン爺もいた。
エリザに視線をやり、次におれ、そしてモラン爺を見て、ペタルは大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。
「クダン国一番の登り竜、モランが王都を去ったのは何年前なりかねぇ。ヘラン領領主の屋敷に、優れた書庫番が入ったのは随分と前の話なり。ハープが死んだのはもっと前のことなり。随分と一人で待ったなり。遅かったなりね、モラン」
ペタルは震える声で必死に最後まで言い切った。
「すまぬな。こんなに爺さんになるまで待たせてしもうた」
モラン爺の声も震えていた。
「友を待たすのは悪いことなり……。ハープの墓がこの近くにあるなり。一緒に行くなりか?」
「ああ、案内してくれるか?ペタル」
「付いてくるなり」
二人は連れ添って家から出て行った。ハープの墓参りにいくのだ。何十年ぶりだったのだろうか。けど、二人はその何十年ぶりの空白を飛び越えて、今再び共に戻っていったのだ。
取り残された俺とエリザ。
家に上がって、二人でいくらでも話せるはずなのに、なぜかこういう状況になると何を話していいかわからなくなる。いっぱい話したかったことあったのに。
「私、家を飛び出してよかったわ。ここにたどり着けて、クルリ様と再会できました」
「随分と心配したよ」
「ごめんなさい。でも、ワクワクドキドキした旅路でしたわ」
エリザがあんまりにも明るい顔でいうものだから、なんだか笑ってしまった。箱入り娘の初旅だったんだ、きっといろいろあったのだろう。
「聞かせてくれるかい? ワクワクドキドキの大冒険の話を」
「ええ、構いませんことよ」
静かな部屋で、エリザのきれいな声に耳を澄まして、さてさて今度は彼女の大冒険の話を聞くことにした。