5章 9話
それは遥昔のこと。
モラン爺がまだ爺じゃないどころか、青春時代真っただ中のことだ。
モラン16歳。銀色の繊細な髪を持ち、目鼻立ちのはっきりしたいい男。エレノワール学園に通う貴族の子弟だった時代。
勉学に真面目で、成績は常にトップ。いつも一人きりで本を読み、気安く話しかけられない剣な雰囲気を醸し出していた。
頭が固く、人を見下した態度を取り、怒りっぽくて、それでも顔は良かったので女性にはモテた。つまりそれは同時に、男性諸君には最高に嫌われていたということにつながる。そういう訳で、友達らしい友達は一人としていなかった。
ある日、そんな彼が休み時間に大好きな本も読まずある場所をずっと眺めていた。銀色の髪をなびかせて、鋭い視線が一人の女性に向けられる。
モラン青年、16歳にして初恋を知る。
険しい顔をしてその女性を見ているが、内心彼はドキドキであった。
みつめられていた女性は、友達にモランからの熱い視線を教えてもらい、ようやく彼の存在に気が付いた。何か因縁でもつけられかねない顔だったので、すぐに逃げた。他の女性なら跳んで喜ぶようなモランからの熱い視線も、この女性には全く通用しなかった。
女性の名は、ハープ・ヘラン。名前に相応しく、綺麗な声をもち、短く切り揃えられた赤い髪が印象的な女性だった。いつもニコニコしており、どこか楽し気で、大きな目が常に何かに興味を抱いていて輝いている。集団に混ざるのが苦手で、一人で奔放に振舞うのが好きだった。つまりは、彼女も変わった人間だったのだ。そこに惹かれたのかどうかは定かではないが、モランは間違いなく彼女に恋をした。
日に日に積もる思い。全く伝わらない気持ち。行動を起こしてくれない己の脚。振り向く気配ゼロの彼女。
モランは無為な日々を過ごした。彼女との距離は縮まらない。
そんな日々が過ぎていくが、ハープの周りの人間関係は見えてきた。基本、特別仲のいい友達がいないかと思われた彼女だったが、2日に一回はかならず向かう場所があった。
モランは己の行動の後ろめたさを自覚しながらも、彼女の後を付けた。心に火が着いたら、馬鹿な行動をするのはいつの時代も共通の病気だ。
彼女が通っていた場所、それは古い書物が集められた地下倉庫だった。図書館では滅多に読まれない書物がおかれた埃臭い場所だ。読書家のモランですらなかなか手を出さない分野の本ばかりだった。
「来たなり! ハープが来たなり! 早く座るなり!」
倉庫で蠟燭に火を灯して、その傍らで本を読んでいた男がいる。ハープが会っていたのはこの男であった。
その人物、もちろんモランも知っている。同じ学年で、同じクラスの男なのだ。知らないわけがなかった。
名前を、ペタルといい、いつも語尾に、なり! をつける、これまた変わった男だった。細身の体に、小さい背丈、たれ目に大きな鼻と大きな口。お世辞にも美男子とは言い難い男だった。
ペタルとハープがそういう関係!? モランは踏みしめた地面が崩れるような気分だった。なんたって、このペタルという男、変人モランが認めるほどの超変人なのだ。
いつのまに!?
モランは己の行動力のなさを呪った。もっと早く行動すれば自分のものにできたのでは。悔やんだ。そして、怒りにつながる。
二人が仲良く話し込んでいるところに、怒りのままに突っ込んだのだ。
二人を襲った驚きは大変なものだった。誰も来ないはずの地下図書倉庫に、学園の有名人モランが怒りのままにいきなり突っ込んできたのだ。何事かと仰天するのも無理ない。
3人が顔を見知ったのは、それがきっかけ。そこから、このあぶれ者3人が仲良くなるのに時間はかからなかった。なにより、ペタルとハープが男女の仲じゃないと知って、モランは途端にペタルのことを好意的にとらえ出した。
「じゃあなんだ?こんな地下倉庫で、いつも二人で何をしているんだ?」
とある日のモランの質問に、ハープもペタルも顔を見合わせて、答えをためらった。その様子がまたモランを苛立たせる。自分の知らない秘密を共有していることに、強烈に嫉妬していた。
モランの短気をだんだんと理解していた二人だったので、友達になった証に秘密を彼にも共有することにした。
「ハープ・ヘラン。家名の通り、私の実家はヘラン領にあるの」
「ああ、あの辺境の貴族か。聞いたことがある」
「辺境なんて失礼ね。まぁ、事実なんだけどね。でも凄くいいところよ。自然豊かで、何より花が綺麗ね。花畑で遊ぶ、なんていう贅沢、王都じゃ味わえないでしょ?」
「ふんっ。そんなの贅沢とは言わん。贅沢とは宝石貴金属の類をいうのだ」
「わかってないなー」
「二人ともわかってないなり! 贅沢とは書物にこそあるなり!」
三者三様それぞれに贅沢があった。
そんなことよりも、と話を進めようとするハープに、モランは熱い視線を注ぎ続ける。話の内容にも興味はあるが、やはり彼女への興味のほうが大きい。隣ではペタルがそんな気持ちを知ってか知らずか、我関せずといった様子で本を読み続けていた。
「その議論はまた今度にしましょう。とりあえず、ペタルと私が研究していることについてね。全てはヘラン家に伝わる言い伝えっていうのが始まりなの」
「言い伝え? ふんっ、こんな時代にそんな類のものが?」
モランは若干彼女をバカにした。人を見下すのがくせになっているのだ。それに、論理的思考が得意な彼には、言い伝えなどの古い伝説の類が嫌いだった。なにかあやふやで、はっきりしない、そんなところが気にくわない。
しかし、他人の気持ちに鈍感なハープにはモランの嫌な態度も気にはならなかった。
「うん、古くから伝わる言い伝え。死んだおばあちゃんが大事に大事に、私が幼子の頃から語ってくれたものよ」
「どんなものだ?」
ハープは一度深呼吸をする。大事な話なので、気安く話を始めたくはなかった。モランは大事な友達だ。だから話す。これでいい。
「ヘラン領はその昔、数百年も前のこと、あの土地は呪われた土地と呼ばれていたの。人が住めないどころか、草木も育たない。その地に足を踏み込んで無事に戻れる人はいないっていうくらいいわくつきの土地。クダン国の領地ではあったけど、貴族のだれも欲しがらない土地……」
モランは真面目に聞いた。ハープの顔が真剣そのものだったからだ。
いつもどこかフワフワした雰囲気のある彼女がこれほどまでに真剣なのだ。もう馬鹿にする気持ちは消えていた。
「そんないわくつきの土地に、ある貴族が移り住むように命じられたのが全ての始まり」
王城での権力争いに巻き込まれ、彼は王都を追われた。そして、嫌がらせも同然に与えられた土地が、現在のヘラン領だった。この男、ハープの祖先にして、同時にクルリの先祖様でもある。ヘラン領の初代領主ヘランという人物だ。
♦ これは更に数百年前も前の話 ◆
過去の家名は失われた。これから新しい土地で、ただの一個人、ヘランとして生きていくことになる。
ヘランという男、明るい色の赤い髪を持ち、細身ながら力強く、病気を知らない逞しさを持っていた。そして何より彼を特徴づけるのは、とても笑顔が良く似合う青年だった。彼は誰とでも気兼ねなく話をするし、笑うことが大好きだった。大貴族の家系でありながら、庶民にまざって大衆酒場へ出かけたりする。困った人がいれば身分関係なくその身を呈して助けた。多くの人々に愛されていたが、大貴族の血を引く身、という自覚は薄かった。
ヘランは権力にも金にも興味がなかった。権力闘争に巻き込まれたのは本当に不運が重なっただけ。戦う気にもなれず、彼はなされるがままにすべてを受け入れ、呪われた土地へと未来永劫飛ばせれされることになる。しかし、彼は呪われた土地に飛ばされたことを不運とは考えなかった。もともと土いじりは好きだった。貴族の家に生まれ、不都合にも才能もあったことから王都にいる他なかったが、ようやく自分の人生を歩める、そう喜んでさえいた。
人も草木もない土地に、ただ一人。流刑に等しい処遇にも、彼は毎日が生き生きとしていた。
天然の洞窟で夜を過ごし、明るくなると土地に草木を植える。いつも一人きりで、休むことも忘れてただ働き続ける。食うや食わずの日々が続く。体はやつれ、美男子だった容姿は日に焼けて黒くなり、すでに過去の面影はない。そんなことには全く興味も示さず、彼は一人で呪われた土地と戦い続けた。
草木は育たない……。
1年後、彼が出した結論だった。あれだけやって育たないはずがない。そこで、ようやく彼はこの地が本当の意味で呪われた土地だということを自覚した。途端、膨大な恐怖が襲ってきたが、彼の心も、志も曲がることはなかった。また新しいこと試すだけだ。
……5年が過ぎた。
成果はない。不毛の地は不毛のまま。世界が変わろうとも、この地だけはなにも変わらなかった。しかし、ヘランの周りには変化があった。この地にはヘラン一人ではなくなっていた。総勢30名。みんないろんな理由があり、この地に流れ着いた。ヘランは一人一人の事情など、そんなことを詮索はしなかった。来る者は拒まず、少ない食料を分け合ってともに生き抜いた。
みんな彼に恩を感じたし、彼の人間性を好いた。他に行くあてのあった者もいたが、ヘランと共に志を貫くことを決心した者もいる。志とは、この呪われた土地を人の住める豊かな土地へと変えることだ。
ある時、ヘランはこの地にいる全員を招集した。大事な話があるとかで。
「みんな、長いこと見落としてきたが、この地は魔力の流れがおかしい。自然界に流れる魔力、それがこの地は狂っているのだ。それも、ただ狂っているだけじゃない。なにか、意図的に狂わされたかのような……。まさに、呪われた土地とでも言うべきか」
そんなことがわかっても……。より一層絶望が深まるだけじゃないのか? そう思う者もいた。
「これから、私はこの呪われた土地を隅々まで調べる。いままで敬遠していた奥地までも全部見て回る。そして、この狂った魔力の流れの全貌を暴く」
「暴いてどうする? 」誰かが聞いた。
「もちろん、正常な状態に戻す。それでこの地は呪いから解放されるはずだ」
「しかし、どうやって?」
「私は幸運にも魔法の才に恵まれた。きっと呪いを解く魔法を編み出すと約束しよう。私の才能は、このために与えられたのでは……いまはそうとさえ思えてくる」
「自然界の魔力の流れを正すだなんて、そんな大規模なことをしてただで済むとは思えない」
魔法に理解のあるものが、気になるその部分を指摘した。
「ただで済むとは思わない。しかし、それが私の夢なのだ——」
これ以上語る必要はなかった。今ギリギリで過ごせている生活圏を捨てて、呪われた土地の奥地を探索することが決まった。
そのことに全員が賛成し、全員が参道を希望した。ヘランの夢は全員の夢になっていた。皆、彼の眩しい笑顔に惹かれている。彼の赤い髪は皆の道しるべになる。どれだけ離れても、あの赤い髪を見失うことはない……。
旅は予想を超える厳しさだった。終点の見えない旅であり、成果があるとも保証されない。それでも逃げ出す者も、この無謀な旅に後から文句を言う者もいなかった。
しかし、壮絶な環境は同志を一人また一人と脱落させていく。体の弱った者から、次々と。
3年して、ようやくヘランの地に流れているおかしな魔力の流れの全容が見えてきた。そして、その魔力の発生源である場所も突き止めた。
後に、ヘラン領呪いの沼と呼ばれる場所だった。そこに辿り着いたのは、わずか13名。半数以上が失われていた。
「はるか昔に、このクダンの地に別の国があったころのことだ。賢者と呼ばれた男が駆け落ちの末、この地で果てたと聞いたことがある。その時に、呪いの歌を歌いながら散っていったという古い伝説があるが、まさかそれが事実だったとはな」
歴史に詳しい者が言った。それが事実だと、沼が証明していた。沼の底から溢れ出す渦状の魔力がこの地を犯しているのだ。底で眠る賢者が、死してなお呪いの歌を歌い続け、この地を呪われた土地とし続けている。あまりの力と、怨念に、誰もが恐怖した。だが、この地は希望でもあった。ここを治せば、呪われた土地は元の姿に戻ってくれるのではないか。
渦に近いこの地は、不思議と他の場所より自然に恵まれていた。台風の目とでも言うべきか、一番呪いの強そうなこの場所が、いちばん呪いの影響が少なかったのだ。
生き残った13名はここを拠点に、呪いを打ち破ることになる。彼らの信念がここから再スタートしたのだ。
10年の歳月が経ち、その魔法はようやく完成した。
子供が生まれ、更に同志も加わり、総勢で50数名になっていた。ヘランは呪いとの最後の戦いに入る。
「みんな、聞いてくれ。この地の呪いに終止符を打つ。ようやく魔法が完成したんだ」
今更全員に言わなくても、みんな知っていることだった。長い年月で、みんなが考えていたのはそのことだけだったし、長い研究のおかげで、全員が魔法のスペシャリストになっていた。
詳しいことは全員が知り過ぎているほど、知っていた。だけど、全員が暗い顔をしている。ようやく、ようやく念願の呪いに勝てるはずなのに……。
「みんな、これも知っているだろうけど、呪いには、完全に勝つことはない。私の力では及ばないのだ。この命を捧げる。しかし、それでも持って300年というところか。この魔法は300年後の子孫に引き継がねばならない。子孫に迷惑をかけるのは申し訳ないが、それしか方法はない。300年後、呪いは復活する。しかし、その時に再び我が子孫に私と同じ系統の魔力を持った男も生まれるはずだ。その時に、この呪いの渦を巻き返す。子孫の命も失われるだろうけど、そのときにようやく呪いは完全に討ち果たされるだろう」
誰も、300年後のヘランの子孫に思いを寄せるものなどいなかった。みんな、そんなことよりも、300年の平和のために、この目の前の、皆の希望の象徴であったヘランの命が失われる方が辛かった。命を捧げないと呪いに一時的でも勝てないのは全員が理解している。理解していても、感情は抑えきれないのだ。ヘランこそ、彼らの希望だったし、彼がいるから全員ここまでついてきたのだ。
平和な土地が戻ったところで、彼がいなかったら、そんな世界は……。
しかし、結論はすでに出ていた。命を捨てるヘランの選択は多くの幸福を呼ぶだろうし、彼自身が引き下がる意思もない。だれか代わりにやれるレベルの話でもない。彼の才能と努力の結晶である究極魔法のみがなせるのだ。
決行の前日、ヘランは一人朝早く沼に向かった。
予定では次の日に皆が見守る前での決行だったが、彼も別れが辛い。誰にも告げず、その象徴的な赤い髪を揺らしながら一人沼に向かった。静かに沼を見つめる。
皆がその赤い髪を見て後を追った。いつもその赤い髪を見ると元気が出た。しかし、ヘランの命はその日失われた。皆が静かに眠る早朝、彼は究極魔法を行使したのだ。
呪いの渦が止まり、そしてヘランの魔力の渦が呪いの渦を巻き戻す。全部巻き戻したとき、その地にあった乾きが癒え、沼を中心に花が咲き乱れた。一か月に渡る大雨が降り、花や草木、川が出来き、ヘランがいなくなって一か月足らずで、呪いの土地は恵みの土地へと変わっていった。
生き残った同志たちはこの地にヘランと名付け、ヘランの息子が2代目領主としてこの地に君臨した。ヘランの生み出した魔法を五つの魔法書にしるし、300年後に蘇る呪いに打ち勝つため代々子孫に言い伝えるようにした。
“300年後、ヘランの血を引いた人物が呪いの渦を完全に消し去るだろう。その者は渦の魔法性質を持ち、類まれなる魔法の才にも恵まれるだろう。願わくば、赤い髪の精悍なヘランのような人物であれ”
◆
「以上よ。最期のセリフは特に大事な部分で、おばあちゃんが何度も話してくれていたわ」
すっかり話に聞き入っていたモランは言葉を失った。
自分の知らないそんな歴史があっただなんて。信じられないような話でもあるし、いろいろとショックだった。
「そんな話……なぜ二人きりだけでする。そんな大事ならもっと大々的に発表して皆に協力してもらえばいい」
モランの意見はもっともだ。
「それが出来ないからこうしてペタルと二人して頑張っているのよ。古い書物をあさってね」
「ん? なぜできない。大体ヘラン領でこそ、声を大にして皆に言うべきだ」
二人の辿って来た苦労を知らないからこその発言だったけど、苦労してきた身からしてはイラッと来るセリフだった。
そこから更に詳しい説明を聞きだすまでに、モランは一週間を要した。
「ヘラン領もこの数百年でいろいろとあってね、古い歴史書が失われたり、言い伝えも風化してきたりで、正直真面目にこの問題を気にしている人物なんてもういないの。おばあちゃんが死に際にそのことを皆に再度話しても、みんな老人のたわ言として流していたわ。両親も、兄弟もみんな……。だから、私とペタルで頑張るしかないの」
「なぜペタルは協力している?」
「それは興味があるからなり! それとハープと一緒にいると楽しいなり!」
「ふふっ、私もペタルと一緒だと楽しいよ」
二人がそんなやり取りをするものだから、モランの嫉妬心に猛烈な火がついて、余計なことを口にしてしまう。
「ふん、そんなの嘘に決まっている。どうせ何もない辺境の地にそういった逸話を作って見栄を張っているだけのことだ……」
「言いすぎなりよ……」
「……」
モランがハープに許してもらえるまでに、一か月もかかった。
モランはハープのことが好きだったし、だんだんと彼女の真摯に向き合う姿を知って、助けになるべく本気で歴史書を調べだした。3人で過ごした日々は楽しかったし、ちゃんんと進歩もあったのだ。
「魔法書がこれで4冊……。肝心なあと一冊が見つからないままか」
「うん。4冊目までは基礎を養うのが目的であり、究極魔法が記されているのは5巻なの。あー、なんで見つかんないのよ」
「慌てることはないなり。きっとみつかるなり。大事な5巻だから厳重にしまってあるだけなり。忘れ去られてみつからないだけなり!」
「それはそれで切ないな。学生生活もあと一年、出来るだけのことはやろう」
この頃、モランの底にある優しさや、彼の真面目な態度に、ハープは徐々に惹かれつつあった。ペタルはそんな二人の気持ちを察してはいたが、優しく見守るだけだった。
「それにしても、初代ヘラン様とハープの髪色が一緒って言うのはなんだか縁があるのかな。ハープも綺麗な赤い髪をしているし。もしかしたら、ハープがその予言の子孫だったりするんじゃないのか?」
「私じゃないよ。予定じゃ60年後だし、それに私には初代ヘラン様のような魔法の才もないもの。私が赤い髪を持ったのは……何か意味があるのなら、色あせた言い伝えを後世にちゃんと残してあげることだけかな」
「それと魔法書も見つけないとな」
「うん!」
3人の青春はこうしてヘランの未来のために使われた。それでも、3人一緒だと楽しかったし、確かな幸せがそこにはあった。
破局は、学生最後の年に起きた。
モランのもともとの優秀さと、ヘランで読んだ魔法書の知識もあわさって、彼の才能はどんどん伸びていた。そして、卒業後に就職する先だが、王城に決まった。それもただのポストじゃない。将来の宰相のポジションだって狙えるほどの出世ルートが彼には用意された。
ハープは卒業後、ヘランの地に戻ることになっている。ペタルも彼女についていくことにした。モランは、彼らと共に行こうと決めていた……決めていたけど、用意された椅子が余りに魅力的過ぎた。彼の心は大いに揺れ、そして、のちに後悔することになる道を選ぶ。
モランは王城での出世コースを選んだ。この国の、国王に次ぐ地位を手に入れられるかもしれない。若い彼は無我夢中でそれにしがみつた。もともとの才能と、彼の血のにじむような努力が競合者をことごとくはねのけた。
そんな厳しくはあったが、順風満帆な日々が過ぎ、とあるとき、古き友人から手紙が届いた。
ペタルからだった。
ハープに恋したのはもう数年前。今じゃもう、その気持ちは薄らいでいたが、気持ちはまだ確実に残っていた。だから、自身が宰相になったときに彼女を迎えに行こうと決めていた。同時に、友人のペタルのことも懐かしんではいた。だから手紙が来たとき、彼は心底嬉しかった。
手紙の内容は、友人を懐かしむ内容がほとんどであり、モランは読んでいて嬉しかった。しかし、最後に気にかかる内容もあった。ハープの体調が良くないとのことだった。モランの顔を見たら元気になるかもしれないから、ヘラン領に来てくれないかというお願いも添えてあった。
モランは飛んでいきたい気持ちになった。
しかし、彼は行かなかった。もうすぐ昇格試験があったのだ。宰相になるためには、試験をおろそかにするわけにはいかなかった。結局モランはヘランに行くことよりも、試験を取った。
試験はもちろん最高成績であり、これでまた出世コースの先頭を歩むことになる。権力者からの持て成しパーティーは連日連夜行われた。人脈を気にした彼は寝る間も惜しんでそれらに参加した。
モランの人生は順風満帆だった。史上最年少の宰相になることを誰もが疑わなかった。
……そんなとき、またもペタルから手紙が来た。
ハープの体調が悪い。急いで来てくれという内容だった。懇願しているような文章だった。
試験は終わっていたから、行こうと思えば行ける。
しかし、後日、とある大物貴族から娘の誕生パーティーに来るように招待されている。これに行けば、自分は大きな後ろ盾を得る。もう宰相が手の中に納まる。そんなところまで来ていた。
……モランはまたしてもヘラン領に行くより、どこぞの誰か顔も知らない娘の誕生パーティーに参加することを選んだ。
実際モランはその選択が正しいと思っていたし、何よりいい気持ちだった。何処にいても、彼は特別扱いされるのだ。ヘラン領なら、いつでもいける。本当にいつでも……。
半月後、またもペタルから手紙が来た。モランは若干鬱陶しく思いながら手紙を開いた。どうせまたヘラン領に来いという内容だと推測したからだ。
しかし、手紙には彼の想像をはるかに超える事実が記されていた。
ハープがこの世を去った、と。最期にモランのことを呼び続けていた、と。しかし、そんな願いも敵わず無念のうちにその命は天へと帰った。
手紙からハープの無念と、ペタルの怒り、悲しみがひしひしと伝わる。モランはその場に立つことが出来なくなっていた。膝が折れ曲がり、腰が抜ける。
もう、頭が停止していた。頭だけじゃない、体全部が停止していた。一瞬だが、モランは死んだような感覚に襲われた。手紙の最後にはペタルからの別れが記されていた。
モランはたった一通の手紙により、生涯の友を二人も失ったのだ。
そこでようやく自分の愚かさに気が付く。
自分が選んだ道はなんの価値もないものだったかと。いや、価値がない訳じゃない。しかし、失ったものと比べるとあまりに小さい。無に等しい。
自分がヘラン領に行っていれば、最後に一目ハープに会えた。あの輝く笑顔を最後に見られたかもしれない。彼女が奇跡的に助かることもあったかもしれない。しかし、自分でその道を塞いだのだ。
モランはその日、全てを失った。
もう出世も宰相の地位も金も何もかもどうでもよくなった。
全てを捨てて、王都を出た。空っぽの心のまま、目的地のない旅に出た。たった一人で旅に。
王都を出て、どれだけ月日が経ったかわからない。ある時、一輪の花が咲いているのを見た。なぜだか、その花が大層美しく思えた。長らく何も感じてこなかったのに、暗闇の中にいたのに……、モランは自分の心がそんなことを感じていることに驚いた。しばらく眺めていると、近くにも花があることが分かった。花を眺めながら歩を進める。
……その先に衝撃的な、長らく無色だったモランの心に鮮やかな色を付けるかのような美しい花畑が広がっていた。丘一面全部が花。自然に生えた花だ。赤青緑黄色。無限に花があるんじゃないかと錯覚するほど咲き乱れている。
モランは気が付くと、この地を心から好いていた。旅の終わりはここでいいのは……。長い旅にも疲れていたのだ。
たまたまそこを通る行商人がいて、彼はこの地の名前を聞いた。
「ここかい? ヘラン領だけど……」
ここがヘラン領……。モランは涙が自然と流れた。不思議な巡りあわせだ。こんな美しい土地があったのなら、もっと早くに来るべきだったと後悔した。そして、懐かしき友を思い出す。想い人を思い出す。
彼女の心配していたことを思い出す。この美しいヘラン領を守りたい彼女の思いを。
モランはこの日、第二の人生を歩むことを決めた。
最愛の人の願いを、今はもういないあの人の、あの人が願ったこの地の平和を自分が守ろうと決めたのだ。今更許してもらえるとは思わない。でも、自分の心に納得がいくような生き方がようやく見つかったのだ。
それから、モランは持ち前の才能を生かしてヘラン家の屋敷の書庫番として職を得た。
以来十数年、彼は後に来るであろう、いや確実に来るはずの呪いに打ち勝つための研究にその身を捧げた。