5章 8話
手紙の差出人は不明だった。書いてあるんだけど、“謎の男女”とだけ書かれていた。
自分で謎って言っちゃってるから、ほんとうに謎だよ。関わりたくない臭がぷんぷんするけど、エリザをみつける手掛かりを求める俺には開くしかないし、読むしかない。
『ヘラン領ピンチなり。早急に手を打つべし。時間にして後一か月で大干ばつがやってくるなり!こちらでも手は考えているが、未だ打開策が見つからないなり。領主よ、領民を逃がす準備に入るなり!急ぐなり!ヘラン領は呪いに負けそうなり!』
あのー、破り捨てていいかな?
具体的な話がないし、なんか腹が立つし。誰だこんな手紙を寄越したのは!
エリザを探す手がかりがあればいいなと思って開いたのに、なり!なり! な内容だったし。
こういった都市伝説的な手紙は時々届く。これでも領主の屋敷だ。こういった話題には事欠かない。
そもそも、こういうことを真面目に言うのなら、差出人はしっかりと名乗り出るべきなり!
詳しく聞きたくても聞きだせないではないか。
怒りを収め、手紙をしまった。時間が過ぎれば焼却する書類たちと共にひっそりと。ただ、この手紙の内容、妙に心に残った……。
あれから幾日経ったであろうか。進展はない。もう彼女を探すのをやめた方がいいのだろうか。学園の再開ももう間もなくだ。彼女は来るのだろうか?いや、来ないだろうな。
ラーサーには王都に戻ってもらった。
アーク王子とアイリスも王都で手掛かりを探してくれているらしい。しかし、あちらも全く何もつかめていない。
宰相の職は空いたままだ。
国民の記憶からドーヴィル家のことが徐々に忘れ去られている。どれだけ権力を持ち栄えていたとしても、衰退しまってはこんなものだ。
ダータネル家はあれから大きな動きを見せない。
そろそろ彼らをも断罪するべきなのだろうが、やはりガードは堅いらしくそれも上手く進まない。何もかもが停滞していた。
そんなある日のこと。凶報は突如として入って来た。
青い顔したロツォンさんが屋敷に飛び込んで来たのだ。普段冷静過ぎるほど冷静な彼のこんな顔を見るのは初めてだ。嫁さんに逃げられたか!?
「クルリ様!……温泉が、温泉が枯れております」
「……なんだって!?」
すぐに案内してもらった。
温泉が盛りだくさんのこのヘラン領でもトップを争う人気の湯が枯れていた。面積で言うと1番大きなこの温泉が、土地がひび割れるほどカラッカラになっていたのだ。
「これはいつから?」
「変化があったのは今日かららしいです。朝様子を見に来たところ、このような状態になっていたとのことです」
「なにか兆しはなかったのか?」
「いえ……それが全く。本当に突如このような状態にとしか……」
「そんな……」
そんなことあり得るのだろうか?自然な出来事でこんなこと可能なのか?
昨日まで潤っていた土地が、数十年雨が降っていないかのような死んだ土地に……。
土を掴んでみた。すぐに崩れ去り、風に流されていく。
砂漠の砂と変わりないじゃないか。辺りには綺麗に花が咲き乱れていたのに、いまじゃどれもしおれて、枯れ果て、鮮やかな色を失っている。
なんなんだこれは!?自然豊かで、それだけが取り柄だったヘラン領だったのに、それまで奪おうとするのか!?
「先日、不思議な手紙を受けた。これを予期するかのような手紙が。その手紙によるとヘラン領を大干ばつが襲うらしい。戯言かと思い無視していたが、これを見る限り冗談じゃなさそうだ」
「一体どなたからの手紙ですか?」
「わからない。……その人をみつけなくちゃ。ロツォンさん、手遅れにならないうちに人を集めて欲しい。領民にパニックを与えないように避難の準備を……。俺は近隣の領主と王都に掛け合って避難民の受け入れをしてもらう」
「クルリ様、流石にそれは早急すぎるのではないでしょうか?温泉が一つ枯れたくらいで、大干ばつの兆候と見なすには……」
「確かにそうだが、なんだか嫌な予感がするんだ。直感が訴えてくんだ。自分でもよくわからないけど……なぜかわかってしまうんだ。早く取り掛からなくちゃ、それこそ取り返しのつかない大事になると。頼む、やってくれないだろうか?領民さえ生きていれば、このヘラン領はまたやり直せるはずだ」
「……わかりました。このロツォン、クルリ様に拾われた身。最期まで付き従いましょう。領民の避難と、それに伴う物資の調達。領主様の財布を紐解いてくれれば金銭面では問題ないでしょう。しかし、いささか人員が不足します。ですので、多少の遅れはご容赦ください」
「金銭面は任せておけ。それと、エリザの捜索に回している人員を全員呼び戻してくれ。それを全部領民の避難まわす」
「それならば人員も足りるでしょう。……しかし、よろしいのですか?」
「……良い。よろしく頼む」
どっちを優先するかなんて明白だ。エリザの捜索は俺の自己満足なのかもしれない。彼女は探してほしいと思っていないかもしれない。そんな一人を助けるために、このヘラン領の領民を危機に晒すわけにはいかない。
どっちを優先するか、そんなことはわかり切っているんだ。
ロツォンさんはそれから忙しく駆けまわってくれた。疲れ知らずな彼が、顔に疲労を浮かべない日がないほどに。
「クルリ様。温泉がまた一つ枯れております……」
苦虫を噛み潰したような顔で、ロツォンさんがそう告げて来た。
「これでもう5つ目か。これはもう疑いようもないな……。避難を急がなければ……」
事は悪い方に進んでいる。
こういうときは更にトラブルが重なるのが世の中の常だ。
そして、この事態でももちろんそういうことはやってくる。
「クルリ様。領民の避難ですが、予定の2割ほどしか進んでおりません……。これ以上は……我々の力ではもうどうしようもないです」
「やはりか……。それだけに早く取り掛かりたかったのだけれど……」
今やヘラン領では暴動が起きかけていた。
この自然豊かで、昨今は温泉や観光で潤い、きつく縛る法律もないこの領を愛してくれている領民は多かった。
そんな愛する土地を、ある日突然最低限の説明を受けただけで出て行けと言われて素直に従う者は少ないだろう。そんなの当然だ。しかし、大干ばつが起きてからじゃ遅い。遅すぎるんだ。
「領民がクルリ様を出せと騒いでおります。このままじゃ屋敷に押し寄せんばかりの勢いです」
「よし、ではそうするほかないな」
「危険が伴うかもしれなません。人数を絞って、代表者にだけ事情を説明致しましょう」
「いや、ヘラン記念広場を解放しろ。そこに話を聞きたい領民全員を入れてさしあげろ。俺が全部説明する」
「……かしこまりました」
意見を挟んでくるが、どこまでも従順で役に立つ男だ。ロツォンさんにも早いこと逃げてもらいたいのだが、彼は逃げないだろうな。
俺はこの領をあきらめたわけじゃない。復活させてやるという意気込みに満ちている。絶対だ。その時にはロツォンさんがいる。だから、逃げるときは素直に逃げてくれるといいのだが……。
二日後。ヘラン記念広場に領民の大集団が集まった。目測で数万人は居るらしい。凄い光景だ。一人一人の声が増幅しあって、すでに会場は大騒音で満たされていた。
この日が来るまでに、体の強くない父さんと母さんは既に王都に避難してもらった。二人が先に避難してくれれば、領民が危機感を持ってくれると期待したからだ。しかし、今日集まった数を見ると、大して効果はなかったな。
広場の中央、時計塔の上に登り、そこから領民を見下ろした。皆がこちらを見て、説明を欲していた。
「領民の皆さま、聞きたいことは分かっている。私も皆の立場なら聞きたいことは同じだ」
話し始めると群衆の騒ぎが収まった。全員が真面目に話を聞きにきた証拠だ。
「皆知っているだろうが、今日までに、このヘラン領が誇る温泉が13個枯れている。これは決して偶然なんかじゃない。このヘラン領に大干ばつが起きようとしている。その前兆として温泉が枯れている。事態を急いでいるように見えるかもしれない。しかし、遅れてしまえば、それこそ取り返しのつかないことになる。どうか、どうか避難に協力してくれないだろうか?」
わっと声が波打ち、ざわざわした声の響きがだんだんと暴れだし、轟音となって押し寄せる。
両手を上げて静まるように指示した。
時間はかかったが、ようやく静まり返る。
「命に係わるかもしれない。それでも従ってはくれないのか?」
一人の男が手を上げた。指さし、発言を許す。
「根拠はおありですか?」
「根拠はない。この数日専門家も呼び、歴史も調べたが、なんら根拠になりえるものはなかった」
「そんなあやふやな理由で俺たちにこの地を捨てろと!?」
「……そうだ。手遅れになる前に早く脱出を」
広場が荒れた。
騒ぎが大きくなり、物を投げるものまで。
怒りに満ち溢れた顔だ。この場にいる全員はここを出ていきたくないんだ。でも、俺は自分の正義に従わなくては……。
騒ぎが収まるまでしばらくの時間を要した。本当に暴動になりかねない勢いだ。
静まったところで、今度は一人の男の子が手を上げた。もちろん質問は受け付ける。
「お父さんもお母さんもクルリ様は素晴らしい方だと言っていました。それなのに、なぜクルリ様はこんな酷いことを言うのでしょうか?ヘラン領が嫌になったのですか?」
俺がヘラン領を嫌に!? そんなはずない。今でも、自称だがだれよりもこの土地が好きだ。
「そんなことはありません。誰よりもヘラン領を大事に思っているつもりです。しかし、危機はせまっています。私はこの土地をあきらめたわけじゃない。ただ、一番大事なものがなにかを考えているだけです。温泉でもない、綺麗な草木でもない。このヘラン領の民こそが一番の資産であるはずだ。皆が生きていれば、きっとヘランはやり直せるはずだ。どうか分かって欲しい」
受け答えが済むと、騒ぎ声が大きくなる。それだけ皆真剣なのだ。必死なのだ。逃げる訳にはいかない。見捨てる訳にも。
次は一人の老人が手を上げた。
「大干ばつが起きたとして、そして皆がよそで生き延びたとして、それからどれほど待てばこの地に帰れるのですか?ワシが生きている間に生きて帰れますか?」
「……わからない。申し訳ない。詳しいことは何一つ約束できない」
第一回の、直接の演説は大失敗に終わった。
この老人の質問の後、とうとう暴動につながってしまった。
ロツォンさんの指示にしたがい、その場は安全を優先して逃げることにした。
暴動はそれから一日、夜まで収まりはしなかった。
事態は悪くなるばかりだ。
「……クルリ様。とうとう領内全部の温泉が枯れました。まだ少ないですが、井戸が枯れたとの報告もあります」
「既に末期かもしれない。もう一度演説する必要があるな」
「また前回のようなことになりかねません。おやめください」
「しかし、他に方法の取りようがない」
またも広場を解放して、演説を試みた。
領民も変化を身で味わい、避難してくれる数が増えた。しかし、広場には相変わらず数万を超す領民が集まった。
「維持を張るのは他のことになさい。既に分かっているはずだ。大干ばつは間違いなく来る。このままヘランの地に残っていれば皆生きてはいけない」
「他の土地でだって生きていけやしない!」
どこからか、そんな声が響いてきた。……なんだか、すごく悲しいな。
「しかし、この地にいれば間違いなく死んでしまう。それよりかは、間違いなく外の方が安全だ」
「ヘランの地は枯れない!」
「この地が枯れて、それを己の目で確認すれば満足ですか?その頃には脱出も困難かもしれない!死んではお終いです!先も、なにもかもなくなるんです!お願いです。手遅れにならないうちに逃げてください!」
「いやだ!」
「嫌だで通用するほど甘くはない……。これまでヘランの地には何度だって危機があった。つい先日も、子供の頃も……。その度に頑張ってこの地を支えてきた。しかし、大干ばつが来るんだ。こんなの……こんなのどうしたらいいんだ……。どうやって立ち向かえばいいんだ……」
反論はなかった。
もはや抗議もなかった。
全員が疲れきっていて、現実が見えているが見えないふりをして来たんだ。
今回の演説は暴動につながらなった。
しかし、前回ほどのエネルギーに満ちた群衆は消え去り、悲しく冷たい背中を見せて全員が家へと戻った。もう、全員が分かり切っているのだ。この地には間違いなく干ばつが来る。
あれから何日たっただろう。
日付を気にしなくなったのは人生で初めてだ。
豊かに学園生活を送っていた日々が懐かしい……。
「クルリ様……。死んでも残ると申すもの以外、領民の大半の避難に成功しております。後は、クルリ様を残すのみです」
「……俺はもう少しここに居たい」
「なりません。既にこの屋敷でさえ水がない。そう長いこと生きてはいけません。どうか素早い避難を」
「ロツォンさん、ありがとう。でも、見ての通りあなたの仕えるべきヘラン領はもぬけの殻だ。既に忠誠を誓ってくれる必要はないよ」
「そうはいきません。ヘラン領が復活した暁には、またヘラン領のために働かなくては……」
嬉しい言葉だ。
嬉しい過ぎる。
でも、こんなのないよ。
こんなことあり得ない。でも、目には見えている。
「ロツォンさん、いままでありがとう。あなたとはもうここでお別れだ……」
「何を言います!?あなたの主導で、ヘラン領をやり直すのですよ!」
もう……そんな気力はない。
あれから凄かったんだ。
井戸がとうとう枯れたという報告が入ってからの進展具合が……。
井戸は次から次へと枯れ、ヘラン領は中心地から徐々に不毛の地へと変わっていた。
この屋敷から見えていた緑豊かな草花の姿はもうない。
俺は窓を開けた。
そこには乾いた風が流れ、辺り一面砂で覆われた平面があるだけだった。
「ロツォンさん、見てくれ。こんなのないよ。あの美しかったヘラン領がこのありさまだ。水は枯れ、生物は死滅した。こんな地を……一体どうやってやり直すんだ」
「あなたなら可能です。私どもにそれをいままで教えてくれたではないですか」
「だが、今回はもう無理だ。本当に無理だ。終わったんだよ、ヘラン領は。ヘラン家はここに没落した。もういいんだ。ロツォンさん、あなたなら王都でもうまくやっていける。だから……ここはもういいんだ」
もう、返事はなかった。
疲れ切ったロツォンさんは、それからしばらくして出て行った。
最後にどんな顔をしていたかはわからない。
こんなお別れはしたくなかった。でも仕方ないじゃないか。
こんな大自然の洗礼にどうやって立ちむけばいいんだ。俺は負けてしまったんだ。
「……ああ、喉が渇いた」
言わんこっちゃない。ロツォンさんの言う通りにすれば今頃外で水をたらふく飲めただろうに。
俺はこの地で乾ききって息絶えるんだ。そんな気がする。もう気力も体力もないし。
屋敷を歩き回った。
食べ物も飲み物もない。
ああ、子供のころからずっと清潔だったこの屋敷も今じゃ砂に覆われている。室内も砂埃だらけだ。もうあの快適な屋敷は戻っては来ないだろう。
最後に屋敷を一通り見て回った。
懐かしい光景を目に残しておきたかった。
書庫か……。ここは小さい頃よく来ていたな。
モラン爺がいろいろ教えてくれたものだ。
「あれっ!?モラン爺い!?なんでまだいるの!?」
書庫にはまだモラン爺がいた。
使用人は全員脱出させたはずだと思っていたが、この人を忘れていた。
「ほっほほ、ワシは書庫番ですからの。本をおいて一人逃げる訳にはいきません」
「そんな場合じゃないよ!ここにはもう俺とモラン爺しかいない。ここに居たら死んでしまう!」
「老人は余り飲み食いしなくても生きていけるから大丈夫じゃ。それより、坊ちゃんはなぜまだ残っているのですかな?」
「俺?俺は……ほら、そのー、もう疲れたんだ。こんなかわいそうなヘラン領をおいて出ていけやしない。俺はここに残るよ。最期まで」
「ほっほほ、じゃあワシも残ろうかの。今年の報酬はもう貰っておることだし」
どこまでもお気楽な爺さんだ。
昔から変わった人だと知っていたけど、本当に変な人だったんだね。
「はぁー、どうせもう手遅れだ。最期まで二人でいようか。はは、どっちかが渇き悶えて襲いあうことがないといいけど」
「ほっほほ、ワシは見ての通りあんまり水分ないですぞ。襲わんで欲しいわい」
「脱出しなかったモラン爺が悪い。いざっているときはチューチューさせてもらうとしよう」
「気分が少しは明るくなってきましたな。良いですぞ、辛い時こそ笑うものです」
「そう?辛いのに笑うの?そりゃおかしいよ」
「笑えばいいことが起こります。ほれ、笑ってごらんなさい。いいことが起こりますぞ」
なんだよ、その子供をあやすときのような顔は……。
でも、なんだか楽しくなって、少しだけ笑った。
「いいですぞ。ほら、もっともっと」
「あははははははっは!!!! どう? これでいい?」
「ほーほっほほほ!!良きかな!!じゃあ、いいことを教えましょう」
「なんだよ、モラン爺がいいことを教えてくれるの?じゃあ笑わなくても良かったじゃん」
「そう言いなさるな。じゃあ、いいこと教えちゃおうかな。クルリ坊ちゃん、世紀の天才のあなたにいいことを教えてあげよう。可能性は低いが……この土地を救いたくはないかな?」
「……」
俺は今どんな顔をしているだろうか!?
つぼみが花開いたかのように、俺の顔に生気がみなぎって目も鼻も口も開いたと思う。
「モラン爺……今なんて?」
「この地を救いたくはないかと?もちろん命を懸けて」
「ああっ!もちろんだ!方法があるのか?なあ!モラン爺!!」
「ほっほほ、まぁ慌てなさんな。まだ時間はある。とりあえず、昔話に付き合いなさいな」
昔話!?そんなものでこの地が救えるなら、いくらでも聞いてやる!!