5章 6話
東の果て、そこは愛すべきヘラン領……しかし、あの人は見つからなかった。道中も旅の目的地でもあるヘラン領にもその姿はない。一体どこへ行ってしまったのだ、エリザ……。
ヘラン領は平和そのもので、王都でいろいろと騒乱があったことなどは全く外の世界の出来事のようにゆっくりと時間が流れていた。本場の温泉は今日も肌に調子がいいそうな。
屋敷に戻ると、そこには申し訳なさそうな顔をしたロツォンさんが立っていた。父の仕事の補佐につけた、できる男の代名詞のような彼がそんな顔をしているとは……。
「よくぞお戻りになりました。クルリ様」
「ありがとう。それより、何かあったのか?」
「……はい。領主様が体調を崩して寝込んでおります。出来れば元気な姿をお見せになってあげてください」
「父さんが!?」
寝室へと急いだ。
もともと精神的なもろさのある人だけど、今回の一件で迷惑をかけてしまっていたのか。すまない。
「父さん、クルリが戻りましたよ」
ベッドで横になる父に優しく声をかけた。
あれだけふっくら健康体だった父が、どれだけ辛い目を見たのだろうか……。やせ細り……なぜか、かなりイケメンになっていた。正直残念寄りの見た目だったのに、痩せたらカッコいいのかよ……。
「おおっ、クルリよ。本当に戻ってきたのだね。お前が捕まったと聞いた時、それはそれは心配したぞ」
「ご迷惑をおかけしました。でもこの通り健康な体で戻りましたので、もう心配なさらずに。これからは自分の体だけを考えて療養して下さい」
「そうか。流石は私の息子だ。実はお前が囚われている間にダータネル家から密使が届いておったのだ。ヘラン領を手放せばダータネル家の力でお前を牢獄から救い出してやると言われた。私は……」
ここにもあの家の魔の手は伸びていたのか。許せない。そんな選べない二択を与えて父を苦しめていたとは。
「私はヘラン領をとった」
ヘラン領を取ったんかい!!悩め悩め!そして俺を取れ!
「いやな、そりゃ悩んだけどヘラン領は先祖様から受け継いだ大事な土地だしな。それにお前がつけてくれた有能なロツォンくんがクルリなら心配ないというから。彼の言う通りにすれば大抵うまくいくし……」
くっ!聞かない方がいい事実というものは往々にしてあるものだ。
「申し訳ございません、クルリ様。しかし、クルリ様なら自力でどうにかなさると信じておりましたので、このヘラン領をお守りすることがあなた様にとっても最良の選択になると思いまして」
真面目にそんなことを言われると流石はできる男って感じだけど、真実だよね?見捨てたわけじゃないよね?
「まぁいいです。とりあえず、心労をおかけして申し訳ありませんでした」
「いや、これは先日腐りかけの極上肉を食べて食あたりした結果で、特にダータネル家は関係ない。ロツォンくんの言う通りにすればいいし、特に悩んでないし……」
殴っていいかな?父親で食あたり中の病人だけど殴っていいかな?極上肉とか食べてるし。どこにあるんだそれは。
「はぁー、ほとほと呆れました。そのまま痩せてイケメンになっていればいいですよ。ロツォンさんついてきて、俺がヘラン領にいる間は父さんの補助をしなくていいから」
「はっ、そのように」
「おい!クルリ!ロツォンくんがいないと、もはや何をしていいかわからんぞ!マジだぞ!いいのか!次期領主!」
騒ぐベッドの中のイケメンを放っておいて、場所を移した。
ロツォンさんと大事な話に入る。
「ロツォンさん、エリザって知っているよね?」
「はい、学友のエリザ・ドーヴィル様ですね」
「流石。そのエリザが姿を消したんだ。もう数週間になる。全く行方がつかめていない。ある手掛かりによるとこのヘラン領にいると推測できる。お金はいくら使っても構わない。彼女を探し出してくれ」
「了解致しました。近くの領にも手を回しておきましょう」
「よろしく頼むよ。それと、さっき父さんとの話で出て来たけど、ダータネル家がこの領を手放せという話。もっと詳しく聞かせてくれ」
この件についてはロツォンさんが先に手を回してくれていたみたいで、いろいろと詳しい資料が出てきた。
「ヘラン領を手放せばこの土地は完全にクダン国、つまりは王族の統括する領地に戻ります。しかし、こんな王都から離れた土地を直接統治するには限界がございますので、大方あたらしい領主が座ることになるでしょう。その座をダータネル家は取れる自信があったのではないかと思います」
「……言っては何だけど、こんな辺境の領地にそれだけの価値が?確かに最近は好景気だけど、金を求めるだけなら王都の方が都合が良いのでは?」
「その通りだと思いますが、どうやら彼らには遠望があるようでございます。私の地下情報収集システムを利用して手に入れた興味深い資料がございます」
地下情報収集システムとは……。ちょっと今回は置いておくとして、いつかは詳しく説明お願い致します。
「これです」
ロツォンさんが取り出した紙。分厚い羊皮紙で描かれたそれは、細かく書き込まれた乗り物のような設計図だった。
これはもしや……。
「詳しいことは分かっておりませんが、魔導列車というものらしいです。魔力の力を用いて、巨大な箱のようなものを走らせるらしいです」
「列車か……。なるほど、ヘラン領と王都、この国を横断する鉄道の建設がやりたいのか……」
「クルリ様にはどういったものか分かっている御様子ですね。この計画にはやはりヘラン領が必要なのでしょうか?」
「ああ、流通を一手に担うために端のこの地が必要なのだろう。こんなものが出来たら国の発展は目覚ましいことになるだろうな」
いつの時代にも凄い人はいるものだ。それが敵方であろうと、素直に称賛できるほど凄い発想だ。
「では、いい事なのですか?」
「ああ、指導者が優れた人物ならいい結果になるだろう。しかし、欲にまみれた人間が指揮をとるのなら、悲劇的な結果を生むだろう。完成のための労力、完成した後の権利の争い……。正しく導いてやらないと、この国は取り返しのつかない病に侵されるだろう」
「幸い計画は早めにこちらで手に入れることが出来ました。設計した職人も分かっております。いっそダータネル家を潰してクルリ様が指揮してみてはいかがですか?あなたなら正しい結果をもたらすことが可能です」
今さらっと怖いこと言ったな。ダータネル家を潰すとかなんとか……。
「一番の問題は労力だろうね。財源の寂しさを考えれば無理やり働かせる意外に今は方法がないだろう。そんなことをしては誰かの不幸の上に生きることになる。あまりやりたくはないね」
「では、現段階ではやはり厳しい計画だと」
「間違いなく大きな歪み生むだろうね。本当に早く知ることができて良かった。なんとしてもこのヘラン領を渡すわけにいかなくなった。それだけは間違いない」
「そうですか。クルリ様がやる気になれば、いつでも全力でサポートいたします。では、早速エリザ様の捜索に人員を集めてまいります」
「よろしく頼む」
魔導列車の設計図を厳重にしまった。これは簡単に外部に漏らしてはいけないと思う。
午後になり、別ルートからヘラン領に到着したラーサーを迎え入れた。そちらもエリザは見つからなかった。エリザは本当にこのヘラン領に目指したのだろうか?いまさらだが、そんな不安がよぎった。
次の朝、ロツォンさんが集めた人々が屋敷の前に大勢詰め寄せていた。凄い人脈だ……。
「未来のヘラン夫人が数週間前から消息を絶っている。安全を確認するために早急に探し出す必要がある。似顔絵を用意しているので各地にばら撒いて欲しい。それでは一行、成果に期待している!」
ロツォンさんの活気ある号令で大集団が動き始めた。
未来のヘラン夫人って……。流石はできる男!それに、似顔絵のクオリティが高い!目元の綺麗さとかそっくりだ。……一枚保存しておこう。
「一夜にしてこんなにやってくれるなんて、相変わらずロツォンさんには助けられる」
「いいえ、それだけの報酬はいただいておりますので」
「そう?王都にいけばもっと稼ぎのいい仕事はあると思うけど」
「クルリ様の元だからこそ、働き甲斐があるのです」
「……そりゃどうも」
恥ずかしいことを言ってくれる。嬉しいんだけどね。
しかし、ロツォンさんの貢献もむなしく、エリザの姿は未だ見つからない。時間だけが過ぎていく日々だ。どこへ行ってしまったんだ、エリザ。
――。
ここはダータネル家の屋敷。
王都でも有数の豪勢さを誇るこの建物には多くの部屋があった。大抵は豪勢な作りで、来客に見せびらかすために作られているが、中には使用人たちでさえ知らない部屋がいくつかある。その部屋もダータネルの名を継ぐ者しか入れない場所であった……。
薄暗い通路を抜け、その先の部屋に待つ人物たちを求めて――
「またお前たちに働いて貰うときが来た」
ブラウ・ダータネルとその息子フレーゲン・ダータネルが秘密の部屋に入るなり、中の住人に要件を伝える。住人は4人。誰も彼もただの人間でないことは初見でもわかる。それほどの胆力を有していた。
部屋の中心にいた片目に眼帯を被せた男、彼が代表して答えた。
「前回は買収された看守の口封じ、次は何ですか?最近俺たちの出番が多いですね」
「ああ、大事な時期だからな。そのための金は払っているだろう?」
「……それもそうっすね」
「次の仕事は少し遠いぞ。東のヘラン領。その領主と息子を消してくれ。可能か?」
「可能か、だって?」
片目に眼帯をした男が笑みを浮かべた。ひどく歪んだ笑みだった。
雇い主であるはずのブラウやフレーゲンでさえも若干の恐怖を覚えるほどに。
「名前を言え。ターゲットの名を」
「トラル・ヘラン。その子クルリ・ヘラン」
「承った」
ここで、言わなくてもいいことをフレーゲンが言う。少なくとも、いままでそんな余計なことを言ったことはなかった。
「クルリ・ヘラン。やつの方を特にひどく。めちゃくちゃになるまでやってくれ!」
「……仕事に口出しされるのは好きじゃない」
ひどく低く、薄暗い声だった。怒りかそれとも他か、どんな感情が乗っていたかはわからない。しかし、その声を聴いたフレーゲンは確かな恐怖を覚えた。雇い主であるはずの彼がである。
「けど、あんたらが条件を付けてくるのも珍しい。いいぜ、クルリ・ヘランのほうは特別に力を込めてやっておこう。ただし追加報酬はいただくぜ?」
言い終わると同時に、4人は姿を消した。一瞬の出来事で、ダータネル家の父子は幻を見せられたように気分にさせられた。
しかし、彼ら4人なら、今度こそ確実に仕事をこなしてくれるという確信が持てた。後は、いつも通り仕事終了の報告を待つだけである。