5章 5話
「ボス!行かねぇでくれ!あんたなしで俺たちどうしたらいいんだよ!」「ボス!」「頼むよボス!」「何か言ってくれ!ボス」
裁判を受けるため出所することになったのだが、このように泣きつかれる始末に。まさか、こんな地下でこれほどの人望を得ることになろうとは……。
「外で戦う必要があるんだ。……そこで負けたら、またここに戻っちゃうかな」
「じゃあ負けてくれ!」「ボス、負けてくれ!」「俺たちのために負けてくれ!」
何を言っている!そんなの俺が困ってしまうじゃないか。
でも、ここでの生活は確かに悪くないものだった。一生居るには嫌だが、たまに来るくらいには悪くもない。
「負けたらダメなんだ。俺だけじゃない、大事な人たちまで巻き込んでしまう。だから、俺は戦って、しかも勝たなくちゃならない。ここに情はあるが……それでも行かなくちゃ」
「ボス……、あんた外にもいろいろ抱えてんだな。やっぱりあんたスゲーよ。そういうことなら俺たちは、もう騒がないほうがいいのか……。行ってくれ!そしてあんたの本当に大事なものを守ってくれ」
「すまないな。計画表、ちゃんと活用してくれよ。では、行ってくる!」
囚人たちの見守るなか、というにはだいぶ騒がしいが、昇降機から地上へと昇って行った。来るときとは随分雰囲気が変わっている。死んだように汚なかったクダン監獄はそこから消え、ちゃんと生きた場所へと変わっている。上から見るとよくわかる。
「ボス、看守内で買収された者どもの一掃が完了しております。全容がわかりましたらまた知らせますので」
昇降機内で、気のせいだろうか、看守にまでボスと呼ばれた気がした。
彼の表情がやたら硬いのはそういうことなのか?
「ああ、厳しく調査してくれよ。報告も事細かに頼む」
「はっ!ボスの仰せのままに」
いつの間にか、この監獄全体のボスになっていたか……。井の中の蛙がその井戸を溢れさせて外にまで影響を派生してしまっていたとは。俺は案外できる男なのかもしれない。
ガタッと強烈な音と衝撃と共に昇降機は地上へとたどり着いた。
地上では看守たちが一列に並んでおり、全員が敬礼をして立っていた。
「ボスの見送りに全員集めております」
え?本当に?いつのまにこんなことに?
「……よろしい。今後も精進するように。次第にで良いのが、下の囚人たちとも関りを増やしていけ。いまのままでいいと思うな」
「はっ!そのように!」
看守が一列にならぶ目先を通り過ぎながら、その先にある馬車へと向かった。迎えの馬車か……来るときは何が何だかわからなかったけど、今じゃちょっと寂しさすらあるな。バイバイ、クダン監獄。
「ボス!お戻りをお待ちしております!」
最後に看守たちから一斉に声が上がった。
……それはつまりまた逮捕されろと?それは……どうかな?
「お前……一体どういうことになってんだよ」
馬車に乗り込むと、そこにはお忍びと言った様子のアーク王子とアイリスの姿が。きっと心配して迎えに来てくれだろう。俺は良き友を持ったものだ。
「心配して損したぞ。地下からは歓声が響くし、看守共も手名づけられているし、ここでなにしてたんだ!?捕まってたんじゃなかったのか?」
「そうなんだけど、みんな優しかったから大したことなかった。ソファーとか貰えたし」
「そうなのか?案外良心的なとこだな。ボスってのはなんだ?お前のことを指しているみたいだが……」
「ああ、それね。俺がここのボスなんだ。もし入ることあったらちゃんと俺にあいさつを忘れずにね」
「入らねーよ。てか、お前ももういないだろうが」
それもそうだ。じゃあ、あいさつはなしで良しとしよう。
「クルリはどこにいてもクルリだった、って感じだね。うん、心配したけど、クルリのことをもっと信じきっていれば、紅茶でも飲んでのんびり待っているのが正解だったかな」
「その通りだね。アイリスもいよいよ俺のことを分かって来たね」
「うん、もう結構な付き合いだしね。だよね?」
「なんだ結構な付き合いって。おい、クルリ! どういうことだ」
「そうだと思うよ。アーク王子よりは長い付き合いになるね」
さて、王子をからかうことも出来たし、可愛らしいアイリスとも久々に話ができた。俺としては、もうこれでお腹いっぱいな気もするが、事態がそうは許してくれなさそうだ。
「俺たちは途中までしか同乗できない。裁判の間へは一人で行くことになる。大丈夫だ、証拠はいろいろ確保している。お前の無実は時期に証明されるだろうさ」
「レイルからも聞いたよ。頑張ってくれていたらしいね。ありがとう、ラーサーにも伝えておいてくれ」
「それは自分で言うべきだな。どうせすぐに退屈な学園生活へと戻ることになる。その前にもいくらでも時間はとれるだろう」
それもそうか。それならいいや。自分で挨拶回りに行くまでだな。
そういえば、ラーサーは来なかったのか?なぜ?一番来てほしかった人物の一人なのに……。他に優先することでもあったのかな。
「……ラーサーは来なかったのか?」
聞かなくても良かったけど、なぜか聞いてしまった。本当に気まぐれで出た言葉だったけど、王子が一瞬顔をしかめたのが分かった。
「ラーサーは少し体調を崩していて。まぁすぐに会えるさ」
「何かあったのか?」
「いや、本当に何でもないんだ。ちょっと体調を崩しただけだ。本当だ……」
なんとも歯切れの悪い感じだ。ラーサーの身に何か?という感じでもなさそうだ。しかし、明らかに何かを隠している感じもする。わからない、何だろうか?何かが起きている?
もしかして、二人とも俺に何か隠している?とか聞きたかったけど、わざわざ迎えに来てくれた友人二人を追い詰めるのもどうかと思ったので、やめておくことにした。
この後のいきさつなんだけど、俺が超健康体で裁判の間に現れてダータネル家を驚かせたくらいで、裁判自体は一方的なまでにこちらが優勢なまま進んだ。『銭ゲバ』の証言が決定打を与え、結局俺は無罪放免。言いがかりをつけて来たブラウ・ダータネルからは謝罪まで頂いた。ころっ、と態度を変え、謝罪することに何もためらいがなかった辺り、彼の面の皮はかなり分厚いことが窺い知れる。ついでに、賠償金まで払ってくれるらしいので、そのあたりはきちんと受け取った。
「こんなはした金……てっきり辞退されると思いましたが……」
「……こういうのは気持ちの問題だ。勝利のトロフィーと同じようなものだ。とりあえず、今回の喧嘩は俺の勝ちでいいのかな?こうして元気に戻って来たし、買収された看守からあんたの名前が出てくるのも時間の問題だろう?」
「……ええ、結構。貴殿の勝ち、ということにしておこう」
まだまだ裏がありそうな感じ……。嫌だなぁ、でもまたやろうってならいつでも受けて立つ。なんだかんだ、自分の逞しさにも自信が出てきた頃だ。
平穏な王城生活が戻って来た。だいぶ休暇を削られてしまったが、クダン監獄内でもほとんど休暇みたいなものだったから別にいいか。
しかし、ゆったりできたのは実はちょっとの間だけだった。
どこから話が漏れたのか、今回の騒動は王都民の間で最高の酒のつまみにされていることを知った。知ったきっかけは、ある記者が訪ねて来たからだ。
ラーサーも姿を見せずに暇だったこともあり、興味本位でその記者に対応してやることにしたのだ。
「今回の、大物貴族同士の大乱闘、と銘打って詳細を記事にしたいのですが、お話いただいても?」
「少しならいいかな。暇だし」
「ダータネル家側から仕掛けたと噂に聞いておりますが、発端は何だったんでしょうか?」
「発端?んー、女……かな」
アイリスの件が発端になるのかな?
「ほぉー、女性関係でしたか。やはり……」
やはりってなんだ。この手の話はそういう始まりが多いのかもしれないけど。
「その女性問題が名門貴族同士の正面衝突にまで発展したきっかけはあったのでしょうか?」
「発展?んー、金……かな」
フレーゲンのやつ怪我した前歯を金歯にして暴力を受けた証拠としていたし、あれが話を一気にややこしくした気がする。
「ほぉー、金関係でしたか。やはり……」
やはりってなんだ。この手の話にありそうだけど。
「噂で申し訳ないのですが、ヘラン殿はクダン牢獄に収監されたとか……」
「うん、事実だよ」
「そのー、感想などあれば」
「快適だったよ」
「快適……と。どこまでも大物ですね。流石は今回の騒動の唯一の勝者。流石です」
唯一の勝者……。気になる言い方だったけど、そんなに深くも考えなかった。
「では、敗れ去ったダータネル家と、そのダータネル家に数々の不正の証拠を提示されて宰相を辞したドーヴィル家に何か思うところはありますか?」
「今なんて?」
「あの、ですからダータネル家とドーヴィル家に一言……」
「エヤン・ドーヴィルが宰相を辞めたのか!?」
「そ、そうですが、お耳に入っておりませんでしたか?」
思わず立ち上がった。
どこかへ駆けていきたい気分だったけど、一体どこへ?エヤン・ドーヴィルの悪事がついに表に出てしまったのか……。それにしても事が早い。
そして何より、なぜ誰もこんな大事なことを教えてくれなかったのか。
アーク王子は知っていたのか?知らない訳ない。アイリスは?もちろん知っているはずだ。
そうだ!ラーサーは?ラーサーはどこにいる?
「すまない。急用ができた。これで失礼する」
記者を残し、スパティフィラさんを探し出した。彼女はいつもつきっきりだったのに、今日はやけに姿が見えないのが気になっていた。
「ラーサーは?」
「ラーサー様は体調を崩しております。お会いできないと……」
「ダメだ。至急会う必要がある。会わせてくれ!」
「……あまり王子を責めないでください。ラーサー王子にはどうしようもなかったのです」
「何がなんだかわからないよ。とにかくラーサーに会って、何があったのか聞かなくちゃ」
スパティフィラさんがようやく重たい腰を上げて、ラーサーの部屋へと案内してくれた。扉に優しく一つノックをした。
「ラーサー王子、クルリ殿がお見えです」
返事がない。室内は静まり返っている。
「ラーサー、俺だ。クルリだ。なんで引きこもっている?」
少し間が開いて、扉越しに声が響いてきた。
「……アニキにお見せする顔がありません」
「なぜだ?俺とお前の間柄で、今更何を抱え込む必要がある?」
「私は何もできませんでした。アニキが貶められている間、必死に頑張りましたが、何もかも無力でした。アニキになんと詫びれば……」
「何を言っている。俺はこうして無事に出てこられたし、見てみろ。体に傷一つついていない。申し訳なく思うことなんて何もないじゃないか。こうしてまた会えたんだから」
「……アニキの大切なものを何一つ守れませんでした」
「大切なもの?なんだそれは?」
また、返事がない。
後ろに控えたスパティフィラさんも視線を合わせてくれない。
「なにがあったんだ。話してくれ。こんな中途半端な状態じゃ、これから何をしていいかもわからない……お願いだ、ラーサー」
時間をおいて、ラーサーの部屋の重たい扉が開いた。
目を真っ赤に腫らしたラーサーがそこに立っていた。
「アニキ、エリザさんの行方が分かりません。申し訳ありません。全ては私の鈍さが招き寄せたことです」
「……エリザは自分の意志で姿を消したのか?」
「……はい」
「お前がそう仕向けたのか?」
「……いいえ」
「じゃあなんでお前が謝る。お前の落ち度がどこにある?」
「こうなることを予期してエリザさんを守れませんでした」
「そんなの驕りだ。そんなこと誰にも予期はできないし、出来たとしても責任はお前にはない。お前が謝る必要も、申しわけなく思うこともない」
「でも、私は……」
「ラーサー、頑張ってくれたんだろう? 俺はそれだけで胸がいっぱいになるくらいうれしいんだ。なぁ、聡明で機転が良く、可愛げもある我が弟分ラーサーよ。俺は、何も言わず姿を消した我儘お嬢様のエリザを探しに行く。一緒に手伝ってくれないか?」
エリザがなぜ姿を消したのかはわからないけど、そんなに脆い人じゃない。見つけてあげれば済む、ただそれだけのことだ。
「ハ、バイ……ゼンビョグを持ってオデヅダイい致します!」
溢れる涙を必死にこらえながら、それでも気丈に言葉を言い切った。ラーサー、俺のために苦しむ必要なんてなんだよ。いつも笑っていてくれ。そのほうが、俺も幸せだ。
ドーヴィル家のこと、いろいろ聞いた。
エヤン・ドーヴィルの悪事は大小様々、一度栓が抜けると溢れるように情報が出てきた。もはや隠し立ては出来ず、庇うことできないほどの案件が表ざたになった。
国王様はいままでの働きに報いるため、恩赦を与えて無罪したが、世論をも考えて、家財は没収とすることとした。
家も職も財産もなくしたドーヴィル家。
特にエヤン・ドーヴィルのダメージは大きく、やり直そうとするツキミ様とエリザの話に見耳を傾けなかったとか。
そこへ悪魔のささやきがあった。
ブラウ・ダータネルから、エリザを息子のフレーゲンと婚約させたいという話があった。受けてくれれば財産と職を与えると。もともとフレーゲンはエリザに気があったとか……。エリザは断り、ツキミ様も反対した。しかし、心身ともに弱り切っていたエヤン・ドーヴィルは毒の入った甘い蜜の匂いに耐えかねて、これを独断で了承してしまった。
これにツキミ様が激怒し、もともと他国出身の彼女はエリザを連れて船で祖国に帰ることにした。しかし、いざ出発の日に、船の上でエリザはツキミ様の目の前からも姿を消したそうだ。それがツキミ様からの手紙で知らされ、今の事態になっている。
こうして、ダータネル家は資産だけでなく、大事な家族まで全員がバラバラになってしまったのだ。
「……ありがとう、話してくれて」
「はい、もっと早く話しておくべきでしたが、アニキを失望させたくなくて……怖かったのです」
「俺もラーサーを失望させたくない。怖いくらいだ。だから気持ちはわかる」
「……ありがとうございます。今は兄とレイルさんが行方を探ってくれています。しかし、何も手掛かりが出てきません」
「……よし、着替えたら俺たちも探しに行こう」
「どこか手掛かりでも?」
「わからない。でも待っているよりかはずっといい」
気持ちの切り替えが済んで、気合の入ったラーサーを連れて、二人でエリザの足跡を追うことに。エヤン・ドーヴィルを訪ねたかったが、どこにいるかはわからなかった。ツキミ様は既に船に乗ってしまってもうこの国を出た。
となると、家くらいしか手掛かりが残ってなさそうだ……。それも既に調査されているかもしれない。でも行かなくちゃ。行くんだ!
「ここは既にドーヴィル家のものではございません。今はもう誰も勝手に入れないのです」
「そうなのか。執事のフローターさん、あの人に何か聞けないかな?」
「……はい、やるだけやってみましょう」
門を叩いたが、中からは誰も出てこない。
家主を失った家だが、この家は少し特別で、歴代の宰相しか住むことが許されない。宰相の職が空いている間、ここの管理は執事に任される。彼が開けないとすれば、武力を持ってしか開かないのがこの家の門だ。
「あけろー!!」
「あけろー!!」
ラーサーと二人して、むきになって門を叩き続けた。叩くしかないんだ。開けてもらうまで、叩くしか!
どのくらいやっていただろう。急に門が軽くなった気がする。気のせいではなかった。門の鍵が外れ、開いたのだ。
「拳を痛めますぞ」
「フローターさん!! エリザは!?エリザはここに居ないのか?」
「この家は既にドーヴィル家のものではございません。以前お仕えしていたとしても、既に彼女にこの敷居を跨ぐ権利はございません」
「じゃあ、何か聞いていないか!?何かエリザから!」
「……執事は軽く口を割るようなことはしません。信用に係わります」
「そんなのどうだっていいんだ!何かエリザのこと知っていたら教えてくれ!」
「どうでもよくありません。執事であるわたくしめには大事なことですので」
「ああー!!わかったよ!あんたは以前仕えていた人に一切の情も持たず、忠実に自分の仕事をこなす立派な執事だ!せいぜい機械に仕事を奪われないように気をつけることだな!」
激情のままに言葉があふれ出た。少し後悔した。
だって、フローターさんにはなんにも責任はないのに。彼は真面目に働いているだけなのだ。こんなの子供の我儘と何一つ代わりやしない。怒りのままに当たり散らしているだけだ。
「聞き捨てなりませんな。機械などに執事が勤まりますか!」
「勤まるね!今のあんたの仕事ぶりなら勤まるね!」
「ええい!執事職を侮辱されては黙っておれません!いいですか!執事だって情は持ちます!とくに仕えていた人物が優れた方であればなおのこと!今から言うことは、このフローターの独り言ゆえ、立ち聞きすることのないように!いいですか!?我が前主人のエリザ様は、シフォンケーキが大変好物ですが、姿を消された日の朝、こう述べておりました。東の果ての芋でも食べにいこうか、とそうひっそり呟いておりましたなぁ。シフォンケーキがお好きな方でしたけども!」
東の果て芋……?
「アニキ、それって!?」
「ああ、王都から見て東の果てと言えば……」
国内に限ればのことだが、東の果てはこの国ではあそこを指す。
「ヘラン領だ!エリザはヘランを目指している!」
「アニキ、行きましょう!今から追えば間に合うかもしれません」
「そうだな。……行こう!」
急ごう。彼女に追いつくために。