4章 18話
風呂上がりに用意してあった最高級の素材を使ったであろう服を着て、女官の案内でラーサーのもとへと案内された。
もう一体、城のどこら辺を歩いているかわからない状態だが、女官は迷うことなく歩いていく。一般の家庭じゃ、リビング的な部屋に当たるのだろうか、それにしては大きすぎる部屋へと通された。
中で待っていたのは、ちょうど紅茶に口をつけてリラックスしたラーサーと部屋の豪華さにあやふやしているアイリスの姿があった。
「アイリス!良かった、アーク王子にかどわかされたと思ったよ」
「流石にそんな物騒な人じゃないよ。でも、ラーサー王子に助けられたのは事実かな。あのままだったら王族が泊まる部屋に入れられちゃいそうだったし」
本当にやるつもりだったのか、王子よ……。
「全く、兄は程度を知らないので困りものです。アイリスさんは城にいる間は私が預かることにしました。もう兄には任せておけません。全く、アイリスさんをあのような部屋に泊めて、居心地が良いはずもありません。それくらい想像できるでしょうに」
俺にも同じことしようとしてたからね、ラーサー君。やっぱり似たとこあるのかな。
「アイリスさんは冬期休みの間、城で働きたいんですよね。そちらの手配も私がしておきます。いつ頃から始めたいとかありますか?」
「んー、出来れば早くお願いします。こんな綺麗なお部屋をタダで利用させてもらうなんて、あと数日したら私の申し訳ないと思う心がパンクしそうなので」
「ははっ、そんなことを考える必要なんて全くないのに。でも、なるべく早く手配しておきましょう。早ければ明日にでも仕事を始められるかもしれません」
「本当に!?よかったー。ありがとう、ラーサー王子。ラーサー王子のことはクルリと同じくらい感謝してるから。絶対絶対恩は返すから!」
「それも気にしなくていいんですよ。アニキと同列なのは非常に光栄ですぅ……」
最後なんで少し照れた。可愛いやつめ。
「アイリスさん、ただ一つ謝ることがあります。せっかく働いてくれるので、有意義な仕事を任せたかったのですが、兄からアイリスさんを奪い返す過程で、どうしても兄から条件を付けられたことがあります。なんでも、アイリスさんを城の6階フロアで働かせたいそうなんです」
「うん?全然いいけど?普通にありがたい」
「城の6階は一般には公開されていないフロアです。この城、公称では5階建てということになっていますので。そこは内密にお願いしたいのですが、いわゆるそういう秘密のフロアなので、城でも王族と一部の大物しか立ち入れない部屋になります。兄がそこを指定することに変な意図を感じてならないのですが、そこで働いては下さいませんか?」
本当にやったんだね、王子。冗談半分で言ったんだけどね……。
本当に馬(国王様)から射るつもりだ。本格的に動いてきちゃったよ。
国王様ってどんな方だろうか?
王子の意図に簡単に乗っかかるような人なのか?
立派な威厳のある方だと期待したい。例え、廊下で掃除している可憐な女性がいても目の端にも映らないほどの剛毅な心の持ち主であれ!
「そんな凄い場所で仕事できるなんて最高だよ。お掃除は得意だから任せてよ!」
「アイリスさんにそう言ってもらえると心の重荷が降りるような思いです。疲れたら適度に休んでください。もちろん休日も用意しておりますので」
「うん!!」
アイリスの健気さが眩しいよ。俺は働かないよ?
普通に心も苦しまないし。ただ飯?たらふく食べるけど?なんならデザートも要求する強者の心の持ち主です。
「アイリスさんのことが先にまとまって良かったです。アニキ、我が家はどうですか?なかなかいいものでしょう?お風呂なんかは意匠を凝らしていますし」
「ああ、良かったよ。あんなお風呂なんて一生に一度使えるかどうかだし」
……変な人はいたけど。
「良かったです。ヘラン領のお風呂は最高でしたからね、それを父に話したところ父も対抗心を燃やしたのか、それから風呂の湯の質も改善したんですよ。温泉神のアニキがいいというなら、やはりいい風呂になったのですね」
温泉神?俺が?やれやれ、気づかないうちに神になってしまったか。……もうちょっとカッコいい神を希望してもいいでしょうか?流石に贅沢かな。
「明日はお疲れでなければ、王都を案内しましょう。アニキが来たら、見せてあげたいと思ってた場所がたくさんあるんです。本当にたくさんあるんです!」
「気持ちは伝わって来たよ。一晩寝たら疲れも取れるだろうし、明日はラーサーの厄介になろうかな」
「よし!決まりですね。アニキが好きそうなものは人取り心得ているつもりなので、期待していただいても構いませんよ」
嬉しそうに話してくれるラーサーを見てるとこっちまで嬉しくなってきた。
こんなに自分を歓迎してくれる人物なんて、世の中探しても他にいるかどうか。大切にしないといけない縁だな。
そこから、アイリスとラーサーと俺で、城のあることないことを話して笑いあった。
なかでも興味深かったのは、ラーサーから聞いた城の怪談話。
アイリスはこの手の話が苦手なようで、耳を塞いでいたが、俺は全部聞いた。これがまた……。
「この城は建築されて数百年経ちますが、その間に城の中で様々な暗い事件が起きています。もちろん改築や増築で綺麗になっていますから、そんな雰囲気なんて感じないでしょうが」
「ほう?貴族なら、どこの屋敷にもそんな話はあるけど、はたして期待できる話かな?」
「……あー、聞こえません」
アイリスは目を瞑り、耳を塞いで逃げた。目は瞑る必要ないと思うけど。
ここからは男二人きりでの話だ。卑猥な要素も盛り込んでオッケーだぞ。
「今日はとある女性のエピソードをお話ししましょう。白いエプロンの良く似合う、給仕係りの女性のお話です」
ラーサーがパチンと指を鳴らすと、部屋の明かりが全て消え、テーブルにあった蝋燭が灯った。
「ひっ」
目をつむっているはずのアイリスが軽く短い息を漏らした。
えっ、今どうやったの!?どういう仕掛け?そっちの方が気になるんですけど!
「その女性、名前をショヴィエさんといいます。平民の出身だったんですけど、城での仕事を手に入れて、それが嬉しくて毎日真面目に働いていたようです。見た目も清楚な女性で、贅沢もせず真面目に働く姿は、気が付くと皆の興味を惹き、城でのアイドル的な存在になっていましたとさ」
ごくりとアイリスの喉がなった。聞こえてんじゃん。
「ショビエさんの存在が城でだんだんと有名になるうち、彼女が働く平民出身者用の食堂に貴族たちも興味本位で通うようになったそうです。その貴族の中の一人がショヴィエさんに恋してしまい、ついに告白を。はじめは断っていたらしいですが、その熱意に負けて、ついに彼の思いに応えることに。歳の近かった二人は瞬く間に恋の渦に飲まれて、二人だけの世界に入り浸る日々……」
「ひっ……はぁはぁ」
アイリス思いっ切り聞いてるし、それにまだ怖い部分じゃないからね。
アイリスの様子が面白すぎて、怖い話どころじゃないんですけど。
「そんな二人の幸せも長いこと続きませんでした。ショヴィエさんに恋したその男性、貴族とは名ばかりの貧乏貴族だったそうなのです。そこで、家長が息子であるその男性に金持ち商人の娘と婚姻するように迫りました。貴族の家名が欲しい商人と、金が欲しい貴族。もはや話は全て整っており、男性が口を出せる状況にはなかったのです。二人は仕方ないと別れることにしました。男性は、君のことは忘れない、と言い残し城から去ります。ショヴィエさんはそれから毎晩悲しさのあまり涙が絶えません」
「あわわわっ」
アイリスが青い顔して震えだした。
なんで!?怖い要素まだないんだけど!?ちゃんと耳塞いで!
「そんな悲しき運命を辿った二人、日々は残酷にも流れていき、あっという間に十数年の年月が過ぎ去った。男性は商人の娘との間に子供を授かり、それなりに幸せに暮らしていました。そんなある日、昔愛した女性のことを突如思い出します。感情が抑えきれなくなってしまい、伝手を利用して城に入ることが出来ました。ショヴィエさんを探すその男性。しかし、ショヴィエさんの姿はもう食堂にはなく……」
ショヴィエさん、死んじゃったのかな?あれ?悲しい系?
「それでも諦めきれない男性は、城中でショヴィエさんを知る人を探しました。しかし、なぜかその名を口にすると人々が恐れた様子を見せる。なぜ、こんな状態に?彼女に何が?聞いて回ること数日、ようやく手に入った情報があった。城で働くとある人物から凄い剣幕でこう言われたそうです。ショヴィエ、その名を口にするな。良くないことが起きる、と」
アイリスが過呼吸気味になって来た。大丈夫か!?聞かなきゃ良くね?
「彼は絶望に落ちた。彼女の身に何かが起きたのだと悟ったのです。それにしても、名前を口にしてはいけないとは、祟りの類だろうか?彼にも恐怖心はあったが、真相を知らずにはいられなかったのです。恐れる心を押し殺して、彼は真実を追い求めた。そして、知ったのです……彼女の変わり果てた姿を」
流石に俺も唾を飲み込んだ。話が佳境に入ったようだ。
アイリスは……もう放っておこう。たぶん、彼女はこの類の話がなんだかんだで好きだ。
「……ショヴィエさんは城の要職に就く大貴族と結婚していました。今では大層贅沢な生活をしており、庶民時代の記憶が蘇るから、自分のことをショヴィエと呼ばせることを禁じていた。侯爵夫人と呼ばないとお仕置きが待っているらしい。身分の低い者はそれが怖くて、彼女の名前を語ろうとは思わなかったのです。それに、周りに、昔金持ちかと思って付き合っていた貴族が名ばかりの貴族だと知って失笑ものだった。涙まで出た。と話すこともあるらしい。男性は、全ての真実を知り、黙って城を後にした……」
こえー!!違う系統の怖さなんですけど!!
女性が恐ろしくて眠れないよ!
……アイリスは気絶していた。たぶん内容聞いてないよね。
ラーサーの声の抑揚とこの場の雰囲気にやられただけだよね。ていうか、彼女が一番楽しんでいるように見えるのは気のせいか。
ラーサーから変な話を聞いたせいで、寝室に入ってもなかなか寝つきが悪い。
いよいよ眠れたと思ったが、すぐにフッカフッカのベッドの上で目が覚めた。フッカフッカすぎて、体が拒否したわけではない。我が家のベッドもそれなりにフッカフッカだ。
何やら、この広い寝室で音がしたようだった。
ふと、ショヴィエさんのことを思い出す。
いや、あれは幽霊的な話じゃないから。世の中の真実的な怖さだから。
それでも、恐る恐る体を起こした。
「誰かいる?」
もちろん返事はない。
部屋の戸には鍵を閉めたはずだった。慣れない部屋で変に警戒心が出ているだけか?
窓を見ると――、空いていた。
まずいな、本当に誰か入っているみたいだ。
王城の警備レベルでもこんなことがあるのか。
手元に武器はない。困った。こりゃ油断しすぎたな。バカンス気分が一気に台無しだ。
誰かを呼ぶか?すぐに来てくれるって言っていたし。
しかし、それほど大事にしたくはない気持ちはある。
相手に害意があっても、初撃に耐えればなんとでもなる気もする。
一応体中に魔力をたぎらせて、闇に慣れてきた目であたりを見まわした。
視線の斜め前、およそ5,6メートルの距離か。太い柱の裏に誰かいる気がする。
王都に来て早々、誰かの恨みを買った覚えはないんだが。
もしもの時のため、枕を腹に詰めて、ベッドから降りた。
「さっさと出てこい。もしくは立ち去れ」
「良く気が付いたね。褒めてあげるよ」
感じていた通り、柱の裏側から声がした。予想していただけであって、確信したわけではなかったので、声がしたときは正直ぞっとした。
「何の用だ?夜襲される覚えはないんだが」
「夜襲?そんなつまらないことはしないよ。僕がやりに来たのは夜這いだ!」
夜這い!?もっと危険なんですけど!
「そういうことならこちらも貞操を守らせてもらう。ちょうど手ごろな武器もあることだし、その首跳ねてやろう」
「剣がないのは知っているよ」
ぐっ……、バレてる。用意周到な夜這いか?
ていうか、夜這いされる覚えもないんだが。
……、あれ?もしかして。そういえば、この声。
「レイル、なのか?」
「そうだよっ」
やましいことをしに来たとは思えない爽やかな笑顔でその姿を見せた。
めっちゃ腹が立つ。
心底警戒したし、腹に枕を詰め込んで戦う覚悟までしたのに。
この野郎、悪ふざけが度を越している。
「何をしに来たんだよ。こんな夜中に」
もはや怒る気にもなれずに、ただ率直な質問をぶつけてみた。
「夜這いだよ」
胸倉を掴んでグラグラ揺らすと、笑いながらも観念したように両手を上げ、本当のことを話し始めた。
「ちょっと悪ふざけもあったんだけど、夜に暗躍するのは僕の十八番だからね。それより、クルリ君、君って本当に面白い時期に面白い場所にいるよね。これから王城も騒がしくなりそうだけど、君が来たことでもっと祭りが盛り上がりそうだよ」
「祭り?何を言っているかは知らないけど、俺を巻き込まないでくれ」
「そうもいかない。今日は警告の意味も込めてわざわざ起こしてあげたんだ。また追々状況次第で教えてあげるけど、つかの間の休暇を楽しんでよ。明日はラーサー王子と二人で王都デートでしょ?」
「デートって。まぁいいんだけどさ。てか、なんで知ってんだよ」
「僕は大抵のことは知っているからね。じゃあ、夜も遅いし、そろそろお暇するよ」
「こんな時間に来るな。まずはそこからだ」
うるさいやつが去ってくれた。
楽しい王都旅行になるはずが、なんだか面倒な感じになりそうだ。
ここまであまりいいことなし。明日のラーサーの接待に期待しておこうか。