4章3話
秋の体育祭当日。
生徒たちが華々しい活躍をするために、日々体を鍛えていた成果を発揮する日。一部の人間はあまり乗り気ではなく、一部の人間にとってはかなり燃え滾る日である。
そんな燃え滾る人物のうち一人が、俺の部屋に来ている。
「燃えていますね、王子」
「ああ、今日の体育祭のために結構仕上げてきたからな」
アイリスに活躍を見せるために、王子が日夜走り込みをしていたのを知っている。運動神経抜群だから、アクシデントでもない限り、個人種目において負けることはないだろう。
「あまり張り切りすぎて、怪我しないでくださいよ」
「俺を誰だと思っている、ふふふ、見ていろよ」
個人種目で圧勝して、アイリスに「わぁーすごーい」とか言われることを想像しているのだろう。顔がニヤニヤしていた。
想像通りになればいいけど、きっとならないよなーとか思ってしまう。今までの王子の残念さが俺にそう思わせるのだ。
「ところでだ、クルリ。アイリスの家族を招待することを覚えているか?」
「ええ、アイリスが落ち込んでいる原因だから、招待してあげようというあれですよね」
「そうだ、俺の名前を出したらすぐに了承してくたらしくてな、今日の体育祭にも間に合うようだ」
「ちょっと待って!」
王子の言葉にあまりに驚いてしまった。
何を言っているんだね、こやつは。
「王子今、王子の名前を出して招待したと?」
「ああ、なんだ?なにか気になることでも?」
「当たり前じゃないですか。私はてっきり、学園からの招待という形をとるものと思っていましたよ。王子の名前なんか出したら、断りたくても断れないし、何事かと心配になりますよ」
「ん?そうか?」
「そうですよ!私の父でも腹を痛めるレベルです」
「お前の父はそれなりの貴族だろう。何を驚くことがあるんだ」
この王子、未だに自分の権力のでかさを知らないと見える。
気の小さい我が父なんか、王子が怒っていたよ、なんて嘘の情報でも与えて見ろ、三日は寝込むぞ。
それが、一庶民が急に王子から呼び出しをくらうなんて、これはもう胃に悪いこと、朝一の唐辛子を超えてしまうぞ。
「はぁー、これなら私が手配しておくべきでした」
「何を気に病んでいるか知らんが、アイリスが喜ぶならそれでいいだろ。わかっていないな」
わかっていないのはお前だ。
「よし、そろそろアイリスの家族も来るだろうし、迎えに行くか」
「えっ!?王子が出迎える気ですか!?アイリスの家族を殺すつもりですか!」
「何を言っているんだ。出迎えると言っているんだ」
「やめてください。体育祭どろこじゃなくなる可能性が出てくるので!」
「大げさだぞ、いいから行くぞ」
勢いついた王子は止めること敵わず、不安な気持ちのまま学園の入口へと着いていくことに。
あわわわ、次々馬車が来るよ。アイリスの家族来ちゃうよ。絶対びっくりするよ。
そんな不安感の中待っていると、聞き慣れた声で俺の名前を呼ぶ人が。
顔を上げてみると、そこにはニコニコとしている両親が馬車に乗っていた。
相変わらず平和な顔した夫婦だった。
「父さん、母さん、ちょうど来たんだね」
「ああ、息子の晴れ姿を見にな。いろいろ露店もあるらしいから、母さんと食いながら楽しませてもらうよ」
「ああ、のんびりしていってよ。なかなか悪くない場所だからさ」
食う気満々の二人だ。本当、ただの旅行気分なんだろうな。お気楽でらしくていいよ。
「ヘラン殿、お久しぶりです」
そこへ王子が割って入って来た。あぁ、あまりよろしくない展開かもしれない。
「お、おお、これはアーク王子ではないです。申し訳ありません、馬車の中から」
「いえ、お気になさらず。夏の間はお世話になった。またヘラン領に行くこともあるだろう、その時はよろしく頼む」
「はい、それはもちろん」
アーク王子が行くように言うと、両親の乗った馬車はあっという間に去っていった。
父さんのあの様子だと、きっと腹を痛めただろうな。
これだよ、これが王子の存在感なんだよ。慣れてないとどうしてもああなっちゃうんだよ。
ますますアイリスの家族が心配になってくる。
「はぁー、やっぱり出迎え止めません?」
「いや、やる!」
なんか益々乗り気になっているよ。空回りする未来が見えるんですけど!
待つことそれほど長くもなく、一台とびぬけて豪奢な馬車が学園へと近づいてくる。
あれだ!絶対あれだ!
王子が気合を入れたに違いない。王子もまさにあれだと言わんばかりの顔をしている。
畑作業していたら、あんな馬車に乗せられるアイリスの家族どういう気持ちよ。
シンデレレラみたいなステキな気分ではないだろうよ。
馬車がようやく到着し、扉が開かられた。
出てきたのは、質素な服装の女性。顔を見ればアイリスの面影がある。間違いなくアイリスのお母さんだ。
歳は40くらいだろうか、苦労していそうなのに、それを感じさせない健康的な美しさがあった。
「あらぁ、綺麗なところ。本当にエレノワール学園に来ちゃったみたい」
口を開けて感嘆するお母さん。その後から、男の子が一人と、女の子が一人出てきた。
男の子といってもそちらはほぼ俺たちと変わらなくくらいの年だ。
恐らくだが、ラーサーと同じくらいの歳ではないだろうか。女の子の方は、更に二つくらい年下だろうか。こちらはまだ幼さが顔に残っていた。
二人ともアイリスに似て、美男美女であった。
二人は母親以上に大きく口を開けて、驚いている。いや、目を輝かせていた。
そんな様子を見ていた王子が嬉しそうに近づていく。
できるだけ騒ぎにならないといいのだけれど。
「ようこそおいで下さいました。私はアーク・クダン。我が友人アイリスの家族を招待できることを嬉しく思います」
アーク王子がその綺麗な容姿をもって、完璧な身のこなしで一礼した。
アイリスのお母さんはまた一段と大きく口を開けて、驚きを隠せないでいた。
「あのぉ、それだと本当に招待してくださったのは、王子様本人なのでしょうか?」
王子の華麗な姿を見て、本人だと判断したのだろう。最終的な確認をした。
「はい、もちろんです。我が友人のため……、お母様!?大丈夫ですか!?」
王子の言葉が終わる前に、アイリスのお母さんは白目をむいて気絶してしまった。
この母親は娘ほどに強い精神力を持ち合わせてはいなかった。
いきなりの王子の登場に、受け止めきれないほどの衝撃が体を襲ったようだ。
体が地面に着く前に、アイリスの弟が受け止めた。
「おいお前!王子だか何だか知らないが、母さんに迷惑かけるやつは許さんぞ!」
弟は結構男気のある人物のようだ。
言われた王子は石のように固まり、ショックを受けている。面白い様子だが、それよりもアイリスのお母さんが先だ。
「私がおぶっていきましょう。保健室へ一旦向かいます」
「いや、僕が背負う。赤毛の兄ちゃん、案内をお願いできるか」
「ええ、わかりました。それでは着いてきてください」
期待したシチュエーションとのギャップが埋まらず、王子はまだショック状態から抜けきらないでいた。いきなりお母さんを気絶させ、弟に嫌われたのだ。仕方ないよね。
挽回のチャンスはまだあるよ。しっかりね。
肩をパシリと叩いてやり、アイリスのお母さんを保健室へと案内してやった。
だれも使っていないベッドが数多く余っており、経費の無駄遣いな気がしないでもないが、それは俺の気にすることでもないな。
その一つに寝かせ、学園専属の医師に見せた。
「ただ気を失っているだけですよ。すぐに良くなる」
「ありがとうございます」
医師に感謝を述べて、アイリスのお母さんはベッドで安静にさせておいた。
「なあ、赤毛の兄ちゃん。いや、貴族様って言った方がいいのか?」
「いや、赤毛の兄ちゃんでいいよ」
「お医者様に診せたら大金がかかるって聞いたけど……」
「ああ、あれは別にいいんだよ。学園から貰っているからね」
「そうか、それは良かった。ここに来る前になぜか金貨を貰ったんだけど、あれは姉ちゃんのために取っておきたかったんだ」
王子が金貨をあげるとか言っていたっけ。本当にあげたんだね。
俺にもください!
それにしても、アイリスの弟はよくできた人物だね。せっかくもらったお金をお姉ちゃんにあげるとか、殊勝な心掛けじゃないか。きっと君のお姉ちゃんは受け取らないけどね。
「なぁ赤毛の兄ちゃん。このベッドふわっふわだな。初めてこんないいベッドを見たよ」
「いっぱい余っているようだし、寝てみるといい。そっちのほうがどれほどいいものかわかるだろう?」
「いいのか?」
「もちろん、責任は私がとるから、ほら好きなだけ」
アイリスの弟は嬉しそうに笑った。そんなお兄ちゃんの後ろに隠れていた妹も興味ありげだ。
お兄ちゃんに背中を押されて、精一杯声を出した。
「私もいいですか?」
「もちろんさ」
二人は嬉しそうに空いているベッドに横たわった。
初めての柔らかさに驚きを隠せない様子だ。
「お兄ちゃん、凄い沈むよ!」
「こっちもだ。なんかいろいろ吸い込まれている気分になるぞ!」
わーきゃーわーきゃーはしゃいで、しばらくして疲れたのか、二人とも降りて来た。
「赤毛の兄ちゃん、変なとこみせたな。ごめんな、見苦しかったろう?」
「いや、私も昔よくやっていた」
「そうなのか!?貴族様はてっきり違う生き物なんかじゃないかと思っていたけど、なんか赤毛の兄ちゃんには親近感がわくよ!」
いい子だね!素直が一番だよ。
「赤毛の兄ちゃん」
袖をひっぱって呼びかけてきたのは、今度は妹の方だ。
「私はアーシア。お母さんはクラリッサっていうの」
ペコリと丁寧に一礼してくれた。あら、可愛らしい。
「ああ、失礼しました。姉ちゃんにいつも挨拶をしっかりするように言われていたんですけど、うっかりしていました。僕はミカル。よろしくお願い致します」
「うっかりしていたのはこちらも同じです。私はクルリ・ヘラン。君たちの姉、アイリスと同じクラスの生徒です」
アイリスの名前を出すと、二人は更に心を開いてくれたようで、次々に言葉が飛んできた。
「お姉ちゃんは元気にやっていますか?」
「姉ちゃんは勉強できるけど、結構ドジなところがあるから」
「お姉ちゃんはご飯ちゃんと食べてる?」
「姉ちゃんはいつも他人が最優先だから、自分のことちゃんとできてるかな」
美しい兄弟愛を見たよ。
ううっ、招待した王子は大正解だったかもね。
「何も心配らないよ。君たちのお姉ちゃんは君たちが思っているよりずっと強いよ。それにもうすぐ会えるだろ」
ようやく思い出したのか、二人は姉のすぐ近くまで来ていることを実感し始めた。
それからそわそわして落ち着かず、居ても立っても居られないといった様子だ。
「よし、呼んでこようか?」
「いいの!?」
「まっ、友達だからね!」
ウインクしてあげて、かっこよく保健室を去った。
さて、どうやってアイリスをびっくりさせないように伝えるか。
……、とりあえず、固まっている王子を拾っていくか。