3章_16話
季節が移り替わった頃、一番勉強しやすい時期になり、学習面ではすこぶる順調である。
今日もしっかりと授業を聞き、図書館で自習も済ませてきた。
なんでもない日常だが、やはり学生の本分は勉強である。
これさえしておけば、日常は充実してくるものだ。
勉強帰りに、トトの植物園へと寄っていった。
いつもの寄り道コースだ。
トトとアイリスがいつものように怪しげな植物を育てているのだろう。
簡単にイメージできる映像を頭に浮かべて、ビニールハウスを視界にいれた。
二人はどこかな?
ビニールハウス内をちらりと覗き込む。トトはいないみたいだ。珍しい。
ビニールハウスの周りをウロウロ、アイリスがいた!
「うわっ!?」
アイリスだけなら驚きはしなかったが、なんかでかい犬がいた。
どろんこまみれで、やたら大きい。
「えっ?何この犬!?」
「へっ?」
ようやくこちらに気が付いたアイリスが振り向いた。
なんか顔を真っ青にしている。
「犬……、じゃないよ」
犬じゃないらしい。
なんで嘘つくんだ!?
犬だよね!俺の目が腐っていない限り、目の前にいるそいつは犬だ!
犬種はセントバーナードに近いみたいだ。山で遭難したら、間違いなく助けてくれるほど逞しい体を有している。
「犬……、だよね?」
「犬……、じゃないかもよ」
なに!?なんで誤魔化すの?
アイリスの目がウロウロと泳いでいるのが嘘ついている証!
いや、その前に間違いなく犬だから!
「そいつが犬だと何かまずいの?」
「えーと、まずいかも」
まずいのか。じゃあ、俺も犬と認識しないであげた方がいいかもしれない。
「クルリはこの子が犬だと思うの?それでいいの?」
なんだろう、俺は試されているみたいだ。
なんて言えば正解なんだ?アイリスが犬と認めない以上、俺も否定した方がいいのかもしれない。
「犬……、じゃないです」
「はい、そうですね」
やった、正解だ!
「ところで、その犬じゃないヤツはどうしたの?」
「この犬じゃない子はね、放課後来たらここにいたの」
「ふーん、で懐かれたと」
アイリスの服装もどろんこまみれになっているところを見ると、一人と一匹は楽しく遊んだのだろう。
「この子、素直ですごくいい子なの。それに優しくて、賢いし」
「はい」
「それにね?体がこんなに大きいけど、人に危害を加えたりしないんだよ?」
「はい」
「あー、いい子だねー。絶対人間の役に立つ子なのにねー」
はい、つまりは飼いたいと。
そうですね、いいんじゃないんですか?
「飼えばいいじゃないか」
待っていましたとばかりに、アイリスの目が光った。
キラーンと音がしたとさえ思える。
「……いいのかな?」
「いいんじゃないの?別に校則に書かれているわけじゃないし」
まさか誰も犬を飼うなんて、学園側も思わないだろうし。
なら禁止される前に、先に飼ってしまえばいいのだ。グレーゾーンってやつですね。
「でも、本当にいいのかな?」
「いいよ。ご飯は食堂から調達してこよう」
「でも……」
「犬小屋は、明日にでも作ってあげようか。この畑の回りなら自由に動き回れるし、運動不足にもならないだろう」
なんだか俺の方に火がついてきて、ペラペラしゃべっていると、うつむいたアイリスが服をつまんできた。
なにやらブツブツと口元が動いている。
「……しない?」
「えっ、なに?」
「食べたりしない?」
「犬が人を?はは、そんなまさか」
少し間をおいて、アイリスが顔を勢いよく起き上がらせた。
「人が犬をよ!」
「そっち!?」
「貴族様って珍味とか言って犬を食べるんでしょ!?私知ってるの!」
めちゃくちゃ早口だな、それに顔が近い。
「いや、食べないって。いたとしてもかなりの少数派だろうし、食用に適した種類もあるんじゃないかな」
「嘘は言わないで。食べるなら食べるって!」
「えっ!?食べないってば」
「そうね。それじゃ、やっぱりこの子は犬じゃないってことにしましょう。そしたら食べられることもないわね、ふふふ」
「おいおいおい、おちつけーアイリス!」
「この子は犬じゃない、この子は犬じゃない」
「洗脳する相手を間違ってるから!君だけ洗脳されてどうすんだ!」
はっ!とアイリスが息を吐きだす瞬間、彼女の肩を揺さぶって正気に戻した。
ガクガクと頭が揺れる。これで大分落ち着いただろう。
自分の大事なものを守るとき、人は必死になるよね。さっきのテンパり具合は見なかったことにするよ。
「本当に、本当に食べないんだよね!?」
「神に誓って食べません。珍味ならほかをあたります」
「そのー、エリザさんとか、アーク王子とかも?」
うーん、機嫌が悪い時に蹴とばすことはありそうだけど……。
「心配ご無用!」
ぐっと親指を立てて、彼女を安心させる。
「じゃあ、飼ってもいいんだね。この子大事にするから」
「そうだね。さっきからずっとアイリスを見ているし、飼ってあげるのが一番だね」
というわけで、でかい犬は飼うことにした。
今更だけど、トトが来ないのは、このでかい犬にビビったからだと思う。
明日説明してやらないとな。あいつっていろいろ不憫だよね。
「畑とか守ってもらう番犬になっていいかもね」
アイリスのでかい野菜計画の立派な助手になってくれそうじゃないか。
「えー、襲われたりしない?」
ヴァインくらいだ、そんなことする可能性があるやつは。
「こんな大きな犬、怖くてだれも襲わないよ。いざってときに逃げられるように、紐で結ばないでおこう」
「そうだね。いざってときは逃げるんだよー、アルフレード」
アルフレードってなんぞ?
まさか、こののべーっとした汚い犬が、高貴な貴族様の名前アルフレードを名乗ると?
「アルフレードって、まさか」
「うん、この子の名前だよ。かっこいいでしょ」
目を輝かせていうものだから、俺にその発言を訂正する度胸はもうない。
「汚いし、洗ってあげようか」
「うん」
少しでも名前に近づけるように、まずは泥を落とさなければ。
植物たちにあげる水を使って、アイリスが全身を洗ってあげた。
気持ちよさそうに構えるアルフレード。
目がトローンと垂れて、口がにやけているように見える。
やっぱこいつアルフレードじゃねーわ。いいとこゴロウだよ。
「ふはー、きれーになったね。アルフレード」
渇いてふかふかになったアルフレードに、アイリスが顔をうずめた。
確かにあれは気持ちよさそうだ。
俺も後日やってみようかな。でも恥ずかしいから一人のときに。
「犬小屋の材料は学校から余った資材を貰ってくるよ」
「じゃあ、私はこの子の食事調達の安定ルートを確保するために、食堂のおばちゃんと交渉してくる」
「あとは首輪くらいかな。俺の部屋にレザーがあるから、それを加工しよう。首輪に騎士様にぴったりのアクセサリーも着けてやろう」
畑を守る騎士様か。あまった鉄で、盾のアクセサリーでも作ってやろうかな。
細かいものを作るのは久々だし、ちょっと楽しみだ。
「よーし、首周りを図るからついて来い、アルフレード!」
俺は自分部屋へと戻るため、歩き出した。
アルフレードは……、あっ着いてこないんだね。
ちょっと予想外だよ。
「あ、アルフレード、首輪を作ってやるからこっちに……」
来ないねぇ。
あれ?
アイリスと張り切って、この犬を飼おうと盛り上がっていたのに。
俺は全く懐かれていなかったのか?なにこの恥ずかしい勘違い。
ていうか、冷静に考えれば、今だに指一本も触れていないや。
「アルフレード、一緒にクルリの部屋に行こう」
アイリスが歩き出すと、アルフレードは素直に付いていった。
尻尾を振りながら、それは従順に。
決めた、俺はあの犬畜生をゴロウと呼ぶ。
あと首輪のアクセサリーは盾じゃなくて、ジャガイモにする。
ちょっとした嫌がらせを胸に、俺の部屋へと向かった。