3章_7話
アイリスが地獄に突き落とされて早3日。
時間が経ったため彼女も大分落ち着いたみたいで、1日のため息が数回程度で収まるくらいには回復した。
ヴァインが笑ってしまったことを申し訳なく思っているのか、アイリスを狩りにつれていった。
二人で体を動かして気分を晴らしてくれるといいのだが、どうなることやら。
二人が去ったことで、我が家は静かになるはずだったのだが、ちょうど父親も戻り、久々に我が家を満喫できるとはしゃいでいる。
普段動かないのに、やたらと嬉しかったのかスキップしだした。
おっさんがスキップだ。
ありえない。
「父さん、少しは落ち着いてくださいよ」
「いやー、久しぶりだよ。何も抱え込まずに家でのんびりできるなんて」
「母さんに怒られますよ」
「いんだよ、お父さんは今幸せなのだから」
そんなことを言ってルンルンと踊りだす。
とはいえ、しばらく家を占拠してしまって申し訳ないことをしてしまったかもしれない。
好きにさせてもいいだろう。
「ご主人様にお話が」
そんな時に、珍しく従者から連絡があった。
なんだかただならぬ雰囲気。
明らかに何かあったな。
父親の休まる時間もわずかだったな。
「父さん、何か話があるみたい」
父親のもとに連れていき、報告があることを知らせてあげた。
「なんだね、言いたまえ」
「我が領に隣接するマール領の領主、カラーク・マール様が来ております。まもなく屋敷に到着すると伝者から知らせが」
「えっ!?」
知らせを聞いた父親が急にぎくりとして、その場に倒れこんだ。
「いたたたた、足がつった」
足を痛めた父親のもとへ行き、脚の筋肉を伸ばしてあげた。
「スキップなんかするからですよ」
「すまないクルリ、でもそうじゃないんだ」
「どういうことですか?」
「カラーク・マール・・・」
口ごもる父親。
何があるのだろう。
そういえばマール領はアイリスの故郷ではないか。
聞く話ではあまり領民にとって良い領主ではないらしい。
ヘラン領に移る領民の多くはマール領からと言う話も聞く。
正直いい印象のない人物だ。
そんな人物が、一体何をしにきたのだろうか。
「カラーク・マール様とは知り合いなのですか?」
顔色を悪くする父親が心配になり聞いてみた。
「あいつは、あいつは・・・」
「辛いようでしたら、無理しないでください」
「いや、いいんだ。カラーク・マール、奴と私は同級生だったのだ」
「同級生ですか」なるほど、なにか因縁がありそうですね。
「あいつは昔からなんでも私よりできた。勉強、スポーツ、なんだってあいつが上だった」
「はい」
「あいつは良くモテていた、対照的に私は何もかもあいつに負けていたし、女性にもモテなかった」
「はい」わかります。
「いつしか私はあいつに劣等感のようなものを感じていて、それ以来あいつの顔を見ると怖くてしょうがないのだ。昔喧嘩で負けた記憶がよみがえってくるようで、だからあいつとは・・・」
「事情は分かりました。では、私がお会いしましょう。父さんは奥で休んでいてください」
「いや、そんなことを息子に任せる訳にはいかない。息子を矢面にたたせるに訳にはいかない」
珍しく父親がかっこいい顔をしている。
なんだろう、本当にかっこいいよ。
カラーク・マール、それほどに恐ろしい人物なのだろうか。
そんな人物がアポもなく我が領へ来た。
間違いなく悪いことに違いない。
「では、私も同席します。辛いことは一緒に乗り越えましょう」
「いいのか?クルリよ」
「ええ、もちろんですよ」
「私はいい息子を持ったよ。ではこうしてはいられないな」
父親は痛む足で地面を踏みしめ、立ち上がった。
戦場に行く前の戦士の顔は晴れやかだと聞くが、父親の顔もそれに似たものがあった。
俺も心を引き締めておいたほうがいいかもしれない。
「やぁ久しぶりだね、トラル君」
「あ、はい、お久しぶりです。カラーク殿」
カラーク・マールなる人物はいきなり通された客間に入るなり、ソファにどかっと腰をつけて座り込んだ。
あまりの図々しい態度にいきなり気分を害されてしまった。
相手とは同級生だと言うのに、父親は敬語を使っている。
なんだか、少しだけ嫌な気分だ。
それにしても、気になる点がある。
父親から聞いた話からカラーク・マールなる人物像を頭の中に描いていたのだが、現実に目の前にいる人物とはあまりに違っていた。
想像上はこうだ。
勉強ができてスポーツもできる。それでモテて、喧嘩も強い。
となると、身長180cmの強面イケメン、体格はがっちり系。
だが、目の前にいるそれは全く違う生き物だった。
顔は豚に瓜二つであり、体も比例して肥満体系である。
あまり頭のよさそうな振る舞いもなければ、モテそうな雰囲気もない。
あれ?別人物なのか?
それとも父親の主観から見ると、こいつは全てが優秀な人物に見えるのだろうか。
なんだかそんな気がしてきたよ。
「変わらないね、トラル君」
「ええ、カラーク殿も」
あ、変わらないんだ。
じゃあ、あれだね。父親の主観だね。
モテないよこいつ、豚だもん。
「今日は突然来てしまって申し訳ないね。ちょっとだけお願いがあって来たんだよ」
「いや、来てもらうのは構いませんが、お願いと言うのは」
カラークが大股を開いて、肘かけに肘をのせた。
あまりに客人らしくない振る舞いに、だんだんとイライラが募ってきた。
「君の領は最近随分と栄えているらしいね」
「ええ、おかげさまで」
「そうなんだよ。おかげ様なんだよ。うちの領民がトラル君のところに多く移っているでしょう。おかげでこちらは働き手が日に日に減っていく」
「それは・・・、そうですね」
「そこでね?今日の本題なんだけど、賠償してくれないかな。うちの領民をさらったことへの賠償を」
「さらっただなんて、領民は自分の意志で我が領に来ています。国も領民の移動には制限をかけていませんし、何も問題はないはずですが」
「問題大ありだよ。うちの領の働き手が減ってるって言ってるでしょう!」
「しかし」
「いいから、さっさとお金を出せばいいんだよ。それでうちの領民も納得するだろうさ」
父親の後ろで黙って話を聞いていたが、随分とふざけた話をしている。
アイリスの話じゃ、マール領は税金が重い。
そんな領より、税も重くなく、好景気な我が領に来るのは当然である。
なにより、それを阻止するために頑張るのが領主の務めである。
それなのに、目の前の豚はやるべきこともせず、あたかも自分が被害者だと言わんばかりの態度だ。
いや、奴はわかっている。自分が悪いことも、こちらに非がないことも。
それでいて、無理な話をつっかけてきている。
おそらく父親相手なら今までどんな話でも押し通してきたのだろう。
とんでもない豚野郎だ。
「ブヒブヒブヒブヒと、随分と勝手なことを言ってくれますね」
もう我慢の限界だ。できるだけ何もしないでおこうと思っていたのだが、もう黙っているわけにはいかない。何よりも、父親を見下しているこの態度が気にくわない。
「なんだね君は、私は今トラル君とはなしをしているのだよ。部外者は黙っていてもらおうか」
「私の名前はクルリ・ヘラン。次期領主であり、トラル・ヘランの息子です。決して部外者ではありません」
「トラル君、困るよ。ほらとっとと追い出してくれ」
「クルリ・・・」
「父さんは黙っていてください。私が話をつけます。カラーク殿、随分と勝手なことを仰っておりますが、こちらとしては一切受けることはありません。今すぐお引き取り下さい」
「そうは言うがね、私の領は事実被害を受けているし、ただで帰るわけにはいかないでしょう」
「では特産品のスイカを持ちかえらせましょう。10個ほどどうぞ」
「10個って、それはないでしょう!」
「では15個、いやそんなことはどうでもいいです。とにかく我が領から賠償することは一切ありませんので」
「はー、困ったね。いやー、困った」
うーんと顎を撫でるクラーク。
父さん相手ならそんな馬鹿な要求でも通ると思ったのだろうか。
本当に同席しておいてよかった。
断固としてやつの要求はのまない。
「それじゃあ納得いかないよ。トラル君、息子さんを説得してよ」
「く、クルリ…」
「父さん、何を怯える必要があるのですか。こんな馬鹿げた要求など蹴飛ばして仕舞えばいい。たとえ蹴り返したとしても、正義はこちらにあります」
自信満々で父親を諭したが、父はそれでも下を向くだけだった。
「トラル君!」
「父さん!」
父はどちらの声にも反応しなかった。葛藤しているのだろう。でもそれでいい。
ここでの返答なしは、すなわちNOになる。
後は俺が強引に追い返すもよし、煮るなり焼くなりすればいい。
「はー、君はいつもそれだね。困ったことがあると黙る。でも、そんなことくらい予想はついていたよ。最後にもう一度聞くが、君の返答はNOでいいのかな?」
「もちろん」父の代わりに俺が答えた。
ギロリとカラークが睨んでくる。
ここで目を逸らしたら負けだと思い、睨み返す。
「ふん、ではわかった。こちらも方法を変えよう。ここはドーヴィル先輩にお願いするとしようかね」
「ドーヴィル!?エヤン・ドーヴィル様に!?」
父の口から出たエヤン・ドーヴィルの名。
知らないはずもない、この国の宰相だ。
政治に関する権力は国王の次に持っている人物である。
政治が彼の仕事故に国王よりも権力を振るっているのが実状だ。
しかもエリザのお父さん。
将来は確か不正が発覚して、王子に追放されるのだが、現段階ではこの国で一番恐ろしい人物と言っても差し支えはない。
そんな人物にお願いだと!?
「君の馬鹿な息子が挑発してくるものだからね。僕もちょっと本気を出そうかなーって」
「ど、ドーヴィル…」
父の顔は青ざめていた。
何か今までで一番怯えているかもしれないほどに。
「世間知らずな馬鹿な坊ちゃんに教えよう。私とドーヴィル先輩はね、学園在籍時からの旧友でして、かつては学園に我らの名前を轟かせたものだよ。私はドーヴィル先輩に可愛がられていたからね、卒業後もいろいろと良くしてもらっているんだよ」
ドヤ顔の相手を見て、一気に形勢が変わったのを感じ、汗が少し流れた。
対照的に一気に勝気になり、より一層態度が腹立たしくなるカラーク。
「僕は君のお父さんにお願いしてちょっとだけお金を貰う予定だったけどね、君のその態度で気分が変わったよ。ここはドーヴィル先輩にお願いして、このヘラン領からごっそりと奪い取ることにしよう」
くっくくくと醜い笑いをする。
ちょっとツバ飛んでるからやめて!
いや、今はそんな余裕をぶっこいてる場合じゃない。
父の様子からこの男の話は真実だと推測できる。
まさか宰相とつながりがあるとは。
ていうかエリザのお父さんはこんな事に使われてるから断罪されたのではないだろうか?
何やってんだよエリザパパ。
まずいよ、どうしよう、本当にごっそりとられたらどうしよう。
宰相相手に対抗なんてできない。
こちらの手札には将来の王妃様というカードがあるが、今は効果がないし、効果が発動するかも怪しくなってきたとこだ。
「失礼な態度をとったのは謝ります。ですが、宰相様を呼んでくるというのは…。謝罪は致しますのでどうか」
「は?いや、謝罪って、わかってないね。お金は差し出さないの?」
「特産品などはできるだけ差し上げます。我が領も栄えてきてはいますが、決して資金に余裕があるわけではありません。どうかご勘弁を」
「馬鹿だね。トラル君、君の息子は本当に馬鹿だね。グズでマヌケで愚かだよ。うちの息子と同級生と聞いていたのに、まさかこんなに馬鹿ものだったとは。トラル君、やっぱり馬鹿な君の遺伝子を受け継いだこの息子も馬鹿なだったようだね!!」
言いたい豊富だ。
こんなに罵られたのもツバをかけられたのも初めてだ。
だが、今は頭をさげるしかない。
ダメかもしれないが、宰相に来られては困る。
やっと勢いに乗った我が領に水を差されては困る。
領を守るためには、今はただ頭をさげるしかない。
「申し訳ありません、どうか怒りを収めていただけないでしょうか、カラーク様」
必死に謝罪だ。
どうかこれで。
「ダメダメダメ!!もうゴミ屑の話なんて頭に入らないよ。ドーヴィル先輩呼ぶから!絶対呼ぶから!」
はーはははは、と勝ち誇るカラーク。
もうダメなのか。
やってしまった。完全に俺のせいだ。
カラークの言う通り、出しゃ張りすぎた。愚かだよ。
「…クルリ」
カラークの笑い声の中から小さく、しかし確実に父親の声が聞こえた。
さっきまで死にそうな顔してた父親が立ち上がり、その目には怒りのようなものを宿していた。
「クルリよ、もう謝る必要はない」
「ですが、父さん」
父は一歩踏み出し、対面に座っていたカラークのもとへ近づいた。
「カラーク殿…、いや豚野郎」
「は?なんだって?」
一瞬父親が何を言ったのか俺にも理解できなかった。
あの臆病な父親が天敵に向かって豚野郎だと?
しかもこの劣勢時に!?
「私を罵ることは幾らでも受け入れよう。でもな、息子のことを悪く言うのは許さん!!!!くらえ、この豚野郎!!!!」
絶叫した直後、父親の鉄拳がカラークの顎をとらえた。
直撃し、椅子から転げ落ちるカラーク。
「な、なななんだ!?なんだ!!」
状況を理解できず動揺しまくるカラーク。
それにしてもいいパンチだった!
まさか父親にあれほどの攻撃力があったとは。
「よく聞け豚野郎!宰相でも国王でも呼んでくるがいい!全面戦争だ!」
「はは、言ったな!トラルの分際でよくも」
「トラルの分際で言ったぞ!さぁわかったらとっとと帰れ!」
「もう後戻りはできんぞ、トラル!」
「帰れというのが聞こえんか!すぐに帰らなければここで殺す!」
「はあ!?」
二人の壮絶なやりとりが終わり、カラークは屋敷を逃げるように去った。
父親に近づくと、その体は小刻みに震えていた。
臆病な父親がよくやってくれたよ。
こんな馬鹿息子のために。
「父さん、かっこよかったよ」
「だろう?」
そう言うと震える手をグッと握りしめて、親指を立てた。
「…クルリ、どうしよう」
覚醒モードが終わり、いつもの父親に戻った。
これのほうがいい。
なんだかそう思う。
「後は俺に任せてよ」
父親に笑顔を向けそう伝えた。