3章_3話
あれからアイリスは空っぽだ。
何を話しかけても「あー」とか「そうだねー」としか返って来ない。
食欲も落ちてきたようで、おかわりをしなくなった。
来た頃はもりもり食べていたのに、今じゃ食事の時間も忘れて遠くばかりを見ているのだ。
そろそろ詩を書きだすんじゃないかと、どぎまぎしている。
「おいヴァイン、なんとかしてくれ」
「そう言われても、何をすればいいかわからない」
二人ともレディーの扱いになれていないのだ。特に打開策が思いつかない。
しかも相手はただのレディーではない。
恋する乙女である。猪突猛進で他が見えていない。今は彼女はイノシシなのだ。
イノシシに簡単に近づくべきではない。
あいつら本当にでかくて危ないからな。牙だってある。想像の2倍大きいと思ってくれていい。
イノシシを見かけたら役所に報告して対処を待つべきだ。決して自分でどうにかしようとかおもってはいけない。本当に危ないぞ!!
いかんいかん、イノシシの話になってしまった。
恋するイノシシだったらどれだけ楽な話だっただろう。食べてしまえばいいのだから。
恋する未来の王妃か、問題は大きい。
誰に恋してるんだよ!目を覚まさないかアイリス!
そうは思うものの、アイリスの悩まし気なため息を聞くたびに俺とヴァインもつられてため息が出てしまう。なんだかなー。
応援してやりたいが、何をすればいいのやら。
「アイリス、別荘地に行ってみる?ロツォンさんがいると思うよ」
「えっ!?ななななんで!?私別に用事なんてないよ?」
えっ!?はこちらのセリフだ。
バレてないとでも?あの鈍感なヴァインさんでさへ気にかけているのだぞ。
わかるわ!!
「いや、俺もロツォンさんに会いたいと思っていたし、良かったら一緒にどうかなって」
「ああそういうことね。うん、そうだね、いいんじゃないかな、どちらでも」
なんとも歯切れの悪い返事が変えてくる。
おいおい、ひと夏の恋って感じじゃないぞ。がっつりですよ。
このまま学園に帰らないってなったらどうしよう。
アーク王子に土下座でもしにいこうかな。
「クルリ!」
ヴァインが珍しく慌てた顔をしていた。何事だろうか、これ以上イノシシには対処できないぞ。
ヴァインが視線でさし示す方向に、ロツォンさんがいた。
どうやら我が家の玄関まで来ているようだ。
渦中の人キターーーーーー!!!
慌てふためいていると、アイリスがこちらに来た。そして、見る。その人を。
今度はアイリスが急に慌てふためき、珍しく髪型を気にしだした。
「ねえ、クルリ、私の髪変じゃないかな!?」
「変じゃないよ!でも、なんか珍しく隈ができてる!」
アイリスのドキドキがこちらまで移ってきて、俺も言葉がキレッキレだ。
「えっ!?どうしよう。どうしよ」
あーあーと声をあげ部屋を走り回るアイリス。
落ち着いてくれ、こちらまでそわそわする。
その時、運命のチャイムが鳴った。
家のチャイムでこんなにドキドキしたのは初めてだ。
えっ、俺も恋してるの?
高鳴る心を抑えて、玄関へ行った。
「やぁ、ロツォンさん」
ドアを開けるとそこには変わらぬ凛々しい男、ロツォンさんがいた。
あれ?確かに顔を見ると、かっこいかも。
いや、普通にかっこいいよロツォンさん。年は20代前半かな?なんだか大人の男って感じがするよ。
もうアイリスとくっついちゃえばいいんじゃないかな。
二人ともいい人だし。
「おかわりないようで、クルリ様」
「ああ、そちらも」
「今日は別荘地の経営についての定期報告に来ました。クルリ様がいる間は頻繁に足を運ぼうと思っていますので、よろしくお願いします」
「それは助かるよ」いろんな意味で。
「そういえばこの間の報告書も良くできていた。特に会計についての書類はどれも出来が良く、内情を良く知れた。現場はロツォンさんがいるから特には心配していない。お金の動きについての報告は本当に助かるよ」
「ありがとうございます。では、これからも会計書類についてはより力をいれておきます」
ロツォンさんに家に上がってもらい、今日持って来た書類を一緒に確認した。
その間、後ろの物陰からのぞく人物が一人。
家政婦のアイリスさんは見ている!!
いや、家政婦ではないけれど。
ヴァインはこの空気に耐え切れずに逃げ出したようだ。
報告が始まり、様々な書類が取り出される。アイリスはまだこちらに来ないようだ。
「クルリ様、集中して聞いてくれていますか?」
「ああ、すまない。続けてくれ」
「はい、経営状況は全体的に上々で・・・」
ロツォンさんの話は要点がまとまっており、非常に理解しやすいものだった。
しかし、いまいち頭に残らない。
なぜなら後ろにいるアイリスが何度も出て来ようとして、引っ込んでいく気配を感じているからだ。
これは俺がフォローしておいた方がいいのか?
「ちょっと待って」話し続けるロツォンさんを遮り、俺は振り返る。
「アイリス、ロツォンさんが経営報告をしてくれているけど、会計知識の勉強にもなる。よかったら一緒に聞かないか?」
「へっ!?」
呼び止められて、どうしようかなーなんてつぶやくアイリス。
「ほら」急かすと、ようやくアイリスもきた。やけに足取りが軽い。
ロツォンさんと俺が向かい合って座っており、アイリスは俺の隣に座った。
素直に好きな人の隣に座れない辺りがもう、なんだかなー。
結局アイリスは俺以上に話が頭に入っておらず、しかもなぜか俺の方ばかりを見る。
「では今日の報告は以上になります」
「ああ、ありがとう。ロツォンさんのようなできる男がいて助かるよ」
「クルリ様のような人がいるからこそですよ」
「いや、ロツォンさんはすごいです!」
割って入るアイリス。ようやく絞り出した一言のようだ。
あまりの勢いにロツォンさんも「はぁ」とうなずくだけだ。
恋する乙女は不器用だな。まぁ猪突猛進だから仕方がないのかもしれない。
「私はこれで帰ります」
えっ、とほとんど声にならない言葉でアイリスが反応した。
・・・仕方がない。
「ロツォンさん、良かったらもう少しゆっくりしていってよ」
「いえ、私は仕事もありますので」
「まぁまぁそう言わずに」無理やりに肩を押して、椅子に座らせる。
「じゃあなんか食べ物をとってくるから、二人で何か話してて」
「・・・それではお言葉に甘えさせてもらいます」
控えめなロツォンさんと、上がりっぱなしのアイリス。
二人っきりにしてもいいものかと思ったが、まぁいいんじゃね?と半ば放り出して、俺は部屋をでた。
「クルリも逃げてきたのか」
外の空気を吸うために出ていくと、ヴァインが剣を振っていた。
「ああ、二人にきりにしておいた。邪魔者はいないほうがいいと思って」
「クルリはいいやつだな」
「そうでもないよ」なんたって逃げてきたのだから。
「二人は上手くやれるだろうか」心配そうにするヴァイン。
「確かに」
それならばと、二人で窓際へ行き、ひょこっと顔だけ窓ぶち内に入れ、中の様子を覗いた。
二人の会話までは聞こえないが、なんだか楽しそうに会話はしていた。
アイリスの笑顔がまぶしい。アーク王子が夢にまで見た笑顔がそこにはある。どんまい、王子。
「楽しそうだな」
「うん」
「心配しなくてもよかったな」
「そうだな。ところで、俺たちは覗いてていいのかな?」
「いい趣味ではないな」
「じゃあ、剣の稽古でもする?」
「そうしよう」
息があったので、久々に二人で剣の稽古をした。
ヴァイン曰く体を動かすと考えずに済むとのことだ。
その言葉の通り、純粋に剣の稽古を楽しむことができた。
「クルリは剣の腕もすさまじいな」
「ヴァインこそ」
お互いに愛剣を取り出し、夢中で何合も打ち合った。
ときが経つのも忘れ、自分たちの体力が続く限りそれは続いた。
そうだ、男はやっぱりこうでないと。
うだうだ考えるのはやめた。やりたいことをしよう。それが一番幸せだ。
ヴァインとの剣の稽古は決着がつかず、お互いの息が切れてきたころに自然と終わりをむかえた。
「いい稽古だった」
「ああ」
お互いの息が切れて、まともに会話もできない。でも、なんだか楽しい。
やぱっり体を動かすのはいいことだ。
お互いの健闘をたたえあった後、横から拍手が聞こえた。
目をやると、アイリスとロツォンさんがそこにはいた。
「ロツォンさん、もう帰るんだって。それで二人で出てきたの」
「ええ、今日は随分と長居を致しました。私はこの辺で帰ります」
「そうですか。またいつでも来てください」
気づけば結構時間もたっていた。二人で充分話したのだろう。アイリスの顔は満足そうに見える。
仕事があると言うロツォンさんを見送り、3人で屋敷の中へと戻った。
あまり聞くのは良くないかと思ったが、一言だけならと。
「ロツォンさんとはいろいろ話せたみたいだね」
「うん、でもクルリの話ばっかりするんだよ。クルリが昔何をしたとかそういう話ばかり、ずるいよっ」
指をバシッとこちらに差し、プ~と頬を膨らませて、若干の不満顔を見せている。
なんだ、随分と楽しめたようではないか。
「ははは、さぁいっぱい動いてお腹も減った。シャワーを浴びたら夕飯にしよう」
「うんっ」
アイリスは元気に頷いた。
その顔は今朝と比べて随分と晴れ晴れとしている。大分スッキリしたようだ。
今日は久々におかわりしてくれそうな気がする。