3章_1話
澄んだ水の流れる小川が見えた。
夏にもかかわらず、森から流れてきたその水はすごく冷えているように見える。
水に濡れた岩などが遠目からは輝いて見える。
小川に近づき、馬車を止めた。
靴を脱ぎ、川に入る。
思った通り冷たくきれいな水だった。時間は午後2時ごろ。一番熱い時間帯故に、冷たい水が心地いい。
ああ、帰ってきたんだ。この綺麗な自然がそんな気持ちにさせてくる。
辺りを見回すと、徐々に緑が綺麗な土地に入ってきていた。
「ここがヘラン領だ」
遅れて馬車から降りるアイリスと、ヴァインに説明するように口を開いた。
「きれいな川ね。きゃっ冷たーい」
そう言ってアイリスも小川に足を踏み入れた。
「これはいい魚がいそうだな」少し違う観点からヴァインが指摘するが、それも正解である。
綺麗な小川にはちらほらと視認できる魚がいた。
俺は手に水を一杯救い、それを一気に飲み干した。
火照った体を内側から一気に冷やしてくれる。混じりけのないきれいな水がこれまたおいしい。
それに倣うように二人も水を飲んだ。
「おいしいー!」「いい水だ」
二人の喜んでいる顔を見てなんだか俺まで嬉しくて、たまらなくなってきた。
「ああ、ようこそヘラン領へ!」
「ステキなところね」
アイリスが目を輝かせながら言った。
彼女にとっては憧れの地なのだ、きっと輝いて見えるのだろう。
なんだか一生懸命接待しなくては、と言う気持ちにさせる。
「しばらくここでのんびりしていきたいな」下半身をどっぷりと水につけてヴァインがいった。
よく見ると彼の方もとても目を輝かせていた。
あれは遊び盛りの少年の目だ。
「よかったらここで一泊していこう。夜は冷えるけど毛布はある。食事も川魚を焼けば美味しくいただけるだろう」
「賛成!」アイリスが川の中で飛び跳ねて手を挙げた。
「ようし、そうと決まれば早速釣り道具でも作ろうか」
まずはヴァインに釣り竿の代わりになる木の枝を探しに行ってもらった。
すぐ近くに林があるので、難無く見つかるだろう。
俺とアイリスは馬車の荷物から釣り糸、針になりそうな物を探した。
針は鉄を加工することですぐに作ることができた。
先っちょを削り、尖らせれば問題ないだろう。かえしがないのは若干不安だが、そこは釣り技術でカバーと言うことで。特にヴァインは見るからに釣りの熟練者だ。問題ないだろう。
釣り糸は白色の糸が見つかったので、それで代用することにした。
うーん、出来はいまいちだが、まぁぎりぎり合格かな。
そうしていると、ヴァインが釣りに最適なサイズの木の棒を3本持って帰ってきた。
流石は頼れる男だ。
早速糸を結び付け、自前の釣り竿が完成した。
餌は持っていた乾燥肉を括りつける。
肉を魚が食べるのか?と思ったが、ヴァインが「匂いがあればあいつらはなんでも食べる」と力強くいったので不安はすべて消えた。なんという頼もしさ。
俺は一番大きな岩の上に上り、糸を垂らした。
じっくり待つ作戦だ。景色が綺麗なので、それも同時に楽しむには最適な場所だった。
アイリスは川の端で、釣り糸を垂らした。小物狙いだそうだ。そして足を川の中に入れている。
釣りと川の気持ちよさを両方楽しむ魂胆だ。
ヴァインはと言うと、腰のあたりまで浸かる深い位置まで行き、そこから釣り針を投げた。
目に全く余裕がない。ガチの人になっている。
それを見ていた俺とアイリスが若干の申し訳なさを感じ、「俺たちもそっちに行って手伝おうか?」と聞いたが、「いや、これが俺の楽しみ方なのだ。それぞれ好きに楽しんでくれ」と言う返事が返ってきた。
ガチだけど、それが楽しいみたいだ。
それならばと、俺も遠慮することなく自分の釣りを楽しんだ。
岩場に肘をつけながら寝転がる。乾燥肉をしゃぶりながらじっくりと、ゆったりと獲物をまつ。
なんとも贅沢な時間だ。
木陰に入れているので涼しい。景色が綺麗なので心が癒される。
「あー、しあわせだー」
「ふふ、今のおじいさんみたい」
岩の下、俺の視線から斜め左下のアイリスが声をかけてきた。
どうやらさっきの俺の言葉がおかしかったらしく、少し笑っている。
「ここはまだヘラン領の端っこだけど、きれいな場所だろ?」
「うん、中心地はどんなだろう?クルリのその自信たっぷりな顔を見るときっといいとこなんだろうね」
「ふふん」
「花園があるのよね。それに囲まれた温泉かー、すごいだろうなー。私正気を保ってられるかな?」
「しかも夏は避暑地もある。最高だよ」
「最高だね」
アイリスはニコッと笑う。会話が盛り上がって来てはいるが、肝心の魚はつれない。
しばらくして、アイリスとの会話も止んだころ、竿に若干の違和感を感じた。
あれ?これ食いついてる?
すぐさま体を起き上がらせ、竿を引いた。
魚は見事に食いついており、しかも結構な大物だ。
嬉しくて急いで糸を手繰り寄せた。
その瞬間、チャポン!魚が呆気なく針からのがれ、そのまま逃げ去った。
「ありゃりゃりゃ」横からの残念がる声を聴いたが、俺はそれ以上に落ち込んでいる。
かえしがないとこうも難しいものなのか。
「あー、やっぱり素人には難しいのかな」
「私なんかまだヒットもしていないからすごい方だよ」
「あーあ、今の見た?結構大物だったよね?」
「うん。大物だった」
あー、やっぱり見間違いではなかった。
もったいない。あー、もったいない。
でも、なんだか一度ヒットしたことでやる気がわいてきた。
再び干し肉を針に着け、糸を垂らす。
さぁ次こそ釣り上げよう。
しばらく待ち、今度はアイリスにヒットが来た。
針に食いついた魚が暴れまわり、水の上に跳ね出た。これも大物だ。
「落ち着いて!」
「うん」
アイリスは落ち着いて糸を手繰り寄せる。かえしがないことはわかっている。
その手つきは先ほどの俺の失敗を糧に、すごく慎重なものになっていた。
しかし無情にも、チャポン!という耳障りの言い音とともにまたも魚が逃げ出した。
「あーーー!」顔を覆い悔しがるアイリス。
その傍でおれは、笑っちゃいけないと思いながらも、なんだか笑ってしまった。
真剣にやりながら最後は俺と同じように逃げられたのがなんだかすごくツボにはまってしまった。
結局それからアイリスと喋りながら、日が傾くまで糸を垂らした。
何度か来たアタリも、結局は手元までは届かない。
「ねぇ、ヴァインは?」
アイリスから投げられた質問にあたりを見まわす。
あれ!?いない。そういえば二人で釣りと会話に夢中になりヴァインのことを忘れていた。
深いところも行っていたし、流されたりしてないよな!?
そう思うと急に不安になってきた。
釣り竿を置き、ヴァインを最後に見たあたりの場所に入る。
そこは腰まで水に浸かる。
川の流れは穏やかので、流れることはないと思うが・・・。
それでも最悪の事態を考えるとどうしても不安になった。
「ぶーわしゅ!」突然目の前から謎の音が聞こえ、目をやると全身ずぶぬれのヴァインがいた。
どうやら川に潜っていたらしい。
「よし、こんなもんで足りるだろう」
そう言ったヴァインの手にはいつの間にか麻袋が握られていて、その中には魚と思われるものが数匹暴れまわっていた。
心配無用だったようだ。
それよりも、収穫のない俺たちと違いあの大漁。流石だよ!
外の空気もも冷えてきたので3人とも川から上がり、たき火を起こした。
俺とヴァインは服が濡れたので、それを抜いだ。
馬車にある着替えをとり、それに着替える。冷えた肌に渇いた服はすごく温かく感じた。
「あれ?ヴァインは着替えないのか?」着替えずに上半身裸のヴァインがいたので聞いてみた。
「ああ、俺は乾いたらまたこれを着るからいい」
流石は山籠もりをしようとしていた男である。服を着替えた自分がなんだかすごく女々しく感じる。
日が沈むころ、ちょうど焚火の火も起き上がった。
木くずを結構集めたので、火はそれなりによく燃えた。
ヴァインはその傍で服を乾かし、体を温めている。若干ぶるぶる震えているので、服を貸そうとしたが、「いやこの寒さがまたいいんだ」と断られた。
変な性癖でもあるのだろうか。ちょっとだけ怖い。
従者も呼び、4人で今日獲った魚を焼いた。
香ばしい匂いが立ち上て来る。一日動いたので空腹もすごいことになっていた。
最高のスパイスが添えられたも同然だ。
魚が焼きあがると4人でそれにかぶりつく。
会話もなく、ただただ食す。
旬の魚なのだろう。脂がのっていてとてもうまい。
最期の一口になった瞬間の名残惜しさはとてつもないものだった。
「あー美味しかった」食い終わると同時に俺はその場に背をつけて寝転がった。
続いて、ヴァイン、アイリスも寝転がる。
従者は毛布をとってきてくれて、自分は馬の近くで寝ると伝えて去った。
その場で3人で毛布をかぶり、空を眺める。
空もまた星を遮るものなど一切なく、さんさんと輝く星々が目に見えた。
「きれー」
アイリスが感情のこもった声を発した。その顔は食後の満足した顔と、純粋にこの場を楽しいんでいる顔に見えた。
寝転がってきれいな星を見上げる。確かに贅沢な時間だ。
「アイリスもきれいだ」
「なっ!?」「へっ!?」
突如ヴァインから投げられる爆弾に俺とアイリスが爆破された。
それでいて当の本人は星に向き直り、「星もきれいだ」とか呑気なことを言っている。
ぽーと顔を赤らめるアイリス。
ヴァインには下心がない分余計にたちが悪い。彼は純粋に思ったことを言っただけなのだ。
だからこそアイリスもうれしくて、毛布で顔の半分を覆っている。
流石だよ!野生児のヴァイン君。
そりゃモテるよ!!
グー。
こちらが興奮冷めやらぬうちにヴァインは眠りについてしまった。
なんとも心地のいいイビキである。
彼は今日一生懸命魚を捕まえてくれたのだ。ここは多めに見てあげよう。
「ヴァイン寝ちゃったね」
ひょこっと毛布から顔をのぞかせて、アイリスが小声で言った。
「ああ、幸せそうだよな。クロッシがいなくて寂しいんじゃないかと思ったけど、存外一番楽しんでいたいな」
「そうだね。私もあんなに素直になれたらいいのになー」
「それは俺も時々思うよ」
「ふふ、クルリはクルリで幸せそうだけどね」
「なんだよ、なんかバカにされてる気がする」
「そんなことないよ。じゃあ、私も寝るね」
「あっ、逃げたな」
ふふっと少しだけ笑い、アイリスも眠りについた。
徐々に静まる景色を眺めながら、いつのまにか俺も眠りについた。
綺麗な夜空を眺めていたおかげか、翌朝はみんなスッキリと目覚めることができた。
馬車に乗り、再び我が家をめざす。
領には既に入っているので、屋敷にも今日中には着くはずだ。
街道を馬車がリズムよく進む。
次々に街が見え、人が踊り出てくる。
「クルリ様だ」「クルリ様が返ってきた」「若様だ」「やったもう大丈夫だ」
馬車を止めることなく、そのまま進んだが、どうやら領民には歓迎されているらしい。
いくつか街を通ったが、どこも似たり寄ったりの声が聞いてとれた。
よかったよ、忘れられた存在になったらどうしようかと心配していたのだ。
しかし、やけに領民が大げさに騒いでいたのが気になる。
それだけ愛されてるっていう認識でいいのかな?
まぁそれでいいや。
そして、昼前に馬車は屋敷に着いた。
そこには以前と変わらぬ堂々とした我が家がたたずんでいる。
まぁこんな短期間に特に変化があるわけもない。
馬車から降りて、俺はヴァイン、アイリスの二人とともに久しぶりの我が家に戻った。