2章_15話
「んー」昨晩は良く眠ることができ、目覚めがすごくよかった。
両手を突き上げ、体を引き延ばして全身に血液を循環させる。朝に味わえる数少ない気持ちのいい出来事だ。
窓の外を見るときれいに晴れ渡っており、雲一つない晴天が広がっていた。我が部屋は日の入りが良く、外の晴天の恩恵を存分に受けている。なんだか目覚めからポカポカするのもそのおかげのようだ。
いつも授業開始時間までにはゆとりと持って起きているため、今朝も少しばかり外の景色を楽しんだ。
目が冴えて、体も動きだしたくなっている。そろそろ起きるとしよう。
服を着替えて、朝の紅茶を楽しんだ。なんだかこれも不思議といつもより美味しく感じる。
今日はいい一日になる。そんな気持ちにさせてくれる朝だった。
そんなことを考えていると、お腹から幸せな音が聞こえてきた。グー。
どうやら食事を欲しているらしい。食堂へ行くとしよう。
食堂へ向かうため玄関へ行くと、ドアがちょうどノックされた。
こんな早朝からやってくるのはヴァイン辺りしかいないのだが、ノックの音がやけに優しい。
ちょっと不安になりつつも、ドアを開ける。
「来たニャ」
「呼んでません」そっとドアを閉じた。
「オッと、待つニャ」ドアが完全に閉まらず、最後の部分で抵抗感があった。上、下と見て、ドアの隙間に猫先生の足が挟まれていることに気が付いた。
すぐさまこんな行動がとれるあたり、慣れた仕事だと思われる。
ただ物じゃない、いや、姿からそうなのだけれど・・・。
「何しに来たんですか、こんな朝早くから」
「まぁとりあえず入らせてもらうニャ」
ちょっとだけ玄関で押し問答があり、結局押し切られた。決まり手は寄り切り。くっ、なかなか強い!
「変身魔法の方はどうニャ?活用してるかニャ?」
「ええ、役に立っていますよ。この間も使ってみました」
ん?役に立っているのか?危なく殺されかけたけど・・・。
「そうかニャ、それは良かったニャ。で、話があるニャ」
なんだか猫先生の雰囲気がガラッとからり、よからぬ話が飛び出すのは目に見えた。
聞く前に逃げようか、でもドア方面は猫先生が陣取っており、振りきる必要がある。はたして逃げ切れるだろうか。
「逃がさないニャ」
読まれたか。
「アタイの変身魔法をクルリ坊やに教えたニャ。あれは秘伝の大切な魔法ニャ。おいそれと教えることのできる魔法ではないニャ」とても恩着せがましい言い方だ。何かを突き付けられるな。
「それはとても感謝しています」
「でも、ただで教えてもらえるほど、世の中そんなに甘くないニャ」
「・・・」
猫先生の目が鋭くなり、ちょっとだけ怖い。もう黙って聞くしかない。小指をとられるのだろうか。
「クルリ坊やには魔法を伝授したニャ、その恩を今返してもらうニャ」
「何をすればいいんですか?」
「アタイに変身して授業を代わりに行うニャ」
「俺がですか?無理ですよ!」
「大丈夫ニャ。今日は座学ニャ。黙ってみんなに書物を読ませていればいいニャ。授業なんて適当ニャ」
・・・それでいいのか、猫先生!
「でも、大丈夫ですかね」
「大丈夫ニャ。アタイみたいに上品に振舞うのは無理だと思うけど、きっとそれも違和感くらいで終わるニャ」
俺に品がないとでも?
「んー、大丈夫かな?そういえばその間、猫先生はどちらへ?」
「春が来たニャ、外が温かいニャ。生物が暮らすには一番いい季節ニャ。体力が余るニャ」
なんだか何を言っているのかわからない。
「いや、だからどちらへ?」
「わからない子だニャ。温かくなってムラムラするニャ」
「・・・はい」
それ以上は聞かないことにした。興味がない訳じゃない、むしろめちゃめちゃ興味深い。
でも感情を押し殺した。それが無難だと悟ったのだ。
「今回だけですよ」
「わかったニャ。感謝するニャ、それにちゃんとお土産は持って帰るニャ」
「はいはい、期待して待ってます」
いい一日になるはずが、すごく大変な一日になった。
ばれたらどうなるのだろうか。と言うより、俺が授業に出れないではないか。
「授業は出てることにしとくニャ」という不正の恩恵にあずかることになったので、そこは解決した。
一応隣のヴァインの部屋に行き、「今日は体調が悪いので朝の授業は休む」とだけ伝えておいた。
授業の開始チャイムがなり、C組の教室に生徒が全員集まった。
俺は教室にいるのだが、変身魔法で猫先生の姿になっている。誰もツッコまないので問題のない格好なのだろう。
授業が始まっているので、全員の顔がこちらを向いていた。まずい、授業の開始時って何を言うんだっけ?
「じゅ、授業を始めるニャ」
猫先生ってこんな感じだろうか。
教室がやけに静かな気がする、・・・みんな真面目に話を聞いているだけか。ちょっと冷静にならないとな。いちいち気にしていたら心がもたない気がする。
「教科書を開くニャ。今日は性質変化魔法の理論について学ぶニャ。とりあえず自分で読んでみるニャ」
俺の指示通り、全員が教科書を開いて読み始めた。
よかった、今はまだ怪しまれていないみたいだ。みんな集中して読んでいるので、これでしばらくは大丈夫な気がする。
それからしばらくして、ずっと教壇にいるのもおかしいかなと思い、教室を周ることにした。この方が何かあると生徒も質問しやすいだろう。
早速ウロウロしていると、机の角に腿を思いっ切りぶつけた。
「おふっ」ガッと、鈍い音がして、同時に変な声が出てしまった。
猫先生の体は幅があるので、いつも通りに歩くとぶつかってしまう。
これは予想外の出来事だ。一瞬あまりの激痛に魔法が解けかけた。
「大丈夫ですか?」
ぶつかった机の女生徒が心配そうに声を変えてくれた。
「大丈夫ニャ。邪魔をしてすまないニャ」
「でもすごい声出てましたよ。男の声みたい」
「ちょっと失礼よ」と隣の子が注意し、なんとか事なきを得た。しかし、危なかった。非常にあぶなかった。
ぶつかった直後もそのまま歩を進めた。
今度はぶつからないように注意して歩く。・・・まずい、思った以上に自分の歩き方がたどたどしい。
違和感丸出しだ。ぶつかった時点ですぐに教壇に引き返すべきだったな。
「先生」こんな時に限り、声はかかってくる。
「どうしたニャ?」
「ここの部分がよくわかりません」
腰を折って指さしている部分を見た。ああ、これか。
すぐにわかる内容だったので答えてあげた。
「ああ、そういうことなのですね。すごくわかりやすいです」
それを見ていた隣の生徒が、じゃあ私も、と声をかけてきた。
またも初級的な質問だ。
これもちゃちゃっと答える。
これ以降一気にダムが崩壊したように質問ラッシュが来た。A組の理論授業は静かなものだが、C組はそうもいかないらしい。これはこれでいい気もするが。
「すみません」そんなとき聞きなれた声を聴いた。
クロッシだった。ああ、そういえばC組だったな。
「ここよくわからないのですが」
指された場所を確認する。ああ、これか。
「これはこう解釈すればいい。ちょっとページを戻ってみて」
「先生、言葉が・・・」
「・・・」
やってしまった。慣れたクロッシ相手だったので、ついリラックスして素が出てしまった。
これは非常にまずい。毛の奥の素肌から汗がスーと垂れるのを感じた。どうしよう。
「・・・愛嬌ニャ」苦し紛れのいいわけだ。
「愛嬌?あれがですか?」
「あ!!もうこんな時間ニャ。みんなそろそろ授業を終えるニャ!」
ドカドカと机にぶつかりながら、教壇に戻った。すごく痛い。
「じゃあ解散ニャ。ページ134-241は良く復習するニャ」
それだけ言い残し、すぐに教室を出た。
さっさと帰ろう。まだバレた訳じゃない。逃げ切ったら勝ちだ。
「先生!」
逃げたように教室を出たわけだが、一人の生徒が追ってきたようだ。
この声は間違いなくクロッシだ。恐る恐る振り返る。
やはりバレてしまっただろうか。
「先生、腿の部分が剥げています」
指さされて、腿の部分を確認すると、小さな一部分だけ人間の素肌に戻っていた。
「・・・じゅ、十円禿ニャ」
「十円禿!?先生ストレスでも溜まっているのですか?」
「そうだニャ。教師は大変だニャ」
「がんばってください。今度専用のクリームをあげますね」
「ありがとうニャ」
優しい子だ。
でもね、猫先生はストレスは溜まっていないよ。むしろ発散させに行ってるから。
ストレスが溜まっているのは俺の方です。