8章 15話
多くの貴族や大商人、更には名のある冒険者までもが遠路はるばるヘラン領主の屋敷を訪ねてきては、俺に自治領主就任の祝を述べる日々が続いた。そんな中、一人の少年がおれを訪ねてきた。鍛冶屋をエリーと共に営んでいた頃に剣術の弟子入りをしてきた少年ライオットである。
「師匠、お久しぶりです! 」
貴族の息子であり、母親がかなり商品を見る目のある人だったことが印象的だ。その知的な母親に負けないくらいライオット少年にも情報通という強みがあった。自治領主に就任して以来いろいろな人からの訪問があったのだが、この訪問は本当に嬉しかった。
俺に会えない間も剣術の修行は怠ることなく行なっていたようで、体つきから既に以前のライオット少年ではなくなっていた。
「久しぶりだな。急に街を出てしまって申し訳なかったな」
まずは剣術を見てやれなかった分の謝罪をした。
「自治領様が謝罪なんてよしてください。師匠と呼ばせて貰えるだけで光栄だというのに」
「かしこまる必要はない。鍛冶屋を営んでいた頃のように接してくれると嬉しい」
「本当ですか? よかった。師匠が変わってしまっていて、王都の貴族たちのようになっていたらどうしようと不安だったのです」
王都の貴族は相変わらず評判が悪いな。こんな少年にまで行き届く噂なら誠なのだろう。俺もそうならないように日々自戒しておこう。
「エリーも屋敷にいるぞ。今はエリザ・ヘランと名乗っているけどな」
「あっ、結婚した話も知っていますよ。今日はそのお祝いも込めて来たのですから」
そうだったのか。流石は情報通、結婚程度の情報は既に得ていたか。
「師匠に会えて本当に嬉しいです。母からは失礼のないようにと念を押されましたが、師匠に直接会うと昔と全然変わっていなくて母の忠告などどうでもよくなってきました」
「そうだろう、そうだろう。鍛冶屋を営んでいた頃同様誠実で真面目なお兄さんのままだぞ」
「お兄さん? ああ、そうですね! 」
なに、今の一瞬の疑問は。お兄さんじゃないとでも!? おじさんだとでも言いうのか!
その辺問いただすためにライオットを追いかけまわした。どうやら疑問を抱いたことに負い目があるのか、ライオットは必死に逃げた。
必死に逃げたのだが、とうとう屋敷の門まで追い込んでやった。
「さあ、ライオットよ。さっきの疑問形の件について語り合おうじゃないか」
「師匠! 勘弁してください! やっぱり僕の年齢からみるとみんなおじさんに見えてしまうんです! 」
はい、認めてしまったな! 自治領主様をおじさん呼ばわりした罪深き少年に罰を!! シャー!!
俺がとびかかり、ライオット少年は死を覚悟した。が、直前で許してやった。
門が叩かれて、客人が来たようだったからだ。この罰はまた特訓の時にでも反映させてしまおう。
「ライオット、どうやらまた客人が来たようだ。自治領主就任の祝いにきた貴族様だろう。迎え入れてくれるか? 」
「はい! お任せください」
門はライオットに任せ、俺は屋敷に戻って迎え入れる準備をしようとしていた。そしたら、まさかの状況に突入する。
門から驚愕の叫び声が聞こえてきたのだ。
まるで人間を一口に食べてしまう巨人にでも遭遇したかのような悲鳴だった。声の主はどう考えてもライオットだ。すぐさま剣を握りしめて、俺は門へと駆け付けた。
そこには腰を抜かして座り込むライオットの姿があった。
その奥には、門の淵で顔を隠した大柄の男。
「ぎゃああああ、こ、こ、殺されて焼かれて食べられてしまうう!! 」
「いや……少年。落ち着け。俺はそんなことは……」
「もしくは、生きたまま皮を剥がされて生き血を吸われて、骨までしゃぶられてしまうう!! 」
「だから……俺はそんなことは……」
あはっ!
俺は構えていた剣をその場に落とした。
知っている。めちゃくちゃなほど、この人を知っている。
この不器用な感じ、門に顔が収まりきらない巨体、それに微妙に傷ついたその心の持ち主……ヴァインが来た!!
「ヴァイン!! 」
顔を確認することもなく、俺は友の名前を超え高に叫んだ。
巨体の持ち主は少しかがんで、門の内側を覗いてくる。その不器用な顔にも笑顔が浮かべられていた。
「久しぶりだな、クルリ!! いや、ヘラン自治領主様」
「やめてくれ。ヴァインにそんな呼ばれ方をされたくはない。友達のまま、学園の頃のまま名前で呼んでくれ」
「そうか、クルリ。少し大きくなったが、変わらないな」
「そっちこそ、相変わらず子供を脅迫して」
「脅迫など……、これは、不本意だ……」
あっはははは、笑わずにいられなかった。
ヴァインもは見た目はさらに大きくなって、顔つきも大人びていたが、この不器用な感じがなんともたまらなく懐かしい。全く変わらないと言っても良かった。今日はライオットに続いて、まさかアッミラーレ王国からヴァインまで来てくれるなんて。なんていい日なんだ。
「まさか、ヴァインがいるってことは……」
俺が言い終わる前に、体をずらしたヴァインの後方に護衛に囲まれた女性が一人。
彼女は歩きづらそうな靴をものともせず走り込んで、門をくぐった後には勢い良く俺の胸元に飛び込んできた。
それを力強く受け止める。
「クロッシ!! 」
「師匠!! 」
「ああ、ヴァインに続いて、クロッシにまで会えるとは、今日は神様がやたらと俺にご褒美をくれる! 」
「師匠! 一体何年振りですか! 会いに来てくれると思っていたのに! 」
「すまない! でもこうして再会できたんだから、許しておくれ! 」
クロッシの体を受け止めた勢いでそのまま二人でくるくると回り続けた。しばらくして護衛からの痛い視線に気が付いて、クロッシを放した。
そうだった、彼女は今や一国の女王である。あまり気安く触れるべきではなかったな。
クロッシもどうやら察したようで、ドレスを綺麗に整えている。
それにしてもクロッシも変わらないな。昔よりずっと綺麗で女らしくなっているけど、ヴァインと二人、俺の部屋で体を鍛えていた頃と雰囲気が一緒だ。あの頃のまま、まっすぐで一生懸命で、優しい雰囲気の持ち主だ。
「二人とも屋敷に上がってくれ! どれだけいられるんだ? ずっといてもいいんだぞ」
「着いて早々居られる期間を聞くなんて、師匠……ヘラン自治領主様もせっかちですね」
護衛たちの視線を気にしたクロッシは俺のことを呼びなおした。なんだか、護衛たちがいたんじゃ、再会を存分に喜べないな。
ということで、護衛たちには屋敷への立ち入りを禁止した。
親衛隊隊長のヴァインだけは許可を出し、うるさいやつらはロツォンさんに宿を手配させて温泉ツアーに行ってもらうことにした。
クロッシが大事な政治の話がある、といえば護衛たちも黙って従うほかなかった。
初めてヘラン領の屋敷に上がったクロッシは感心した様子で中を見学していった。ヴァインは来たことがあるけど、前の屋敷とは違うことに気が付いて、彼も感心した様子で屋敷を見ていった。ヘラン領自慢の職人たちが作った屋敷である、存分にくつろいで行くといい。
「いい建物ですね。師匠の素晴らしい人間性はここで構築されたのですね」
そんなに褒めても、地下にある財宝の一部しかやらないぞ!
クロッシとヴァインには席に着いてもらい、とりあえず軽食を出すことにした。話したいことは山ほどにあるのだ。エリザが手作りのお茶と軽食を持ってきてくれた。以前のように彼女はこの家の家事を一人でやってくれている。本当にありがたい存在だ。
クロッシとヴァインとそれほど仲が良かったわけじゃないエリザは、最低限の挨拶を終えると部屋を後にした。
残された二人は何か呆然とした様子だ。
「なにかあるのか? 二人とも凄い顔をしているぞ」
「いえ、言ってもいいものかどうか……」
クロッシが言葉に詰まっている。ヴァインはもはやクロッシに任せるつもりで話す気はないらしい。
「言ってもいいに決まっているだろう。俺たちの間柄でなにをためらうことがあるんだ」
「……なら言わせて貰います。てっきり師匠は、アイリスさんと一緒になるものと思い込んでいましたので、エリザさんを見た時は少し驚きました。なっ、ヴァイン」
「……同意」
ああ、なるほどね。確かにアイリスとは仲が良かったからねー。二人と仲が良かったのもアイリスだったし。でも、最後に選んだのはエリザなんだよね。なんといっても……。
「エリザはあれで可愛いところが多いんだよね。ツンツンしているけど、たまに見せるギャップが凄くいい! 」
「そ、そうですか。それは良かったです。師匠が幸せなら私から言うことはないです」
うむ、幸せである!
「師匠、今も鍛冶師として剣は打っているのですか? 私は学園にいた頃の師匠の姿が懐かしくて何度も思い返していました」
最近は剣を打っていなかったなぁ。でもやめたわけじゃないんだよね。ただ単に忙しかっただけで。それを答えようとした時だった、部屋の隅から声がした。
「……師匠は僕の……」
俺たちはその声に視線を向けた。物陰に隠れたライオットの姿がそこに。
そうだった、二人との再会が衝撃的すぎて、すっかりとその存在を忘れ去ってしまっていた。ライオット続けて言葉を発した。
「師匠は僕の師匠だ! そこの女性、先ほどから師匠、師匠と一体誰の許可を得て言っている! 」
立ち上がったのはヴァインだった。
「そこの女性ではない。こちらはアッミラーレ王国の女王、クロッシ・アッミラーレ様だ。礼を欠いた貴様を生かしてはおけん」
ヴァインは自慢の大剣を抜き放った。
ライオットはクロッシの正体よりも、大剣を抜き放った大男に驚愕した。
再び腰が抜けてその場に座り込む。
ヴァインがゆっくりと歩み寄り、その大剣を振り上げ、そして振り下ろす!
目を閉じたライオットだったが、剣が彼を斬ることはなかった。
もちろん剣は彼の前で寸止めされている。これがヴァインのわかりづらい冗談だ。俺とクロッシは察しがついいたものの、ライオットにはヴァインを理解する時間もなかったため、本当に斬られると思ったのだろう。
いたずらに成功したヴァインは一人楽しそうに高笑いをして席に戻った。やたらと楽しそうに見えるのは、先ほど門のところで叫ばれた復讐もできたからだろうか。きっとそうに違いない。
腰が抜けて立ち上がれないライオットに、クロッシが近づいていく。優しく立ち上がらせて、彼のことを聞いた。
「君の名前は? 」
「ラ、ライオット。ノーリス家長男で、ヘラン自治領主様の弟子である! 」
気力を振り絞り、言葉に力を込めたライオットだった。
「聞いたと思うが私はアッミラーレ王国の女王にして、ヘラン自治領主様の一番弟子である。ふふーん! 」
「なっ!? そんなはずは! 師匠の一番弟子は僕だ! 」
「甘い甘い。私は弟子入りしてもう数年も経つのだ。弟子入り一年にも満たないであろう君の遥か先輩なはずだよ」
「そんなっ! しかし他国の人間が弟子入りだと? 一体どこで? 」
「他国がどうかとか関係ない。師匠の器はそんなに小さくないのだよ。そんなこともまだわからないとは、弟子年季の浅さが見て取れるな」
完全に言い負かされたライオットは固まったままショックをその体で受け止め続けた。
この日は邪魔も入らなったこともあり、クロッシは昔三人でどんなことをして、どんな関係性だったかをことごとくライオットに叩き込んだ。その度にライオットは悔しそうに敗北感を顔に表していた。悔しがる必要なんてないぞ。俺の弟子にそれほどの名誉はない。
それにしても二人から聞く学園の頃の話は面白いのだが、クロッシの話はやたらと誇張されたものだった。
俺はどうやら学園で一番強く、素手でも魔法でも右に出る者はいなかったとか。男も女も魅了して、抱き放題。欲しいものはなんでも力づくで手に入れて、学園の全てを掌握していたとか。とにかく逞しい男だったと主張したいようだったが、完全にねつ造である。
クロッシの話が全部真実だとすると、俺はとんでもないクズ野郎になってしまう。男も女も抱き放題!? やめてくれ。もはや風評被害である。少なくとも男は省いてくれ。とんだ勘違いを持たれてしまう。
だから俺も負けじと二人のエピソードをぶち込んだ。クロッシがいつも人の部屋でトレーニングをしていたこと。ヴァインが羊を生のまま捌いて俺に食わせたこと、いろいろと話した。ドン引きな内容のはずが、なぜかライオットは彼ら二人に好感を抱いていた。本気か!? そんな眩しい目で二人を見るな。クロッシのトレーニングに付き合わされるぞ! ヴァインに生の羊を食べさせられるぞ! 引き込まれる前に戻ってこい! ライオット!!