8章 13話
アーク王子に来訪を待っている間に、思わぬ客人が戻って来た。
俺たちの記憶を呼び覚ますために有料コース、雷の球を叩き込んでから姿を消していた猫先生その人である。姿は美女フォルムであった。茶色い髪の毛には見覚えがある。
猫先生といえば、確か裁判長のポストに相応しい人を連れて来てくれると言っていたが、それはどうなったのだろうか? 見た限り一人きりのようだった。
「猫先生! よく戻って来てくれました。長旅ご苦労様です」
「そうでもないニャ。この姿を使えば馬鹿な男たちがやたら優しくしてくれるニャ。旅も楽勝ニャ」
自慢のバストを突き出して、猫先生は誇らしげに言った。
これは騙されてしまうよな。男たちに罪はない。俺だって慣れ親しんだはずの猫先生だが、この美女フォルムをまだ直視できないでいる。
「裁判長の件なんですが……」
「それは大丈夫ニャ。ちゃんと連れてきたニャ。身なりを綺麗にしたいから後で来るらしいニャ」
「またご丁寧に。猫先生、記憶の件に続いてありがとうございました。川魚はお任せください。存分に用意しておきますので」
「助かるニャ。自分で捕まえてもいいけど、毛先が濡れると痛むのが嫌ニャ。乙女のジレンマニャ」
狩りをするときは猫フォルムに戻るのだろうか? きっとそうに違いない。さぞや目を輝かせて魚を狩ることだろう。
されにしても、猫先生が連れてきた人物というのは誰のことだろうか? 非常に気になる。
二足歩行であるく犬とかじゃないよね!? ああいうのは一人で十分である。
それから待つことしばらくして、猫先生が屋敷の食材を一通り食べ尽くしたころ、屋敷に来訪者があった。
失礼があってはならないと、俺が直接迎えに出る。
そこで見たのは、あまりに意外な人物だった。ちょうど会いたかったし、まさか会えるとは思っていなかった人……。
「……モラン爺! 」
「坊ちゃん久しぶりです。お元気そうで何よりです」
「モラン爺こそ! 全然変わらないよ! 最後に見たまま、元気なままだ! 」
「坊ちゃんは少しばかりまた大きくなられましたな。体も、中身も」
驚いた! 本当に驚いた! 思わず抱きついて、抱き上げて、振り回して、一通りよろこびを表現してしまった。
「はぁー、老体にはきつい歓迎ですな」
「ご、ごめん。つい興奮してしまって」
なんたって数年ぶりの再開なのだ。嬉しさを抑えきれなかった。
「どうしてモラン爺がここに? ていうかなんで今まで帰ってこなかったんだよ」
「まず、どうしてかっていうと、猫先生に呼ばれたからじゃよ」
「猫先生に? 」
ああ、もしかして裁判長のポストに相応しい人物ってモラン爺のこと? ていうか、お二人は知り合いなの?
「そうじゃよ。猫先生にはいろいろ教わることがっての、気がついたら気心しれた存在になっておった」
まさかそんな関係だったとは。
後ろかあら誰か近づいてくる気配があり、振り向くと猫フォルムの猫先生がやって来ていた。
「モラン、よく来たニャ。これがアタイの教え子で、今回仕事を任されたクルリ坊やニャ。で、こっちが紹介したいモラン坊やニャ」
猫先生は改めて俺たちを互いに紹介してくれた。モラン爺を坊やって、一体猫先生は何年生きているんだ?
「猫先生、モラン爺とは知り合いですよ。それももうずっと昔からね」
「そうだったニャ? それは凄い偶然ニャ。さっさと仕事を受けるといいニャ。モラン坊やにピッタリな仕事ニャ」
猫先生の言う通りだ。知識が深く、欲のないモラン爺のようなひとにこそふさわしい仕事だ。これ以上ない人選に思える。流石猫先生だ。
「ワシは臨時で仕事を受けるつもりで来たが、そのうちこの仕事を譲りたい人物も連れてきたんじゃよ」
仕事を受けてくれるから来てくれたのかと思っていたモラン爺だったが、まさかの臨時で? 本命の人物が他にいると?
「ほれ、出てこんか。何を隠れておる」
モラン爺一人だと思っていたが、どうやらまだ連れがいるらしい。屋敷の塀付近でなにやら声が聞こえるのだが、そこに潜んでいるのだろうか。
どうやらそうらしかった。誰かに急かされ出てきたのは、これまた見覚えのある人物だった。そして急かしている人物も知っている人だ。
「ペタルさん! それに、あなたは……エヤン・ドーヴィル!? 」
モラン爺と旅をしていた相手がペタルさんなのは何も不思議ではない。気心してた二人だ、のんびりと面白おかしく余生を過ごす姿は容易に想像ができる。しかし、連れのもう一人がエヤン・ドーヴィルだと!? 元宰相にして、今はその地位を失ってどこへいっていたかもわからない人物。そして彼はなんと言っても、エリザの父親なのだ。なぜそんな彼がいまここにこうして立っているのか?
「久しぶりなり。モランとは挨拶を済ましたなりか? 前見た時よりも大きくなったなりよ。赤い髪があの人を思い出させるなりね」
感慨深く俺を眺めたペタルさん。俺はペタルさんともギュッとハグをして再開を喜んだ。
ここまではいい。ここまでは嬉しい再開なんだが、後一人とはどう感情を共有したらいいのか。間違いなく再開を喜び合う仲ではない。
俺もエヤン・ドーヴィルも黙ったまま何も話そうとしないので、モラン爺が彼を紹介してくれた。
「エヤン・ドーヴィル。元宰相じゃ。惜しい才能を秘めておるというのにつまらぬことでその才能を焦がしていたから拾っておいた。旅の中で鍛えなおしておいた。ワシらの関係はそんなところじゃ」
「もしかして、仕事を最終的に任せるのって、まさかこの人じゃ……」
「その通りじゃよ。今はまだひん曲がっておるが、いいものを持っておる。いずれヘラン自治領を支える太い柱となることだろう。ワシやペタルが頑張ったところで、そう長くは支えておれんからの」
そんなことを言わずにモラン爺たちにはずっと側で支えていて欲しいのだが、事実としてそれが不可能なことは理解している。しかし、代わりに来た人物がエヤン・ドーヴィルだとは……。
この人はダータネル家に破れて以降、ドーヴィル家を崩壊させた人でもある。エリザの身は今こうしてヘラン領で健やかに過ごせているが、本来はこの人が守るべき人なのだ。
なんだかちょっと許せいないような、軽い怒りがわいている。
「クルリ・ヘラン殿。そなたが私にどのような思いを抱いているかなんとなく察しは付いている」
「そうですか。それはご聡明であられる」
「そういった皮肉はやめていただきたい。それよりも、まずあなたに言いたいことがある」
「なんでしょう? 」
「娘のエリザについてだ。エリザがヘラン領主の館にいることは随分前に情報をつかんでいた。しかし不甲斐ない父を娘の前にさらしたくなった故、そなたに任せることにした。そのことについて謝罪と、お礼を述べたい。すまなかった。そして……エリザを守ってくれてありがとう! 」
「……いいよ。その件についてはね。それよりもこれからの話だ。あなたは本当にヘラン領のために働いてくれる気があるのですか? 」
俺の真剣な質問に、今一度答えを整理してエヤン・ドーヴィルは返答してきた。
「モラン殿にであって、己の未熟を改めて教えられた。……旅の間、考えたのは妻のツクシと、娘のエリザのことばかり。己の名誉のために働いてきた私だったが、今は違う。ツクシにとって立派な夫になりたいし、エリザにとって立派な父親になりたい。そのためにモラン殿のもとでもっとしっかり学び取り、そしていずれはヘラン領のために働きたいと思っている」
「そうですか。モラン爺が身分を保証してくれるなら、これ以上の信頼はない。あなた自身にやる気があるならなおさらです。ようこそ、ヘラン領へ」
俺は彼に手を差し伸べ、彼もそれを受け取った。力強い握手を交わして、俺は扉から体をずらした。
「中にエリザがいる。罵られるなり、叩かれるなり、どうぞご自由に」
「……ああ、すまない。ありがとう。中に入らせてもらう」
娘と父親の再開だ。お邪魔虫の俺たちは退散するとしよう。
モラン爺とペタルさんを連れ出して、俺たちは並びながらこれからの話をした。モラン爺は主に実務とエヤン・ドーヴィルの教育をメインにやってくれるらしい。ペタルさんは手が空いてしまうとのことだ。
「ペタルさんって植物に詳しいでしょ」
「そうなりね。花とは特に好きなりよ」
「じゃあ、いいところがある。ギャップ商会では大規模な農園で薬草を作っているんだけど、そこで働いてみる気はないか? 」
「面白そうなりね。そこに行ってみるなり」
ペタルさんの道も決まったことだし、一旦はまとまりが付いた。トトとペタルさんはなんだかいいコンビになりそうで楽しみでもある。ヘラン領にまた新しいものをもたらしてくれる日も近いかもしれない。
せっかく二人の賢人と並んで歩いているので、ちょうどいいと思い、悩みを相談してみることにした。
「モラン爺、それにペタルさん。つい先日の事件なんだけど、魔導列車が襲撃された事件を知っているかい? 」
「もちろんじゃよ。クダン国中に知れ渡った情報じゃからない。情報の中には坊ちゃんが死んだというものもあったからハラハラしたものじゃ」
本当に!? どこの新聞社だ、それ。デマ情報はご法度ですよ!
「この通りピンピンしておりますので、ご心配なく。その襲撃グループの主犯が言っていたことがちょっと引っかかっていまして……」
「犯人の言葉に耳を傾けなさるのか、それでどんな内容かな? 」
「主犯の男が言うには、このヘラン領がこれからどんどん栄えると同時に敵も増え続けるらしい。その通りだと思う。俺自身が被害を受ける立場なら別に構わないのだが、今回のように魔導列車が襲撃されたり、領民に被害が出るのは良くない。嫉妬や恨みを原因とする凶行を上手いことかわしていきたいのだが、モラン爺にはなにかいい知識解かないか? 」
「残念ながら、かわしきることは不可能じゃろう」
モラン爺でもそういう結論に至るのか。前途多難だな、本当に。
「かわしきらずに、解決する道を探るのが一番じゃろう」
「というと? 」
「柔らかい球になるんじゃよ。それが一番」
余計にわからないな。俺が困った顔をしていると、モラン爺は詳しく説明してくれることにした。
「柔らかい球になれば、理不尽に突っ込んでくる相手を上手に吸収できる。しかも自分も相手も無傷で跳ね返すことができる。常に柔軟な頭を持つことじゃな」
「相手が尖がっていた場合、突き破られてしまう」
「ほっほほほ、じゃから面の皮は分厚くなくてはならん。そして常に新しい知恵を吸収して古い皮を脱ぎ捨てる必要もある。この地はあなたがそうして守っていかなくてはいかないんじゃよ」
「随分と大変な仕事だ」
「そうじゃろう? じゃからあなた様が苦労しないように自由な道を与えたというのに、全く元の鞘に戻ってしまって」
ああ、確かにそうだった。モラン爺は俺とエリザに自由に生きる道も示していたんだったよな。それをまんまと戻って来たのだから、モラン爺の言う通り真面目に頑張り続けるしかないのかもしれない。
「わかりました。もう文句は言いません。柔らかい球であり続け! 面の皮は分厚く! 川が劣化しないように新しく進化し続けよ! クルリ・ヘラン、モラン爺の教えを守ることを約束します」
「ほっほほほ、楽しみにしておりますぞ」
大事な話は済んだことだし、残りの時間はモラン爺たちの旅路について聞いていった。
面白い話が聞けそうだと思っていたが、案の定旅の話は面白かった。特に二人で盗み食いをした話は面白かった。何やってんの!? 後日お金は払ったらしいけど、どうしてもやってみたかったらしいのだ。まるで若き青年たちの旅話のようだった。
「そうだ、モラン爺ってさ、医学の本を書いたことがあったりする? 」
「ああ、あるよ。もうだいぶ昔に知識をまとめたくて書いたことがあったな」
「やっぱり。その本を今も大事に読みほどいている友人がいるんだ。屋敷にいるし、戻ったらいろいろ質問に答えてやってくれないか? 」
「もちろんじゃよ。そうか、あの本を今の時代に読んでくれている人物がまだいようとは。嬉しいね。語り合いたいことはこちらにもあるんじゃからな」
「内容がかなり難しくて、疑問点が多いらしい。まったく、医学の知識まで持ち合わせているなんて、モラン爺は底が知れないよ」
「腰が痛くての。それが一番最初の動機じゃった。気が付けば医学の本を書きだしていたのはもう昔のことじゃのう」
「そんな動機で!? 」
「動機は意外とあっさりしたものが多いものじゃ」