8章 11話
全く俺の人生というのはことごとく進んでは躓き、死にかけてはしぶとく生き返る。その生命力やもはやゴキ……おっと自分を不快なもので例えることはやめておこう。
今回だってそうだ。敵対する人物にまんまと刺されて三途の川を渡りかけてしまった。しかし、こうしてしぶとく現世に帰ってくる。
優しい掌の間隔を頬に感じながら、俺は脳が覚醒した。とても心地の良い感覚だったので、まだ目を開きたくない。またも死にかけたんだからこんな甘い体験くらいしばらく楽しませてもらってもいいだろう。
それにしてもその優しい手のひらの感覚は誰のだろう。
アイリス? うん、十分にあり得る。
エリー? もしかして憎きエリザを打倒して屋敷に帰って来てくれたのかい?
……さて、どちらかな? そろそろ目を開けてもいい頃だろう。
わずかに空いた右目の瞼の隙間から光が差し込む。まだ視界がぼやけているらしい。それでもこのくらいの距離なら判別がつく。この優しい手のひらの持ち主は……。
「レイルかよ!! 」
バシッと手を弾き飛ばして、直後腹に響く激痛のせいで動きがすぐに固まる。
「あっ、うっ……」
「もしかしてエリザさんやアイリスさんと勘違いしたかな? 残念、僕でした! 」
このっ! 狙っていやがったな。怪我人相手に質が悪いぞ。
「任された仕事を受けに来たというのに、来てみると血まみれの君がいるとはね。まぁそこは僕の天才的な手術によって完治させてもらったよ」
「天才的って自分で言うな」
「安心させてやろうという親切心じゃないか。完治後はむしろ前よりも調子がいいはずだよ」
「本当にそうなるなら天才の称号をヘラン領主の名前を持って与えてやる」
「よし、いただき! 」
そこまで自信があると、なんだか信じてしまいそうになる。えっ? 本当に前よりも良くなるの? ならもう一回刺されちゃうよ? いいの?
「随分と眠ってしまったみたいだけど、あれからあったことをいろいろと聞きたいからロツォンさんを呼んでくれないか? 」
「それはダメだね。主治医として許可できない。傷がかなり深く、しばらくは治療に専念してもらう。自治領主就任式もそのため延期して貰った。こんなことがあったんだから、国王様からも延期は当然と言ってくれている」
「そうか、それならしばらく休んでもよさそうだ。そういえば、どうやら俺の記憶はほとんど回復したらしい。昔のことが克明に思い出せる」
「僕との甘い思いでも!? 」
「それはない」
自分が何者で、なぜ鍛冶職人を目指したか、学園で何があったかなど、そしてヘラン領を救うために犠牲になったことも全て思い出した。
そして、エリザ・ドーヴィルについてもちゃん思い出している。
俺たちは没落予定の同志とも呼べる立場であり、俺はそれに親近感を覚えたり、同情したりで気が付けば彼女に花を贈ったりしていた。そして気が付けば彼女の心惹かれていたのだ。
記憶が戻った今ならエリザ・ドーヴィルがエリーと同一人格だということに納得がいく。こんな大切なことを思い出せたなんて、やっぱり記憶を戻して良かった。猫先生の有料コースには感謝しないとな。
「エリザは無事なの? 」
「もちろん。君が助けたじゃないか。この屋敷の中にいるよ。今朝会ったときは随分と穏やかな顔をしていたよ」
「それはよかった」
それが分かっただけで、随分と心に余裕ができる。
「しばらくは療養か。安静にって言っても、ずっとベッドで寝かされるわけじゃないだろう? 何か気晴らしになることでもさせてくれ」
「望みがあるなら考慮してあげてもいいよ」
「うーん、そうだ、あれがいいな。昔の記憶も戻ったし、やはり剣を打ちたい」
「ダメに決まってんでしょ」
「やはりか……。ならば魔法の修行でもしたい。やはり知識が戻ったし、更なる魔法の習得のため……」
「ダメに決まってんでしょ!! 」
き、厳しい。うちの主治医は大変厳しいですよ。
「もういいや。本でも読ませて」
「それくらいならいいよ。何が読みたい? ホラー? 悲劇? 」
「なんでそっち方面限定!? 何か知識が身につくものがいい。魔法習得の本をよろしく頼む」
「読むのはいいけど、練習したりしたらダメだよ。絶対にダメ。もしも練習しているところを見つけたら、以降は僕と共に寝て貰うからね」
「……はい」
絶対に見つからないようにしよう。
レイルが持ってきてくれたのは、彼自身が読んでいる本だった。魔法と医学の融合を目指したもので、結構な分量のある本だった。涎をつけないでね、と言われたのだが、俺が読みながら寝ることを警戒したのだろうか。そんなドジは踏まないぜ。
……はっ!?
呼んで早々眠りについてしまった。
なんだか専門知識が多すぎたのと、やはり回復に体力が持っていかれていることもあり、想像を絶する睡魔に襲われてしまった。
あれ? 本は……。
あー!! 顔の下に開きっぱなしの本が! ま、まずい! 見事に涎を垂らした跡があるじゃないか!
あれだけ念を押されたというのに! 適当に聞き流して、そんなことするわけないだろうってな感じの態度を取ったのに!
破くか!? いや、読込具合からしてレイルの愛読書に違いない。一ページでもなくなれば間違いなくバレてしまう。素直に謝っておく? それが良いかもしれない。しかし一ヶ月いや、もしくは一年近く涎を垂らしたことをレイルにチクチクといじり回される可能性が大きい!
もうすぐレイルが診察にくる時間だ。どうしよう。
慌てて、本を今一度確認した。その中に少し興味深い内容もあった。そうだ、これで行こう。これで行くしかない。
レイルがいつも通り、決まった時間にやって来た。食事も含めて、俺が療養している部屋に立ち入ることが許されているのは彼ただ一人だった。ときたま話し相手が欲しかったりするが、やはり今はとにかく安静が一番だということらしい。
「やあ、レイル! 」
彼が入って来た途端、俺から明るく声をかけた。
「随分調子が良さそうだ。よく眠れたのかな? 」
うっ、なんだか状況を見抜かれているようで心苦しい。
「よく眠れたよ。それもこれも、レイルが差し入れてくれた本のおかげだ」
「おっ? それは意外。てっきり興味をなくしてすぐに飽きるものと思っていたけど」
「そんなことはない。レイルが読み込む本なだけはある。すごく興味深い内容ばかりだ。実に素晴らしい! 」
「そんなにかい? そこまで気に入ったのなら、良かったら新しいのを差し上げようか? 高価な書物だけど、僕としても語り合いたいことがあるから呼んでくれるのはありがたい。クルリ君の視点から意見を述べてくれると非常に学ぶ点が多いはずだ」
「新しいものではなく、これが欲しい! 」
「ん? 随分と読み込んだからところどころ傷んでいるでしょ。いいよ、新しいのを贈るから」
「いいや! これがいい! 俺はこの一冊が読みたいんだ! 」
「あんまり声を張らないで。傷に触るから。いいよ、そんなに欲しいならあげるよ。なんだか様子が変だけど、まあいいか」
よしっ! レイルから愛読書を勝ち取ったぞ!
まだ替えがあるとのことなので、それほど心は痛まないが、それでも大切な本を貰ったんだ。彼への贖罪のためにも、少し内容に触れるとしよう。
「まだ全体を少しずつ読みほどいた程度なんだけど、特に最後らへんに載っていたやつが気になってな」
「もしかして自己治療についてのことかい? 」
「そう、それだ。医師の視点ではなく、患者側の視点に合わせて書かれたところが面白い」
「その章は結構議論が荒れるところなんだけど、僕もその章は大好きだよ」
レイルいわく、医師の中でもどういった点に重きを置いて治療するべきか人によってかなり意見が変わるという。
「僕の考えや、この本に書かれている主張でもそうだけど、治療というのは一番に患者自身が最重要だと考えている。同じ病気になったとしても、人によって治り方が全く違う。それは患者の意思や生命力によるところの差だと思っている。今回のクルリ君の怪我だった普通は死んでいる」
普通は死んでいるって、そんなストレートに言わないで。びっくりするから。
「でも君は帰ってくるだろうなと思っていた。エリザさんが待っているから、帰ってくるだろうと。それは意思であり、それに君にはとんでもない生命力がある」
「ほうほう」
「意思は人それぞれ状況によっても変わってくるが、生命力の方はどうか。逞しい体つき、細い体の人、そういった点ばかりが生命力だと注目されてきたが、僕たちにはもう一つ力があるだろう? そう、魔法を使えない人でもその体の中には魔力が潜んでいる。生命力とは体の強さだけでなく、そういった魔力にも依存するのではないかと考えだされ始めたんだ。それを応用して、己の魔力と治療魔法を自分で内部からかけ続けることで回復がより一層早まるというのがこの本に書かれていることだ」
「ほぇー。なんだか凄いんだな」
「でももちろん否定的な意見もある。治療はあくまで医師がやるものだとする主張だ。僕は自己治療の考えを支持するし、この本もそれを全面的に支持している。ていうか、僕の意見はこの本に影響されたところが大きいんだけどね」
「人それぞれ意見があって面白いな。俺はレイルを支持するぞ。だから俺にも自己治療の魔法を教えてくれ」
「君は暇で魔法を試したいだけなんじゃないのかい? 」
「……いいえ、違います」
「間があったよ! それに敬語!? 」
「そんな考えはありませんので、とっとと教えて下さい」
「本当かなぁ。まぁいいや。基礎だけだよ。教えるのは」
「はい、わかりました」
今回の怪我は既に完治への道が見えていることもあり、レイルはあまり深い知識を教えたがらなかった。
今回は魔力操作からスタート。俺はすでにできるので、その説明は省かれた。あとはその魔力を操作して、怪我の患部を覆うだけだった。
「こんな簡単でいいの? 」
「まだ確立された治療法ではないし、僕が、確実に効果があると思っているこれしかやらせないよ。それに、高度なものは正直疑問点が多い。疑問が残っている限り、患者にやらせるわけにはいかない。疑問点を解消するため、この本の著者に会って直接話しを聞きたいくらいだ」
レイルが話している間、お腹周りがポカポカと暖かくなっていくのが分かった。うん、これは効果あるわ。
「せっかくだし著者に会いに行けばいいじゃないか」
「それがそうもいかない。名前しか記載されていなくて誰だかわからないし、生きているのか死んでいるのかもさっぱりだ」
「それは残念だな。せっかく素晴らしい知識を持った人物だというのに」
「その通りだよ。いつの世も本当に素晴らしい人物は表に出てこないで消えることが多い。はぁー、この本の著者であるモランという方も相当な賢人なのだろう。それなのに調べても詳しい情報は何一つ出てこない」
どこを調べたんだよ。なんか知ってる名だぞ。
「モランってモラン爺? 」
「え? 」
「いや、モランってモラン爺のこと? 」
「はい? 」
「だーかーらー、モランってモラン爺のこと? 」
「……知っているの? 」
「同一人物かは知らないけど、昔ヘラン領の図書室で働いてくれていた人がモランっていう名前の人だった。知識が深く、多くを教わった。ヘラン領の呪いを解いたときもモラン爺に助けて貰ったよ」
「……」
「なに固まってんだよ。同じ名前だけど、同一人物かはわからないぞ」
「その人は今どこに? 」
「わからない。俺とエリザをあの大災害から救ってくれて、繭の中で治療してくれたのはモラン爺だった。その後の行方は知らない」
「探さないのかい? 」
「そういわれてもモラン爺を思い出したのは、このベッドの上で目覚めてからだ。モラン爺は死別した恋人との約束を果たしたから、もうヘラン領には戻らないかもしれないな」
「そうなのかい? なんだか寂しいエピソードだね」
「本当にそうだよ。爺ちゃんのように慕っていたのに……どこ行ったんだよ」
本の著者を探すレイル、ただ会って礼を言いたい俺。
モラン爺の帰りを待つ人がいるのに、記憶のない間モラン爺の名前は一切聞いていなかったな。もしかしたら、もうこの世にいない可能性も……。
この治療室から出たら、ロツォンさんにモラン爺の操作でも頼もうかな? それともモラン爺は放っておいて欲しい? それは見つけ出してから聞いてもいいか。
「そうだ、レイル。言いたいことがあった」
「なんだい? 」
「魔力で傷口を覆っただろう? さっき」
「うん、そうだね」
「なんかね、傷、塞がった気がする」
「そんな……わけ……、え? ちょっと待って? なんで!? なんで傷がもうないの!? 」
レイルは天地がひっくり返ったかのように動揺しまくっている。持てる知識を総動員して俺の患部を検査していくが、やはり本当に完治したみたいだった。
やはり俺の生命力はゴキ……、雑草にしておこう。雑草ほどに生命力が強い!