8章 1話
お久しぶりです。
また書き始めましたのでよろしくお願いします。
目を通すべき書類の山を黙々と片付けていると、書斎の扉がノックされた……。
今いる書斎は俺が一人で仕事をしたいときのためにと、エリーが屋敷の中に用意してくれた部屋だ。デスクの後ろに窓があり、自然光で仕事にかかれるのはありがたい。壁際にぎっしりと並んだ本棚には愛読書や仕事に役立つ参考文献がぎっしりと並べられている。これも部屋の大きさにぴったり収まるものをエリーが職人街から調達してきたものだ。見ていて落ち着く。床にはバラの花模様が美しい生地の良い絨毯が敷かれている。とても踏み心地が良い。心遣いに感謝。そして今しがたノックされた扉の近くには、開閉の邪魔にならないように少し横にずれたところに、二本足で立つ虎の銅像が置かれている。腰には俺が鍛えた剣がさしてあり、視線は俺のデスクを捉えている。……これは完全にエリーの趣味だ。なんでも勤勉のお守りになるのだとか……。しかもおしゃれでいいじゃない? とかも言っていた。仕事中は監視されている気分だし、こうして扉を開きに行くときも虎の銅像が気になるが、苦情は入れていない。なんだかんだ、仕事に集中できている事実があるからだ。これだからエリーの斜め上を行くひと工夫には口出しできない。
書斎まで来て扉をノックする人物は大体決まっている。エリーが食事で呼びに来るか、エリーが暇つぶしに呼びにくるか、エリーがなんやかんやで来るか、もしくは急ぎの仕事でロツォンさんが来るかである。
扉を開けると、いつもと変わらず平穏な顔をしたロツォンさんがいた。どうやら、今回は急ぎの仕事でロツォンさんが来たようだ。まだまだ書類の山が片付いてないのに……。エリーだったら忙しいから後にしてと、頼めば十回に一回くらいは引いてくれるのだが、ロツォンさんの場合は本当に重要な要件だから当然招き入れて詳しく聞かなければならない。
「さ、入って」
「だいぶ忙しそうですね」
中の様子を見て、ロツォンさんがそうつぶやいた。
「誰か手配致しましょうか? 優先度の低いものはその者にやらせましょう」
「いいや、これのままでいい。忙しいくらいがだらけなくて済むというものだ」
今のヘラン領の状況を考えると、少しの堕落が永遠の堕落につながりかねない。それほどに、今のヘラン領というのは……。
「今日はどんな要件? まさか他国の遣いがまた無断で訪れたとかじゃないよね」
「それが、その通りです。また東方にある諸外国から遣いが、しかも王族直々のご来訪です」
「え、それ本当? 」
「本当の本当でございます」
「はぁー」
俺は大きなため息を履いて、ロツォンさんと共に書斎を後にした。
ズバリ! 今のヘラン領の状況を説明しよう。
魔導列車の開発に成功し、クダン国にレールを敷き、その権利の大半を得たヘラン領は今、空前の好景気。その勢いや、飛ぶプーベエを落とす程!
ギャップ商会は薬草の生産地をヘラン領に移し、それに釣られるように多くの商会がヘラン領に本社を移した。最初の制作で作った職人街の商品たちは物が良くなると同時にブランド化もしており、常に品薄状態。ヘラン領にある始発ステーションには日夜商品を満帆に詰め込んだ貨物魔導列車が絶えず出ては戻って、を繰り返している。人は増え、商店も日ごとに増え、土地が足りなくなっては、新しい土地の開発に入る。
クダン国において今や、西の王都、東のヘラン領という立場を得るほどに至っているのだ。
屋敷の地下に用意された金庫は既に金銀財宝で埋め尽くされており、入りきらなかった色とりどりの宝石は近くビンゴ大会でも開いて領民に分配予定だ。
「そんな訳だから!! ダイヤモンド一個くらいでー!! お宅の国を優遇するほど!!ヘラン領は暇じゃねーんだよ!! 」
勢いで尋ねてきた王子に掴みかかってしまった俺を、ロツォンさんが必死に引きはがした。
おっと、まずいまずい、つい熱くなってしまった。
王子の乱れた襟元を直してやり、俺も一度深呼吸をしてソファーに腰を戻した。
大体、この王子が悪いんだよ。
不遜な態度でやって来たかと思うと、挨拶もなしに自国の要求を言ってきて、下手に出ていれば、ダイヤモンドを取り出し、これでいいだろ? 的な顔をしやがって。
東方にある、そこそこ栄えている国の第五王子だ、そりゃ丁寧に扱うのが一番だが、失礼な相手にはこちらも相応の態度で臨ませてもらう。
「きっきみ、失礼じゃないかえ!? 第五王子のこのラブに対して!! 」
王子は、その小柄な体を必死に動かして、抗議の意を示してきた。周りの護衛も少し殺気だっている。
「すみません。ダイヤモンドを見てつい熱くなってしまいまして。こんな親指の爪ほどもある特大のダイヤモンドなんて見たこともなかったもので」
「ダイヤモンド一個くらいで、って言ってなかったかえ? 」
「まさかぁ。それでですね、ラム王子。ダイヤモンドは嬉しいのですが、あいにくと信用第一のヘラン領としては、魔導列車建設をお宅の国優先では行えません。今はクダン国縦断レールの話も出ていますし、他の国からも多く問い合わせがあるんです」
「ラムじゃないえ! 誰が羊の肉え! ラブ王子だから! 愛に溢れた名前を貰ったのに、悲しい結末にしないで欲しいえ! 」
「私はラム肉を食べると愛に溢れた顔になると良く言われます」
「知らないえ! なんの話しかえ! いいから魔導列車を我が国にも建設するえ。じゃないと国に帰れないえ! 次期国王になるためにも、この功績は持ち帰らないといけないえ! 」
知らん! そんな事情、知ったこっちゃない!
「そういわれても困ります。お引き取りを」
「そうはいかないと言っているえ。こんな特大のダイヤモンドを持って来たえ! 何が不満かえ!? 」
「次回はダイヤモンドではなく、芋をお願いします」
「ふざけるなえ! 」
王子はテーブルを力強く平手で叩いた。真面目にアドバイスをくれてやったのにこの仕打ちだ。もう交渉の余地はないだろう。
「ロツォンさん、王子を送って差し上げて。遠方まで出向いてくれたんだ。領一番の温泉と宿を手配して、土産も職人街からなにか……」
パリン! っと陶器の割れる音がした。
見ると、ラム王子が真っ赤な顔をしていた。テーブルの上の物を振り払ったらしい。コーヒーがテーブルから床へぽたぽたと垂れ、軽食もこぼれてそこら中に散らばっている。
「このラブをコケにしてただで済むと思うなえ」
……、ふん。ヘラン領が栄えるにつれてこういった類の連中には多く出会ってきた。礼を尽くせば、こちらも礼を持って対応させてもらうというのに、それができる者のなんと少ないことか。しかもこいつはもっともやってはならないことをやってしまった。
俺は今割れた陶器を確認した。割れた皿が二枚。これは大丈夫だ。しかし、コーヒーの入っていたマグカップが一つ落ちて、粉々に割れている。こちらは……。
「ラム王子、あんた終わったぜ」
応接室の扉が開かれた。
お客様を迎えている間、この扉を開ける者はただ一人しかいない。超越者、エリーただ一人。
エリーは陶器が割れる音を聞きつけて駆け付けたのだ。
ラム王子は駆け付けたエリーに目をやり、すぐに興味をなくしたように再び視線をこちらに戻す。ラム王子は勘違いをしている。きっとエリーを、汚れたテーブルを直しに来たお手伝いさんか何かと勘違いしているのだろう。哀れ。
そう、あれは一か月程前のことだったろうか。エリーが急に陶器作りに挑戦すると言ってきたのは。夕食のときに、エリーが大量の話の中に紛れ込ませたほんの一言くらいにすぎなかった。俺は大量の話にうもれたそれを、うん。良いと思うよ。と軽く同意して流していた。
しかし、それが悲劇の始まりだった。なんでも器用にこなすはずのエリーがなぜか陶器づくりだけは上手くいかなかった。なんでもできる人間というのは、ふと上手くできない事にぶつかると何故か、却って夢中になることがある。しばらく家事をおろそかにするほどエリーはのめり込み、先日とうとう無事にマグカップを完成させたのだ。それはそれは、嬉しそうに俺専用マグカップを手渡してくれた。
なぜか走馬灯の様に俺の頭に流れたあの日のエリーの笑顔。エリーから放たれる殺気がそうさせたのだろう。
急いでラム王子を指さす俺。ロツォンさんも急いでピコピコとラム王子を指さす。
そして、放たれるエリー渾身の飛び蹴り。
ラム王子の小柄な体が吹き飛び、口からは大量の唾液が漏れ出す。壁にぶつかり、ぐったりした様子のまま、意識を手放した。すぐさま護衛が剣を抜き、エリーの襲い掛かろうとしたので、俺は待機していたピチピチダイヤモンドに指示して護衛を拘束させた。
こうして、魔導列車建設の願いに来た王子を痛めつけた挙句、護衛を逮捕拘束するという最悪の事態で交渉は終えられた。しかも、エリーの怒りはまだ収まらないというダブルパンチ。
「全く、あなたという人は!! 」
後日、俺は応接室の向かいに座るラーサーに強烈な説教を食らっていた。反論の余地がないので黙って嵐が過ぎるのを待つ。テーブルの上にはマグカップが二つ。ラーサー王子のも作るから、あなたのも新しく作ってあげるわ。とエリーが機嫌を直して作ってくれたものだ。
「なぜ魔導列車建設の要請にきた他国の王族に飛び蹴りするんですか? しかも護衛を逮捕とか、国際問題ですよ! 」
「いや飛び蹴りしたのはエリー」
「いい訳は結構です。エリーさんがそんなことする訳ないじゃないですか! 大体、アニキはもっと自分の立場を理解してください。あなたは今王都の貴族に最も注目されて、最も忌み嫌われている人物ですよ。あなたに消えて欲しいと願う貴族が一体何人いるか」
「えっ!? 何人? 」
「知りません! 具体的な人数なんてどうでもいいんです! 王都ではですね、ヘラン領はやれ財力を持ち過ぎだ。やれ私兵の数が日ごとに増えている。やれ水やり器の数が王都よりも多い。やれ領主は武器狂いだ、なんて言われているんですよ!? 」
「言いがかりだ……! 」
いや、事実かもしれない。
「そんなあなたが勝手他国の王族を招き入れて、交渉ごとをしたら、国家転覆を狙っていると言われてもおかしくはないのです。事実、多くの貴族がそういった噂を流しています」
「あれは、ラム王子が勝手に来たんだ。俺だって王都を通してくれてって言ったのに」
「ラブ王子です! 事実がどうであれ、間違いなくあなたの脚を引っ張りたい貴族連中の言い分に使われますよ」
「それは困る! 」
「でしょうね。だから、今回だけは特別措置を取ります。勝手にヘラン領に来た件、そして飛び蹴りをした件を揉み消します」
「助かる。これだからラーサーは頼りになる」
「そっそんな、別にそれほどでもないですよ」
少し褒めるだけでラーサーは照れて、一気に機嫌を直してくれる。よし、これで説教モードは解除されることだろう。
「国内は力づくで揉み消しますけど、国外はどうしようもないです。なるべくラブ王子の機嫌を直させて帰国させましょう。協力しますから」
という訳で、ラム王子の接待が始まった。
相変わらずご立腹だったが、昨夜入った温泉がどうやら予想外に良かったらしく、聞く耳は持ってくれているようだった。
観光の誘いも、豪華料理も断られたが、魔導列車に乗せるという話をふると、とたんに王子は機嫌を直してくれた。
「よかえ、魔導列車に乗ってみたかったえ」
改良に改良を重ねた魔導列車は、現在のところ揺れもだいぶ小さなものになっており、乗り心地は非常に良い。車両の窓を開いて、外の風を感じながら王子は非常に喜んでいた。それを見て俺とラーサーはひとまず安心した。これで国に帰ってもあまり酷いことは言われないだろう。接待成功である。と、喜んでいた俺たちは、夕食をラム王子と共に取った。
テーブルに座る俺とラーサーと、ラム王子。ラム王子は用意された羊肉を美味しそうに食べていた。やっぱ好きなんかい、とは言わないでおこう。
「ふむ、ふむ。温泉も宿も、接客も悪くない。飯も上手く、景色も良い。何より、魔導列車は良かったえ。ふむ、ふむ。これが飛ぶドラゴンをも落とすといわれるヘラン領かえ。よか」
ほー、だいぶ気に入っている様子。これはもう大丈夫だろう。
「しかし、なぜこんなことをするかくらい分かっているえ。国際問題にされるのが怖いかえ? この間の謝罪ということかえ? さぞや悪い評判が怖いと見えるえ。このラブの一言でクルリ・ヘラン殿の立場が大きく揺れ動くことが見え見えだえ」
うわっ、バレている……。
「そうね、別に許しても良い」
「本当に? 」
ニヤリと口元をゆがめて、ラム王子の視線がこちらに向いた。しまった、安い餌に釣られてしまったな。
「ただし、二つ条件があるえ。まずは魔導列車。思っていた以上に素晴らしかった。何も新しいものでなくともよい。今日見た限り、ヘラン領のステーションだけでも十は見かけたえ。その一つを頂戴したい。それなら手間もだいぶ減る」
うわっ、嫌なやつだなぁ。足元を見てきやがった。どうやって断ろうか。
「魔導列車は重いですからねぇ。あっ、もう一つの条件とは? 」
「もう一つかえ? それはね、先日ラブに飛び蹴りを入れた女を引き渡すこと。うむ、うむ、あの凶暴性、重い返すとなぜか魅力的に思えてくる。たったこの二つだけで良いえ。いい話だえ? 」
エリーの凶暴性が好きだと? 全くいい趣味しているぜ。こんなところに同族がいようとはな!
「くっくっくぇっくぇっくぇ、どうするかえ? あまり時間はやれないえ」
「そいっ!! 」
突如隣で大きな声が上がり、気づくとラーサーが鞘に納められたままの剣をラム王子のみぞおちに叩き込んでいた。
大量の涎を吐き出しながら意識を失うラム王子。
「なにやってんの!? ラーサー」
「あ、いえ、なんか異常にむかついてしまって……。これってまずいですよね? 」
「まずいな。非常にまずいな。でもスッキリした」
「私もです。飛び蹴りした理由がなんとなくわかりました」
こうして交渉は決裂して、最悪な状況のままラム王子を送り返した。気持ち多めに積んでおいたお土産が働いてくれること願うばかりである。