7章 16話
魔導列車に連結された客車たち。
始発ステーションに集まる大量の人。
入り口のゲート付近では人がごった返している。
切符を買うための窓口には、先日ヘラン領主館から送られた当選のチケットを皆持っている。当選チケットとお金を支払い、ようやく今日の乗客になることができるのだ。
列には様々な人がいる。
高級なコートに身を包み、荷物を使用に持たせているおじさんもいれば、地道にためたであろうお金をこれまた大事に抱えて笑顔で並ぶ青年もいる。
その後ろには大きなバッグを背負った4歳児程度の少女……。
がりがりにやせ細り、いかにも病み上がりと言った男……。
結局魔導列車ってなんなのかしら? と旦那と会話する奥様……。
見なかったことにしよう。
とりあえず、参加率はかなり高そうだ。
一部では当選チケットを多額の対価を得て譲渡した、なんて話もあったけど、まぁ使い方は人それぞれだ。
まだ仕事に慣れていないステーション内の作業はかなりもたついているが、今日はいい。出発時間もきっちり定めていないし、乗客が全員乗るまで待ってやるつもりだ。
目的地はヘラン領一の温泉地なのだが、そもそもの目的が魔導列車に乗るということなので、不満でもでないだろう。
既に大量の荷物を運んでヘラン領を潤わせてくれている魔導列車が、ようやく客から金をとって乗せるまでに成長した。
初めて運転した日は、衝撃と爆音で魔導列車を降りて数分間は地面が揺れているような錯覚に陥るほどだったのに、今じゃ可愛いものだ。
エリーの苦悶に満ちた不満顔がなくなり、丸サインを示しながら魔導列車から降りてきた日に、こいつは人を乗せることを許されたのだ。
切符を買った客が次々に魔導列車に乗り込んでいく。
俺もゲートを通り、レールに乗った魔導の元まで言った。俺も乗組員として、乗るつもりだ。
仕事は給仕だ。初めて金を払って乗ってくれるお客様がただ。
今日のサービスは領主であるこの俺がやってやろうじゃないか。一生に一度の贅沢、とくと味わうがよい。
この先のプランを一人考えながら魔導を眺めていた俺だが、過ぎ行く人が背中にぶつかって思考が中断した。
「おっと」
転ばないように踏みとどまり、振り向いた。
そこには大柄の体格で、コートを着て帽子を深く被った男がいた。年は40そこらくらいで濃い髭が目立った。
すぐに立ち去ろうとした男だったが、一瞬だけ目が合った。
男はあからさまにぎょっとして目を見開く。俺は全くだれか心当たりもないのでいまいち反応が薄い。
結局何もわからないま、男は走って逃げ去り、違う車両から魔導列車に乗り込んだ。
今日はみんなどこかお祭りという雰囲気がある。
財布のひもは緩く、知らない相手とも席が近くであれば気軽に話す。そんな和やかな空気の中、今さっきの男だけが異質だった。
かなり切迫した印象を受けた。その成果、いやに記憶に残る。
しかも、あの顔……。
どこかで似た顔を見たことがある。どこかで……。今年見たはずの顔だ……。
思い出せないので、いいや。
俺は乗組員用の帽子をかぶり、先頭車両から魔導列車に乗り込んだ。
満車になった客車を引いて、魔導列車はいよいよ走り出す。
水やり器式エンジンに魔力が注がれ、以前とは比べ物にならない安定性と静かな音を出しながら、魔導列車を走らせ始めた。
景色が流れていく。
乗客の会話は出発前にも増して活発になっているだろう。しかし、それを魔導列車の走行音がかき消していく。
給仕用のワゴンには一番下の段に、新聞が乗せられている。
その上にはお菓子があり、その上にも乗客が必要とする様々なものが乗せられている。
一番上の段にはドリンクがあり、ジュースも酒も特注品だ。今日だけはヘラン領からのサービスで良いものを乗せている。
帽子の位置を直し、服が乱れていないことを確認して俺はワゴンを押していった。
魔導列車の運転席に近いのが、一等車だ。
基本富裕層が乗るこの車両は、年齢層が高めだ。
夫婦連れが多く、隣同士の席で楽しそうに話し合っている姿が見られる。
一人で来た者も、隣り合った者との仲を深めている。
若干高揚した気分が人々の心の壁を取り去っているのだろう。今日はそういう日なのだ。
俺は自分のペースで仕事をこなしていく。
新聞が欲しいと言った紳士に今日の新聞を渡し、対価を頂く。
お酒が欲しいと言った男は、ワゴンに目を向けた際、どうやら俺の正体に気が付いたようだ。
指をまっすぐ唇にあてて、黙っていてくれるように頼んだ。
その願いは聞き入れられ、男は黙って酒を受け取った。
その後も乗客の要求に従って仕事をしていく。多くの者の視線は外の流れていく景色に向けられているため、俺の正体はさっきみたいに鋭い男でもいない限りバレそうにはなかった。
一等車の後方に座っていた少女は、となりのおばあさんと話し込んでいた。小さいのにしっかりしているねと褒めれた少女はいえいえと謙遜し、魔導列車に乗ったおじいちゃんとの経緯を話していた。疑ってごめんなさい。
俺は少女とおばあちゃんにドリンクと軽食のサービスをした。今後とも魔導列車をよろしくお願いいたします。
次は二等車。
富裕層もいれば、少し無理して乗った庶民も混ざるこの車両。
一番ボーイミーツガールが起こるのがこういった場所だ。
ほら、あそこの席。
ガリガリに痩せた青年と、いかにも裕福そうな年頃の女性。
二人はこの列車に乗った経緯をお互いに語り合っている。二人とも一等車で申し込みたかったのだが、片方は金が足りず直前で当選チケットを他の者と交換した男。もう片方は裕福な家庭の生まれだが、今回は魔導列車に反対する両親の反対を押し切って勝手に申し込みをし、個人の金で足りた2等車に乗ることになったのだと。
気の合った二人は更にお互いのことを反し合う。
男は魔導列車の完成と自分の病気が治ったこと話していた。それを興味深そうに聞く女性。二人はかなりいい感じだ。
二等車での給仕を終えた俺は、三等車に向かう途中、通路側に座ったガリガリの男の側で体制を崩すふりをする。その勢いで背中を押してしまい、男女の距離が一気に縮まる。
当列車はスピードを緩めて走行しております。
どうぞごゆっくりと縁を深めてください。
また一つ扉を開けて、最後に三等車についた。
ここからは一気に年齢層が下がる。
活気あふれる若者が多い。金はないが、勢いと明るさがある。
この車両だけ、前二つの車両よりもかなり騒々しかった。
窓の外を眺めては、過ぎ去る景色に素直な感情を吐き出す。
運に任せて当選して、なけなしの金で来たのだろう。この車両は一番手荷物が少ない。
今日はサービスだぞ、と少し微笑みながらドリンクと軽食をサービスしていく。
三等車は無料だ。一等車と二等車には秘密にして貰いたい。
ワゴンがすっかり空になったころ、俺は二等車に戻るための扉を開いた。
その瞬間、大柄の男が立ち上がり大声をあげる。
「全員命が欲しくば大人しくしろ! 」
右手を突き上げ、その中には真っ赤な魔石が握られていた。
「今からこの車両は俺が支配する。逆らえばこの魔石が車両ごと吹き飛ばすぞ! 」
背中から見ていて顔が見えないが、コートとかぶっている帽子からして、この男はステーションでぶつかって来た男に違いなかった。
あの切羽詰まった感じはこういうことだったのか。
とりあえず、扉を閉めた。
再び三等車の喧騒にもどる。
面倒ごとはごめんだが、俺が対処するほかないよな。どうしたものか。
考えこんでいると、扉近くにいた夫婦がこちらを気にしているのが分かった。
魔導列車のことを全く知らず、応募に夫婦のことを書いたと思われる二人だ。
「どうしました? 」
と奥さんが尋ねてくる。
「いえね、前の車両でちょっとトラブルが」
「まぁ。それで行けないのね? 」
「そうなんです。もう少ししたら行きますので私のことは気になさらず」
「魔導列車ではよくあることなの? 」
「いえ、初めてですね。でも思えば起こりえないことでもなかったような」
「そうなの? 一体何が起きているのかしら? 」
「ちょっとしたことですよ。熊が暴れています」
「熊が暴れているの!? 魔導列車内で!? 」
奥さんは驚愕におののいた顔をしている。魔導列車には詳しくない旦那さんも俺の言葉で驚いていた。
「そうですね。結構荒ぶっています」
「それが起こりえないことでもないの? 」
「そうですね。今後は対策とか考えないといけないかもしれないです」
「乗せなきゃいいんじゃないですか? 」
と奥さんが真面目な顔して言う。
「ごもっともです。しかしなかなか見分けもつかない。うまく隠れて持ち込むことも可能でしょうし、難しい問題になりそうですね」
荷物検査は必要だろうな。しかし、それでもうまく持ち込むやつはいそうだ。
「熊をうまく持ち込むってなに? どうやるの? 魔導列車って一体なんなの!? 」
とうとう奥さんが荒ぶりだしたので、そろそろ三等車を出る頃合いだろう。
「では奥さん、ちょっと窓を開けますよ」
「どうして? 」
「すみません、私が窓から出るためです」
「魔導列車の乗組員は窓から出るのかしら? 」
「ええ、時にはですけど」
「もう、魔導列車がわからないわ! 」
奥さんと旦那さんの前を横切り、俺は窓から身を乗りだした。
「では今後も魔導列車をよろしくお願いいたします」
あっけにとられた夫婦はただ黙って俺を見送った。
まどから出た俺は三等車の屋根の上に乗っかる。
強風で目を開けるのも、立っているのも辛い。
腕で視界を遮り、ゆっくりと足を進める。
三等車と二等車の連結部分を飛び越えて、二等車の屋根に降り立った。
ここで俺は体を伏せて、車両の側面による。
頭だけを下ろして、窓から車両を覗いた。
相変わらず大柄の男が何かを叫び、乗客が恐怖していた。
幸い魔導列車の音が声をかき消し、一等車と三等車にはこの緊迫状態が伝わっていない。パニックは広めるよりも、一か所に限定させたほうがいい。
男の手には真っ赤な魔石が握られている。詳しくどういうものかわからないが、男の主張を信じる限り魔力を流すと爆発を起こす代物だ。
そんな危ないものを持ち込むなんて、かなりの主張が彼なりにあるのだろう。もしくは、単純な金目的か?
それなら話が簡単でいいのだが。
窓からのぞいている間、俺は大柄の男だけに注意を向けていた。
あいつにバレないように情報を得ようと思っていたのだが、近くの席に座る男女に気づかれてしまった。
不治の病が治った男と、軽い家出中の女の二人だ。
二人は俺に気が付いたとき、少し驚いて声を漏らした。あっ、とそんな少しばかりの声だったのだが、神経が敏感になっている大柄の男はその声を聞き逃さなかった。
俺はすぐに頭を窓から話した。屋根の上に戻り、反対側の窓へ移動する。
声を出した二人は大柄の男に詰め寄られていた。
何に声を出したのか、聞き出そうとしているのだろう。
そして今度は反対の席に座っていた男二人が俺の姿に気が付いた。屋根から頭だけ出しているその姿に驚き、同じようにあっ、と声を漏らす。
俺はまた頭をあげて、屋根に戻って来た。
匍匐前進で、車両の前咆哮まで生き、また反対の窓からのぞく。
大柄の男にはバレないが、他の乗客にはバレるということが繰り返された。
その度に声を漏らした客が詰め寄られる。
一度屋根に戻り、得た情報で状況を整理してみた。
大柄の男はやたらと何かを叫んでいるが、客の物品に手を出す様子はなかった。ただの物取りではなさそうだ。そもそも大爆発を起こす魔石を手に入れられる時点でそこらの人物じゃない。
おそらく彼自身がかなりの金持ち、もしくは雇い主が金持ちという線もある。
ふたたび情報を得るため、窓に顔を出す。
丁度その時だった、なかなか帰ってこない俺を気にしたのか、運転席から乗組員が一人やって来て二等車に入ってしまった。
二等車の様子に異変を感じ、大柄の男と見つめ合う。
何かを話し、顔がすっかり青くなった乗組員は急いで運転席がわへと戻っていった。
俺も屋根を伝い、一等席へ、そして更に運転席へ移り側面の窓をこんこんとノックした。
運転手はあまりの驚きに、魔石から手を反して腰を抜かしていた。
すぐに俺だと気が付き、窓を開けてくれる。
窓から運転席に飛び込むと、それと同時に一等車から顔を青くした乗組員も入って来た。
「状況は? 」
俺の質問に、戸惑う運転手と、一瞬の間をおいて理解した乗組員。
「男は爆発魔石を片手に二等車を占拠。人質を78名取られています」
「要求は? 」
「はっ、それが……どうやらクルリ様が乗っていることには気が付いていない様子で、当面はこのまま走り続けるようにと。最終的な要求は始発ステーションにいるはずのクルリ様の命と、逃亡するための資金を欲しています」
「俺の命? 」
俺のハートと命は簡単にはあげられないぜ! なんて冗談を考えるのはやめておこう。
「はい、どうやらクルリ様にかなり強い恨みを持った人のようです」
「恨まれるようなことしたかなー。名前は? 何か聞いた? 」
「はい、どうやら貴族らしく、ブラウ・ダータネルと名乗っておりました」
ブラウ・ダータネル……。
聞いた名だ。それに、あの既視感のある顔は、そうか。
今頃牧場で新しい人生をやり直しているフレーゲンの顔にそっくりだったのだ。ブラウ・ダータネルはフレーゲンの父親にして国家転覆を狙ったダータネル家の当主だ。
たしか、フレーゲンが父親は逃げ延びたと言っていたが、まさかこんなところまで駆け付けて来ていようとは。
息子もそう言っていたが、どうやら父親も何もかもが俺のせいだと思い込んでいるらしい。自分のやった罪を棚に上げ、怒りを俺にぶつけようとはなんという厚かましい男。
成敗してやろう。
「俺が何とかしてくるよ。なぁ、あれあっただろう? 予備の」
「あれ? ああ、魔石のことですか? 」
「そうそう。あと魔石の力を通す予備の回路も用意して欲しい」
運転手は俺の要求通り、魔石と回路を取り出してくれた。
回路をまずは運転手が操作している魔石に取り付ける。あとは垂らして床を進ませる。
扉を開き、一等車にも回路を伸ばしていった。
運転手と乗組員に手伝ってもらい、回路はまっすぐ2等車の目の前まで延ばされた。
何事かと一等車の客はそれを眺める。
俺は後方までたどり着くと、おばあさんと共に座った少女に目をやった。
「魔導列車はどうだい? 」
「うん、おじいちゃんが言っていた通り楽しい! 」
「これからぐんとスピードがでるけど、怖くないかい? 」
「速いの好き! 」
「よし」
俺はニコリと笑いかけた。
「みんな、聞いてほしい」
できるだけ二等車に気づかれないように、俺は一等車の客に呼びかけた。
「二等車に熊が出たので、今から対処します」
熊? あの熊?
俺の言葉に戸惑う乗客たち。
「これから魔導列車は少しばかりスピードを急激に上げますので、それまで席にしがみついてて貰えますでしょうか? 」
「わかった! 」
戸惑った様子の彼らだったが、少女の声で全員が大人しく言う通りにしてくれた。
乗客が準備できたのを確認して、俺は窓からまた屋根に上る。
なぜか歓声が上がった。
屋根を伝うのも慣れてきて、俺は三等車の窓をノックする。
先ほど話をした夫婦が窓を開けてくれた。
「窓から入るのが乗組員方式なの? 」
「もちろんです! 」
三等車でも同じように説明し、しっかりと席にしがみついてもらった。先ほどのサービスが効いたのか、落ち着きのない若者たちも素直に指示に従ってくれる。
そそそっとなれた体さばきで屋根の上を伝い、再び一等車へ。窓から飛び込むと、再び歓声が上がった。なかなか悪くない歓声だ。
乗客には、これから計画を実行すると伝え、より一層強くしがみつくように伝えた。
二等車前まで延ばされた魔導回路の端をつかみ、それを手にした予備の魔石へと接合した。
「まさか、クルリ様……。それって」
流石は運転手だ。
俺がこれからやろうとしていることを鮮明に想像できたのだろう。先ほどの乗組員同様に顔を青くしていた。
「お前たちもしっかり捕まっていろよ? 」
急いで運転席へ駆け戻っていく彼ら。
俺は反対に、笑顔で二等車の扉を開けた。
手の後ろに魔石を隠して。
これが二等車に姿を現すと、客とブラウの視線が一斉に注がれる。
ブラウは驚いて、一瞬掴んでいた魔石を放しかけた。
すぐに気を持ちなおし、俺にまっすぐ対峙する。
「ふははは、まさか貴様が乗っていようとはな。余計な手間が省けたわ」
「こっちも好都合だ。国家転覆を狙った大罪者を成敗できる。さぞやいい褒美を頂けることだろう」
「小僧が! 舐めた口を抜かすな! この魔石に魔力を流した途端、この車両ごとぶっとぶんだからな。貴様も、客も全員死ぬことになる」
「お前もな」
正論が効いたのか、ブラウは一層怒りに震えて顔に太い血管を浮かび上がらせた。
「乗客のみんな安心してくれ。こいつに魔石を爆発させる度胸なんてないよ。こいつの要求は俺の命と、その後の逃走資金だ。逃げて生き延びようというやつが自爆なんてしないだろう? だから安心したまえ」
「舐めるな! 小僧! 」
しかしだけで、ブラウは何もしない。何もできない。
「しかし、やつはあの通りかなりお冠だ。もしかしたら誤って暴発するかもしれない。それに備えて、皆はしっかり席にしがみついてほしい。効果はあるから、俺を信じてくれ」
「小僧、この魔石をその程度のものと思っているのか? 二等車はもちろん、下手したら運転席まで吹っ飛ばすほどのものだ。席にしがみつくだけで助かるならわけないさ」
「そうかな? いいから全員つかまっていろよ。今からおれが国賊を成敗しくれる」
俺とブラウの間にはかなりの距離が開いている。何かを仕掛けるには遠い距離だ。
だが、それがちょうどいい。ブラウはなにも出来やしないと思い込んでいることだろう。
「ブラウ・ダータネル。いや、もうただのブラウだ。お前を今から10秒以内倒すと宣言しよう? 」
「ほざけ! 」
ではカウントだ。
「10」
乗客たちは身構える。
ブラウも一応は警戒しているらしい。
「9」
乗客を見回したが、全員しっかりとしがみついているな。
なら、もういいだろう。
俺は背中に隠し持った魔石に大量の魔力を一気に注ぎ込む。魔力は魔石によってさらに増幅し、回路を伝って運転席の魔石に届く。そこからはいつもの魔力の通り道で、魔導列車のエンジンへと膨大な魔力が注がれた。
直後、かつてないほどの出力を発した水やり器式エンジンは火を噴き、列車を劇的に加速させた。
想定していた俺と、準備をしていた乗客はその衝撃を耐えた。
耐えられなかったのは、ブラウただ一人。
体を思いっきり宙に投げ出し、その巨体は二等車の扉を突き破って三等車に投げ出された。
魔石はころころと転がり、ちょうど俺の足元へとたどり着く。
それを拾い上げ、俺は乗客へと声をかけた。
「熊退治が完了しましたので、引き続き魔導列車の旅をお楽しみください」
魔石をもてあそびながら、三等車に向かう。
俺がたどり着いた頃には、ブラウも立ち上がっていた。
結構強く打ったみたいで、体はふらふらとしている。口元の血をぬぐい、気力だけで俺をにらみつけた。
「10秒かからなかったな」
「小賢しい小僧め」
ブラウは毒づいた後、三等車の後方へと走り出した。
扉を開けると、その先は何もない。
魔導列車が走って来たまっすぐなレールが見えるだけだ。
とても飛び込めるスピードではない。もう一車両あるとでも勘違いしたのか?
いや、ブラウの顔には深い決意の色が見えた。
何が何でも逃げ切ってやろうという目だった。
「やめとけよ。下手したら即死だ」
「やめないさ。覚えていろよ小僧。いつかまた俺は貴様の前に現れてやる」
目の力強さは増すばかりだ。今さっき切り札を取られたばかりの男には見えなかった。精神だけはどこまでも逞しいことは分かった。
まずいな、本当に飛び込むぞ。
ここで逃げられたら本当に面倒なことになりそうだ。逃がす気はないけど、悪運強そうだしなぁ。
「おい、ブラウ」
「もう話すこともない。さらば……」
「息子が泣いているぞ」
外へと飛び出そうとしていたブラウの脚が止まった。この話題は正解だったみたいだ。
「息子だと? あのバカ息子か。泣いているだと? そりゃ大監獄で一生を過ごさなければならないし、さぞ悲しい出そうな」
「そうでもないぞ。フレーゲンは今結構幸せだと思う。この間手作りの酸乳を送って来てくれたしな」
「……何の話だ? 」
一息つき、席にもたれかかって説明してやった。
「ダータネル家は没落、息子は捕まり大監獄へ。父親は未だ国賊として逃亡中。しかし、国家転覆を狙ったのはあくまで党首であるブラウ・ダータネル。フレーゲンは所詮小悪党だ。財産を取り上げれば、何かできる男でもない。そんな男に王子が恩赦をくれたのさ。どさくさに紛れて送って来たが、フレーゲンはヘラン領で暮らすことを許された」
「嘘も大概にしろ」
「嘘じゃないさ。何をやらせてもダメだったあいつだけど、牧場に居場所を見つけたんだ。今はそこの娘と一緒に鳥小屋の清掃でもしている時間帯だろう。あそこの酸乳はうまいぞ」
「それがどうした……。どうせ嘘に決まっている。ダータネル家の一族はことごとく処罰されたんだからな」
「他のやつらが例えそうだとしても、フレーゲンはヘラン領で元気にやっているよ。過去の過ちは許される。仕事も与えられる。可愛い彼女もできる。そう、ヘラン領ならね」
「その言い回しはやめておけ」
まったくだ。
「いつまで逃げ続けるつもりだ? フレーゲンはもう逃げていないぞ」
「……」
この言葉が効いたのか、ブラウの目からは徐々に逃走の意志が消えていった。
そして、素直に捕縛されることになる。
クダン国最大の罪科を負った男はこうしてあっけなく最後の時を迎えた。
フレーゲンと違って、彼に恩赦はないだろう。それも厳しい罰が下されるのは目に見えている。国家転覆を狙ったダータネル家の野望はこれにて潰えることとなった。
ひと悶着あったが、列車は関係なく快調に走っている。
三等車の開け放たれた窓から良い風が吹き込んでくる。
一つの時代が終わり、新しい時代の風が押し寄せてきていた。