7章 12話
フレーゲンはあのみっともなく大泣きした日から、随分と素直になった。あれで何かかが吹っ切れたのかもしれない。
ダータネル家が取り壊しになった件はしばらくして王都より知らせが入った。あまり騒動を大きくしたくないのだろう。公式な書類には詳細は書かれていなかったが、ラーサーから個人的に送られてきた手紙にはその詳細が書かれていた。
どうやらダータネル家がサルマンと手を組んで王家転覆を企てていたのは紛れもない事実だったみたいで、水やり器はそのための兵器として輸入されたものだった。ダータネル家は用意周到に他の貴族も巻き込んで反乱を起こそうとしていたらしいが、水やり器を俺に没収されてから一気に離反者が現れて、反乱同盟はそのほとんどの証拠も消し去って、実態も崩壊した。そこにラーサー率いる王家の騎士団が攻め込み、ダータネル家はその日のうちに長い歴史に幕を閉じた。同盟を組んだ貴族の名前は数件しか見つからなかったものの、主犯のダータネル家の要人はことごとく逮捕に成功した。一番肝心なブラウ・ダータネルにはまんまと逃げられたと悔しい感情が手紙には綴られていた。
フレーゲン・ダータネルもその時に捕まえられて、アーク王子の厄介払いに混じってヘラン領に送られたわけだ。監獄にいるよりもヘラン領にいたほうがずっといいだろう。フレーゲンはそういった現実的な思考のもと態度を変えたのかもしれなかった。
「それにしても、本当になにをやらせても三流だな」
俺は思わずそう毒づいてしまった。おそらく一流の教育を受けて来たであろうフレーゲンなのだが、あれをやらせても、これをやらせてもどれもこれも上手くいかない。『鉄熱隊』のほうはあれからとんとん拍子に話が進んでおり、既に稼働もしているというのに。
近隣の領主に私設兵団を設立したと連絡したところ、脅迫と受け取られたのかギフトが送ら得た。どれもその土地の名産品と、普遍的に価値のある宝石が入っていた。
脅迫のつもりはなかったので、ヘラン領の職人街で作られている上物をいくつか見繕って近隣の領主に送り返している。
「フレーゲン、もういっそ戦闘はあきらめよう。他のことを仕事にしないか? 」
そう尋ねると、渋々ながらもフレーゲンは首を縦に振った。
何がしたいと問えば、特に希望するものないらしい。
「それより、なぜ俺につきっきりなんだ? お前は領主として忙しいのではないか? ただでさえ魔導列車の建設でいっぱいいっぱいだろうに」
「それはそうなんだが、貴族の没落なんて珍しい話でもないだろう? あまり他人事には思えなくてな。おれもいつかはお前のようになるかもしれない」
「だがお前がそうなったところで鍛冶職人としての腕があるだろう。かなりの腕だと聞いている。俺と違って、お前は何をやっても上手くいくのだな」
そうやって自虐的になったフレーゲンを慰めてやり、俺はふと思った。
もしかしたら俺は没落したときのために鍛冶職人を目指していたのかもしれない。酷く弱気な感じがしないでもないが、ヘラン領は天変地異に襲われたとも聞くし、王都からかけ離れた辺境の土地だ。没落を見越していたのはあながちおかしな話でもないのかもしれない。
「もっと自信を持てよ。そうだ、今度は誰にでもできるような仕事を見繕ってやるから大丈夫だ」
「それが励ましの言葉だと考えているのなら、大きな間違いだぞ」
こんな感じで小言は挟むものの、視線で俺を射殺してやろうという気概はもうない。無害と言ってよかった。
「牧場で働いてみるか? 結構大きな牧場で、そこの主が人を欲しがっている。本当に大きなところでな、農産物も多く育てている。人員要請が前からあったけど、緊急性が低かったから後回しにしていたのだ。ちょうどいい。そこで働いてみないか? 」
俺は数多くの要請書の中から一枚選び取り、その詳細が書かれていた髪をフレーゲンにも見せた。
「ああ、それでいい……」
フレーゲンの言葉には相変わらず力がこもっていない。
「なんだ、まだ落ち込んでいるのか? そこの牧場は本当にいいところだぞ。ほら募集条件にも誰でもいいって書かれている。犯罪者、没落貴族お断りなんてのも書かれていない。だから大丈夫だ」
「励ましになっていないんだよ! 」
おお! ようやく言葉に力強さが戻って来たじゃないか。いい兆候だ。これから再スタートを切るのだから、それくらいの気概は欲しいところだ。
俺たちは早速目的地である、パーパネル牧場へと赴いた。聞けばダータネルと響きの近い牧場名じゃないか。きっとこれは馴染んでくれるに違いない。
「パーパネル牧場だって。ダータネル家と響きが似ていて嬉しいだろう? 」
「嬉しくねーよ! むしろ悲しくて仕方ないわ! 」
おお! ますます元気になっていくじゃないか。やはり俺の選んだ場所に間違いはないな。
パーパネル牧場の主と、その娘が俺たちを出迎えてくれた。
二人とも日に焼けた顔をしており、毎日の重労働で鍛えられた細くも逞しい体つきをしていた。
「これはまぁ、クルリ様じゃねーかぁ」
牧場主である父親のほうが、気の抜けた声で話しかけてきた。
「やぁパーパネル牧場の。人が欲しいと要請してくれていただろう? いいのを連れて来たぞ」
「あれまぁ。嬉しいね、最近は忙しく忙しくて、それこそ猫の手も借りたいくらいだったし。ささ、話は家の中でしましょう」
牧場主と娘が人の良さそうな笑顔で俺とフレーゲンを招き入れてくれた。
家は木造のこじんまりとしたものだった。話を聞くと、この家には牧場主と娘二人だけで暮らしているらしい。他の使用人たちは牧場が広いこともあり、離れた場所に住居を建てているとのこと。彼らには特別なことがない限り頻繁に連絡は取らないらしい。雇用関係にはあるものの、使用人にかなり自由な裁量が許されている牧場だった。
「全部経営が上手く行っているお陰です。それもこれもクルリ様がヘラン領を豊かにしてくれているお陰です」
娘のほうがなれない礼儀作法で俺の頭を下げてきた。
照れ臭いので、適当に返事をしておいた。
「牧場のことは大体わかった。これでならフレーゲンも上手くやっていける気がしてきたよ。なっ、牧場最高だな」
「ああ、そうだな……」
いまいち乗り気じゃないな。
娘が出してくれた羊の乳を発行させた酸乳にも手を出していなかった。かなり体にいいのに、飲まないとは勿体ない。
「酸乳飲まないのか? めっちゃ美味いぞ」
「腐った乳など飲めるか! 」
この男、なんて失礼なことを。
牧場主と娘も驚きの顔を見せていた。まだまだこの男の体の中には吐き出せていない毒がたっぷりとあるらしかった。
「酸乳、本当に飲まないつもりか? 」
「ああ、俺はこれでも元貴族だ。品性のないものなど口に入れない。絶対に飲んでたまるか! 」
「じゃあ俺にくれ。飲み足りていなかったんだ」
「そういう話かよ! いやらしい奴め! 貴様それでも貴族か! 」
吠えるフレーゲンを無視して、俺はフレーゲンに出された酸乳を飲み干していく。マジで美味いんだが、これ。
「すまないが、いくらか譲ってくれないか? エリーにも飲ませてやりたい。もちろんお金は支払わせてもらう」
「もちろんいいですよ。そんなお金なんていらないですから。親子で趣味程度に作っているだけなので。この地は温泉があって、こういうものは作りやすいんですよ。他にも乳から作った飲み物があるんですが、それもよかったら飲んでいきますか? 」
「是非に」
それから親子が出してくれた乳を主原料としたドリンクの数々を堪能していった。乳の油分を集めて作られた飲み物が特に気に入り、それもいくらか譲ってもらうことにした。いやー、本当にうまいな。
「で、フレーゲン殿にはいつから来ていただけますでしょうか? 」
すっかり本題を忘れていた俺に、牧場主が尋ねてきた。
「ああ、そうだった。忘れていた。今日から早速働けるぞ。暇だからな」
「暇っていうな」
「え? 何か予定があるのか? 」
「素で聞くんじゃねーよ! あるわけねーだろ! 」
なんかまずいところに振れたらしく、今日一で荒れに荒れるフレーゲン。
なんか面白いやつだな。
「いやー、誰でもいいって言ったんですが、こんな育ちの良さそうな人に来ていただいて大丈夫でしょうかね? 我々の仕事は家畜を世話して、畑も最近は手を入れているのですが、何分地味な仕事になります。誰でもできますが、それゆえ何でもできてしまう人間には案外しんどいところがあるのです」
「ああ、それならちょうどいいよ。フレーゲンは何もできないからな! フレーゲン、天職が見つかったぞ」
「馬鹿にしているんだろ! 貴様は! 俺に優しくする振りして、そうやって地味に俺を陥れ、裏では、皆で俺のことを笑うつもりだろう! 」
「裏ってどこだよ。しかも皆で笑うって、俺とお前しかいないじゃないか」
「じゃあ、一人で笑うんだろ! 牧場で醜く働く俺のこと! 」
「笑わないよ。何が面白くて笑うんだよ。それとも面白いことやってくれんのか? 」
「くそっ、調子が狂う! やってやるよ、やってやる。この牧場で働いてやる! それでいいんだろう? どうせ俺には他に行く場所もなければ、他にできる事だってないんだからな! 」
怒りに任せて、彼は一人家から飛び出した。激しいなー。あのエネルギーがあればしっかりと重労働もこなしてくれそうだ。
「それじゃあフレーゲンをお願いします。今日だけは私も様子を見させて貰いますから、一緒に回らせて下さい」
「はぁ、そちらがいいならいいんですが。とはいえ、本当にここは良いところなんですよ。時間ものんびりですし、収入も生活に困らないレベルで安定しています。こうして牧場を拡大して、人を増やすこともできていますからね。きっとフレーゲン殿もしばらくしたらここが気に入るでしょう」
牧場主は優しい雰囲気のまま、そう説明してくれた。安心して預けられる相手になりそうだ。
「ヘラン領民はこれからますます増えていくだろう。食料は自分のところで賄っておきた。これからどんどんこういった牧場や農家が重要になっていくだろう。よろしく頼んだぞ」
「はい、まかされました」
娘のほうが笑顔で答えてくれた。
あまり顔のつくりが綺麗なほうではないが、笑顔が素敵で素直な性格も手伝ってかなり魅力的な女性に見えた。フレーゲンめ、きっと惚れるだろうな、とそのとき思った。
その後、家の外でひねくれていたフレーゲンを捕まえ、羊の放牧地へと4人で向かった。
今日はもう放牧を切り上げて、厩舎に戻すとのことだ。
牧羊犬もいて、その子と一緒に羊を追い立てて欲しいとのことだった。
「ここの牧場の羊はまぁ性格が大人しくて、牧羊犬もそれを知っているから追いかける振りだけ。のんびりした仕事であまり人の手を煩わせるものでもないんですけど、始めてなんでどういったものかを知るためにやってくれんかね? 」
牧場主の言葉に、フレーゲンは首を縦に振ることで承諾した。
せっかくなので俺もやらせてもらうことにした。
牧羊犬が放たれ、遠くまで言った羊たちを集めてくる。
俺も適当に離れた個体を見つけては厩舎のほうに誘導していく。
牧場主の言う通り、本当に大人しい羊たちだ。そっと誘導してやるだけで理解も早く、自分の脚でそそくさと進んでいく。こうやって十分に運動させてあるから、あんなに美味い乳が出るのか。きっと牧場主の親子が気のいい人たちなので、羊も安心して穏やかな気持ちでいられるのだろう。
「はぎゃっ!! 」
羊を誘導してやる俺のそばには穏やかな時間が流れていたのだが、近くからとんでもなく尖がった叫び声が響いた。はぎゃってなんだ。
見ると、そこには羊に突進されて横転しているフレーゲンの姿があった。
めげずに彼は次の羊にも寄っていくが、さっきよりも激しく拒否されて、強烈な突進を受けていた。その羊はその後自分の脚で厩舎に向かっていた。フレーゲンよ……。
「あー! 鬱陶しい毛玉の家畜どもが! 俺の指示に従え!! 」
叫びながら羊に近づき、弾き飛ばされる悲しきフレーゲン。
側に寄ってやり、起こしてやる。体についた草を払ってやり、背中についた糞は無視した。
「お前な、そんな態度だから羊にも嫌がられるんだぞ」
「家畜に人間様の態度がわかってたまるか! 所詮奴らは家畜。俺たちのほうが上なんだよ」
「上も下もないんだよ。むしろあんな美味しい乳を出してくれている彼らのほうが上だ。お前あんなに美味しい乳だせんのか? 無理だろ? じゃあ、羊のほうが上だな」
「乳が出せたら偉いのか? 毛玉のくせ、生意気だ! 」
「生意気じゃないさ。みんな平和に暮らしている。ここで平和な気持ちじゃないのはお前だけど。なんでそうとげとげしいんだよ」
「家畜どもより俺のほうが偉いからだ! そもそもこんな簡単な仕事は俺には向かない! もっと難しい仕事が必要だ。もっともっと、ここらの誰にもできないような仕事が! 」
吠えるフレーゲンに、困る親子。
牧羊犬は仕事が終わって、嬉しそうに駆け寄って来た。フレーゲンはここでもうまくいかないのか?
「だそうなんだけど、なにか難しい仕事ない? 」
「えーと、ああ、少し厄介いな子たちがいましてね。その子達には私たち親子の手に余っている状態でして」
困らされているという家畜のもとに案内された。
そこは鳥小屋で、中には真っ赤な羽毛を体中に纏わせた鶏がいた。しかも普通の鶏よりも体格がいい。
俺たちが近づくと、急に体制をこちらに向け、尖った嘴で威嚇するように頭を前後に動かす。近づいたら本気で突くぞ、とそんな意思を感じる。
「あれはすごく特殊な品種で、他の領から輸入したものなんです。餌は少なくていいし、一日に3個も卵を産む。しかも普通の卵に比べて栄養状態もよく、味もいいと説明を受けて仕入れたんです。しかし、とんでもない。騙されたとまでは言いませんが、大事な情報を隠されていたんですよ。この鶏たち、かなり攻撃的で、卵を取りに近づくとそれはもう一斉に攻撃してくるんです。卵の問題は産ませる場所を工夫して何とかなりましたが、餌と清掃のときでも攻撃してくるんです。毎回毎回あれじゃあ、しんどくて。これが今牧場で一番難しい仕事になりますね」
情けない声で牧場主は説明してくれた。このままの状態が続けば、この鶏たちに待つ未来はあまり良くないものかもしれない。牧場にとっても損失だ。
「やってやる! 清掃だろう! 家畜の糞を清掃してやるのなんざ気に入らんが、他の人間どもにできないことはこの俺がやって見せてやる。大体貴様らはその身に沁みついた低身分のせいで舐められているのだ! みてろ、俺様の働きを! 」
そう意気込んで、フレーゲンは清掃道具一式とととに鳥小屋に入っていった。なかなかうまいこと清掃できていないせいで、汚れはそこら中にあった。
「フレーゲン殿、無理しないでね。攻撃されたらすぐに逃げ出していいから。無理だけはするんじゃないよ」
牧場主が心配の声をかけるが、今のところフレーゲンが攻撃されていることはない。
それからも、不器用ながらフレーゲンは清掃を進めていく。
「あれ? 今日はこの子たち機嫌がいいのかね? 」
不思議がる親子。
フレーゲンは自分の仕事がうまく行っていることに気分を良くしたのか、なかなかの異臭を放つ鳥小屋の清掃も文句言わずにこなしていた。
「不思議だねー。フレーゲン殿には一切攻撃しない」
その通りだった。鶏たちがその存在に気が付いていない訳でもない。ときどき目があっていたりするのだが、ぷいとお互いに興味なさそうに視線を逸らす。
「仮説ですが、お互いひねくれもの同士なのでうまくいっているのかもしれません」
「そうなのですか? 」
「もしくは、鶏たちは彼のことを仲間だと思っている。つまりは鶏に見えている」
「えー、それはまたぁ。難儀なはなしですなぁ。いやー、それにしても凄い。まさかこんな日が来るなんて。ははっ、ありがとうございます、クルリ様。いい人を連れて来て下さいました」
思わぬ場所にフレーゲンの居場所ができて、俺も満足だ。
鳥小屋の清掃を終えて、フレーゲンは満足そうな顔で出てきた。
「どうだ、俺にしかできない仕事だろう? 」
親子がそれを見て、嬉しそうに駆け寄っていく。
「いやー、見事見事。フレーゲン殿、是非うちで働いてくれないか? 」
「あ、ああ。そこまで言うならいいけどな……」
喜ぶ親子に、うれしさを隠すフレーゲン。
この後もいろいろ試してみたが、やはり難儀するフレーゲン。
だが、彼はここを居場所と決めたらしい。
帰り際、彼のほうからここに居たいと言ってくれた。
「そうか。じゃあまたなんかあったら連絡よこせよ」
「ああ」
俺が去っていく中、背中からぼそりと、世話になったと声が聞こえた。
きっと幻聴だろう。
俺は馬を走らせ、職人街へと向かった。
一週間後、俺宛に荷物が届いた。
フレーゲンの名義で、酸乳が届けられたのだ。
悪くない味だった。
はじめ、フレーゲンはこの地にいつく気などなかった。
金がたまったらいつでも逃げ出す気でいた。
しかし、不思議な縁で彼は牧場に居場所を見つけることになった。
そして数年後、結婚式の招待状をヘラン領主の館へと送ることになるとは、まだ知る由もなかった。