7章 3話
銅で作られた少し高価なシャベルを肩に担いで、俺は領民たち200名を先導していた。全員の手に何かしらの作業道具がつかまれている。これから俺たちは一大行事に取り組むのだ。
しかし、後ろの活気に比べて、残念ながら俺の目に生気は薄い。
温泉堀りに200名もいらない。しかし、この温泉掘りがしたくてしたくてたまらない領民たちが多く集まり、抽選の結果200名だけが俺に付き従うこととなった。後方では活気に満ちた彼らががやがやと騒いでいた。やたら張り切ってじゃれ合う若者たちもいる。
「遅れないように」
「「「「ういっす!! 」」」」
この息の合った返答だけは好きだ。
どうやら記憶がなくなる前の俺は温泉を掘るプロだったらしい。そんなものにプロもアマチュアもあるのかという話だが、それでヘラン領が金で潤い豊かになっていったらしいから、やはりプロと名乗っても良いのだろう。
そんな俺が帰って来たこともあり、彼らはまず温泉も当然以前のように復活するのだろうと期待したらしい。そんな期待を知るはずもなかった俺はそれをずっと放っておいた。しかし、温泉熱は彼らの中で沸々と煮えたぎり、とうとう噴火してしまった。
そうした熱のこもった意見はロツォンさんに届けられ、限界だと判断した彼によって、半ば強制的に俺はシャベルを担がされた。
すごく嫌だ。もう帰りたい。何が嫌って、別に重労働を嫌っている訳じゃない。なんならそういうのは得意なほうだ。他に仕事で手が埋まっているとかでもない。嫌なのは、俺が掘れば100%そこには温泉の源が眠るという領民たちの狂った信念だ。
普通に考えて、そんな訳がない。
温泉の知識はある程度仕入れてきたが、無理無理無理。絶対温泉なんて湧かないから。絶対無理。
アーク王子が代わりに統治していたときにも温泉への渇望はあったらしい。しかし、彼のやった仕事はいまいち領民に評価されなかった。温泉を掘りあてた数がそれほど多くないからだ。客観的にみて、王子の統治時代は素晴らしいものがある。劇的ではないが、着実に地盤を固めつつ領の発展に貢献してきた。しかも、温泉もある程度は掘り当てている。それでも以前のヘラン領にあった数の温泉数まではいかなかったらしい。
それはそうだ。
以前が異常なのだ。
それはやりのけたのが俺らしいのだが、残念ながら覚えていない。
何か特別な知識を持っていたとしか思えない。それを今の俺は持っていない。となると、結論としていきつく先は一つしかなくなる。
……温泉を掘り当てることはない!!
残念な話だ。俺としてもできれば掘り当ててやりたい。しかし、そんなにうまくはいかないのが現実だ。
一時的に彼らも残念がることだろう。まぁそれも時間が癒してくれるに違いない。
俺が今日やるべきことは、必死に温泉を掘り当てる事なんかじゃない。
彼らに教えるんだ。もう温泉を掘り当てる男はいないんだと。
地道に歩こう、職人街の開発はすこぶる順調だ。それでいいじゃないか。これからは違う道がヘラン領を待っているのだから。
結構な距離を歩き通し、俺たち一行は街から離れた荒野に来ていた。
ヘラン領では珍しい、乾いた土がむき出しになった土地だった。多くの場所を緑や花で覆われたこの美しい土地でも、こういった場所はあった。すこしひび割れ、乾燥気味の土に、俺のシャベルを差し込んだ。
「ここだ」
俺の言葉に、集団が戸惑う。
ここに到着するまで、俺が何を支持しても気持ちよく息の合った返事をしていた彼らだったが、流石に変事に困る。
土は日に照らされ、パサついている。雑草すらもこの地に生えること嫌う。綺麗な鳥の声なんて聞こえもしない。田畑に向いた土地ではないので、人が近くに住んでもいない。
全てから嫌われたかのようなこの土地を俺は掘ることにしたのだ。
当然湧き上がる疑念。こんなところで温泉が湧くのか? という当然の疑念だ。
もちろん温泉なんて湧くはずもない。
そんなことは俺が一番知っている。俺が知っているだけじゃだめだ。今日は彼らに教えに来たのだ。俺にはもう温泉を掘り当てる能力はないと。
「ここを掘るぞ」
俺が率先してシャベルで土を掘り進めていく。
ざっくざっくと、乾いた土と銅でできたシャベルが擦りあう音が響き渡る。領民たちもしぶしぶ続く。
さっきまでの活気はどこへやら。
俺以外、全員の動きが重い。
心苦しい思いはぬぐえないが、これでいい。これでいいんだ。
俺は無心に掘り進める。体が掘ることに慣れているせいか、一人だけ進みが速い。もう下半身が完全に埋まるくらいの深さまで来た。こんな隠れた能力なんていらないんだが。まぁいい、どうせ本来の目的は達成しつつある。
良いはずだったんだけど、このままで良いはずだっただけど、あれ? 掘り進めた穴にシャベルを突き刺した途端だった。今俺の掘り進めている真下がなんか揺れた気がする。丁度俺の足から頭までが穴に入るくらいの深さまで来たときのことだった。
そして、直後、ゴゴゴっと地面からわずかな音が聞こえた……。
近くにいた領民の何人かが目ざとくその音に気が付く。
「今のは!? 」
数人か駆け寄って来た。穴の中の俺に視線を落とす。
おいおいおい、まさかな。そんなまさかだよな。
「今の音は!? 」
「すまない。ちょっと腹がなったみたいだ。みんなそろそろ昼にしないか? 」
「えー、まだ始まったばかりですよ? 」
当然の不満だ。体も疲れていないし、昼時にはまだ早い。しかし、何か嫌な予感がする。このまま進めていったら……。
「まぁいいじゃないか。さっきの音聞こえただろう? 領主があんな腹の音を出しているんだ、ちょっとくらい昼飯を速めても罰は当たらんだろう」
「ははっ、領主様朝飯ちゃんと食べたんですか? まぁいいですよ。ではみんなに伝えてきます! 」
その活きの良い若者は言葉の通り、200名のメンバーたちに聞こえるように昼飯の連絡をしていってくれた。
俺も穴から出て昼飯を食べに行こう。
片足を上げて、両手を地表についた時だった。地面がまた揺れた。
「……」
気のせいかもしれない。
もう一度よじ登ろうとする……、ダメだ絶対揺れている。勘違いなんかじゃない。
頭を抱えた。
穴から出られない!!
自分から昼飯を提案しておいて、穴から出ないだと!? 不自然なことこの上ない。
さてどうするか。
おそらくだが、俺が蓋になっている。
俺が穴から出た途端、揺れが再開し、音が鳴りだすに違いない。そして、待ち受けるのは湧き上がる温泉の恵み!!
あれ? それでいいじゃないか。いやいやいや、違う違う違う。危うく甘い罠に引っ掛かりそうになってしまった。
俺には温泉を掘り当てる能力なんてないんだ。今回は奇跡が起きただけ。今日は彼らに、俺には温泉を掘り当てる能力がないということを教えるのが大事であって、温泉はやはり掘り当ててはダメなんだ。
うむ、やはり非常に困った。
むなしく悩んでいると、先ほどの活きのいい若者が穴を覗きにやって来た。
いつまでも出てこない俺に疑問をもってやって来たらしい。当然だな。
「領主様、みんな待っていますよ。来てくれないと自分たちも食べれないですよ」
「ああ、先に食べていてくれ。そうだ、俺はここで食べるから弁当を持ってきてくれないか? もう少し地質を確認しておきたいんだ」
そういうと彼の顔はぱあっと笑顔に染まった。
「流石領主様! 昼飯の時も温泉のことを考えているだなんて! いやー、休憩中は何も考えたくないってのが普通なのに。でも地質のことまで考え続けているんですね。天才っていうのはこうして出来上がるんですね! 」
「……まぁな」
なんかめちゃめちゃ納得してくれた。ごめんね、地質のことなんて全く興味ないのに。
彼はすぐに弁当を届けてくれた。運が良かったのは、彼がすぐに仲間内に戻ってくれたこと。この場に残られたら下手に動けなかった。片足上げるたびに揺れたんじゃ、流石にバレてしまう。
昼飯を食べたからと言って、根本的な解決にはなならない。俺が穴から出られないことには変わらないのだから。
しかし、焦っても駄目だ。今はどうどうと蓋になりきろう。弁当を食べて、わずかならが体重を増やして抵抗だ。なに、2,3時間も居座れば温泉もあふれ出す気持ちを抑えてくれることだろう。世の中大抵気持ちが熱いのは一時なのだから。
さて、弁当を食べるにしても穴はなかなか狭いな。とりあえず、シャベルは抜いておこう。
さっと抜き去って、シャベルを地表に出した。これで俺の座る場所ができた。
弁当はエリーが持たせてくれたものだ。腰を下ろすと、弁当箱を開けた。色鮮やかで、かぐわしい匂いが穴に広がる。
「朝からこんなに手の込んだものを……。ありがとう、エリー」
感謝の意を述べ、俺は料理に手を出した。
味が口いっぱいに広がる……、同時にお尻辺りにも何かがいっぱいに広がった。
……うっ。
必死に感覚を研ぎ澄まさなくても、何が起きたのかわかった。
俺の尻、右半分に大量の水分が付着したのだ。
「……」
漏らしたにしても場所がおかしい。尻の右半分だけ汗を急激にかいたなんて経験もない。あればあったで困るが、そんな特異な体じゃない。
……この位置。シャベルが突き刺さっていた場所だ。それがちょうど尻の右半分の真下。
揺れ、音と来て、とうとう水分か。
地表はあんなに乾いていたのに。ありえない。ありえないなんてことはありえないけど、やっぱありえない。
冷や汗が止まらない。弁当を食べ進める気になれない。もはやわずかな動きでさえ怖い。
時間だけが過ぎ去った。
活きのいい若者は昼飯を食べ終わっても、健気に俺のもとに来た。
食べかけの弁当を手に持ち、深刻な顔して座り込む俺をみて、彼はなんと思ったのだろう。
「領主? お気分でも優れませんか? 」
「少し日にあてられて気分が悪くなっただけだ。休んでいれば良くなる」
「では涼しいところにお移り下さい。あちらに木陰がありますので」
手を伸ばして、俺を穴から出そうとする。
「いや、穴の中がいい。ここが好きだ」
差し伸べらた手を、当然断る。
「そうは言っても、垂直に掘り進めているので、もろに日が当たりますよ? 」
「このくらいの日がちょうど心地いい」
「日に当てられたのに!? どういう体調ですか!? 」
「ちょっと説明が難しいな。ほら、そろそろ仕事に戻れ。そうだな、もっと違う場所を掘ってみてもいいかもしれない」
「そんな訳にはいきませんよ。クルリ様が掘った部分を中心に、我々は掘り進めます! では仕事に戻ります! 」
ニコッと爽やかな笑顔で彼は走り去った。
しばらくすると、穴の周辺で活気を取り戻した彼らの声が聞こえてくる。ザックザックと良いペースで掘り進めているようだ。
穴の中でずっと座っているのもなかなか大変で、ちょっとだけ腰を浮かして体勢を変えようとしたのだが、揺れと、音と、水が同時に噴出した。すぐに座りなおす。
尻どころじゃない、下半身がずぶ濡れだ。
もはや、動きすら許されぬというのか……。
終わった。これは終わった。
……しばらくして、決心がついた。
とりあえず、エリーの弁当を平らげる。
だんだんと熱くなってきた尻付近にも我慢の限界が来ていた頃だった。
俺は勢いよく立ち上がり、穴からはいずり出た。
「みんなー!! 逃げろー!! 熱湯が、温泉が噴き出すぞー!! 」
俺が走り出し、領民が走り出し、穴は盛大な音を出し、辺り一帯に強い揺れが起こった。
距離が開ききらない間に、とうとう穴からは大量の熱湯が噴出した。
「あっつ!! 」
男たちの肌と、乾ききった荒れ地にみるみると水が注がれていく。
空高くまで噴出する水の柱。俺たちは感嘆した気持ちでそれを眺め続けた。
あれまー、とうとう湧き出ちゃったよ。
大量、大量。
整備すれば、ここは立派な温泉地になるな。
領民たちは肩を抱き合って喜びを分かち合っていた。都合の悪い奇跡だったけど、この笑顔が見られたのなら、まぁ良かったのかもしれない。
しかし、俺に温泉を掘り当てる能力がないのは事実。リカバリーは早いうちにやっておくとしよう。
この日は盛大に彼らと祝ったが、次の日はもっとひどい土地を選んでやろうと頭の中では画策していた。
で、次の日。
「あれまー」
で、またその次の日。
「あーれまー」
で、またまたその次の日。
「あーれーまー! 」
で、数日が過ぎ去った。
今日も当然のごとくブシューっと湧き上がる熱湯の柱。水が分散して、暖かい雨が降り注ぐ。もう驚くことももなくなった。
なんてことはない。どうやら、俺には温泉を掘り当てる能力があるらしい。これはプロと名乗っていいレベルだわ。