6章 18話
かなりの硬さを誇る卵の殻にぴきぴきと罅が入った。俺がこの一週間乳飲み子のように背負ってきた卵に変化が生じたのだ。
そろそろ頃合いなのではということで、今は卵の孵化室に来ていた。
馬の厩舎のように藁が敷かれているだけの質素な空間だが、暖かみがあって生まれてくるドラゴンには居心地がよさそうだ。
「どんなドラゴンが生まれるか楽しみですね! 」
付き添ってくれたラーサーが嬉しそうに卵の様子を見守った。
俺も嬉しい。まだ一週間の付き合いだが、背中の重みは愛情の重み、と大事に背負った卵だ。
「あっ、産まれるよ! 」
もう一人付き添い人であるアイリスも興奮してきた。
俺のパートナーになるドラゴンだ。3か月で大人になり、ラーサーたちや騎士たちが乗っていたように俺も背中に乗ることができるようになると聞いている。
その最初の第一歩がこの場で踏み出されようとしている。
バキバキと岩が崩れるような男が響いた。
「ぷぁー」
ぽこっと白い鱗を持ったドラゴンが頭を出した。
そこから一、二分かけて全身もこの世界へと踏み出した。
大きな頭と、同じくらいのまん丸とした胴体。手足は短く、尾もかなり短かった。背中にちょこんとある翼がアクセサリーみたいでキュート。二頭身だ。いかにも幼児体系って感じですごくかわいい。
「白い鱗のドラゴンはどうなんだ? 」
隣にいるラーサーに聞いてみた。先日ライドドラゴンについて説明を受けていたが、そうはっきりと覚えてはいなかった。
「白はまだ確認されていませんね。それにしても……」
「それにしても? 」
「え? いや、何でもないです」
何かあるな! 絶対何かある!
「アイリス、何かるのか? 」
方一人の付き添い人であるアイリスにすがってみた。そしたらサッと顔を背けられた。何!? 絶対何か隠してんじゃん!
「白い鱗はまずい色だったりするのか? 」
「いえ、そういうわけでは。本当に確認されていないので」
「じゃあ、他に何かあるのか? 」
ラーサーを見る。サッと顔を背けられる。
アイリスを見る。同じくサッと顔を背けられる。
「言って! 超気になる! 」
「ああ、非常に言いにくいのですが……こんな体系のライドドラゴンは初めて見ました」
「え? 体系? 」
それからライドドラゴンの幼児期についていろいろ聞いた。
ドラゴンは子供のころは幼児体系で大人になるにつれて皆が知っているような姿になっていく訳じゃないらしい。生まれたときから、姿は既にドラゴンなのだ。もちろんサイズは小さいが。
しかし、俺のライドドラゴンは控えめに言ってもぽっちゃりしているそうな。
しかも背中についた翼は桁違いに小さい。二人はそのあたりを気にして俺から視線を逸らしていたのだ。
「なんだ、それだけか。全然気にすることないじゃん。こっちのほうが可愛いし」
「そ、そうですか? それならいいのですが」
事実俺はこの白いドラゴンを愛らしく思っている。たまにぷくーっと頬を膨らませる動作は即死レベルで可愛い。
「お前の名前は……プーベエ。うん、プーベエに決定だ」
「可愛い名前ね。クルリが可愛いっていうから、だんだんそう見えて来たよ」
産まれた時は気まずい雰囲気が流れていたこの空間だったが、30分もしたらアイリスもラーサーも気兼ねなくプーベエと接してくれるようになった。
脇を触ったり、お腹をぽよぽよ突っついたりしている。
そんなことをしているもんだから、ラーサーが右腕を噛まれてしまった。
よくあることなので、と言っていたがかなり痛そうだった。
プーベエをいじる時は気を付けることとしよう。
「ぷー」
「おっ、お前はそう鳴くのか。いいぞ、何がしたいんだ」
ラーサーとアイリス曰く、産まれて一時間もすればパートナーとライドドラゴンは意思疎通がなんとなくできるようになるらしい。そろそろ一時間くらいなので、俺は一生懸命耳を傾ける。
「ぷー」
「あっ! わかった、ちゃん伝わった! プーベエはお腹が空いたらしい」
「なんかイメージ通りですね。普通産まれて一日は何も食べないんですけど……」流石はプーベエ! 規格外のライドドラゴンになってくれそうだ。
「食べ物を持ってくるね。基本雑食だから私たちの食べ物で大丈夫だよ。待ってて」
アイリスが取りに行ってくれる間、俺とラーサーはもっとプーベエを知ろうと観察し続けた。
「ラーサーのライドドラゴンは何ていう名前なんだ? 」
「インフです。かっこいい名前でしょう? 」
「かっこいい」
確かにかっこいいが、俺はプーベエが一番だよー。
それから、王女様であるアイリス様にご飯を取りに行かせた挙句、藁の上で3人と一匹で食事をとることになるのだが、プーベエの誕生に興奮してそれがちょっとおかしいことだとはこの時は思わなかった。ちょっと後ですごくまずい気がしてきて、ちょっと不安にはなったが。
プーベエは何もかもが成長の早いドラゴンだった。
食事をとった後、プーベエはきゅーという音をたてながらその身を地面から話した。
翼が小さいという話だったが、無事に俺の視線の高さまで飛んだ。
いや、なんだこれ!? 翼が動いていない。
なんかほっぺとお腹がすごく膨れている!?
ゆっくり触れてみると、体は先ほどよりも柔らかい。
さっきのきゅーという音は空気を大量に吸い込んでいた音らしいとすぐに分かった。プーベエは翼を使うのではなく、空気を吸って飛ぶライドドラゴンだったのだ。
すごい、すごすぎる!
しばらく宙に浮いていたプーベエだったが、飽きたのかふらふらっと俺の下に戻って来た。そして俺の頭の上に着地する。
「ぷー」
ここがいい、ということらしい。
プーベエは見た目ほどの重さはなかった。それどころか非常に軽い。俺の首への負担はほとんどないようなものだった。
しかもかなり俺の頭が気に入ったようなので、俺としても嫌がる理由が泣かった。
「よろしくな」
「ぷー」
よろしく、だそうだ。素直なやつで良かった。
ライドドラゴンは他のドラゴンたちと接するといろんなメリットあるということなので、プーベエが落ち着いたころ、ラーサーの赤いライドドラゴン、そしてアイリスの青いドラゴンたちと接した。
「ぷー」
このドラゴンたち大きい。とプーベエは良く感心していた。
ドラゴンのランクについてだが、プーベエはそこも規格通りにはいかなかった。
ラーサーの最上級のドラゴンの命令は全ドラゴンが何より優先的に従うはずなのだが、プーベエは一切指示には従わなかった。逆にプーベエが支持をだしてもラーサーのインフは指示に従わない。
縦社会のドラゴンたちであるはずが、プーベエはその列からはみ出した存在としてこの世に生まれた。
「なんだか、アニキのドラゴンって感じですね」
とはラーサー談。
「クルリのもとに普通のドラゴンが生まれたらそれはそれで変よね」
とはアイリス談だ。なんだそのイメージは。
とにかく、俺はなんだか不思議でいい感じのドラゴンを手に入れたらしい。
「有事の際、全てのドラゴンは私の指揮下に入ります。しかし、敵に格上のライドドラゴンがいればそれは一気に状況を覆されます。アニキのドラゴンは型にはまらないので、そういったときは活躍してもらわねば」
と将来の危険な仕事の依頼も受けてしまった。そんなことがないと一番いいのだが、ていうか騎士と貴族しか持つことを許されない卵なのだから、事実そういった事態は想定し難いだろう。でも、万に一つといこともある。
その時は頑張れよ、プーベエ。
王都での生活はすごくいいものだった。
俺は今、王城の外まで来ていた。
頭の上にはプーベエが乗っている。隣にはアイリスとパートナーのライドドラゴンであるレインがいる。その少し後ろにラーサーと彼のライドドラゴンのインフが控えていた。
そして、目の前にはコートを着て、深くフードをかぶった男が見舞いに来ていた。
「僕を覚えているかい? 旅立ちのことを聞いて駆け付けたんだ」
「トトだっけ? ギャップ商会のボス」
「その通りだけど、昔のことはやっぱり思い出せないのかい? 」
「うーん、ちょっと無理だね」
「ならいいや。今度ヘラン領に行くよ。そしたら昔みたいに一緒に新種の薬草を開発しよう。君が生み出してくれたものは今我が商会で一番の売れ筋なんだから」
「ちょっとその利益、ヘラン領に回してくれるんだろうなぁ」
「はは、もちろんさ。新しいものを生み出したら、利益は半々といこう。前もそうだったからね」
相変わらず、彼とは話しやすい。
どうやらアイリスとも親しい仲みたいで、簡単に挨拶を交わしていた。
「じゃあ、俺らいくから。仕事がんばれよ」
「そっちこそ。ヘラン領には山ほど仕事があると思うよ」
「だな」
握手を交わし、俺はラーサーのライドドラゴンの背に乗った。
アイリスとラーサーもいつでも飛び立てる体制に入る。
バサッとインフがその大きな翼を動かした。その巨体が嘘のように軽く空に舞い上がる。
プーベエも風邪を感じられて嬉しそうだ。
ドラゴンの上からトトを見下ろした。元気に手を振ってくれている。
王城のほうも見てみると、レイルとアーク王子が控えめながら窓から見送りをしてくれている。
じゃあ、王都。俺は帰るべき場所へ帰るよ。
インフは飛びたった。目指すは、『エリーとクルリの鍛冶屋』である。
「今更だけど、なんでアイリスとラーサーもついてくるんだ? 」
二人は俺を送ってくれるだけでなく、しばらくヘラン領に滞在することも決まっていた。
「私はほら、アニキの弟分ですから、いくらでもこき使って下さい」
とはいうものの、ラーサーは有事の際、ライドドラゴンの総指揮者になるのだろう? 俺を襲ったときみたいに。まぁ有事の出来事なんてそうそうないか。ヘラン領が落ち着いたら、ラーサーは帰してやろう。ライドドラゴンがいるのだ、また来たくなったらいつでも来られる。そういう時代になったのだ。
「アイリスは? 」
「クルリの不安要素を取り払ってあげるよ」
不安要素とは……エリーのことだとすぐに分かった。
エリーはあの鍛冶屋を好いてくれている。恥ずかしい話だが、俺との生活も悪くないと思っているらしい。いずれは、一緒になんて俺は思っているが、相手も憎からず思ってくれているはずだ。
それなのに、俺は今からエリーを迎えに行くのだ。
一緒にヘラン領へ行って下さいと伝えなければならない。
彼女は嫌がるんじゃないだろうか。その不安をアイリスが取り払ってくれるらしい。何か気さくでもあるのか、アイリスは自信たっぷりだった。
俺たちが目を覚ました土地では、まだライドドラゴンは一般的ではなかった。空を飛ぶ俺たちを、人々は驚愕の視線で見つめ続けた。
「あっ、あの細い路地。銅像が三体並んでいる場所! 」
「見えました。なんです? あの銅像たちは」
ほほほ、それは近くで見てのお楽しみ。
アイリスもラーサーも腰に剣をつけた豚、狸、羊に驚いていた。
ふふふ、もう二度とこの店を忘れないでしょう? エリーの奇策なのです。
俺とアイリスとラーサーはライドドラゴンたちを店の外につなぎ、窓から中の様子を少しだけ伺った。
どうやらエリーが客と話し込んでいる。相手の話に細かくメモを取っている。あれは多分既製品ではなく、オーダーメイドを欲しがる客だ。俺がいないので、エリーは事細かに要望をメモしてくれていると。ううっ、ごめんよ長いこと店を開けてしまって。
「見ての通り、エリーは今の仕事が結構好きだ。連れ出せるかな? 」
「まっかせなさい」
アイリスがどーんと胸を叩いた。
客の対応が終わったのを見計らい、俺たち3人は店の中に入っていった。
エリーが俺の顔を見て、笑ってくれた。俺も微笑み返す。
「戻ったよ」
「あら、お土産は忘れていないでしょうね」
「もちろん」
王都で大量に買ってきたものをエリーに渡した。センスないわねと小言を言いながらも、エリーは喜んでくれていた。
「あら、二人はお客さんなのかしら」
エリーが遅れてアイリスとラーサーの存在に気が付いた。ずっと俺に目が行って、珍しく周りが見えていなかったらしい。かわいいやつめ。
「あらっ、しかも頭の上に可愛い生物が乗ってる! 」
プーベエにもようやく気が付いたらしい。どれだけ視野が狭くなっていたのか。
プーベエを抱き寄せて、嬉しそうに接するエリー。ほほえましいぞ。彼女がプーベエを気に入ってくれて良かった。
「エリーさん、お久しぶり」
「エリザさん、本当に久しぶりですね」
放っておかれていた二人が、エリーに声をかけた。
「あら、初対面だと思うのですが……」
「それは追々説明するわ。それより、エリーさん。わたしはこれからクルリとヘラン領に行くわ。彼はヘランの領主になるの。店は残念だけど、移転になっちゃうわ。エリーさん、どうする? ここに残る? クルリと一緒に行く? 」
急な話でエリーは少し混乱した。
帰ってくるなり、急に引っ越しの話だ。戸惑わないほうがおかしい。
「わたしはクルリの仕事を手伝う。ヘラン領が落ち着くまで、ずっと側で彼を支える」
「彼を……側で……? 」
キリッとした鋭い視線が俺に飛んできた。エリーの眼光がすごいことになっている。
「誰よこの女」
俺への問いかけだったが、アイリスが答えた。
「クルリの昔の女よ」
そうなの!? それ本当!?
「ぐぬぬぬ、わたくしも行くわ。ヘラン領でもどこでも行くわ! クルリ・ヘラン。あなたはわたくしのものよ! 」
ビシっと人差し指を向けられ、わたくしのもの宣言をされた。こういうのは俺から言うべきことなんじゃないかと思ったのだが、まぁうまくいってよかった。
アイリスの作戦はこれだったか。昔の女、そこの真偽がすごく気になります。
エリーはアイリスにすごい対抗心を燃やしていたが、アイリスはそんなことなく再開したエリーのことを好ましく思っていた。二人の会話からそれがうかがえる。
こわもてのエリーと何を言われても笑顔を絶やさないアイリス。そんな感じだったから、エリーもそのうち毒気を抜かれた。
店を発つことになった。
4人で忙しく片づけをする。省人たちはどうしようか。ヘラン領でも店をオープンできると良いのだが。
結局剣たちはバロルさんに全部渡した。彼の店で売ってもらうことにしたのだ。
ここでの生活お世話になったポリーさん、バロルさん、ライオットたちに別れのあいさつを済ませた。ライオットはすごく悲しんでいたが、ラーサーへの対抗心が湧き上がりすぐに立ち直ってもいた。感情が複雑で大変そうだ。
目覚めてからお世話になった土地と、こうしてお別れを済ませた。
ライドドラゴンから見下ろす街は、なんとも哀愁のある綺麗な景色だった。
ヘランの土地では、俺の帰還が一週間前から知らされていた。
流石にライドドラゴンで帰ってくるとは思わなかっただろうが、屋敷の近くにある市場に降り立った時、すぐさま領民たちに囲まれた。
俺の顔を知らない人たちもいたが、話がまたたくまに広まり、この日は飲めや食えやの大宴会となった。
俺がなぜこれだけ歓迎されているのか、ときたま不思議になったりした。
でも、すぐに結論は出た。
記憶がなくなる前、俺はきっと俺のやるべきことは果たしていたんだ。だから今度もそうしよう。
朝。
俺のために真っ先に建ててくれたという屋敷に入り、執務室領主席に腰を下ろした。
補佐席に座るのラーサーとアイリスに目をやる。二人とも、やる気に満ちた目だ。ありがたい限りだ。こんな友人を持てて俺は幸せである。頭の上の相棒は寝ているみたいだ。今日も俺の髪が一番のお気に入りと今朝がたつぶやいていた。エリーは仕事を手伝う気はないらしい。今は洗濯をしてくれている。この家を支えるのがわたくしの仕事です! と意気込んでいた。期待しているよ、エリー。
これからいろいろ仕事が舞い込んでくるだろう。前はどう対処していたのだろうか? まぁいいか。前は前。今は今だ。
「さて、仕事をしようじゃないか」