6章 17話
ここ数日アイリスとラーサーの歓迎でかなりいい思いをしている。美味しいお肉、美味しいスイーツをこれでもかと平らげた。
昔は山のようなに積まれた食材でも全部平らげた、と言われて何件店を回ったことか。
記憶がないのでなんとも反論できないでいるのだが、山のように積まれた食材を平らげるほどの胃袋は持っていない。それは確実だ。
他に変わったことと言えば、背中の卵がごそごそと動き出したことだ。
パートナーがいない間は何年でも保存が効くというものなのに、人に触れているとこうも変化が激しい。生まれてきてくれるのが楽しみだ。
こんなだらだらした生活いいのか? そんな不安が押し寄せてきた頃、しばらくぶりにアーク王子が顔を出した。
俺とアイリスがかなり接近していたので、肩をつかまれて距離を取られた。ひと手間済んだところで、アーク王子が本題に入った。
「全くアイリスもラーサーも呑気なものだ」
「だってアニキが帰って来たんですよ? あと一か月はこうしているつもりです」
一か月も!? それは困る。エリーに店を空けすぎと後で怒られそうだ。
「そうはいかん。こいつがヘラン領に戻るためにはいろいろとやっておかねばならん」
「それもそっか。じゃあその後でまたラーサーとクルリと遊びに行こう」
おい! ラーサーと言ってること何も変わってないぞ。
それだけ歓迎されているってことで、俺としては嬉しいけどね。
「まったく……。次遊びに行くときは俺も誘えよ」
アーク王子、お前もそっち側の人間かい!
まじめにやってるかと思いきや、心の中ではそんな葛藤があったのね。
「さて!」
ビシっとアーク王子の人差し指が俺を指した。
「お前には今から会って貰わねばならん人物たちがいる」
「わかった。会いに行こう。その前に一つ聞いていいか? 」
「なんだ? 」
「卵、これは背負ったままでいいのか? 」
なんだか重要人物たちに会いに行くみたいだから、ちゃんと確認しておかねばならない。
「それは別にかまわん。今クダン国では”卵背負い中”は失礼にあたらないとされている。俺とアイリスの結婚式のとき、アイリスは卵を背負っていたくらいだからな」
ええー、それはどうなのよ。
「もっと都合つかなかったのか? 一週間くらい待てただろう」
「いやな、俺があげたプレゼントのなかで唯一大喜びしてくれたものだから、記念にな」
なんだかこの言葉だけで王子とアイリスの恋路が平たんなものじゃなかったんだなとわかってしまった。
きっと高価なものとかいっぱいあげたんだろうな。そのたびに突き返されてと。
ほほほ、すごくイメージが湧きます。
「という訳だから、すぐにでも会いに行くぞ。まずはトラル・ヘラン殿からだ」
「トラル……ヘラン? まさか」
「そうだ。お前の父親で、現ヘラン領の領主に当たる方だ」
たしかヘラン領の運営を放棄した人だよね。
しかも王都にいるというのに、未だに息子に会いに来ない。3年も姿を消していたんだぞ? 普通心配して飛んでこないものなのだろうか。
すごく不安になった。一体どんな人なのか。
「トラル殿は現在王城で寝泊まりしている」
王城におるんかい!! ますます会いに来いや!
「何やってんですか。なんか悪い想像ばかり出てくるんですけど」
「トラル殿はしっかりやっているぞ」
俺の前を歩き、父親の元へ案内してくれているアーク王子は自信たっぷりに言った。
あれ? 本当は立派な人なのか?どっちなんだ?
案内されてたどり着いたのは、小さな扉がある部屋だった。
「トラル殿の希望でな、いつもここで仕事をなさっている」
「一体、なんの仕事を? 」
「ああ、彼は今宮廷画家をやっている」
アーク王子が扉をあけ、その部屋の奥からナイスミドルな男性が見えた。
部屋は紙で散らかっており、彼の手は絵の具で汚れ、使い込んだ筆を一本握っていた。
「ん? アーク王子じゃないか。差し入れかな? 」
「ある意味では差し入れですね。 ほら」
アーク王子の手が俺を指し示す。
王子から紹介されたその人は、俺にちらりと視線をやると、片手を上げニコリと笑った。
「おおっ、クルリじゃないか。久しぶり」
……それだけだった。
軽っ!? めっちゃ軽いんですけど!?
「あの人、いろいろとなんか違うくない? 」
俺は小声で、そっとアーク王子に耳打ちした。
「変わったお人なのだ」
「あとで母さんにも挨拶しておくんじゃぞ」
いや、軽っ!? 3日ぶり!? 3日ぶりの再開なの?
「あんな感じだが、絵の才能はすごいんだぞ。あの年で新しい才能が開花するのもすごいことだしな」
「いやいや、ヘラン領は!? 絵描いてたの? ヘラン領が大変なときに」
「そういう人なんだ」
察しろと肩に手を乗せられた。
記憶がなくなる前、俺はこの父親とどう接していたのだろうか。とりあえず、今は見当もつかない。
「アイリスの肖像画もトラル殿が書いたのだ。巷に出回っているものは全部トラル殿の作品の模写にすぎない」
「へぇー。すごい」
いやいや、だまされかけた。
この人はすごくないよ。とんでもないポンコツだよ。絶対にダメな人間の側にいる人だよ。
「トラル殿、先日話したことですが、ヘラン領の領主は息子であるクルリ・ヘランに譲渡するということで宜しいか? 」
「ああ、もちろんじゃ。クルリ、また温泉を掘ったら教えてくれ。入りに行く」
ほらあ。なんかこの人だけノリが違う。すごく平和な世界に生きているよ。
「じゃあ、こちらへサインを」
「ほいっ」
持っていた絵画用の筆でサインを行なった。ひそかに見えたのだが、すごく達筆だった気がする。なんか腹が立った。
「ありがとうございます。では、我々はこれで。そうだ、父上が今日も夕食を共にと申されておりました」
「昨日の続きじゃな。もちろん行くと伝えておいてくれたまえ」
「はい」
一礼して、俺とアーク王子は退室した。
「父と仲がいいんだ。不思議とすごく話が合うらしい」
この国の王様とそんなに懇意にしているのか。自由奔放に生きてるな。なんかすごく腹が立つぞ。
「クルリ、このくらいでへばってもらっては困るず。次に行くところが今日の山場なのだからな。これはラーサーたちから必死に隠しておいたんだぞ。バレたらきっと付いてくるから」
それって絶対やばいところじゃないですか!
「安心しろ、俺は付いていく」
俺の不安を読んで、そんなかっこいいセリフをくれた。ちょっとだけ好感度が上がったのを認めよう。
「ダータネル家だ。こちらから赴いてやるのは癪だが、一応話は通しておく必要がある」
「ああ、確かヘラン領の領主になりたがっていた貴族」
「そうだ。利には聡いが、愚かな一家だ」
「なんだそれ。それじゃあ、ギャップ商会にも行くのか? 」
「あちらは問題ない。トト・ギャップが既に了承していてくれている。お前が領主になるなら、自分は薬草の開発に専念できると喜んでいたぞ。いい友を持ったな」
「全くだよ」
彼からもらった薬草がなかったら、ラーサーに斬られていたかもしれないんだから。
「ダータネル家は曲者だぞ。心してかかれよ」
それなのに二人で乗り込むのはどうなんだと思ったが、まぁいい。揉め事は嫌いじゃない。
王子の案内で、貴族街にある大豪邸の前まで来た。
辺りの建物をみても、やはりこの家だけは別格だった。 2名の門番までついているなんて、大層人件費がかかっているだろう。
「フレーゲンのやつに伝えろ。お前の大好きなアーク・クダンとクルリ・ヘランが来たぞと」
アーク王子は不敵な笑みを浮かべて、門番にそう伝えた。
王族の名前にピクリと反応した彼らは、片方がその場に乗り、もう片方が屋敷へと駆け込んだ。
息を切らせながらすぐさま戻って来て、門を開いてくれた。
「主が中でお待ちです」
若干不安な足取りの俺と違い、王子はどうどうと屋敷へと向かって歩いていく。
屋敷の中は外の様子から想像できたが、かなり合成な作りだった。どこもかしこも綺麗に清掃されているのは使用人たちが頑張っているあかしだ。
それより気になるのは、あらゆるとこに散りばめられた金色たち。窓の淵にも。扉の取っ手も。そしてこの館の主であるだろう肖像画に描かれている男の歯も!
金色が多すぎて目がちかちかする。
「趣味が悪いだろう? 」
「ほんとうに」
目的の部屋に通されるまで、どれほどの金色を見たことだろう。
通された部屋には長いテーブルがあり、その奥で一人の男が足をテーブルの上に乗せて座っていた。マナーが悪い。一目で悪印象を抱いた。
「アーク王子様よ。お前とは長い付き合いだが、ふざけた冗談を言うようになった」
奥の男が先に切り出した。ちょっとだけ見えたのだが、前歯が金色だった気がする。肖像画は真実の姿を描いていたのか。
「クルリ・ヘランが来ているだと? あやつは3年前に死んだではないか」
「フレーゲン。視力は大丈夫か? 」
アーク王子がフレーゲンの言い分に応答し、俺を親指で示した。
フレーゲンは一度目を凝らす。
そして、信じられないとばかりに部屋の奥から俺たちの元へと駆けてきた。
「まっまさか!? なぜ生きている!?」
俺が生きていることがまるで信じられていないようだ。そして、悪魔を見たようにみるみると彼の顔色が悪くなる。
「あいたたたったた。お腹が痛い」
「昔お前にいろいろやられたから、顔を見るだけで腹を痛めるみたいだ」
ああ、そういうこと? 俺は何をやったんだよ。
「ふざけるな。一体何をしに来た! あいたたたた」
「ヘラン領の領主の剣だ。お前がなりたがっていた領主の立場だが、本命が現れたため、話はなしだ。これは既に国王を交えた議会の会議で決定済みだ」
「馬鹿な!? こいつは死んだはずだ! 詐欺師か? なにか巧妙な罠か? ありえない。いたたたたた、腹が」
めっちゃ腹痛そうだな。申し訳ないよ。
「書状を持って来た。今後一切ヘラン領に関わるなという内容だ。お前の名で署名しろ」
アーク王子がトラル・ヘランに渡したもの似た書類をフレーゲンに突き出した。ただ、すんなり署名なんてしてもらえる雰囲気じゃないぞ。
「署名だと? してたまるか! 俺は屈さんぞ! あいたたたた」
言葉の迫力とは裏腹に、すぐにお腹を抱え込むので残念なことこの上ない。
「ようし、ならば署名するまでこの屋敷に滞在するとしよう。いいな? クルリ」
「もちろん。夕食の時間だけ教えて貰っていいでしょうか? 」
俺とアーク王子はテーブルに備え付けられた椅子に腰を下ろした。
金色がうざいが、清潔感のある家だ。何日間くらいなら粘れるぞ。
「帰れ帰れ帰れ! えーい、帰れ! はっ腹が! 」
「帰らん! 」
「今日のメニューは何でしょうか? 」
「ああーーーー!!!!」
こうして俺とアーク王子は居座り作戦が完璧に功を奏し、無事署名を貰うことができた。俺が部屋から出るとフレーゲンの腹痛も収まったみたいなので、みんな幸せになって良かったね。
こうして、俺はドタバタしながらも、正式にヘラン領を継ぐ準備が完了した。
さあ、いつまでももたもたしている訳にはいかない。
帰るべきヘラン領へ戻る時が来た。