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6章 2話

バロルのところで頂いたお金は少し多かったみたいでモチモチパイを5枚も買えてしまった。

出来立てほやほやをあの謎の美女にも食べてもらいたかった。急いで目覚めた建物へと戻る。施錠せず眠ったままの美女を放り出した俺どうなのよ、とか今更に思ったが、目覚めたときは俺だって冷静な判断ができていたわけじゃない。戻ると美女は無事なまま眠っていたので良しとしよう。


改めて眺めるが、本当にきれいな人がそこにはいた。

きめ細かい肌なんて、思わず触りたくなってしまう。セクハラになってしまいそうなので、そこは我慢した。モチモチパイを買って帰ったはいいものの、この謎の美女は未だ目を覚まさない。白い繭の中ですやすやと眠ったままだ。

冷める前に目覚めてほしいのだが、いつ目覚めるかなんて見当もつかない。一体自分たちに何があったのだろうか? 思い出そうにも思い出せないので、考えることは放棄した。


このままだとモチモチパイが勿体ない……。

繭にくっつかないぎりぎりのところまでモチモチパイを近づけた。謎の美女の嗅覚を刺激するようにモチモチパイの香りを漂わせてやる。

「……ん、うっ……」

……謎の美女が艶めかしい声を発した。

これは予想外。食欲で目覚めないか試したかっただけなのに、思わぬ収穫。

もう一度モチモチパイの香りを漂わせる。

「あっ……」

なんだろう、この支配してしまった感覚は。

もう一度嗅いでごらん。

「きゃっ……」

彼女はほほを赤らめて先ほどより一際おおきな声を発した。もしかしたら、ここは天国なのかもしれない。目の前の気の強そうな美女は女神さまで、善行を積んだ俺にご褒美中なのか? いや、冷静になろう。


もう何度か続けようとしたのだが、彼女の体がピクリと動いた。

目覚めるのか? 

今度は指がはっきりと動いた。そして、すぐさま全身に力が入り、「んー」と声を発しながら謎の美女は瞼を開いた。


大きくて綺麗な瞳が繭から透けて見えた。眠っていた時より更に綺麗に見える。気の強そうな印象もより一層高まったが。

何が何だかわかっていないようで、でもすぐに自分を包んでいる繭を両手で破って彼女は出てきた。

当然、目の前にいる俺に意識が向いた。

「あなた、誰ですの?」

「俺にもわかりません」

「……危ない人なのかしら」

「そういう訳じゃないと思う。自分のことが思い出せなくて。そういう君は自分が誰だかわかるの?」

「もちろん、わたくしは……あれ? 誰でしょう?」

「ね? 俺もそんな感じ」

「あら、まぁ」

彼女は改めてこの建物の中を見渡した。生活感がなく、隣には自分の入っていたものと同じ繭がある。

「あなたも目覚めたばかりなのかしら?」

「いや、俺はもうちょっと早く目覚めた。で、外でこれを買ってきたんだ。モチモチパイ、めちゃめちゃうまいよ」

俺の差し出したモチモチパイを彼女は受け取ったが、あまり気が進まない様子。

「食べてみて、すっごいお腹空いているはずだから」

「え、ええ……」

彼女は恐る恐る一口齧ってみた。

……はむっ。

……はむはむっ。

……はむはむはむっ、んーーーーーーー!!


言葉にならない音を発して、彼女はモチモチパイを全部口の中に放り込んだ。ぷっくり膨らんだほほを赤く染めながら、目からは感動の涙をこぼしていた。なぜか知らないが、勝ち誇ったように片手を突き上げていた。


「あの……もう一枚……」

「どうぞ」

予想通りだったので、彼女にモチモチパイのお代わりを差し出す。まだあるよというように残りも見せたのだが、彼女は一枚目同様全部口に放り込んで勝利の拳を突き上げた。

その後に喉を詰まらせて、もがき苦しむ彼女を助けたことは……記憶に残さないようにしようと思った。彼女のせっかくの美しさが霞むようなものを覚えていたくはない。


「ふぅ、お腹が満たされてなんだか幸せだわ」

「自分のこと思い出せそう?」

「いいえ、まったく」

それもそうだ。俺もモチモチパイを食べたが、なんの変化もない。腹が膨れるくらいじゃ、記憶は戻ってくれそうになかった。

「ねえ、あなたのことなんてお呼びしたらいいのかしら?」

彼女は俺の顔を覗き込んで、そんなことを訪ねてきた。

困った質問だ。自分のことなど何も覚えていないのに、どう呼べばいいかなんて。


ふと、先ほど行った鍛冶職人の工房での出来事を思い出した。あの名剣の作り手、確か名前をクルリ・ヘランと言っただろうか。かなりの腕前だったらしいが、数年前に亡くなったとのこと。実は彼のあの名声に少し嫉妬していた。なぜなら、自分も彼に負けないくらいの剣が打てそうな気がするからだ。直感がそう言っている。


「クルリ……と名乗ろうかな」

明確な理由は自分でもわからないが、なんとなくクルリの名を借りて、名乗ってしまった。

「ふぅーん、なにか緩い感じのあなたにお似合いな名ですね」

結構きついことを言うお嬢さんだ。いかにも性格にきつそうなところがあると思っていたけど、予想大敵中だ。


「そういう君は? 」

「えっ!? わたくしも?」

「当然だ、ここで出会ったのも何かの縁だし、呼び名を決めておこう。それに俺の名をからかわれたしね。是非、君のセンスのいいところを見せてほしいものだ」

少し意地悪く彼女を挑発した。緩いなんて言われたし、このくらいでちょうどいいだろう。

「え、えー……。エリーなんてどうかしら?」

きょろきょろしながら、彼女はそういった。

エリー……、エリーね。うん、悔しいがなんかかわいいぞ。すごくいい。

「ど、どうなの!」

「へっ、こどもっぽいかな」

間髪入れず伸びてきた両手が俺の首に回されそうになった。かろうじてよけたのだが、あのままだと俺を首を絞められていたのか? めちゃくちゃ猟奇的なんですけど。気が強いなんてもんじゃないんですけど! 危険ですよ彼女!!


「こわっ! 何この人!」

「あなたが侮辱するからです」

「侮辱なんてしてないよ。ところで、なんでエリー?」

「……少ない記憶の中に昔舞台を見た映像があります。貴族の令嬢が盗賊と駆け落ちして、街で静かに幸せに暮らす話。そのヒロインの名前がエリーゼなの。なぜ、こんなこと覚えているのかしら? まあいいわ。そこからとったの」

「そのエリーゼに憧れているのか?」

多分そうなのだろう。でも彼女は恥ずかしそうにして答えなかった。代わりに別の言葉飛んできた。

「……あなた、嫌いですわ」

「こちらも同じ気持ちだ」

顔はタイプだけどね。もちろん言わないけど。


殺伐とした雰囲気が漂いだして、どうしようかと悩んでいたら、この家の扉が開かれた。

「あっ」

と声を漏らしながら入ってきたのは見た目16,7歳の素朴な顔をした少女だった。目が細く、肌は小麦色をしていた。化粧気のない健康な田舎娘って感じだ。


「あらぁ、目覚めたんですか?」

「目覚めました、はい」

「いやー、いつ目覚めるかわからなくて、何も準備できてなくてごめんなさい」

彼女は急いで部屋の中に駆け込んできて、手にしていた掃除用具を隅に置いた。この建物の中が清潔なのは、彼女のお陰らしかった。

隣の女……エリーもそれがわかったらしく、二人して畏まった態度で彼女を迎えた。


「二人ともそんなに畏まらないでください。私はただの街娘でして。お二人は多分お偉い身分なので、畏まるのはこちら側だと思います」

「多分?」

「え、はい。多分、二人とも高貴な方じゃないかと思っておりました。二人とも綺麗な顔しているので、高貴な血が流れているんじゃないかと……」

「ごめん、俺たちどうも記憶がないみたいなんだ。よかったら知っているところからでいいから全部話してくれないかな?」

「もちろんです! それが私の仕事でもありますので。でも、とりあえず何か作りましょう。たぶん、お腹空いていますよね」

「大丈夫。さっき市場でモチモチパイなるものを買って二人で食べたんだ」

「ああ、あれ。私も見ました。美味しい匂いを漂わせていましたが、喉に詰まりそうな形してるなーとも思って、買わずにいたんですよねー。私おっちょこちょいだから良く食べ物を喉に詰まらせるんですよ。本当に苦しんですよね、あれ。あー、ごめんなさい。なんだか、自分の話をしてしまって。二人は上品な方っぽいので喉に食べ物を詰まらせる経験なんてないですよねー。あははっは」

俺は覚えていないが、エリーは先ほど詰まらせていたので、君だけじゃないことを俺が保証しよう。


気の優しそうな女の子は俺たちの前に腰をかけ、指を顎に当ててどこから話すべきか悩んでいた。

「あっ、私名乗り忘れていました。ポリーと申します。両親が経営している酒屋のお手伝いをしております。将来の夢は美味しいお酒を造れる男の人と結婚することです。歳は今年で16です。好きな食べ物はお酒に合うものです。といっても、お酒は飲めないんですけどねー。あははは、酒屋の娘だからお父さんとお母さんやお客さんのつまみを食べる姿を見ていて、なんだか私まで好きになっちゃいまして。そしたら昔、そういうことを友達の前で……」

「もっ、もういいかも。ポリーさんって素敵な感じですね!」

かなりマイペース! それはだけ理解したよ。

「あははは、ありがとうございます。なかなか褒められることも少ないので、うれしいです。もし私のことを好きっていうならお酒を造れる男になってください。私は酒の造れる男でないと付き合えないので」

「……はい。覚えておきます」

ポリーさんの長い自己紹介が終わり、再びどこから話そうか彼女は悩みだした。はたして俺たちは過去を知ることができるのだろうか!! ポリーさんの様子から不安を覚えるのは俺だけじゃないはずだ。


「雨の日でしたね。お父さんが昔の友人に頼まれて借金の肩代わりをしたんです。それが10年前のことです」

10年前!? 俺たちは今から何の話を聞かされるんだ。もしや10年も眠っていたのか?

「あっ、酒屋を開いたのは12年前です。幼いながらも、私覚えているんですよ。あの時は希望にあふれていました。時代も好景気でしたし。近隣の皆さんから祝いだとかでいっぱいお花をもらったり」

話それてるね、これ。間違いないよ。絶対10年も眠ってないよ。


「それからいろいろあって、二人と出会ったのは3年前のことです」

端折れるんかい!! 7年、端折れる人だったんかい!!

一応恩人っぽいし、黙って聞くよ。ただ、すごく言いたい。端折れるんかい!!


「あなた、なにか熱くなってないかしら?」

エリーにそんなことを指摘された。見ててわかるくらい俺は熱くなっていたらしい。


「肩代わりした借金が払えなくなりそうになって、店を手放そうってなったんです。私は嫌で、本当に嫌で、お父さんとお母さんに必死に抗議しました。でもお父さんは仕方ないからって。お母さんもただただ寂しそうに笑ってて。私はお父さんの昔の友人が許せなくて、借金を肩代わりして以来顔を見せないあの人が許せなくて。でもどうしよもなくて……」

そこは端折ってほしいよね。切実に。

壮絶なる苦労話を聞かされ、俺とエリーはだいぶ気分が落ち込んだ。その昔の友人が悪いと思います。本当に。


「そんなとき、モランという人が現れたんです。老人だったんですけど、どこかダンディーでこの人がお酒造れるなら結婚してもいいかなとか思って……。いろいろあって、その人が借金を払ってくれたんです。私嬉しかった。世の中には悪い人もいるけど、いい人もいるんだなって。で、そのモランさんが頼んできたんです。自分はいつまで生きられるかわからない身だから、とある二人を頼むと言われたんです」

「それが俺たちなのか?」

「はい、そうです。モランさんは二人について詳しくは教えてくれませんでした。ただ、いつ目覚めるかわからないから、と大量の手間賃を渡されました。その額は正直多すぎて、これなら2号店とか開けちゃうかもとか思ったんですけど、でも人の善意を無下にはできなくて、それ以来3年間こうして空き家を借りて、二人の世話をしていました。世話といっても、モランさんからはご飯もいらないしお風呂とかも必要ないし、特にやることはないと言われていました。ただ、身の安全を守ってくれさえいればいいと」

「……モラン」

全く思い出せない名前だった。

「あの繭はすごい魔法だったみたいですね、こうして二人が元気に目覚めたのが今でも信じられない気持ちです。モランさんにずっと感謝しておりましたが、ようやう恩を返せた思いです。本当に二人とも目覚めてくれてありがとうございます」

「いえ、こちらこそ」

どうやら俺たちはもともとモランという人に助けてもらっていたらしい。大金を払ってまで彼女に俺たちの身を預け、その人は行方を消したと。

なぜ? なぜ俺たちのためにそんなことをしたのだろうか。


「私はモランさんに感謝してもしきれません。お金もすごく貰っております。そのモランさんが二人は尊敬に値する人物だとおっしゃっておりました。だから、私にとっても二人は尊敬に値する人です。好きなだけここにいてください、面倒は全部私が見ますので」

お金をもらったことなんて隠せばいいのにとか思ったけど、どこまでも純粋なひとなんだと見ていればわかる。

きっと甘えればいつまでも面倒を見てくれるんだろうなという予想もつく。


「ポリーさん、いままでありがとうございました。自分たちに何があったのか思い出せませんが、こうして目覚めることができたのはあなたとそのモランさんのお陰ですね。モランさんからもらったお金は全部自分のために使って下さい、目覚めたからにはこれからは自分で生計を立てていくつもりです。多少はお世話になるかもしれませんが」

「それだとモランさんに申し訳ないです。なんでも言いつけてください」

本当にいいのに。このままだと押し問答になりそうなので、視線でエリーに救いを求めた。


「あなた何かできそうな仕事でもあるの?」

質問はなぜか俺に向けられた。それもそうか、自分で生計を立てていくというのだから具体的な話をしておくべきかもしれない。

「鍛冶職ができる。少しだけでも元手があれば、お店を開けると思う。お店はこの家でいいかな? 腕には結構自信があるんだ……多分」

「じゃあ、その必要そうな少しの元手を借りたら? あとはポリーさんに最初のお客さんになってもらおうかしら。店がうまくいきそうなら、ポリーさんもモランさんに申し訳なく思う必要もないでしょ?」

救いを求めて正解だったみたいだ。的確な解決策をこの場に与えてくれた。それと、エリーのハキハキとしゃべっている様子を見ていると、かっこいいと思えた。

「かっかこいいですー」

ポリーさんも同じことを思ったようだ。

「お金は本当にたくさん貰っているのでいくらでも元手として持って行ってください。鍛冶職人だったんですね。ところで、お二人の名前を聞いていませんでした」

「クルリと呼んで」

「わたくしはエリー」

「クルリさんと、エリーさん。これから楽しくなりそうです!」


さあ、掃除に取り掛かりましょうと言って立ったポリーさんは、そうだ!と急に思い出して、再び俺たちに向き直った。

「モランさんから絶対に伝えてほしいと頼まれていた言葉がありました。えーと、心して聞いてください」

な、なんだろう。ちょっと怖いような。

「ど、どうぞ」


「二人とも自らの責務を果たした。目覚めて以降は自らの幸せだけを考えて生きていくといい」

忘れていなくてよかった、とつぶやいてポリーさんは掃除用具を取りに行った。

モランという人の優しさが透けて見えるかのようなセリフだった。妙に心に残るのも、そのためだろうか。

その後、ポリーさんは掃除していくと言ったが、それを断り、エリーと二人で部屋の清掃をすることになった。これからしばらく住むことになる家だ。自分たちの手で丁寧に掃除してやるべきだ。掃除しながら部屋を眺めてみる。物がほとんどないのですごく寂しい感じがする。家具とかも揃えなくちゃなーとか考えた。


あれ?

ちょっとした疑問がわいたので、近くで真面目に掃除しているエリーに声をかけた。

「あのさ、ポリーさんとの会話のことなんだけど。さっきの言い草だと、エリーもここにいる感じ?」

「当然でしょ? ほかに行くあてなんてないもの。半分はわたくしの領地よ」

領地って、大げさな。

「もしかして、お店も手伝う感じ?」

「当然でしょ。ほかに仕事なんてできそうにないし。私の美しさがあれば剣がだめでも買いに来るお客はいるんじゃない?」

「失礼な。俺の腕を見たら惚れるぞ。大体なんで自分が美人だとわかるんだよ。目覚めたばっかりだろ」

「あら、あなたちょくちょくわたくしに見惚れてるじゃない。それが証拠よ」

うっ……。ばれていたか。


「仕方ない。一緒に頑張っていくか」

手を差し伸べたが、プイっと顔を逸らされた。仲直りの握手はしてくれないらしい。

「なんだよ、感じ悪いぞ」

「あなたのこと嫌いだって言ったでしょ」

「でも一緒に頑張っていくんだろ? なら嫌いなままじゃやりづらいだろ」

「あなたのことは嫌いよ。でも顔はそんなに嫌いじゃない。だから我慢してあげるわ」

エリーはそう言い残して2階を掃除しに行った。

……うん、まぁ、まぁ。あれ? 俺の顔は嫌いじゃないのか……。あああ、あの子、まさか! つ、ツンデレ!?  ツンデレなの!?



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