6章 1話
長い間更新できず申し訳ございません。新章突入です!
ここは一体どこだろう……。
俺は薄い布状の膜でできた繭に包まれて目を覚ました。”私は蛹になりたい”という夢がかなったのかもしれない。そんな願いをした覚えはないが。
膜を両手で破ると視線の先に知らない天井が見えた。本当にどこだよ。
ていうか、記憶がはっきりしない。頭がぼーっとしてしまう。目をぱちぱちさせて意識をはっきりさせようとするのだが、それでも記憶が戻ってこない。ここがどこなのか、なぜ自分がここにいるのか。
辺りを見回すと、もう一つ繭があった。その中を覗き込んでみた。薄い膜の奥に透けて見える人物がいた。この人のことも知らない。いや、思い出せないという感じのほうが近いか。繭の中には気の強そうな、びっくりするレベルの美人がいた。こんな美しいと、ずっと見ていられますよ。本当に。
……ここがどこだか知らないが、なんだか悪い場所じゃない気がしてきた。
隣の女性がいつ目覚めるかわからないので、とりあえずこの知らない建物の中を見て回った。一見ただの民家なのだが、家具などなくほとんど生活感がない。長い間放置されていたのかな? それにしては清潔に保たれている。俺たちが目覚めていない間、誰かかが定期的に清掃に来ているのかもしれないと思った。その人は近いうちに来てくれるのだろうか? 来てくれるのなら、詳しい状況を聞きたい。ぽっかりと記憶が飛んでいるのだ。今は何よりその部分を埋めたかった。
外を見ると日が真上まで登っていた。昼頃だろうか。
やることもないので、ぼーっと外を眺めた。
人の賑わっている声が遠くからする。近くに市場でもあるのかもしれない。
どうせ暇なので、建物を出て、そのにぎわう声のするほうへ歩いて行った。小道をしばらく歩き、大通りに出た。予想通り市場があり、かなりにぎわっていることが分かった。通りの両端にいろんな店が立ち並び、間の通路を所せましに人々が行き来していた。
「おい、金持ちそうな兄ちゃん。うちで何か買っていかねーか?」
金持ちそうな兄ちゃんとは……。俺のことなのか?
「赤い髪した兄ちゃん、あんただよ」
戸惑っていると指をさされた。確かに俺は赤い髪をしていた。どうやら俺は金持ちそうに見えているらしい。
「すまぬが、今は持ち合わせがない」
そのはずだ。ポケットを探っても財布なんてなかった。
「なんだよー。でもよ、うちのモチモチパイは旨いからなぁ。食っていきなよ。気に入ったらまた来てくれればいいからさ」
「随分とサービスがいいんだな」
優しいおっちゃんにモチモチパイなるものを貰い、食べてみた。
「……」
「なっ、どうだい?」
思えば、俺はあの繭の中で眠っていたのだろうか。それもどれほど長く? 記憶がなくなるくらいだから、結構長かったのかもしれない。つまりはだ、何も食べていなかったことになる。
でも、見た感じ体は飢餓に苦しんでいたわけではなさそうだ。もしかしたら、食べる以外に栄養を吸収する方法があったのかもしれない。そこらへんは追々知っておくこととして、食べてなかったのには違いなさそうだ。
だって、無限に噛んでいたいほどこのパイは旨かったのだ。手にしていたパイを全部口に入れて、頬を膨らませながら食べた。気が付けば涙がたれ、鼻水も少したれ、ほほを赤く染めて喜びに浸っていた。
「おいおいおい、貴族っぽい兄ちゃんよ。そんなに喜んでくれるとは思わなかったよ……」
「……もう……いっ」
「うん? なんだって? まず飲み込んでから言いな」
そうすることにした。ごくりと飲み込み、おじさんにもう一度告げた。
「もう一個、いただけないだろうか」
「ははっ」
おっちゃんは予想外だったのだろう。ツボに入ってしまったようで、しばらく笑い続けた。
落ち着いたころ、おっちゃんは嬉しそうにもう一枚パイを焼き始めた。
「実は今日から商売を始めたんだ。先行き不安だったんだけどよ、貴族様にここまで喜んで貰えるなら自信を持ってもよさそうだな」
そういえば、金持ちっぽい兄ちゃん、貴族っぽい兄ちゃんから、気が付けば貴族様と呼ばれている。果たして俺は貴族なのだろうか? 違っていたら、なんかごめんなさい。
「お金はいつか必ず払う」
「いいってことよ。今日は開店記念ってことでサービスしてやるよ」
言質はとりましたよ? おっちゃん。
焼きあがった二枚目も一気に頬張り、ほほをぷっくり膨らせながら食べほした。おっちゃん以上に先行き不安な身なのだが、今はとりあえずすごく幸せだった。
おっちゃんに礼を述べ、市場を再び歩き出した。
歩き出してから思い出したのだが、建物の中にいた美女にもあのパイを食べさせてやりたいなと思った。きっと自分と同じように感動するくらい美味しく食べるはずだ。戻っておっちゃんに頼もうとしたのだが、二枚もサービスしてもらった後でもう一枚頼むのはなんだかすごく申し訳ない。いや、そもそもお金があれば済む話だ。おっちゃんの店の売り上げにもなる。
ならば、金を稼げばいい。あの美女がいつ目覚めるかわからないが、お金を稼いで損になるはずはない。よし、やってやりますか!
と、決意してみたものの、記憶があったころの自分は何をしていたのだろうか?
おっちゃんは貴族様って呼んでくれていたけど、貴族様は一体何をしてお金を稼ぐのだろうか? 果たして、おっちゃんにパイの代金を払える日は来るのだろうか?
ちょっとだけ真面目に考えてみたが、悩んでも仕方ないので市場の探索を続けた。またサービスしてもらえるかもしれないという下心はありませんよ!
でも貰えるものは貰いました。なんか貴族っぽいといろいろサービスしてくれるみたいね。覚えておこ。
大通りを進んでいくと、人込みはだんだんと解消されていった。
食べ物や衣類を売っていた区画を過ぎて、どうやら職人があつまる区画に来たらしい。革製品を扱っている店や、貴金属を加工している店なんかもある。ここらは造る専門で、賑わっていた場所に販売店などがあるのだろう。弟子がたくさんいて騒がしいところや、一人で黙々作業をしている人もいる。
なにかお腹に入るものはいただけそうにないが、不思議とこの区画には落ち着くものを感じた。
居心地が良くて落ち着くと同時に、このあたりを歩くにつれて、妙に胸がざわつく。一体この胸のざわつきはなんだろう。ざわざわざわ。いきなりギャンブルが始まるのだろうか。そうではなさそうだ。
とうとう、俺の耳は決定的な音を耳にした。
カンッという、金属と金属がぶつかりあうような音が聞こえだした。職人区画の中でも、ここらは鍛冶職人が集まる場所らしかった。近づくと辺りでカンカンとどこも熱した鉄を熱心に打ち込んでいた。胸がざわつく。俺はもしかしたら、鍛冶職人だったのではないかとふと思った。
目の前の職人が持っているハンマー、あれ妙に自分の手になじむ気がしてならない。そして、こいつあんまりいい腕してないなと分かってしまうあたりも、俺が鍛冶職人なのではないかと思う理由だ。
「仕事中すまない。一つ聞きたいのだが、私は鍛冶職人なのだろうか?」
「ああ!? 知らねーよ! ん? なんだ、貴族様か。仕事の邪魔しねーでくれ」
変な質問をしてしまったようだ。俺が鍛冶職人なのかどうか、わかるはずもないか。でも、そろって貴族だと思うんだね。じゃあ、多分だけど、俺貴族だよ。
しばらく、それぞれの仕事場を見て回った。正直修行不足な連中が多い。と、思う。自信はない。そんな気がするだけだ。
全部見て回ったけど、一番腕がいいのはこの区画の真ん中あたりに仕事場を構えている老人だった。弟子は取っていないみたいで、一人黙々と剣を打っていた。
「貴族様にはこんなものでも珍しくて見ていたいもんなのかね」
そうやって声をかけてきてくれた以外、彼はずっと無口で仕事をこなしていた。彼の仕事を見ていると落ち着く。そして、自分も剣を打ちたくなる。
どれくらい見ていただろうか、時間がたつのも忘れていた。気が付けば、老人と俺の側に一人の剣士が立っていた。纏う雰囲気や体つきからわかる、この人相当強いと。
「バロル殿、剣を直していただきたい」
「またかの」
二人は見知った間柄みたいだ。
「先客か?」
剣士は俺のことを気にした。
「いや、珍客じゃよ。気にせんでいいと思うよ」
「ええ、ただの見学です」
俺は老人の意見に同意した。
「そうか。では私の依頼を受けてほしい。これだ」
剣士は背負っていた長い剣を鞘ごとバロルと呼ばれた老人に渡した。老人はその長い剣を苦労しながらも受け止め、剣をサヤから抜いた。
両刃の直剣。一目見るに、かなりの名剣だとわかる。刃の根元に、この剣を打ったであろう職人の名前が刻まれていた。『クルリ・ヘラン』と。
「これはこれは、一流の冒険者ともなるとすごい代物を持っておるものじゃのう。まさか、この目でクルリシリーズを見られる日が来るとはの」
老人の顔に歓喜の色がさした。そしてすぐに、その色は失われた。
「しかし、また、お前さんが使うと剣はいつもこうなってしまうわい」
老人が悲しむのも仕方なかった。せっかくの名剣なのに、刃はぼろぼろに欠け、剣の真ん中に罅まで入っていた。
「自分の腕の未熟さはわかっているつもりだ。しかし、ブラックドラゴン相手には剣を犠牲にするほかなかったのだ」
「お主の腕を未熟だとは言わんよ。お主が未熟なら冒険者の9割は能無しになってしまう。しかし、粗さがいつまでも抜けきらんのも事実。せっかくの失われたクルリシリーズをこんな状態にしおって」
「……すまない」
お互いに剣を愛するが故の会話に思えた。老人は叱ってはいるが、この剣士の腕を認めているし、剣士は剣士で老人の言葉にしっかりと耳を傾けていた。作り手と使い手の理想な形に思えた。
老人は打っていた剣を一旦中止し、依頼の剣を隅々まで観察していった。
そして、長いこと考えて、ようやく口を開いた。
「だめじゃ、もうこの状態ではなおせんよ。少なくとも、ワシの腕ではな」
「なっ!? 街一番の鍛冶職人であるバロル殿ができなければ、誰に治せるというんだ」
「この街にはおらんじゃろうな。可能性は低いが、どうしてもというなら王都にいくほかなるまいよ。必要なら紹介状は書いてやる。せっかくのクルリシリーズだ、このまま諦めるのは、ワシももったいないと思うでな」
「うっ……、せっかく手に入れたのに。勿体ないことをしてしまった」
「そのようだの」
二人は明らかに落胆していた。
そして、俺は思っていた。
あれ? 俺なら直せる気がする、と。
どう切り出したらいいのだろう。かなりの名剣っぽいし、簡単には触らせてくれそうにないし。でも、もしかしたらこれでお金がもらえるかもしれない。そしたら、繭の中にいたあの美女にモチモチパイを腹いっぱい食べさせてやれる。
なら、申し出るほかないだろう。
「俺が直しましょうか?」
「は?」
剣士ににらまれた。まぁ、まぁ、まだ予想の範囲内なので睨み返したりしないよ。
「貴族様よ、滅多なことをいうもんじゃないわい」
老人が子供をあやすかのような口調で言った。剣士に激昂される前に、彼が代弁してくれたみたいだ。
「わかっている。今俺の頭はちょっと異常な状態なんだけど、発言に責任が付いて回ることくらいわかっている」
「では何か? バロル殿でも直せない剣を、それも失われたクルリシリーズをそなたのような小僧が直せるとでも?」
剣士は相変わらず高圧的な口調だ。礼儀正しい反面、ふざけた連中は大嫌いなのだろう。そして、彼の目には俺がふざけた連中に見えるのだ。
「そう言っています。どうせ、誰も直せないんでしょう? なら俺に任せても、そのまま死んだ剣として捨ておくのも一緒でしょ? ダメでもともとと思って俺に任せてみませんか?」
「可能性は低いが王都なら直せる鍛冶職人もいるんだ。貴様に任せられるはずはない」
「あーもう、あったまかったいなー。俺に任せれば、一時間で直してやれる。しかも、料金はモチモチパイ二枚分でいいよ。どう?」
「ふんっ、余計に怪しくて任せられんわ。バロル殿、今日のところはこれで。次来るとき、王都の職人の紹介状を頼む」
「ああ、わかっておる。剣はワシが預かっておこうか?」
「できれば頼みたい」
「あい、わかった」
剣士は去っていった。今だ怒り収まらない雰囲気だった。
「あれは人一倍剣が好きなんじゃよ。剣がダメになって、更にいきなり直せるなんて身も蓋もないことを言われた怒ってしまうわい。どういうつもりか知らんが、貴族様とてなんでも許されるものではないと思うぞ」
またも諭されてしまった。
え、俺が悪いの? そうなの?
「でも、直せるものは直せるし……」
「頑固じゃのお主も。ワシの仕事をずっと見ていたということは、ある程度剣を見る目はあるのかもしれん。しかし、それでいきなり仕事は任せれんよ。大体お主鍛冶職人なのか?」
うっ……。記憶がないので何とも言えません。
黙っている老人の目がほら見たことかという感じになっていった。
「そもそもクルリシリーズも知らんじゃろう」
「うっ……」
今度は声に出た。
「でも、いい剣だっていうのは一目見てわかった」
これは事実だ。ボロボロの状態でもいいものだってはっきりと分かったのだ。
「そりゃそうじゃ。クルリシリーズなんて誰が見ても惚れ惚れするものじゃ。それこそ赤子が見てもの」
そうなのかよ。知らねーよ。記憶ねーんだから。
「ただでさえ、剣があんな状態になったらもうだめじゃ。それなのに、クルリシリーズの剣と来ている。クルリシリーズはな、伝説の鍛冶職人クルリ・ヘランが打った剣たちのことじゃ。独特なつくりの剣が多くてな、並みの技術を持った職人じゃ、手を加えるたびにその質を劣化させてしまうものじゃ」
「へぇー。すごい人がいるもんですね。さっき失われたとか言ってましたが」
「すごいも何も。世に残している剣は数少ないけれど、そのどれもが国宝級の名剣たちじゃ。誰も知らぬ無名の鍛冶職人じゃったが突如名を挙げて、3年前突如行方を消した人物じゃ。死んだという説が有力じゃの。噂は多く出回っているが、どれが真実かはわからん。一説では貴族様だったとかいう話もある。笑えるな」
へぇー、っとまた声がでた。
「シリーズは何本あるんですか?」
「神級3本。天級10本。聖級30本。はっきりとクルリ・ヘランが製造したものと分かり、世に出回っているのはそれだけじゃ。先ほど持ってきた剣は聖級30本の一本、アマツじゃ」
へぇーって感じだった。
そのクルリって人生きてたらきっと大金持ちだったのに、勿体ねーな。
「まぁいいや、直させてくんないんだったら、何か手伝わせてよ。帰りにモチモチパイを買って帰りたいんだ」
「弟子は取っておらんよ」
「いや、弟子じゃなくて。何か簡単な仕事でいいんだってば」
「しつこい貴族様じゃの。任せる仕事なんてないわい。今打かけの剣、あれを仕上げてみろ。あれだけ豪語したんだ、そのくらいはできるのじゃろう?」
というわけで、バロルの打かけの剣の仕上げをやれることになった。
うーん、失礼だがその製造段階の剣、出来がよろしくない。一から作りたいが、文句を言ったら追い出されそうだし、これを仕上げるほかなさそうだ。要はモチモチパイを買えるだけの金が手に入ればいいのだ。これを仕上げたらそれくらいくれるだろう。
剣を仕上げる手順は考えずともできた。不思議だった。頭では全く思い出せないのに、体がひとりでに動く。何も考えることなく、気が付けば剣は仕上がっていた。
ベースが良くなかったが、かなりいい仕上がりだと思えた。さっきバロルがやたら褒めていたクルリ・ヘランとかいうやつの剣といい勝負しそうな気がした。
剣が仕上がったので報告に行こうと思ったのだが、バロルはずっと側で見ていたようだった。俺が集中していたように、彼も集中していた。
「どう? 打ち終わったよ」
「あ、あぁ……」
どこか魂の抜けたような声だった。
「あのさ、いきなりこんなこと言うのも悪いんだけど……」
「ん? あぁ」
魂はまだ帰ってきていない。
「モチモチパイ分の代金でいいから、貰えない? 仕事したしさ」
「ああ、持っていけ。奥に金庫がある。好きなだけ持っていけ……」
バロルは俺の打った剣を手に持ち、それから更に魂が抜けたように剣を見続けた。
俺がモチモチパイ分の代金を頂戴し、帰るね! と声をかけている間もずっと、彼は口を開けたまま、ただただ剣を眺めていた。