5章 15話
究極魔法は早く行えばより良いらしい。土地に与えるダメージがそれだけ減るからだ。究極魔法が完成している今、ためらう必要なんてない。
俺はいつでもよかったんだけど、モラン爺たちが時間に猶予を持たせてくれた。その理由はなんとなく知っている。というより、あれしかない。
決行は一週間後ということになった。
ヘランの地を捨てて今よそで大変な暮らしをしている領民を思うと、今すぐにでも実行したい気持ちになる。王都へ避難している両親のことも気になる。
ラーサーは王都へ帰してよかった。アイリスはアーク王子に迷惑をかけられていないだろうか……。レイルはそれを遠くで眺めて楽しんでいないだろうか……。
学園で大切な薬草を育てているトトは元気だろうか? 彼のことだから元気でも顔色悪く過ごしていることだろう。
遠く他国へ渡ったヴァインは彼の任務を果たしている頃だろう。不器用なりに大切な人を守っている姿が想像できる。そして、クロッシはそんなヴァインに守られながら、荒れた国をこれから立て直してゆくのだろう。
学園で出会った友たちのことが思い出される。短い間だったが、随分と濃い時間を過ごさせてもらった。
もうその学園に戻ることもないだろう。領地は没落するどころか、もうかつての栄光のかけらもない。没落貴族以上の状態だといっていい。そんな立場の人間がのうのうと勉学もないだろう。まず、やるべきことをやらねばならない。
このヘラン領を再建させる。かつて、温泉で栄えたヘラン領よりももっといい領にしたい。次はどんな領にしようか……。
職人の土地、そんな感じもいいかもしれない。俺の持つ鍛冶の腕を多く広げよう。それだけじゃない、もっともっといろんな職人をヘラン領で育てていく。この土地は将来国一番の職人であふれる、そんな領にしたい。
軽く思いついた未来設計図だが、横になって考えているとどんどんと面白いアイデアが浮かんでくる。まだまだ、俺はヘラン領に貢献できるはず……なんけどな。
でも、それはもうかなわない夢だと知っている。そして、俺はそれを受け入れた。
初代ヘラン領、領主ヘラン、彼が究極魔法を行使して呪いを止めたあの日のように、俺もきっと彼の後を追うことになるだろう。
そう、俺は死ぬんだ。
これだけの呪いに打ち勝つのだから、当然見返りは大きい。いや、たった一人の命でこの地が復活するのなら、安い代償かもしれない。うん、安い代償だ。安すぎる。
そうだ、俺の仕事はヘラン領の再建じゃない。死んだヘラン領を復活させること。真っ新だけど、美しい花が咲き乱れるあの土地に戻すことが使命なのだ。
それから先は……。また別の誰かの仕事になる。一番手助けしてくれたて、信頼を置いているロツォンさん辺りが率先してくれれば良いのだが……、あまり期待しすぎるのもよくない。あの人はすごく優秀だ。だから、わざわざ大変なヘラン領の再建に従事する必要もない。その才能は恵また土地でも広く受け入れられるだろう。
だとすると、誰に託すべきか? 大変な仕事になるのは間違いない。もしかしたら、邪魔が入ることもあるだろう。いったい、そんなもの、誰が好んでやるというのか。俺が考えるべきことじゃないかもしれないけど、どうせならそこのところハッキリさせてから行くべきところへ行きたいものだ。
悩んでいる間、時間はあっという間に過ぎた。
決行の日が近づいてくにつれて、時間の経過は更に早まっていく感覚に襲われた。
三日後に結構という日、モラン爺とペタルさんに呼ばれた。
暗い表情をしていたから、何を言おうとしているのか分かった。
「クルリ坊ちゃん、すまんの」
そんな言葉が、モラン爺の口から出た。
「何が? モラン爺たちには感謝ばかりだよ。謝られることなんて一つもないはずだ」
「いいや、今更じゃが、ようやくワシらは己らの愚かさに気が付いた」
「愚かさ? 俺の知る限り、モラン爺ほど賢い人を知らないな」
モラン爺はうつむきながら、頭は左右に振った。
「ワシらはバカじゃ。大バカ者じゃ。ワシらの夢を、この地を救うという夢を、結局ワシらは人任せにしたんじゃからな。……、究極魔法のこと、クルリ坊ちゃんに話すべきじゃなかった……」
「なぜ? 俺にしかできないことだ。なら俺がやるべきだし、これは俺が望んだことでもある」
「違う! ワシらが教えなけらば、結局究極魔法の存在も明るみにならなかったし、完成もしなかったはずじゃ」
「そうしたら究極魔法は永遠に失われる……。ヘランの地は永遠に呪われ、かつてこの地のために戦った者たちも報われないじゃないか」
「それでも……それでもじゃ。ワシらが代わりになれればよかった……。しかし、それができない。じゃから、クルリ坊ちゃんにやってもらうしかない。そう考えておった。しかし、それが今は正しいことかどうかわからない」
……なんで、今更そんなことを。彼らがなぜ、急に立ち止まり、今一度考えなおしているのか、その理由が全く見えてこない。
「俺、死ぬんだろ? でも、そんなこと恐れない。この呪いに打ち勝つことができるのなら、俺にしかできないことなら、喜んでこの命をささげるよ。この気持ちに嘘偽りなんてない」
「聡いクルリ坊ちゃんのことじゃ。そのことはとうに理解していると知っておったよ。あなたが決意してくれれば、ワシらも気丈に見届けようと……」
モラン爺もペタルさんも意気消沈した面持ちで、視線を交わした。何か、彼らが九通で抱えている悩みを今一度確認するかのように。
「女性の涙は辛いなりね……」
ペタルさんが声を漏らすように言った。
女性の涙……。
「その通りじゃな。ワシらは、クルリ坊ちゃんが、本人が一番つらい立場だと思っておった。すべてを守るため、あなただけ犠牲になるんじゃ。しかし、決意したあなたを止めることはできない。黙って、最後まで見送ろうそう決めていた」
モラン爺は大きく息を吐き出して、続きを話した。
「エリザ譲には、クルリ坊ちゃんが死ぬことを話していなかった。彼女も聡い、もしや気づいていたかもしれないが、改めて昨夜真実を告げた。ヘラン領がどうなるか、クルリ坊ちゃんがどうなるか……。彼女、涙を流しておったよ」
申し訳なさそうに、モラン爺は頭を下げた。俺自身が告げなきゃならないことを、代わりにやってもらっていたのか。
「エリザ譲はクルリ坊ちゃんを愛しているなり。女性の涙はハープので最後で良かったなり。そう、なんども見たいものじゃないなり……。あの一筋の涙、ハープが最後に流した涙とそっくりなりよ……」
ペタルさんは過去を思い出し、昨夜のエリザの涙も同時に思い出し、片手を胸に押し当てた。彼らが抱いている悲しさは、相当深い。
でも……。
「それでも、俺はやるよ! 」
「……もし、やらなければ、ヘランの地は呪われたまま。領民は他の地域で苦しい生活を強いられる。ありもしない責任をこの先ずっと問われ続けるじゃろう。しかし、それでもクルリ坊ちゃんは生きていける。エリザ譲の隣にいてやれる。それに、ワシは思うんじゃ、あなた様はこの世界にまだ必要な人物だと」
「俺はそうは思わない。やれることをやらないのは……、己を腐らせてしまう。俺は、ここで逃げ出せば、ただの能無しに成り下がるだろう。きっと、この先何も成し遂げられないまま、後ろ指をさされて死んでいくだけだ。そんなのごめんだ!」
「けど、エリザ譲はどうするなり? 彼女を置いていくなりか?」
……エリザを一人にか。彼女は今、家が大変で、母親と父親とも別れてこんな場所にいる。さらに、俺がいなくなれば、一体だれが彼女を守るのか。そんな守られてばかりの人間じゃないことは知っている。だけど、心配しないわけないじゃないか。
でも、俺は彼女を信じている。きっと、立ち直って、立派なご令嬢として返り咲く彼女の姿を。
「俺が話す。俺の気持ち、先のこと、エリザのこと。だからさ、モラン爺もペタルさんも公開するだけはやめてくれ。二人はこのために人生費やしてくれたんだ。二人だけじゃない、ハープさんも、初代ヘランも、みんなの思いが詰まっているんだ。きっと無駄にはしない。後悔もさせない。未来は、絶対輝いているはずだ。そのために、俺がいるんだ」
エリザは家の中にはいなかった。
彼女が好んで散歩する森のコースをたどり、泉のある場所で彼女を見つけた。きれいな水面を眺めながら、彼女は座っていた。もう涙は流していない。
彼女は俺に気が付いたが、特に何か反応は示さなかった。彼女の側に寄り、隣に座った。ちょっとだけ地面が湿っており、座る場所を間違えたようだ。
「そこ、少し湿っていますわ」
「みたいだ。ズボンのお尻の部分が少し濡れてしまった」
ぷっと二人して吹き出した。ズボンが濡れただけだったのに、なんだかやけに笑えた。笑えるだけ笑った。これが最後かもしれないだろう?
「これからヘラン領を救う勇者様がそんなことでどうしますか」
「はい。すみません」
「いいです? 領主たるもの、いつでも毅然としてなければなりません。たとえ、ズボンのお尻部分が濡れようと、誰にも悟られてはなりません。悟られたとしても、濡れたほうがお洒落と言わんばかりに堂々と! 」
「はい。了解しました」
「わかっていただけて結構。クルリ様はもう少し傲慢なくらいでちょうどいいのです」
もう少し傲慢なくらいか……。心得ておきます。
「クルリ様……」
「うん?」
「いままで、はっきりとお伝えしたことはありませんでしたが、私、クルリ様をお慕い申し上げております。ご存知でした?」
「……はい。なんとなく」
「クルリ様は、私のことをどうお思いで?」
て、照れるな。そんな率直に聞かれると。
「こ、恋しております。すごく大切な女性だと思っております!」
「すごく?」
「一番大切な女性であります!」
「よろしくてよ」
頭をポンと撫でられた。むずむずした気分になった。でも、うれしい。
「私、いつからクルリ様のこと気にしていたと思いますか?」
……いつからだろう。きっと学園でひと悶着起こった後あたりだろうな。
「花を、花をプレゼントしたとき?」
「ぶ、ぶー。違います。もっと前です」
「もっと前?」
いつだろうか。……んー、わからないな。花をプレゼントしたとき、それが効果覿面だったのかと思っていたが。
「正解は、一目見た瞬間からです。情熱的な赤い髪の毛や、貴族らしくない気さくな態度、優しい雰囲気。一目見た瞬間から私の心は奪われていましたわ」
う、うそ!?
そんなことあるの!?
「俺もだよ! エリザを一目見た時、この世にこんなにも綺麗な人物がいるのかと、自分の目を疑ったほどだ。本当に、鮮明に覚えている。眩しいほどに、輝いていて、それでいて力強くて、……ちょっと怖かった」
「なんですって?」
「い、いえ、なんでもございません」
それから昔の話をいろいろと話した。
彼女がほんとうはアイリスのこと嫌いじゃなかったこととか。むしろ好きだったとか。
ヴァインやクロッシのコンビのことも知っていたし、トトの変わった薬草栽培にも興味があったとか。アーク王子やレイルとは今じゃ良好な関係に戻っているし、官女がどれだけ学園生活を楽しんでいたか、俺はそれを知ることができた。聞いただけだから、全部はわからない。どうせなら、これからもそばで見ていたかった。
「エリザ、ちょっといいかな?」
「なんですの? せっかくこれから幻の芋の栽培方法を話すところでしたのに」
「大切な話だ。ちゃんと聞いてほしい」
それだけで、俺のいいたいことを察してくれたらしい。さっきまでの、彼女の楽しそうな表情が消え去った。
「俺は、三日後の究極魔法の行使で死ぬんだ。たぶん。いや、確実に、かな。伝えるのが遅くなってしまい、申し訳ない。もっと早く言うべきだった」
「……」
エリザは何も言わない。でも、俺はそのまま続けた。
「俺が死んでも、君には幸せでいてほしい。でも、お願いしたいことあるんだ。聞いてくれるかな?」
「……」
彼女はまたも何も言わない。
「ヘラン領が呪いから解放されたとき、君にこの領の再建を任せたいんだ。エリザの知恵と、能力があれば、きっとうまくいく。俺はそう信じている。でも、辛い仕事になるだろう。でも、エリザだから頼める。いや、エリザにしか頼めないんだ」
信頼しているエリザだからこそ。彼女だから、辛い仕事も信じて任せられる。お願いだ、俺のいなくなった後のことをよろしく頼む。
「……クルリ様のいなくなった世界なんて、芋の入っていないシチューと同じで無意味ですわ」
彼女は泉から掛け去った。
ちょっとよくわからない例えだったけど、どうやら俺のお願いは断られたらしい。エリザにお願いしたかった。そしたら、俺は安心して行けたんだけどな。
でも、悪いようにはならない気もする。
ラーサーが、アイリスが、トトが、アーク王子、レイル、もしかしたら他国からヴァインが、この領を守ってくれるかもしれない。彼らなら信頼できる。エリザ……に断られたのなら仕方ない。彼女には、また別な幸せの道があることを祈ろう。うん、きっと、華やかで幸せなことが、彼女に訪れますように。