5章 14話
暗い穴に吸い込まれるような感覚に抗いながら、全身を精一杯動かした。動かしたような気持になっていただけ、といったほうが正確か。
本当に体の一部が動いた瞬間、俺の意識が覚醒した。
目がぱっと開き、視界に入った頭上の木の葉たち。自分が木々に囲まれた自然豊かな森にいることが分かった。ああ、あれだ。食いだめた後、魔方陣に入れられたんだっけ? 魔力をすべて吐き出す段取りを行なったやつだ。ある意味爺さん方に嵌められたあれだ。
体がやけに気だるい。力が入らない。
そういえば、かなりお腹がすいている。そうか、この気だるさは空腹から来ているらしい。何か食べたい。
寝そべっているそばで、何かごそごそと物音がしたのが分かった。聴覚もはっきりしてきたらしい。起き上がるのはつらいので、首だけそちらに向けた。
……エリザが隣に座っており、手にはなぜかサンドウィッチを持っている。俺が起きたことに気が付いたらしく、少し目を丸くしていた。が、そのままサンドウィッチを食べ続ける。
「エリザ……もしかしてずっと側にいてくれたの?」
「いいえ。クルリ様が眠りについてからはボードゲームをしておりました。モラン様がそろそろ目覚めるだろうからと、食べ物を持っていくよう私に申し付けましたのでこちらに」
ああ……、そうなんだ。ボードゲームをしてたんだね。なら仕方ないね。
感覚的にかなり長いこと眠っていた気がする。確かに、ずっと側で見守ってもらえるだなんて、そんなの贅沢すぎるな。
「食べ物を持ってきてくれたのか。ありがたい。自分でも信じられない程の空腹感を味わっているよ」
「ええ……、でも申し訳ありません。サンドウィッチは食べてしまいましたわ」
なんで!?
「結構長い間待ってしまったので、ついつい出来心で……。申し訳ございません。美味しくて、やめられない、止まらない状態になってしまいまして……」
彼女は申し訳なさそうに顔をうつ向かせた。わざわざ食べ物を持ってきてくれたのに、責めるような感じになってしまって申し訳ない。そこまで怒ってはないから。
「いいんだよ、エリザ。ペタルさんの家に戻って何かいただくとしよう。すまないが、手を貸してくれない? 歩くどころか、立ち上がるのさえ、今はきつい」
「ええ、わかりましたわ。今持っているサンドウィッチを食べ終えましたらお手伝い致しますわ」
それ頂戴!!
……でも、もぐもぐ頬張っているエリザを見られたのは結構いい体験かもしれない。ちょっと咽て涙まで流しているし……。
「ぷっ」
「な、なんですの!?」
「だって、そんなに必至だから。見てると面白いよ」
「まぁ! そんなに可笑しかったかしら? ……でも、クルリ様が楽しそうならいいか」
二人して笑いながら、森の中を進みペタルさんの家を目指した。
彼女に支えられて歩くのも、悪くない。いい香りがするし。こんな何もないような場所でも、彼女のような人はいつでも清潔でいられるらしい。遺伝子が違うんだよ。遺伝子レベルで細胞がな!!
なぜか俺が誇ってしまったけど、それくらいい香りなんだよ。
「実はですね……今日のサンドウィッチは失敗してしまったんですの。ちょっと味見をしてみたら、まぁ! なんてひどい味なんだろうって……こんなのクルリ様には食べらせてはならないと思いまして……。それであんなことをしてしまいました」
「エリザの作ったものなら、なんだって美味しく頂ける俺の能力知らないの?」
「ふふっ、覚えておきます」
ペタルさんの家に着いてから、今度は会心の出来だというエリザ手作りのシチューをいただいた。やっぱり目覚めにはあったかいものが一番だ。胃にしみてくる。
食べている最中にモラン爺たちから成果を聞いた。
どうやら、3段階目はうまくいったらしい。しかし、驚愕の事実も伝えられた。
「えっ!? 1週間も寝てたの!? 本当に!?」
「それはそれは、もう死んだように」
いや、なにその不吉な例え! 起きたからよかったものの。
「途中本気で死んだかと思ったなり!」
ペタルさん、すんごいこと言ってんだけど。
「あまり爺さんたちを心配させるもんじゃないわい」
そうは言うが、俺はなにも説明を受けていないからね。気が付いたら食わされて、気が付いたら眠らされていただけで。
「途中、不安で不安でのぉ。エリザ譲にキスしてもらおうかと悩んだわい。でも、意味ないことに気が付いての」
そこは冷静になるな!!
「まぁうまくいってよかったわい。こういうのは結果良ければ全ていいんじゃよ」
うわっ。まとめたよ。ぐるっとざっくりまとめたよ。とんでもないこと言っておいて。
「それもそうかもしれない。うまくいったついでに、このままの勢いで4段階目も突破しようか。モラン爺、そっちの準備はできているの?」
「もちろん抜かりない。じゃが、もう少し、クルリ坊ちゃんの回復が必要ですかな。最後はかなりつらいものじゃからな」
かなりつらいか……。死の性質を持つ魔力の吸収だっけ?詳しく知らなくても、やばいことだけはわかる。……毒とか飲まされるのかな?これから実験を待つモルモットの心理がごとく、俺は来るべき4段階目に備えた。
あれからペタルさんもモラン爺も何も言ってこない。詳しい話をしてこないのには何か理由でもあるのか?
その代わり、爺様方はエリザとよくひっそりと話すことが多くなった。何か、彼女に大事なことを伝えているのかもしれない。それこそこれから行う4段階目の魔法についてのこととか。
それが正解だということは、数日後に分かった。
俺の体調が万全になったのを確認した後、エリザから告げられた。
死の性質を持つ魔法を放つのは、彼女の役目になったのだという。
「これは、すごく危険なことですの。クルリ様が眠り続けている間、その危険性について全て聞きました。最悪、この段階で命を落とすことも可能性としてゼロではないと」
なんとなく感じていたことだったけど、やはり危険はついて回るらしい。俺自身の決断はすでにできている。
いかなる危険があろうと、それを拒みはしないともう決めたんだ。
でも……。
「エリザに、そんな重い荷物を背負わせるのは……」
「いいえ、それは違いますわ。クルリ様、あなたの身に死が及ぶかもしれない。そんな大事なことを、私以外の者にやらせたくはありません」
彼女のまっすぐな視線がこちらに向けられる。じっと見ていると、吸い込まれそうになるほどきれいだ。でも、今はその綺麗さより決意の強さのほうが現れている。……彼女になら、任せてもいいと思えてくる。いや、彼女にやってほしい。エリザじゃないダメだ。
「殺すなら私がクルリ様を殺します!」
……うん、そうなんだけど。そうはっきり言われると、ちょっと怖いよね。もうちょっとオブラートに包もうか。
「これだけは誰にも譲れません。この手で息の根を止めて見せますわ!」
ちょっと方向間違ってるよね! 殺す方向に志がむいちゃってるもん。それは失敗した場合だからね!?
その思いっきり掲げている右手のグーを紐解こうか。じゃないと決意が間違った方向に固まってしまいそうだ。
「あつあつじゃのう。ワシらにもあんな熱い気持ちが滾る頃があったわい」
間違ってもないよ! 好きな女性から殺す宣言なんて、絶対ないから!
「眩しいなりね。青春を思い出すなり」
俺が知らないだけであって、彼らが若い頃はこんな修羅な恋もあったのかもしれない……。ないよね! 普通に!
「死の性質を持つ魔法というのは、それほど難しいものではありません。クルリ様が眠っておられた期間に習得できました」
「そうなのか。じゃあ、全てエリザに頼もうか」
「はい。しかし、クルリ様のほうでもやってもらうことがあるのです。人は本来、魔力に対抗する力が常に働いております。悪い気質の魔法に対しての抵抗は特に強く、死の性質を持つ魔法というのは通常相手に届く前に抵抗力でゼロになってしまいます」
「つまりは、その抵抗をなくせと。そういう訳だね」
「はい。私を信じて、全てを受け入れてくださいまし」
俺は体を覆う薄い魔力の幕を、体の奥深くへと収めた。普段意識することのない最後の最後まで、魔力を全て収める。
きっとこの状態で、少量でも、悪意のある相手から受ける死の性質を持つ魔力は、俺をあの世へ連れていく気がする。
でも、相手はエリザだ。
彼女なら任せられる。
……今更にして思うのだが、俺が抵抗なく死の性質を持つ魔力を吸収できる相手って、もしかしてエリザだけではなかろうか?
モラン爺でも、ペタルさんでも、ここにいないアイリスやラーサーでさえ、その魔力を発した瞬間、俺は一瞬だけでも抵抗を見せるかもしれない。
でも、エリザならそんなことはない。
俺は彼女に全て委ねることができる。
だって、まだ本人にはっきり伝えたわけじゃないけど、俺は彼女が好きだ。恋しているし、彼女の本質部分がすごく好きだ。
こんな気持ちを抱いている相手に抵抗するはずもない。彼女が言っていたけど、殺すなら自分がいいと。俺も似たようなもので、殺されるなら彼女がいい。
もしかしたら、彼女とここで会えたのは偶然なんかじゃないかもしれない。会うべくして会ったんだ。すべては、うまく回っていたんだな……。
「エリザ、いつでもやってくれ。俺は準備できている」
「はい……!」
エリザの詠唱が始まる。湧き上がる魔力は大きくない。
しかし、見たことのない暗い性質の魔力だ。これが死の性質を持つ魔力……。
魔力が完成し、彼女の腕の先に黒い球体が生まれた。あれを俺に放つのだろう。
体の力を抜いて、その瞬間を待った。
エリザの指示で、黒い球体が勢い良くこちらへ飛んでくる。
球体は胸から体に入り込んできて、一瞬で全身に溶け込んだのがわかる。
体中が冷たく感じる。指の先なんて感覚がない。でも、立っていられる。
完全な冷たさじゃない、奥底に、わずかだが、温かみがある。
エリザが込めてくれた思いがそこに感じられた。
その状態に慣れてきたころ、辺りが見える余裕が生まれてきた。エリザが心配そうに見つめてくる。モラン爺とペタルさんは冷や汗をかいている。随分と怖い反応をしてくれる。
「エ……リザ。大丈夫だ。君の魔法で俺は死なない。絶対にだ。……それに、俺はまだ死ねない。死ぬわけにはいかない!」
そこまで言って、頭の中から血が失われたように体の制御を失った。一瞬の立ち眩みだったが、真後ろに倒れかけた。
でも、衝撃はなかった。地面に倒れる直前、エリザが受け止めてくれたのだ。
「ごめん、男の俺が受け止めてやらないといけない立場なのに」
「今はいいんですよ」
ありがとう……。
究極魔法は完成した。
今ならわかる。体の中に眠る、かつてないほどの大渦が今目を覚ましたのだ。これで、ようやく呪いと戦う準備が整った。