呼んでもいですか?
<呼んでもいいですか?>
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「伊住。」
「え・・?」
ある日、私が事務所で業務日誌を書いていると、鈴井が近づいてくる。
「お疲れ様です。」
「お疲れ。あのな。」
「はい?」
「今日、会えへん?」
「え?」
鈴井は、小声でそう尋ねてきた。
「何か、予定あった?」
「い、いえ・・っ。」
「ほなら、会えるか?」
「は、はい・・。」
「そか。」
鈴井は笑顔をみせる。
「ほな、リハ室前くらいで待っててくれへん?」
「え?」
「オレ、まだちょっと仕事残ってんねん。さっさと終わらすから。」
「は、はい。」
「ほなら、後で迎えに行くから。」
「はぃ・・。」
鈴井はそう言うと、私の傍から離れていった。
(・・・会えるか?って・・)
その言葉の響きが、何だかくすぐったい。
(さっさと終わらすから、だって・・。後で迎えに行くからだって・・!!)
鈴井の言った一言一言に、私は一人ニヤける。
(彼女って感じ・・っ。きゃぁ!!)
嬉しさのあまり、私は顔が戻らなくなった。
「お待たせ。」
「え?」
誰もいない、静まり返ったリハーサル室の前で座っていた私は、頭上から聞こえてきた声に顔をあげる。
「ごめんな。」
「あ・・っ。い、いえ!」
優しい顔の鈴井に、私は慌てて立ち上がる。
「行こか。」
「は、はい・・。」
鈴井はドアを開けると、外に出る。私もその後をついて行こうとしたが、鈴井がドアの所で、扉を支えたまま止まっている。
「どうかしたんですか?」
不思議に思い、私は立ち止まると、そう尋ねる。
「は?」
「え?」
「何言うとんねん、早よ出ろ。」
「へ?」
「そのために、ここ支えてんねやろ。」
「あ・・っ・・。」
軽く笑いながら言う鈴井に、私は慌てて外に出た。
「す、すみません・・。」
「お前、天然やな。」
「は?」
「前から、そうやないかとは思てたけど。」
「天然なんかじゃありません・・。」
「自分じゃ分からんもんや。」
「・・・。」
笑う鈴井に、私はただムクれる。
「なぁ。」
「はい?」
「何か食べる?」
「え?」
車に乗り込むと、エンジンをかけながら、鈴井がそう言う。
「晩飯、一緒に食おうや。」
「はい。」
私は笑顔で返事をした。
「可愛い笑顔ですな。」
「え?」
「ククク。」
鈴井は笑いながら言うと、そのまま車を発進させる。
「・・・あの・・。」
「ん?」
「・・・えっと・・。」
「なん?」
「・・その・・。」
「何やねん、とっとと言え。」
歯切れの悪い私に、鈴井は前方を見ながら言う。
「・・・。」
「何やねん。」
「・・・あのね・・。」
「うん。」
「その・・。」
「はぁ?」
(な、何て切り出せばいいんだろ・・っ・・)
私は、決心をしていた。この間、和斗が”京”と呼んでいたのを聞いて、自分も鈴井の事を、そう呼んでみたいと。けれど、どう切り出したらいいのか分からない。
「何やねん。さっきからぐずぐず言うてんな。」
「・・・だって。」
「あ?」
鈴井の言葉に、私はますます言いづらくなり、黙って俯いてしまう。
「桃?」
「・・・。」
「どした?」
「・・・。」
「桃?」
桃日の様子がおかしい事に気づき、鈴井は車を一端停車した。
「どした?どっか痛いか?」
「・・・。」
「桃?どないした?ん?」
俯いたままの桃日を、鈴井は覗き込む。
「桃?」
私は少し顔をあげる。心配そうな顔をしている鈴井と目が合った。
「何や?どした?」
「・・・あの。」
「うん?」
「・・・この間・・。」
「ん?」
「瀬川マネージャーが・・。」
「和斗?」
「はい・・。」
「和斗がどした?まさか、変な事されたんか?」
「ち、違いますっ。」
「ほな何?」
「その・・京・・って・・。」
「え?」
「き、京って・・呼んでた・・。」
「きょう?オレの事か?」
「そ、そうです・・。」
「あー。それがどうかしたんか?」
鈴井は、またもや不思議そうな顔をして聞いてくる。
「桃?」
「あ・・そんな風に・・呼ぶんだなぁって・・思って・・。」
「あぁ。和斗はちっさい頃からつるんでるからな。昔はオレの事”京ちゃん”て呼んでたからな。」
「き、京ちゃん・・?」
「ま、幼稚園の頃の話やけど。」
「へ、へー・・。」
「その名残で、たまに”京”呼んだりすんねん。」
「そ、そうなんですか・・。」
「で、それが何?」
「え・・。」
「ん?」
「そ、その・・。」
「なん?」
「・・・しも・・。」
「は?」
「・・・私も・・。」
「え?」
「わ、私も・・そう呼びたい・・。」
「へ?」
(ひゃぁ・・言っちゃった・・)
そう思い、私はドキドキする。チラリと、鈴井を見てみた。鈴井は、私をじっと見ている。
(わわ・・っ・・)
思わず目を逸らす。
「ええよ。」
「・・・・え?」
私は鈴井の顔を見る。
「呼んだらええがな。」
そう言いながら、笑っている。
「い、いいの・・?」
「ええよ?」
「よ、良かったぁ・・。」
「もしかして、そんなもん聞くだけで、こんな時間くうてんの?」
「そんな事じゃないもん・・。」
「オレは、最初っから呼び捨てでええ言うてるやん。」
「そ、それは・・。」
「京でも京典でも、大歓迎。」
「は、はぁ・・。」
「呼んでみ?」
「え?」
「早速呼んでみてくれや。」
「え・・・。」
鈴井はニヤニヤしながら、私を見る。
「・・・・そんな見られると、呼びづらい・・。」
「そんなんでどうする。」
「・・・・だって。」
「ほら、早く。」
「・・・き・・京・・さん・・。」
(よ、呼んじゃったぁ!!)
私は恥ずかしさの余り、顔を覆う。
「は?」
「・・・え?」
鈴井の不満そうな声に、私は顔を上げる。
「何それ。」
「え・・?」
「さん、て何?」
「え?」
「京、やろ?」
「はい・・?」
「何で、”京さん”やねん。」
「だ、だって・・。」
「何やねん。」
「瀬川マネージャーが・・京って呼んでたから・・。」
「やから、京やないのか?何で、さん付けやねんて聞いとんねん。」
「えぇっ!?」
「はぁ?」
素っ頓狂な声をあげる私を、鈴井は怪訝そうな顔をしながら見る。
「よ、呼び捨てなんかできないです・・っ。」
「何じゃソラ。」
「だ、だって・・っ。」
「いい加減呼べ。」
「できない・・。」
「何でやねん。」
鈴井は、そう言うと車のエンジンをかけた。