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クリスマスイブはユウと過ごした。
期末テストの結果もまずまずだったし、これなら卒業出来そうだ。
クリスマスイブの日に私はプレゼントを用意した。
夏の間にコツコツと貯めたバイト代で、今のと違うアコースティックギターを買ってきたのだ。
ユウの喜びようはすごかった。
回診にくるお医者さんにも、看護婦さんにも自慢しまくって、抑えるのがやっとだった。
バンド仲間もお見舞いに来てくれて、アコースティックギターはかなり活躍した。
弦の調整はしてもらってあったのだが、ユウは一つ一つ音を確かめていった。
「こんなにいいギターもらったら曲作りはもっと熱心にしないといけないな」
口癖になったように言っていた。
ユウの吐血のタイミングは早くなってきていた。
胃ガンが血管を圧迫し、背中側の血管が切れたりして吐血しているようだった。
手術をお願いしたが、患者の体力を考えるともうメスはいれない方がよいでしょう、と言われた。
ユウは痩せほそって、まるで別人のようだった。
痩せた手にしている結婚指輪がガバガバになり、すぐ抜けていってしまう。それでも、記念、と言って指輪を外すことはしなかった。
外すのは検査のときだけだ。
お医者さんから、
「もってあと一月でしょう」
と死の宣告を受けた。
私は目の前の事実を受け入れられずに、何度も嘔吐した。
ユウには宣告をしないでいてもらった。
◇
正月はそれぞれの家で迎えた。
初詣に行こうと思ったが、ユウの体調がかんばしくなく、断念した。
ユウは病室より実家にいることが増えてきた。
それは確実に死の宣告であり、せめて最期の時は家族で、というお医者さんの意向によるものだった。
痛み止のモルヒネだけが注射され、もう針を刺す場所がなくなるほど腕は注射あとだらけだった。
私はユウのそばにいた。
母に許しをもらって、ユウの家に泊まり込んだ。
父はなにも言わなかった。
私は出産予定日を過ぎたのにまだ出産できていなかった。来週まで様子をみて、産まれてきそうになければ陣痛促進剤を打とう、という話になっていた。
◇
その『時』は意外にすぐやって来た。
私が朝からユウのお見舞いに、いつも通りにやって来たときだった。
その日は朝からユウの体調がよく、院内を車椅子で散歩してあるいていた。
ホントに穏やかな時間だった。
そんなときに、ユウは大量に吐血をした。
すぐに輸血が開始され、ユウはICUにいれられた。
怖い。ユウがいなくなっちゃう。怖い。
そんなときに、私の陣痛が始まった。
ぐぐっと腰が痛くなり……そう、ちょうど生理痛のような感じの波が繰り返しやってきた。
それでも私はICUから離れようとはしなかった。
ユウがいなくなる……そんな世界に何の意味があるのだろう?
怖かった。ユウを失うのが。
陣痛はやがて我慢の限界を越え、私は担架で産婦人科の中へ入れられた。
「まだ、ユウが闘っているのに、どうしてこんなタイミングで!!」
先生に涙ながら言ったが、先生は
「頑張りましょう」
それしか言わなかった。
「まだ力まないで!もう少し我慢ですよ!」
看護師さんが言うけれど、私は限界を越える痛みで力まずにはいられなかった。
時間が長く感じた。
ユウは大丈夫だろうか?
しかしやがてそんなことを考える余裕はなくなった。
「ヒッヒッフー」
母親学級で習った呼吸法。しかし、そんなことをしている余裕はなかった。
苦しい、苦しい。いたい、いたい!!
「頭が見えてきましたよー!仲間さん、あと少し頑張りましょうね」
看護師さんがそう言った。
私は息もできなくなって、看護師さんが横で
「ヒッヒッフー」
という声に出来るだけ合わせて呼吸を取ろうと必死になり、必死で痛みに耐えた。
やがてずるりという感触があり、あぁ、産まれたんだ、と認識した。
私はお腹の上にその小さな命を乗せられて思った。この子に会うために産まれてきたんだと。




