今日も私は、愛おしくて、ほんの少し憎いあなたとお茶を飲む
『君が私を愛していないことは知っている。私は君に愛を求めない。だから妻ぶらないでくれるか。私だって君を愛してないのだから』
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私には婚約者というものがいた。私はレイラ。侯爵家の一人娘だ。
私の婚約者であった彼―――アーロンは幼いながらにそれはそれは美しい顔をしていて、婚約が決まったとき私は舞い上がった……のだと思う。
……うん。覚えていないんだよなぁ。
いや、覚えていないというのは適切ではないのかもしれない。実感がわかないというか? 自分の事ながらおかしな表現だと思う。けどそんなことを言っているのには理由がある。
実は私、いわゆる転生者、というものなのだ。
気がついた、というか自我が芽生えたのは七歳の時だった。名家の一人娘として蝶よ花よと育てられてきたそれまでの私は相っ当性格がひん曲がっていた。
自分が一番。平民? なにソレ? あぁ、奴隷のこと? とか素で言ってた気がする。若さって恐ろしい。自分で言うのもなんだけど、実に嫌な子供だったね。気に入らない子はいびり倒し、権力を笠に着て好き放題やっていた。
彼、アーロンとは五歳の時に出逢った。当時から他の追随を許さない美しさのアーロンに私は一目で恋に落ちた。だってどの角度から見ても格好いいんだもの、ね? それから私はその我が儘さを遺憾なく発揮し、無理矢理婚約者にしたばかりか、他の子と遊ぶのを禁止した。
『アーロンはわたしの婚約者でしょう。他の子と遊ぶの禁止ね』
『でも……』
『なぁに口答えするの? あなたのお家がどうなってもいいの!』
こんなやりとりはしょっちゅうで。アーロンはいつも悔しそうな顔して黙っていた。でもあれでも当時の私なりに愛していたんだよ?……多分。
そんな我が儘お嬢様道を突っ走る私にも転機が訪れる。
彼の反抗だ。私に付き合わされていた彼は我慢に我慢を重ねていた。そしてとうとうその箍が外れてしまったのだ。反抗といっても手を振り払われたくらいだった。しかし、私にとっても彼にとっても運の悪いことにそこは崖のすぐ近くで、おまけに私は高いヒールを履いていた。
振り払われた私はバランスを崩し崖に落ちた。
幸い、崖は低かったし、下には川が流れていたので致命傷には至らなかったのだが、その衝撃で私はすべて思い出した。
それまでの「レイラ」の記憶と前世の記憶が頭の中に入り込んできて、暫く寝込んだ。ちなみに頭が痛かったからではない。今までの自分の行いに悔いていたのだ。内心で、うひゃぁぁ! 私子供相手になにやっちゃってんの!? うわぁぁ! ごめんなさぁぁあい!! とずっと悶えていた。
恥ずかしさとのし掛かってくる罪悪感には随分悩まされたよ……。あぁ、当時の馬鹿な私が呪わしい。
しかし、「私」の自我が芽生えたからといって「私」が「レイラ」を乗っ取ったとかそういうわけではない。
あくまで「私」は「レイラ」であり、「レイラ」は「私」。
んー。なんといえばいいのか……。
厨二病にかかった人なら分かるだろうか。確かにそれをしていたのは自分で、そのときの考えも覚えているけど理解できないといった感じ。
前世の私は華の女子高生だった。一番明確なのはその記憶だから多分私は女子高生のまま死んだのだろうと思う。
記憶を取り戻してから、なんだか妙な既視感や違和感を感じたりしつつ、私は猛反省し、今まで迷惑をかけまくった子達に誠心誠意頭を下げ、今までの行いを取り戻すようにうんと優しく、真面目になった。アーロンにも頭を下げて謝り、婚約を解消したかったら取り消すといった。恐る恐る、だがはっきりと断られてまだアーロンのことが好きだった私は大分傷ついたが甘んじて受け止めた。
だが、アーロンは前述したように美少年だった。そしてアーロンの家は権力を持っているわけではなかったのだ。
Q:そんな彼を世間が放ってきますか?
A:いえ。むしろ全力で群がります。
……というわけだ。
ほんと不幸な人。やっと私から解放されたと思ったら、事もあろうに私より酷い(と思いたい)好色親父に無理矢理引き取られそうになったのだ。
私はあと一歩と言うところで連れて行かれるアーロンの馬車に乗り込み、
『きゃー! 誘拐犯よ!! 誰か助けてーー!』
と全力で叫んだ。
とっさとはいえなかなか良い判断だったと思う。誘拐騒動を起こせばとりあえずしばらくは彼が安全だろうと企んだのだ。
でもなぜか彼にはとても怒られた。
『馬鹿かお前はっ!!』
普段は温和なアーロンが私の肩を掴んで激しく叱責したのだ。今までレイラは侯爵令嬢だったので、馬鹿とかそんな言葉をかけられることも大声で怒鳴られることもなかった。
しかも、それがアーロンなら尚更驚く。
驚きすぎてなんと言われたのか覚えていないけど未だに納得はしていない。絶対あれは最善の判断だった。
アーロンにここまで怒られたのはこれが最初で最後だ。……最後にしたい。
誘拐騒動をでっち上げた私は、その隙に二度と頼るまいと思っていた権力を奮い、アーロンを奪い返した。そしてアーロンに「もし好きな方が出来ましたら、遠慮なく私に言って下さいね」と告げ、アーロンを守るために再び婚約を結んだ。
……し、下心は無かった! ええ、断じて!
それで、それで! である。
結婚直前、私はまたも唐突に記憶を取り戻してから感じていた違和感の正体に気がついた。
あぁ、ちなみに彼は事業に成功し、遣り手の実業家になった。好きな人がいたかどうかは定かではないが多分いても私と結婚しただろう。決して私を選んでくれるという自惚れなどではなく、彼は私の家の力が欲しいだろうからという切ない理由だ。
でも、私は彼のことが好きだから甘さのない理由でも結婚できて嬉しいんだけどね。
生活を送る中で少しでも好きになってくれれば、文句はない。
……と、話がずれた。
結婚直前のある日、私はつるりと滑り、頭を打った。
その衝撃でさらに重要な事を思い出したのだ。幼いアーロンを見たときから「見たことある! でもなんか違う?」と思っていたのだが、馬鹿な私は運命だと思いこんでいた。
うん。運命なんて甘いものじゃなかったよ。
……ここは前世の私がはまった漫画の世界だったのだ。
漫画自体はヒストリカルストーリーで優しくては温かいヒロインが冷たく美しいヒーローとの恋を紡いでいく―――といった王道なものだった。
Q:私はその世界でどんな役回りでしたか?
A:ヒーローの女性不信の原因、悪役母でした。
アーロンを見たとき「見たことある! でもなんか違う?」と思った原因もこれだ。私が見たことあるのはアーロンの息子だったのだから。
私の役回りは子供―――つまり物語のヒーローに嫌がらせをし、女性不信に追い込むというもの。ヒーロー役の我が息子(予定)は愛を信じないキャラだった。それは彼の家庭が愛のないものだったから。
なんて救えない話。
このまま順当に行けば私は今でも大好きなアーロンと結婚できる。だが、アーロンは私を毛のほども愛してくれない。
私は……こんなにも、愛しているのに。数ある名家の中から私を選んでくれたのだし、もしかしたら……という淡い期待も少しはあった。ううん。そうでなくても結婚生活で少しでも愛が芽生えれば……と。けれどそれは一瞬にして破られてしまった。結婚前どころか結婚後も、二人の間に愛情は芽生えないのだから。
そのうえ、初夜の日、想像しただけで泣きそうになる言葉を放たれるのだ。
『君が私を愛していないことは知っている。私は君に愛情を求めない。だから妻ぶらないでくれるか。私だって君を愛してない』
その文をみた瞬間、前世の私は自分が言われた訳ではなかったのにズシンと心にきた。
ヒーローとヒロインがハッピーエンドになった後でほんの少し語られる母レイラの話。
その時の彼の台詞がこれだ。
信じたくない。けれど物語通り、アーロンは事業に成功し、遣り手の実業となった。そして、家名欲しさ私と結婚するのだ。
ヒーロー役の母「レイラ」の話は甘いその物語の唯一最後まで苦い話だった。
「レイラ」は―――アーロンの事が好きだった。
しかし、元来のプライドの高さ故に愛しているとは言えなかった。そして彼のこの台詞で「レイラ」の何かが壊れ、男性との火遊びに明け暮れ、彼との間に出来た息子には少しも愛を注がなかった。否、今なら分かる。注げなかったのだ。彼を愛していたから、彼に似た息子と過ごすのが辛かった。自分の恋は成功しなかったのに恋を成就させていく息子が憎くて、アーロンと顔の似た息子がまた別の誰かを好きになるのが憎くて、「レイラ」はヒロインに嫌がらせをする。
そして、優しいヒロインが差し伸べた手を拒絶し、自ら命を絶つのだ。
…………思い返しても最悪だ。
なんて真っ暗な私の未来! どうしようか。いや回避したいけどね?
けれど。こんな未来を知っても私は彼と結婚できるのは嬉しいのだ。
私は、彼を愛している。なびく黒髪も、綺麗な瞳も、私を呼ぶ声も、全部全部……愛している。
けっして彼から愛されることはなくても。
なんでこんなにも馬鹿なんだろう。愛されることはないのに、それでも彼の近くにいたい。愛されないのなら、拒絶してくれた方がマシという人もいるが、私は思わない。少しで良い。その瞳が私に向くことはなくても一番、近くにいたい。
ズキズキと痛み出す心を抑えて今日も愛しくてほんの少し憎い彼とお茶を飲む。
***
「―――ラ、レイラ」
アーロンが私を呼ぶ声ではっと我に返った。
「具合が悪いのか?」
アーロンの紺色の瞳がやや細められる。あぁ、綺麗。
「レイラ?」
……と。いけない。最近こんなことばかりしている。私は慌てて微笑んだ。
「いえ。大丈夫ですわ」
「そうは見えないが」
そう言ってアーロンはそっと私の頬にふれようとした。
やめて。……そんなに軽く触れようとしないで。
瞳が熱をはらんでいるような錯覚に陥ってしまう。好きだと言いたくなってしまう。彼が私の事を心配してくれると思ってしまう。アーロンが心配なのは自分の婚姻とそれが及ぼす利点だけなのに。
「本当に、なんでもないのです」
伸ばされた手を避け窓の外に意識を向ける。これ以上、アーロンを見つめていると泣いてしまいそうだ。
「レイラ」
「なんでしょう」
ああ、私を呼ぶ大好きな貴方の声。
涙が出ないようにぎゅっと瞼を閉じた。
「君が、私を愛していないことは知っている」
「……っ!!」
息が止まるかと思った。バクバクと心臓が凄い勢いで鳴りだし、冷や汗が止まらない。
これは、あの台詞……!
待って。どうしてここで!? その台詞は初夜の日だったはず!
「私は君に愛を求めない」
嗚呼、嗚呼、嗚呼!
胸の痛みで呼吸さえ出来なくなりそうだ。待ってお願い言わないで。まだ覚悟が出来ていないのに。嫌だ嫌だ嫌だ。聞きたくない!
なにを知っているの? 私は愛しているの。愛しているのに……っ!
「だ「まって!」
『だから妻ぶらないでくれるか。私だって君を愛してない』
そう言おうとしたアーロンの台詞を奪う。
あぁ。どうしよう。なんて言えば聞かなくてすむ……? もう知っているからあなたの口から言わないで欲しい。それを聞いたら私は壊れてしまう。
きっと嫉妬に狂って醜く、嫌がらせをしてしまう。物語の「レイラ」のようにはなりたくないの……!
だからお願い。
「言わ……ないで」
息を飲む音がした。
アーロンの台詞が止まる。安堵のため息をつく。良かった。言わないでくれた。
「―――きゃ!」
「すまない」
ぐっと窓の方を向いていた身体を引き寄せられた。アーロンの顔が近くて。こんな状況でも赤くなってしまう私の顔が憎い。
「これを言うのは私、いや、俺の我が儘だ。頼む。聞いてくれ」
アーロンの吐息が私の首筋にかかる。自分の心臓がうるさいくらいなっているせいかアーロンの心臓まで高鳴っている気がする。
「……きき、ます」
アーロンは、誠実な人だから。きっと言わなくては苦しいのだろう。ならば聞こう。アーロンが苦しむくらいなら私がいくら苦しんだっていい。
「君が俺を愛していないことは知っている。知って、いるんだ。俺は、君に愛を求めたりはしない」
不思議と穏やかに聞くことが出来た。
『妻ぶらないでくれるか』
そう言われても大丈夫。大丈夫よ。言いよどむやさしいアーロンに続きを促すようにそっと微笑みかけた。
「だが―――俺は君を愛している」
「へっ!?」
ぐっとアーロンを押しのけた。え、ちょっと待って。うん。落ち着こうか。さっきのは私の願いが聞かせた幻聴に違いない。
「あの、今、なんて?」
「俺は君を愛している」
あ、あああ愛してっ!? って、あぁ、そうかこれは夢ね。自分の頬を思いっきりひっぱたく。
「ったぁ……」
「おいっ!」
痛かった。彼が私の手を掴む。真っ直ぐに私を見つめるその瞳には心配の色が宿っていて……。
「ほ、本当に……?」
「何故、こんな嘘をつかなくてはいけない」
いつの間にか瞳から涙が零れ落ちていた。嬉しい。嬉しくて仕方ない。
ほろほろと流れる涙に彼が目にみえて動揺する。
違うの。これは嬉し涙なのに。
もう誤解を産まないよう、言葉を出すより先に彼に思いっきり抱きついた。
「私も! 愛しているわ!」
その後、彼としばらくぶりに二人っきりで話し合った。色々誤解が生まれていたようで……。
ああ、きっと彼との結婚生活は幸せなものになる。
ここまでお読み下さりありがとうございました!