3話 未来へ続く扉
「相原くん、僕と友達になってください!」
「お、やっぱり言えるじゃないか」
パチパチと悟と綾姫が一成に拍手を贈る。
一成はそんな二人の想いをはにかみながらも喜ぶが、また同時に落ち込んでいた。
「本人がいないとこんなに簡単に言えるのに、どうして言えないんだろう」
「ところで何故友達なのですか?」
「一成には好きだと告白する気はさらさらないんだとよ」
昨日一緒に帰ったときにいつの間にか一成と綾姫は昼食を共に食べる約束をしたらしく、昼休みに入ったときに悟はそのことを一成から聞いた。
一成は悟が何故知らないのか不思議そうだった。
一成の話では悟も承諾したと言うのだ。
そんな覚えはない。
だが話しかけられて適当に相槌を打った覚えは十二分にある。
その時に尋ねられて了承ととられてしまったのかもしれない。
悟は何も言えず、そのため三人は化学室で昼食をとっていた。
悟は仕方なく表面上は綾姫と仲良くすることにした。
拒んでいたのは悟だけだったためか、三人はごく自然に会話していた。
そして一成の有紀へのアプローチの話になったのだ。
消しゴムの件のような機会は滅多に起きないだろう。
そういうわけで同じことを繰り返していても前には進めないのだから、目標を決めるよりも今の状態でどこが悪いのか見てみようと綾姫が言い出したのだ。
それで有紀が目の前にいると想定して一成に発言してもらったわけだがやはり原因は明らかだった。
「でもなぁ…そこが悪いのは前々からわかってたけど、緊張するのは慣れないとどうしようもないよな」
ひと月少し経っても一向に緊張が解れる気配はなく学期始めと変わらないのだ、そんなものを待っているうちに先に卒業を迎えてしまうだろう。
「少し古いかもしれませんが手紙で伝える、というのはどうでしょうか?」
至極簡単な綾姫の提案に一成は目を瞬かせた。
「手紙と言えば告白だと思い込んでたから盲点だったな。素直に直接は緊張するってことを書いて文通かメールのやり取りからでも始めれば良いんじゃないか?そうすれば親近感を持って緊張しなくなるかもしれないし」
悟の考えを聞いて、一成もそれが最善であると思い至ったようだ。
先程までの暗い表情が嘘であったかのようにぱっと明るくなった。
「わかった、二人共ありがとう!僕、入部届を出してくる!!」
「は?」
「え…?」
善は急げと言うように素早く弁当箱を持って立ち上がると一成は慌てて化学室を出て行ってしまう。
手紙と部活がどう結びついたのか。
思いもよらぬ一成の行動に呆然としながら眺めていた二人は口々に言った。
「書道部にでも入って手紙の書き方でも教えてもらうつもりか…?」
「書道部に入部して綺麗に字を書く練習をするのでしょうか…?」
どちらも一成の後ろ姿を見送った際の独り言だったため気付かなかったが悲しいかな、内容が微妙に異なってはいたがこれが初めて二人の考えが一致した瞬間であった。
一成が帰ってきたのはそれから十数分後だった。
顧問の先生に入部届を提出してきただけらしい。
放課後、入部を認めるかどうかの適性テストをしてもらうそうだ。
「へぇ、適性を見てもらう必要があるのか…見に行っても良いかな?」
「多分良いと思うよ。『テストだからって堅苦しいものではないから気軽に来なさい』って言われたから」
「では、私も見に行きますね」
「わぁ、嬉しいけど失敗したら恥ずかしいな…」
そういうわけで三人は一旦集まり、そして適性テストを受けに行くことにした。
昼休みの後に授業は二時間あったのだが、適性テストに不安を抱いているせいか一成にはその時間が短く感じられあっという間に放課後になった。
待ち合わせ場所に集まると一成は二人を適性テストが行われる場所へ連れて行った。
しかし悟と綾姫は歩くにつれ怪訝になる。
どう考えても校舎外に向かっているのだ。
一成が立ち止まったことでそれは確定となった。
「え?」
「ここって…?」
「道場だよ」
首を傾げながら一成は答えた。
どうやら二人がきょとんとしている理由がわからないらしい。
「あの、どこの部に入部届を提出したのですか?」
綾姫はそこの思い込みから根本的に間違っていたのではないかと思い、問うた。
案の定そうであった。
「弓道部だよ」
「弓道…?」
「どうして弓道部に?」
一成はやっと二人の考えとは通じていないことに気付いたらしく、困惑した表情で二人の顔を交互に見た。
「えっと、綾先輩の案は手紙で交流だよね?それで僕、弓を使ったことがないから…危ないから練習しようと思って」
「ちょっと待て。手紙で何で弓道まで飛躍するんだよ?」
「だって、手紙は矢に付けて飛ばす方が良いんだよね?」
何が何だかさっぱりわからなかったがしばらく考えた後、悟はやっとある答えに行き着いた。
「矢文か、遡りすぎだ…」
「少し古風と言ったのは単にメールが主流になっているからであって、手紙は靴箱に入れるというあの典型的な渡し方で良いのですよ」
「えっ、そうなの?近所のお兄さんが『現代でも手紙は矢文に限る』教えてくれたから…」
「誰だよ、そんな嘘教えた奴。今まで郵便を矢文で受け取ったことあるか?」
「…と、隣のお兄さんが昔に」
「………」
どうやら一成は本気でそれが真実だと思っていたようだ。
そんなズレた話をしている三人の所へ袴を着た生徒が近付いてきた。
道場前で話していたのだ、気になったのだろう。
「君たちは見学をしに来たのか?」
「あ、い、いえ、僕は二年C組の寺田一成です。今日の昼休み、弓道部に入部届を提出した者です」
「そうか、君か。俺は弓道部主将、三年B組の日向槙だ。早速で悪いが適性テストをさせてもらう」
「は、はい…」
そうして一成は日向に促されるまま、適性テストを受ける準備をした。
◇◆◇◆◇
「すげぇ」
「未経験者、でしたよね?」
「筋が良いな」
悟、綾姫、そして日向は順に感嘆の声を上げた。
日向は一成の入部届を顧問の先生から受け取った時、内心面倒だと思った。
学期始めに入部した者がやっと基本を学んだばかりで久し振りに自分に合った練習を始めようとしていたからだ。
それなのに未経験の者が入部してきたらまたそちらの指導で忙しくなる。
煩わしいことこの上ない。
だから適性テストでは適当なことを言って入部を諦めさせるつもりだった。
しかし一成が放った五本の矢は全て霞的(黒で三重に円が描かれている的)の一の黒(一番内側の黒の部分)か二の白(一の黒の一つ外側の白の部分)に当たった。
遠的用の直径158cmの的を使用し、的からの距離は近的と同じ道場から28mでテストしていたが、これなら直径36cmの近的用の的にも当たっていただろう。
勿論矢と的は練習用のものだったため本番用のものと勝手が幾分違うであろうが、それでも初心者にしては上手すぎる。
これは練習すれば伸びる。
主将としては部に欲しい人材である。
そんな考えを見透かしたかのように一成は真剣な眼差しを日向に向けた。
「日向先輩、僕の適性テストの結果はどうですか?」
「一成!?」
悟は驚いた。
手紙と弓道は無関係だとわかった時点で入部を断ると思っていたのだ。
「部活に入ると朝練があるだろ。相原とのことは…?」
「確かに朝の時間がなくなっちゃうけど、部活を始めたからって友達になれないわけじゃないから。僕、今日初めて弓道をやったけど弓を引く時の感覚が好きなんだ。入部届を出した時は衝動的で失礼な動機だったけど、ちゃんと弓道をやりたい」
「そっか、お前のことだしお前が決めたなら良いと思うよ」
悟は若干顔を引きつらせながらそう言った。
悟にはそうならざるを得ない事情があった。
勿論一成のせいではない。
一成もその表情に気付いているらしく、普段ならここで『ありがとう』と言う筈なのに黙って思案顔である。
また変な勘違いをしないうちに何とか気を逸らせないと、と悟は思った。
すると丁度良いことに日向以外にも来ていた部員がザワザワ騒ぎ出した。
皆同じ方向を一心に見つめている。
「何だ?」
「どなたか来られたようですよ」
嬉々とした悟の声に先程から黙っていた綾姫は一部始終を見ていたらしく、綾姫の立ち位置からでは人混みで見えないにも関わらずすんなりと答えた。
練習中に騒ぎ出すなんて、と怒りそうな日向も嬉しそうにそちらに視線を移す。
一成も振り向くと道場の出入口付近に二人の生徒がいるのが見えた。
「あっ、あああああ…!?」
「おい、あそこにいる舘凪岳は俺のだからな」
舘凪とは二人組の見知らぬ人の方のことだろう。
しかし固まる一成は日向の言葉など聞いてはいなかった。
その人物の隣の人、つまり二人組の片割れが相原だったのだ。
「相原、放課後はここに来てたのか」
悟が独り言のように、そしてどこかほっとしたように呟いた。
どうやら悟も知らなかったらしい。
有紀も悟か一成に気付いたらしく、舘凪に声をかけるような仕草をした後、二人一緒に近付いてきた。
「昨日まではいなかったよね。寺田くん、もしかして今日から入部するの?」
まさかいるとは思っていなかったのだ、突然の事態に対処できないためか声が出ず、一成は無言で吹っ飛びそうなくらい首を縦に振る。
有紀は微笑ましそうにそれを見つめていた。
「僕は岳の見学の付き添いでよくここに来るんだ。宜しくね?」
心成しか甘えるような有紀の声に一成は全身が痺れ、熱くなるような感覚に見舞われた。
その光景を横で日向はしげしげと見ていた。
「合格」
「え?」
日向から向けられた声で一成はまるで呪縛が解けたかのようにあっさりと有紀から意識が逸れた。
どうやら驚き、反射的に意識が離れたようだ。
悟はその瞬間、寒気がしたような気がした。
「適性テストの結果だ。さっき聞いただろ?岳に靡かないし、腕も良い。文句無しだ」
「僕はその、あの…」
見学に来ている舘凪に靡かないというのは恐らく舘凪目当ての入部ではない、要するに不純な動機ではないということだろう。
最初はそれとは違うにしろ不純な動機であったが、今はそんなつもりではないという気持ちは確かに示したつもりだ。
だが、有紀もよくここに来るのなら有紀のことが好きなのは良いのだろうか。
実は日向は自分の恋人に横恋慕しそうにない、といういかにも個人的な感情で言ったのだがそれに気付かないまま一成は改めてはっきりと舘凪を視界に捕らえた。
その瞬間何かが引っかかったような気がした。
会ったことはない、はずである。
それなのにそれがどうにも気になり、舘凪をじっと見つめる。
「寺田、お前実は岳目当てに入部するのか、あ゛あ?」
どうしたのか一成に問おうと舘凪が口を開いたところで先に日向が声を発した。
どうやら日向は一成が見惚れていたのだと勘違いしたらしい。
舘凪は開いた口をどうしようとそのままオロオロした後、恥ずかしそうに閉じた。
日向はその様子を見て舘凪に抱き付いた。
「うわ、そんな可愛い仕草は俺だけに見せがふっ」
「槙っ!?」
「ええっ、どうしたんですか、大丈夫ですか?」
突然唸りながら崩れ落ちた日向に舘凪と一成は驚いて声を上げる。
その横で悟は『バカップルめが』と言いたげなオーラを感じて顔を先程よりもはっきりと引きつらせた。
そしてそこから裏拳が日向に見舞われたことを確信した。
「ひ、日向先輩。自力で起き上がれませんよね…?引っ張るので俺の手を掴んでください」
「あ、ああ…ありがとう」
さっと手を出して急に割って入ってきた悟に日向は首を傾げた。
悟が異常に汗をかいているような気がしたが、正直助け起こしてもらえて助かったのでそれ程気にはしなかった。
「はぁ、岳に助けてもらいたかったな…」
「じゃあ今から手を離しましょうか」
「悪い、つい本音が」
そのまま離されればまだ力が入らない身体では支えきれずに頭を床に打ち付けることになるだろう。
それなのに全く悪びれなく言う日向に悟は変わっていないな、と少し呆れた。
そう、口には出してはいないが実は二人共これが初めての会話ではなく、何年も前からの知り合いである。
「私も手を貸しましょうか?」
もう身を起こしたにも関わらず未だ握っている手を見て助けが必要だと思ったらしく、綾姫が提案した。
「いや、痛みが引いてきたから大丈夫だ。ほら、始めるぞ」
軽口を叩いている間に復活した日向は悟の手を離した。
そしてパンパンと手を叩くといつの間にか注目していた部員が我に返り、部活を再開した。
「さてと、寺田もこっちに来い。聞いてるかもしれないけど、うちの顧問は弓道は素人だから俺が指導する。部員の紹介は皆もう練習始めてるから明日だ」
「はい、よろしくお願いします!」
そう一成が気合いを入れて立ち上がり、日向を追いかけようとした時だった。
「寺田くん」
「ふぇっ!?」
なんと有紀に呼び止められたのだ。
しかし間抜けな返事をしてしまう。
恥ずかしさで有紀の顔を直視できないものの、なんとか振り返った。
「あのね、生徒手帳を落としたよ」
「わわっ、ひひ拾ってくくくれて、あっああああありがとう」
「ふふ、僕も消しゴムを拾ってもらったしね?」
何気ないことだったのに覚えてくれている、と一成は感激した。
「はい、これ」
そうしているうちに生徒手帳を差し出され、そのまま待たせては悪いと慌てて手を出し受け取ろうとしたのだが。
「うひゃっ!?」
一成は再び奇声を上げた。
消しゴムを手渡した時は一成が少し上、手が触れるか触れないかの位置から落とすようにして手渡したためにそうなることがなかったが、今回は有紀の手が触れたのだ。
『うわわわわ、どうしよう』などと一成の頭の中でパニックを起こしている。
「どうしたの?」
「あっあああああありがっ……とぉ!」
一成は辛うじてそう言うと早足で一メートル程後ずさり、そのまま日向を追いかけて去ってしまった。
「こら、寺田。道場で走るのは禁止事項だ」
「すみません、以後気を付けます!」
恥ずかしさや情けなさで少し涙目になりそうになりながらも一成は日向の指導を受け始めた。
◇◆◇◆◇
真剣に部活に取り組み日向に今日は終わりだと告げられて直ぐ、はっとするように一成は有紀が部活前にいた場所を見た。
有紀はまだそこにいた。
それも一成がいる方角を見ているようである。
自意識過剰にも見つめ合っているような感覚に捕らわれ、つい逸らしてしまう。
すると次に悟が目に入った。
こちらは口パクで一成に何かを伝えようとしていることが直ぐにわかった。
何だろう、とよくよく見た。
『話し掛けれるぞ』
そう顎でくいっと有紀を指しているようだ。
確かに館凪は日向と話しており、有紀は一人でいる。
周りにいる人、つまり弓道部員の中には話し掛けたそうにしている者もいるが、クラスメートより関係が希薄なためかただ遠巻きに見つめているだけで取り囲んでいる者もいない。
それに心強いことに今の一成には悟だけでなく綾姫もいる。
今なら逃げずに話せるかも、と勇気を振り絞って一成は有紀に近付いた。
「あああああっあっあっ、相、はは原くっ、ん」
「ん、どうしたの?」
心臓がバクバク脈打つのを感じながら、一成は今にも震えだしそうな足を叱咤して思うようにならない口を必死で動かす。
「そっそそそそその…あのっ、よか、良かったらだけど、えと、ぶっ、部活の、まま前、とか、なっ仲良く、しししてくれる…?」
たどたどしくも意味が通じる言葉を言えた一成に悟は心の中でガッツポーズをした。
綾姫も勿論それを見守っており、一成に向かって無言で頷く。
そして普段なら綾姫と分かち合うことを嫌がる悟もこの時ばかりは顔を見合わせ、心から共に喜んだ。
…次の瞬間までは。
「ひっひひひ筆談、で」
そう、おかしな方向に一成の言葉はまだ続いていたのだ。
悟はそれを聞いて一気に脱力した。
確かに面と向かって話すには緊張しすぎて言葉がなかなか出て来ないようなので困ることはあるかもしれないが、文通かメールはあっても筆談はないだろう。
もしや緊張のため手紙や文通のことがこんがらがってそんな結論に至ったのではないかと勘ぐった。
だからさっきまでは良い案だと賛同していたのに、つい最初に手紙を提案した綾姫のせいで一成が変なことを言ってしまったではないかと睨み付ける。
綾姫はそれに気付いているであろうに、顔色を変える素振りはない。
「僕で良かったら、勿論」
「わっわわわ、ああああありがとっ」
「ふふふ、お礼が言いたいのは僕の方だよ。ほら、部活前に宜しくしたよね?」
一方、悟と違って有紀は戸惑うことなく即答した。
それは色良いもので一成は大喜びである。
結果的に弓道部の入部は有紀と仲良くなる第一歩となったのだった。