2話 恋と友と
「なぁ、寺田」
「ふへっ、へ、え、な…何?」
一成の有紀へのあからさまな好意は有紀のことが好きな他の人、所謂恋のライバルたちには鬱陶しいものだった。
小者だと心中罵っていても邪魔には代わりないのだろう。
一成を睨み付けては時折意地悪するだけでまともに話したことはなかった。
それなのにその一人である今里虎詩が用事があると言って教室を出て行った悟を自分の席に座って待つ一成に突然話しかけてきたのだから驚いたのだ。
「お前は気にならないのかよ?」
「え、何が?」
のほほんと―――本人はそんなつもりはないのだが―――答える一成にイライラしたらしく今里は地団駄を踏んだ。
「内中と相原くんのことに決まってるだろが!!」
「………?」
一成は首を傾げた。
本気で思い当たることがないのだ。
「その顔で首を傾げるな、きっ気色悪い。相原くんが内中だけ下の名前で呼んでるんだ!何か特別な関係じゃないかって言ってんだよ、くそっ!!」
そう言われて一成は初めて気付いた。
朧気な記憶によると悟は有紀に下の名前にくん付けで呼ばれていた。
親しい間柄であることは明白だ。
一成は今まで気付かなかったことが不思議だと自分で思った。
「お前、内中に相原くんのことをどう想ってるか聞いとけよ」
「ええっ?」
確かに今里は悟とは仲良くない。
むしろ何故か悟が今里を邪険にしている。
一成が聞いた方が良いのもわかる。
だからと言って悟にどう切り出せば良いのかわからない。
一成は了承も断りも言えず、あーうーと唸る。
「いや、待てよ」
困る一成を余所に何か思いついたらしく、今里はニヤリと笑った。
「いや、やっぱ聞かなくていいわ。仮に内中が相原くんを好きだったとしてもお前が相原くんを好きだって主張している間、内中は表立ってアプローチなんかできないだろうし」
今里はふふん、と鼻で笑って立ち去った。
残された一成は茫然と立ち尽くした。
呆気にとられたわけでも鼻で笑われたことにショックを受けたからでもない。
「僕、もしかして…?」
一成は悟の好きな人の話を聞いたことがなかった。
実は悟と友達になってすぐに一成は有紀のことが好きということがばれてしまったのだ。
もし悟が有紀のことが好きなら一成には言えないだろう。
今まで悟の恋路を邪魔していたのかもしれない。
そうぐるぐる考えていると悟が戻ってきた。
「どうした、一成?」
様子がおかしい一成の目の前で悟は手を振ったが何の反応も示さない。
不審に思い、顔を覗き見るとギョッとした。
まばたきをすれば涙が流れ出そうな程一成の目が潤んでいたのだ。
「どっ、どうしたんだよ?」
汗だくになる悟。
心なしか声も震えている。
一成はそんな悟を見て益々泣きそうになる。
「ううん…何でもない」
今悟の気持ちを聞くのは狡いような気がした。
落ち着いてから聞こう。
そう思い、さり気なく涙を拭うと一成は疑いの眼差しを向ける悟に本当に何でもないと微笑んだ。
とは言うものの、やはりどう切り出せば良いのかわからない。
そんなこんなで一成は一週間ほど悩んでいた。
「あれ、新しい目標でも考えているのか?」
悩みが悩みなだけに有紀へのアプローチがめっきり途絶えていたことを疑問に思ったのか、それとも連日机に突っ伏している一成が気になったのか悟はそう尋ねた。
「え、えっと…」
正直に話した方が良いのだろうか。
だが本心を聞き出せなければ意味がない。
悟を信じているからこそこのことについては全てを鵜呑みにするわけにはいかないことは一成もわかっていた。
「そうだな……"自発的に会話をする"でいいんじゃないか?この前のは偶発的だったからさ。"友達になる"は最終目的だからいきなり次には無理だろうし」
「あ、う…うん……」
勘違いしたまま悟は協力的な発言をする。
何も考えていなかったときは嬉しかったが、今では逆に痛い。
一成は言葉を濁した。
「人が集まっているようなときにでも話しかけれるようにならないといけないから……『人がいても気にせず話しかける』、でもいいかもな」
そんな一成に気付かず悟は話を進める。
どんどん痛みが増していく。
一成は耐えられなくなり、立ち上がった。
「あ、おい」
悟が驚きながらも呼び止めたがそのまま無言で走り去った。
「あ」
「一成くん?」
そして辿り着いた先は化学室だった。
逃げ癖からか、無意識に向かっていたようだ。
綾姫は丁度そこから出ようとしていたらしく、半開きのドアに手を添えていた。
「最近会わなくなったと思えばこの時間に珍しいですね」
綾姫とは出会ってから今里にあのことを言われるまでの一週間は毎朝のように会っていた。
有紀と一番話しやすいのは周りに誰もいない朝登校したときだからだ。
ちなみに化学室まで来たことからわかるようにあれから失敗続きで有紀と会話が成立したことはない。
「何かあったのではないですか?悩みがあるのなら相談に乗りますよ」
綾姫にはそれは決定事項らしく、既に閉めかけていたドアを再び開けて出会ったときのように一成を招く。
一成は素直にそれに従った。
「あ、授業…」
一成はふと思い出した。
「今は放課後ですよ。気付かない程悩まれていたのですね」
綾姫はそれを聞いて心配そうに眉をハの字にした。
そうだ、今日は六時間目までだったと一成は穴があったら入りたい気持ちになる。
SHRまでちゃんと出ていたのだが、終わったことに全く気付いていなかったのだ。
「…何で悩みがあるとわかったんですか?」
「そんな悲愴な顔をしていれば誰でもわかりますよ」
それ程酷い顔なのか、と思い一成はなんとか普段の顔に戻そうとする。
だが、どんな表情をしているのか自分でわかっていなかったのだから直せるわけがない。
そんな一成に綾姫は噴き出した。
「な、悩んでいるのにも関わらず笑ってしまい申し訳ありません。ですが…気にされなくてももうそんな顔ではないので大丈夫ですよ」
必死で笑いをこらえた綾姫は一成に向き直った。
そんなことができるようになったのも一成と会ってからの努力の賜物だったりする。
…今までその必要性がなかったと言えばそれまでだが。
「話の腰を折ってしまい、申し訳ありません。本題の悩みとは何なのですか?」
一成は悩みのあらましを掻い摘んで話した。
「それで…その友達が僕に遠慮して…本当はその子が好きなのに言い出せないのかなと思って。僕が二人の邪魔をしているような気がして…」
泣きはしなかったが少し涙声で語った。
そこに一成の有紀への、そして郁渡への想いが詰まっているような気がした綾姫は誰に対してかわからない羨ましさを感じた。
「お友達の気持ちが知りたいのですが遠慮されて本心が聞けないかもしれない、ということですね?」
その問いかけに縋るような眼差しでコクリと頷く。
「そうですね…では仮にそのお友達が一成くんと同じ人が好きだったとします。一成くんが先に…相談される前にお友達の好きな人を知ったとすればお友達に同じ人が好きだということは言えますか?」
「……言える、かな」
「それは何故ですか?」
「同じ人が好きだからって仲違いするようなことはないってわかってるから。それにもしその子が友達のことを好きになっても……直ぐには無理かもしれないけど認めることはできそうだから」
「では少し状況を変えましょう。前提は殆ど同じなのですが、一成くんが同じ人を好きになるのはお友達の相談を受けて応援している途中だとします。同じ人が好きだと言い出せますか?」
「それは…言えないよ」
「何故ですか?」
「だって、どれだけその子が好きなのか聞いちゃってるんだよ?言いたいけど……どう言えばいいのかわからないよ。それに最初から好きだったのに相談にのってたって誤解されて嫌われるのも怖いし」
「……どちらもお友達を信じているからこそ、そのような選択に至ってますよね」
意識していたわけではないのだが、言葉の端々を他人事のようにして考えると成る程その通りだと一成は思った。
「人それぞれ違った考えや想いがあるので一概には一成くんとお友達のそれらは同じとは限りません。それでも……一成くんがすべきことはわかったのではないですか?」
「うん、そうだね。綾先輩…相談にのってくれてありがとう」
「半ば強引に聞き出したことなのでそう気にしないでください」
「でも本当に僕、どうしたら良いかわからなかったから…。何かお礼するよ」
「それでは…今日は私と一緒に帰りましょう。それで充分です」
一成は慎まやかな綾姫の言葉に感動した。
確かに綾姫とは共に帰宅したことはない。
一成はいつも悟と帰宅しているのだ。
そこまで考えて悟が教室で待っているかもしれないことに気付く。
話の途中で走り去ってしまった一成に怒って帰ってしまっていれば別だが、悟なら怒るよりも心配して待っているはずだ。
「ええと、そのことはいつも一緒に帰ってる友達から了承をもらえたらになるけど…たたた大変、待たせてるかも…!」
「それでは私も一緒に行きましょう」
二人は急いで二年C組の教室へ向かった。
その頃、悟は一成が思ったように教室で待っていた。
悟は最近一成の様子がずっとおかしいことに勿論気付いていた。
だが理由は見当もつかなかった。
無理に聞き出したくはないのだがそれそろ頃合いかと考えていた。
「悟、その…ごめん!」
その時、静寂を守っていた扉が開いた。
それと共に謝罪の言葉。
一成が戻ってきたのだ。
鞄が置きっぱなしだったため帰ることはないとは思っていたのだが、戻ってきたことに悟はほっとした。
だが一成の他にいた人物が悪かった。
綾姫だ。
悟は綾姫を威嚇しようと睨み付けた。
綾姫はそれを笑顔で受け止める。
一方それを自分に向けているのだと勘違いした一成は萎縮した。
「…離れろ」
「はっ、はい!」
悟は綾姫に言ったのだが、それに反応したのは一成。
確かに結果的には一成と綾姫の距離が広がったのだが…一成と悟の距離も広がった気がしてならなかった。
「一成?」
「ごっ、ごめん。…そうだよね」
何かを自己完結したような言葉を残すと一成は再び教室を出て行ってしまった。
悟は事の成り行きについていけず、ぽかんとした。
「追わないのですか?」
ほぼ傍観していた綾姫が静かに言った。
その声で我に返ったが、同時に挙動を綾姫に見られていたことに悟は気付いた。
羞恥で顔が赤くなったことが自分でもわかった。
そんな悟を見て綾姫は口の端を上げた。
嫌な微笑みだ。
「五月蝿い。今から行くところだ」
悟は子供じみた口答えをしたが、それはどこか弱々しい。
「先日や先程の威勢の良い貴方とは大違いですね」
悟はその言葉に振り返りもせずにすたすたと教室を出て行った。
一成は化学室の前でうずくまってカタカタと小刻みに震えていた。
化学室の鍵を先程閉めていたため入れなかったのだ。
ただそんなことよりも悟に嫌われたという考えに一成は捕らわれていた。
悟はそんな一成にゆっくりと近付く。
「一成」
びくりと大きく身体を揺らした後、一成は立ち上がった。
「待てよ」
逃がさないようにすぐさま悟は一成の片腕を掴む。
気付かれないように近付いたのだ、それは容易にできた。
一成は結局へなへなとその場に座り込んでしまった。
「ええと、何か勘違いしてると思うぞ。俺、謝られるような覚えはないし。どうして謝ったのか教えてくれないか?」
一成は悟に優しく促されてポツリ、ポツリと話し出した。
「悟は…僕が……相原くんとは友達で十分だって…そう言っても……頑張って恋を叶えてって…応援してくれたよね?」
「ああ、そうだ」
それが一体何に繋がるのだろうか、と悟は内心首を傾げながらも頷いた。
だがなかなか一成はその続きを言葉にしない。
悟は手を腕から離し、そのまま勇気付けるように一成の肩を軽く叩いた。
その時、驚いて上を向いた一成と視線がかち合った。
一成は悟の瞳を見て、このままでは駄目だと堅い口を懸命に動かした。
「悟も…相原くんが好き…なのに……僕が悟の想いを無下にしたから…怒ってるんだよね?当た…」
「ちょ、ちょっと待て」
悟は最後まで一成の言い分を聞くつもりだったが、何分聞き捨てならない内容があったため面食らいながらもそれを止めた。
「俺が相原のことが好きって…どこがどうなってそんな考えになったんだよ」
「だだだって、普段相原くんと悟って喋ってないのに…相原くんが悟を下の名前で呼ぶってことは本当は特別な関係かと…それで悟から好きな人の話を聞いたことがないから………僕のことを応援しているうちに好きになって言い出せなくなったのかなって」
「成る程。確かにそういった話はしたことないし、相原が俺のことを下の名前で呼んでたら不安にもなるよな」
だが悟には腑に落ちないことがあった。
「特別な関係云々…それは一成が気付いたことじゃないだろ?誰がそんなこと言ったんだ?」
「それは…」
一成の態度と一年余りの付き合いで悟はほぼ見透かしていた。
恐らくそれが一週間ほど一成の様子をおかしくしていたのだ。
しかし一成は名を告げようとはしない。
だいたいの見当はついているため悟は話題を元に戻すことにした。
「まあ、俺と相原の関係は…そうとも言えるから間違ってはいないけどさ」
悟から圧されるような雰囲気が消え、一成がほっとしたのは束の間。
一成はその言葉に打ちのめされた。
「ご近所さんでさ、物心付く前からの幼馴染みなんだ」
悟はあっけらかんとそう言った。
だが一成は益々悲壮な表情になる。
特別な関係ではある、とわざわざ悟が言ったのは一種の意地悪のつもりだった。
一成は悪くはないのだが悟も悩んだのだ、これぐらいは良いだろうと軽い気持ちだった。
そしてすぐに関係を明かせば驚くか呆けるだろうと踏んでいた。
だがどちらも違った。
そして一成がそんな顔になる要素が思い当たらない。
そのため悟は戸惑った。
「さっきよりも顔色が悪くなってるぞ。どうしたんだ?」
問うても一成は力なくただ首を振るばかり。
悟は困り果てた。
「一成くん…」
そこへ綾姫がやって来た。
話が終わっている時間を見計らって三人の荷物を持ってきたつもりだったのだが、二人の間には何とも微妙な空気が流れていた。
やれやれと言うように綾姫は額に手を当てた。
「自信がないからと、思い込みはいけません」
一言そう発すると綾姫は壁にもたれて窓の外を眺める。
どうやら傍観者に徹するらしい。
それから何秒か静寂に包まれた。
「どうして、幼馴染みだってことを教えてくれなかったの?」
やがて一成は口をもごもごと動かし、小さくそう呟いた。
「その…相原はあの容姿だろ?昔っから男にもててさ。俺は相原にお近づきになる格好の餌食だったんだ。別に一成だったら俺は話してもよかったんだけど言うタイミングというか……話したときに誰かに聞かれて幼馴染みって噂が広がったら意味ないから言ってなかったんだ、ごめん」
「ぼっ、僕が勝手に勘違いしただけなんだから謝らないで。それに…」
最初、悟は何を問われたのかわからなかった。
そして教えていなかったことが原因ではないかと思い、謝った。
一成は慌ててそれを止める。
いつもの一成に戻っているようだった。
悟は安堵した。
実は一成は何も知らないうちに自分だけ置いて行かれたのかと思っていたのだ。
悟が有紀に恋愛感情を抱いていると唐突に思い込んだのもそれに関係する。
それ以外の関係ならば、悟は一成に言うことを戸惑う必要はない。
だからただの幼馴染みと知って一成は大きくなるその可能性に怯えた。
信じたい気持ちもあったのだが、過去のことがあり不安がより強かった。
「僕ね、小学生のときに大好きな先輩がいたんだ。中学から違うところに進学したけど、ずっとメールでやりとりをしてた。けど、急にメールが届かなくなって連絡が途絶えちゃって……好きだったのは僕だけだったんだと思ったんだ。だから…悟も本当は僕のこと、好きじゃないんだって思って…ごめん」
「そうか…それなら仕方ない。俺のことは気にするな。その先輩のことも誤解かもしれないぞ。再会してちゃんと話せるといいな」
「……うん」
静かに一成は頷いた。
余程その先輩に懐いていたのだろう、思い出して気落ちしているようだ。
話題を変えようと、そして心配事になるようなことは極力取り除いた方が良いだろうと判断した悟はこれだけは言っておこうと口を開いた。
「相原が昔みたいに学校でも俺の下の名前で呼ぶようになったのは…まあ、学校でもまた仲良くしたいっていうようなことかな?兎に角、恋人になったとかじゃないからな」
確かに幼馴染みなのにそんな理由で学校で話さないなんて悲しい。
一成は納得した。
「あのね、もう一つ聞いていい?」
「ん、何だ?」
「幼馴染みということは関係なしに………相原くんのこと、本当に恋愛感情で好きじゃない?」
親しさの理由はわかったが、幼馴染みイコール恋愛感情を抱かないことには繋がらない。
悟の気持ちが一切出てこなかったので、聞いておかなければないと一成は思ったのだ。
「ああ。俺、今のところ好きな人はいないんだ。だからそんな話をしなかっただけだ。だから安心して相原にアタックしろよ」
「うん、ありがとう…。悟も好きな人ができたら教えてよ。僕も応援するから」
「じゃあ、その時はよろしくな」
「うん!」
悟の恋路の邪魔をしていなかった。
一成はその事実にほっとした。
だが安心してばかりいてはいけないことに気付き、一成は舞い上がる気持ちを抑えようと小さく頭を振った。
「悟が相原くんのことを好きじゃなくても、僕が悟の助言を無視したのは変わりないから僕の謝罪は受け取ってほしいんだけど…駄目?」
そう、まだ謝罪は受け入れられていないのだ。
一成はこれについては確実に自分が悪いと感じているので譲る気はなかった。
それは悟にも伝わっており、無言で頷くことでそれを受け入れた。
「あ、それでさ…」
「ううん、遠慮するよ」
一成には悟が何を言わんとしたのかわかったらしく、言葉になる前に遮る。
「確かに僕は相原くんのことがす…好き…だけど、僕はそのために悟と友達になったわけじゃないから。だから…気を遣ってくれたのに、ごめんね?」
「…いや、そう言う奴今までいなかったからかなり嬉しい。ま、だからこそ俺はお前の友達でいたいんだけどな」
少し照れながら言う悟に一成は感極まった。
「ありがとう、僕も悟のこと好き…」
「うわっ!?」
最後まで言い切る前に、悟は慌てて一成の口を塞いで周りを見る。
何が何だかわからずに一成は目を白黒させた。
少しして悟はそれに気付き、慌ててばっと離れる。
放心する一成に何をどう言えば良いかと悟は頭を悩ませた。
「話は終わったようですね」
そこへそれまで傍観していた綾姫がいきなり二人の空間に入ってきた。
そのことで一成の意識は先程のことから綾姫に向いた。
「り、綾先輩、色々ありがとう。それなのに待たせてごめん」
「いえ、一成くんの悩みが解決したようで良かったです」
悟は助かったと安堵した。
だがその一方で綾姫には散々待たせていたにも関わらず、今の二人がどこか面白くないように感じられた。
「あの、そちらの彼は…?」
そんな悟に気付いたのかそうでないのかはわからないが、綾姫は一成に尋ねた。
「綾先輩、この人が僕の友達の内中悟だよ」
「悟くん、ですね。初めまして、私は新屋綾姫です。宜しくお願いいたします」
綾姫はにっこりと笑いながら悟に自己紹介し、握手を求めた。
それがどこか面白くなかった悟は綾姫の手を横目で見ながらも従う気はないので素知らぬ顔のままでいる。
だがそれは長くは続かなかった。
なかなか応じない悟を不思議そうに一成が見つめているからだ。
悟は渋々それに応じた。
「それでね、悟…綾先輩も一緒に帰って良い?」
「……待たせたから今日だけな」
「どうもありがとうございます」
綾姫は悟に先程とは打って変わって挑戦的な笑みを向けた。
悟は初めましてと言われたが実は二人は既に会っている。
言われた時はその時のことを覚えていないのかと思ったのだが、今の綾姫の表情がそれを否定している。
悟はその表情に無性に苛ついたが、それを表に出すのは悔しくて無言で歩き出した。
それからは一成と綾姫が始終喋っていて悟はだんまりだった。
悟は内心二人を置いて帰りたいとまで思ってしまった。
「私はこちらなので失礼します」
だが悟が思っていたよりも綾姫との時間は短く、学校から五百メートル程共に歩いただけだった。
「それでは二人共、さようなら」
「うん!」
そして綾姫は会話に入っていなかったために反応が遅れて少し前で立ち止まった悟の横を通り過ぎる。
「一成くんのためにも君とも仲良くできると嬉しいのですが」
悟はすれ違い様にそう綾姫に囁かれた。
一成に聞こえないようにしたらしく、意識しなければ聞き取れない程小さなものだった。
悟はその声に反応して胸の奥底から這い上がろうとする何かを押さえつけることに必死で少しの間その場を動けなかった。
一成は不安そうにそれを見ていた。
「あ、悪い」
一成は首を振る。
結局それから二人は何事もなかったかのような調子で歩き出した。
「じゃあ、また明日」
そして変わらずいつもの所で二人は別れた。
ただ一成はしばらくの間、悟の後ろ姿を見つめていた。
◇◆◇◆◇
悟がちょうど家に着き家の門に手をかけたところで、それを見計らったかのように悟のポケットの中の携帯電話が震えて着信を知らせた。
「げっ」
悟はディスプレイに表示された名前を確認して危うく携帯電話を落としそうになる。
だが、出るのが遅くなればそのことについてネチネチと言われるのはわかっているので慌てて通話ボタンを押し、耳に当てる。
「もしも…」
『奴を遠ざけないどころか俺のモノに手を出した上、みすみすチャンスを逃しやがるとは良い御身分だな。何のためにお前が俺のモノの側にいることを許してやってるか……わかってるよな?』
「……………えっ、手を出したわけじゃ、あっ」
言うだけ言うと相手は悟の言い分も聞かずに電話を切ったらしく後はツーツー、という機械音が聞こえるだけだった。
ついさっきのことなのに異常な程情報伝達が早い。
まるで直接見聞きしていたかのようだ。
恐らく悟だけでは信用できずに何らかのことをしているのだろう。
そんなに我慢ならないなら回りくどいことばかりせずに直球で勝負した方が良いのではと思った後、これからのことを思って悟は少し憂鬱な気分になった。