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その9 ミジンコのレシピ



正月が明けて街に活気が戻ってきた1月の7日。よく晴れた午後3時。

商店街のど真ん中にあるスーパーマーケットは買い物客でにぎわっていた。そんな中、おれは自分が孤立していることを感じている。

「105円のお返しです。」

「・・・あ、うん。」

おつりをくれるレジの人の笑顔がとても使い込まれたものに見えてしまう。ひねくれた考えだな。

 おれは年末からずっとこんな調子。無気力で、マイナス思考で、悲観的。それも当然のことだなんて自分に言い聞かせてはみるけど、だからといって何が変わるわけでもない。買ったのも2人分の食料だけ。今までよく買っていた週刊誌とかそんなものに興味はなくなってしまった。だって、読んだってつまらない。ただ毎日淡々と過ごしている。

 今日も家に閉じこもってしまっている美里のために食べ物を届けてやる。

 初めは美里をなんとか元気付けてやろうって軽く話しかけたり、外に連れ出そうとしたけど、今はそれも無駄だと分かってしまった。美里本人が他人との接触を極力避けようとしているから。もちろん、その他人にはおれや茜、慶二も含まれる。だから最低限のことしか出来ないし、そのことがまた美里を追い込み、おれ達にもダメージをくらわせている。

 美里のアパートに着いた。天気は文句なしの晴れなのに、影を帯びているように見えてしまう。階段を上がり、部屋のドアノブに食べ物の入ったビニール袋を提げ、声をかけてみる。

「美里、ここに掛けとくぞ。」

しばらく待つ。

「・・・うん。ありがと。」

ドア越しに美里の疲れた声がする。

「ねぇ、タツミ。すっごくうれしいんだけど、もういいよ?」

こんなセリフをほぼ毎日聞かされたら、気もめいる。

「なにがだよ?」

「・・・食べ物ぐらい自分で何とかできるし、タツミも大変でしょ?」

食べ物すら美里が何とかできない状況なのは良く分かっている。

「そんなことないけど?気にすんなよ。困ったときはお互い様だ。」

「・・・・・・。」

ドアの向こうで、美里がどんな顔をしているかが簡単に想像できてしまう。

「あのね、タツミ、・・・」

「じゃあ、おれもう行くな。」

「・・・うん。ありがと。」

わざとらしく会話をさえぎって、おれは帰ることにした。どう転んだって、うれしい言葉が出てくるわけが無いから。

「また明日な。」

こんな日がいつ終わるのか・・・。


     *


美里が引きこもってから、また1週間ぐらい経過したある日。

「ほんと、困ったね。」

大学の食堂はまだ10時過ぎだからか、学生の姿もあまり見えない。

「ああ。そうだな。」

窓際のテーブルを陣取り、苦いコーヒーを飲みながらおれは気のない返事をする。当然美里は大学に来ていない。

「もうそろそろ一ヶ月だよ?最近はメールも返してくれないしさ・・・。」

「おれも同じ様な感じつたい。」

茜と慶二もテンションが低い。美里が居ないだけでここまで空気が変わるもんなんだな。

「昨日も美里のアパートにカップめんとか届けたんだけどさ、やっぱり、相当まいってるよ、あいつ。」

「だろうね。きっと、誰にも近寄って欲しくないだろうから。タツミならなおさらだと思うよ?」

「・・・わかってる。」

そう。きっと美里が一番恐がってるのは、おれ達が近くに居るときに耳鳴りがすることだろうから。アパートに行くのは逆効果といえば逆効果なのかもしれない。毎回「もういい」と言わせなきゃいけないのは心苦しい。

「なあ、ちょっと訊いてもよか?おれはその耳鳴りってのを見とらんからなんとも言えんのだけど・・・。」

慶二が真剣な顔をする。

「ああ、なんだよ。気は乗らないけど聞いてやる。どうせいい内容じゃないんだろうけど。」

「・・・こぎゃんこつ訊いてよかか分からんのだけど、美里が持っとるんは、本当に『もうすぐ死ぬ人が近くに居ると耳鳴りがする』力なん?」

・・・どういうことだろう?ちゃんと説明したのに。

「そうだよ。なんでいまさらそんなこと訊くのよ?」

茜も腑に落ちないようだ。

「病気の祖父とか、祖母が死ぬ前に耳鳴りばしたけん、そう思うんだろも?」

「そうだろ。美里はそう思ってるし、それが一番自然な考え方じゃないか?」

「人が死ぬ前に耳鳴りばしたけん、『死ぬ人が近くに居ると耳鳴りがする』て思うんだよな?他に根拠はなかとだろ?」

「・・・そうだな。他に根拠があるわけじゃない。」

なにがいいたいんだ、コイツは。

「あーもー、じれったいわね。早くいいなさいよ。」

「『死ぬ人が近くに居ると耳鳴りがする』だけじゃなくて『耳鳴りがしたから近くの人が死んだ』という可能性もあるんじゃなかと?」

「・・・な、」

『耳鳴りがしたから近くの人が死んだ』って、・・・それじゃあ、まるで、

「・・・美里が周りの人を殺してる、そう言いたいのか、慶二。」

「完全な否定はできん、そう言っとるだけばってんな。」

「・・・このぉっ!!」

我慢できずに、慶二の胸ぐらをつかむ。

「ふざけんのもたいがいにしやがれっ!!」

おれの叫びに驚いた他の学生がこっちを見てるけど、止まらない。がくがくと慶二をゆさぶる。

「はなせ。感情的になったら、何もできん。」

「・・・!」

落ち着き払った慶二を殴りつけようとした。したけど、茜がおれの腕をつかんで放さない。

「はなせ、茜!おれはコイツをぶん殴る!」

「やめなってば!」

「タツミ、気にさわる言葉だったんは分かっとる。謝るから、落ち着け。」

「タツミ!」

「・・・・・・ふぅ。」

大きく息を吐いて、自分をなだめる。そして、慶二の胸から手を放して席に着いた。

「・・・わるかったよ。謝る。・・・だからお前も謝れ。」

「ああ。すまんかった。」

もうすこし自分を落ち着けるために、コーヒーのお代わりを取りに行くことにした。



「落ち着いた?」

「ああ。」

苦いコーヒーのおかげか、頭の中はすっきりしてるみたいだ。

「慶二、さっきの話だけど、もう一回頼む。」

「ん。」

慶二はコーヒーを飲み干して話し出した。

「美里の耳鳴りば単純に説明するなら、『人が死ぬ前に耳鳴りがする』ってことだろも?そこから美里もおれ達も『美里は人が死ぬのが耳鳴りで分かってしまう』と考えた。そうばってん、『美里の耳鳴りがあると人が死ぬ』とも考えられる。どっちが原因で、どっちが結果なのかはわからんと。よか?」

「ああ、大丈夫。分かる。仮に『死→耳鳴り』だったとしても美里は他人との接触を拒否するだろうが、『耳鳴り→死』なら・・・美里の精神はとてもじゃないが耐えられないだろうな。」

「無意識とはいえ、人を殺してるってことになるもんね・・・。」

「そういうこったい。しかも、おれらがこのことに気付くくらいだけん、当の本人、美里はとっくにこぎゃんごつ考えとる可能性は高い。」

「唯でさえ不安定な心理状態でそんなこと考えたら、絶対にそうだと信じ込むだろうな。マイナス方面に考える可能性は限りなく高い。小さい頃とは言え、自閉症まで自分を追い込んだんだ。自分が殺人鬼だなんて思ったら・・・自殺しかねないぞ。」

「・・・そうだね。かといってアパートに行ったら美里は拒絶するし、余計に自殺の可能性が高まっちゃうか・・・。食べ物を届けるのもやめたほうがいいのかな。」

「なにいっとんだ、茜。タツミがいるから美里はまだなんとかなっとるんじゃないや。そぎゃんこつしたら、本当に自殺しかねない。」

「そうだ。これからもアパートには行く。・・・でないと、多分美里は潰れちまう。」

「おれもそぎゃんこつ思う。今、美里はタツミのために生きてる。」

「・・・うん。失言だった。謝る。」

「あと、前にも言ったばってん、精神の異常は体にもダメージを与えることがあるけん、注意深く美里を見なければな。」

「つったって、ドア越しにしか話せないけどな。」

「彼氏なら、声だけで分かってやらな。」

慶二らしくもないセリフに思わず笑ってしまう。

「ああ、そうだな。」

「慶二はあたしのこと分かってるの?」

「・・・さっぱり。」

「だろうと思った・・・。」

落胆する茜。それを笑いながらみる慶二。やっぱりこういうのがおれ達にはあってると思う。真剣に考え込んで、あまつさえすれば殴りかかるなんてのは論外だ。早く美里を暗い部屋から連れ戻していつものおれ達に戻らなくては。

「今日はこの辺でいいかな。2人ともこの後講義だろ?おれはまた食料を買ってもって行くわ。」

「うん。任せた!」

「・・・タツミ。」

おれが席を立とうとしたら慶二が呼び止めた。

「なんだよ?」

「カップめんはいかん。米とか野菜とか、自立をうながす食べ物にせんと。」

そう言ってにっこり笑う慶二に笑顔を返す。

「ああ。それが一番の打開策かもな。」

おれ達3人は食堂を後にした。


     *


 人参、ジャガイモ、たまねぎ、ピーマン。他に卵とか牛乳とか、当たり障りの無いものを買って美里のアパートを目指す。食料ではなく、食材になった。

「ああ、レシピがないとあいつじゃなにも作れないか・・・。」

あっても作れなさそうだけど、味噌汁のだしはうなぎではないと教えてくれるだけでも十分だ。

「たしか、あっちに本屋が・・・。」


『ミジンコでも作れるかんたんレシピ』なるものを買い、再び美里のアパートを目指すと目の端に何かが映った。交差点の信号機の真下。缶ジュースとお菓子、そして花束。男がおれたち2人の前で撥ねられた場所か・・・。もう数週間たつというのに、花束は枯れていない。定期的に供えている人がいるのだろう。

「・・・・・・。」

そんなことはないと思いたいが、人間はどうもマイナス思考の癖があるらしい。どうしても美里が・・・と考えてしまう。

 事故現場に手を合わせ、三度アパートを目指す。


「美里―。起きてるかー?」

明るく声を掛けてみる。もちろんドアの外から。

しばらくしても返事が無いからもう一度声をかけようとしたとき、扉のすぐ近くで足音がした。そして、美里の声。

「うん。いつもありがと。ねぇ、もういいってば。」

疲れたように言い放つ美里。でも、今日のおれは少しもめげない。

「ああ。そういうだろうと思って、もう甘やかすのは止めたぜ?」

「・・・うん。」

なるほど慶二の言うとおり、声だけで分かってやることができた。いまの美里は、泣きそうだ。

「甘やかすのは止めたから、今日は食料じゃなくて食品だ。」

「え?」

「いつまでもレトルト食品およびカップめんに頼ってたらだめだからな。自分で作れ。野菜とか買ってきたからさ。」

「・・・でもあたし何も作れない。」

「そういうだろうと思ってさ。料理本まで買ってきてやったのさ!これならミジンコでも料理が作れるらしいぜ?」

「・・・・・・。」

そして、声なんかなくたって美里の気持ちが分かってくる。いま、コイツは泣きそうになってる。

「うん。ありがとね。」

「あのな、美里。」

「・・・なに?」

ちょっと深呼吸。ふー。

「おれのこと、勘違いするなよ?」

「え?」

いま、コイツは驚いてる。当然だけどな。

「おれのこと、優しいヤツだとか思ってるなら、大きな間違いだからな。」

「間違ってなんかないよ?タツミはやさしい。こんなあたしにも・・」

「おれはやさしくなんかない。」

 美里の声をさえぎって話を進める。

「おれは、自分のためにしか行動できないんだよ。やりたくないことはやらないし、利益が無いこともやらない、自分勝手な男だ。だから、おまえが来るなって言ったって来るし、いらないって言ったって食べ物を置いていく。それが、おれにとって利益になるからな。」

「・・・。」

美里は黙って聞いてくれてる。

「・・・おれが、今、欲しいものは、日常だ。よくある話だけど、やっぱり日常が一番大切なんだよ。こんな生活、もううんざりだ。そして、今のお前はおれの日常をぶち壊してくれてる元凶ってわけだ。憎き敵って感じだ。その敵を打ち砕くのに、協力しろよ、美里。」

さらに深呼吸。くさいセリフってのはのどが渇く。

「さっさともとの美里に戻ってさ、おれに日常をくれ。手助けはするから。」

美里はしばらく黙って、返事をした。

「わがままだね。タツミ。」

「そういっただろ?」

「・・うん。」


今の美里が考えていること。うれしさ2割、悲しみ5割、怒り3割。


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