その8 美里
美里はごく普通の家庭に生まれた。
両親の仲もよかったし、収入も安定していた。何の非の打ち所もなかった。
一人っ子だった美里は両親を独り占めすることもできたし、わがままもある程度は聞いてもらえた。
かといって過保護でもなく、甘やかされていたわけでもない。
様々な面で非常に恵まれた子供だった。本当に普通の子に育っていった。
しかし、あるとき美里になにかの変化がおとずれた。必要最低限の会話しかせず、感情をあまり外に出さなくなった。かと思えば突然感情が爆発し、せきを切ったように喋りだした。そのほとんどが何かに対する不満、要求。
困った両親は周囲の勧めで一度、医者に美里を診せた。
診断結果は、・・・精神分裂病。つまりは自閉症であった。
他人との接触を極力避け、自分の世界でのみ生きている状態。
美里が自閉症に陥ったのは小学校に上がる少し前。
それまではなんの問題もなく、近所でも評判の優しい子供だった美里が自閉症になった理由、それは突拍子のない超常現象的なことだった
美里が幼稚園にはいってから、親戚の死が相次いだ。
初めは美里の父方の祖父。
あまり喋るほうではなく、タバコが大好きだった祖父を美里はあまり好きではなかった。祖父に染み付いたヤニの臭いが嫌いだった。
それを知っていた両親は、美里が祖父のお見舞いに行きたがらないのをそれが理由だと思っていた。
「おじいちゃんの近くにいると耳がキーンってなるから行きたくない。」
と美里が言っているのを、唯のいいわけだとしか思っていなかった。しかし、美里は本当に耳鳴りがするから行きたくなかったのだ。病院にいるのも辛かった。大きな総合病院だけだが、入っただけで耳鳴りが止まらなかった。
もう祖父の体力も限界で、最期の日が近づいてきたある日。祖父は自宅で最期を迎えようと家に帰っていた。美里はいやいやながらも祖父のお見舞いに行った。病院に行かなくていいなら、と。
耐えられなかった。
頭が痛くて祖父のそばにいられなかった。
今までで一番強烈な耳鳴り。
病院のなかでする耳鳴りなんかとは段違い。
美里は祖父の家から逃げ出した。
しばらくして、祖父の家に戻るともう耳鳴りはしなかった。祖父はすでに帰らぬ人となっていた。
それからは今までお見舞いに行かなかった代わりにと、美里は祖父から離れたがらなかった。
通夜ではずっと動かない祖父のそばにいた。納骨もし、葬式にも出た。けどもう耳鳴りはしない。
その数ヵ月後、今度は母方の祖母が危篤になった。
すこし痴呆症が進んでいたけど、お手玉の作り方を教わったり、おはぎを作ったりと、なにかと美里に良くしてくれる祖母を、美里も大好きだった。
それでも、死の数日前から美里は祖母に近づけなくなった。
美里にはそれがなぜか分からなかった。大好きなおばあちゃんに近づくことができない理由が知りたかった。あるとき、無理をして祖母の横に座った。
頭が割れそうだったけど、祖母が喜んでくれていたので、我慢しておしゃべりを続けた。
突然、耳鳴りが何倍にも強くなり、美里は悲鳴を上げて床に倒れこみ、気を失った。
同時に祖母の容態も急変し、そのまま帰らぬ人となった。
そして美里はなんとなくだが理解した。
死がせまっている人に近づくと耳鳴りがすること。
そしてその人に死が近づくにつれて耳鳴りも強くなること。
その人が死ぬと、耳鳴りも消えること。
その後、祖母を追うように亡くなった母方の祖父の死で、美里は確信した。
人の死と自分の耳鳴りの関係を。
いままでも街中で耳鳴りがすることはあったが、いつものことと特に気にしてはいなかった。しかし、自分の体質に気づいてからは、気が狂いそうだった。すぐ近くにもうすぐ死んでしまう人がいる。美里は誰が原因の耳鳴りなのかを知ることはできなかったから、自分の両親ではないと言い切ることはできなかった。
子供なりに自分の異常さを理解していたから、両親に嫌われるのではと、このことは黙っていた。しかし、それはまだ5歳の女の子が一人で抱えるには重すぎた。
美里はその関係を忘れるために、逃れるために、自分の殻に閉じこもった。
自分の世界。
自分が自由に構築できる世界。
誰の死も関係ない世界。
耳鳴りがしない世界。
しかし、両親は喜ぶはずもない世界。
両親は美里が殻にこもるのを邪魔した。
美里だけの世界を壊そうとした。
現実に引き戻そうとした。
苦痛。
せっかく作った苦しみのない世界をなんで壊すの?
美里の中に不満や怒りがたまっていく。
しかし、不満をぶつけてその行為をやめさせるには自分の世界から外に出る必要があった。
だから、時間を最小限にするために溜め込んだ不満を一瞬で爆発させた。
美里が自分の世界に生活するようになってから、3年ほど経ち、美里が小学3年生になったときから、美里に変化が起こり始めた。
友達ができたのだ。
普段は何もしゃべらず、突然感情を爆発させる美里をクラスの子供たちは恐れて近づかなかった。
そんな美里に話しかけてくる女の子が転校してきたのだ。
初めは美里は無視し続けた。というか意識に入ってこなかった。自分の世界に誰一人侵入させなかった。しかし、自分から接近していくことで相手の警戒心とかそういうものを無くすことの出来たその子は、美里の世界、心をもほぐしていった。
美里はその頃、完璧に耳鳴りのことを頭の奥底に追いやって忘れていた。死に接している人にも会うことがなかった。耳鳴りと死の関係を忘れるための自分の世界を維持していく必要はなくなっていたのだ。
しかし、美里は心を開こうとしなかった。
自分の世界にいながらも、クラスメートが自分に向けている視線がどういうものなのかを頭のどこかで認識していたからだ。
そんな美里にクラスメートのそれとは別の視線を向けてくるその子に逢って、少しずつ美里の世界は崩れ、また普通の女の子へと戻っていった。
耳鳴りのことは忘れた状態で。
そして美里はみるみる回復していき、今の明るく元気な状態に至る。
物を透視したりとか、物を動かしたりとか、物に残る記憶を読み取って行方不明者を探すとか。
そんな力がほしいと思ったことはあるかもしれない。みんな自分に注目してくれるし、人の役にも立てる。まあ、それでも本気で思ったりはしないだろうけれど。
でも、人の死が分かる力なんていらないし、欲しいと思ったこともない。
誰にも言ってないから確証はないけど、みんな絶対怖がる。人の役にもたたない。
自分が辛いだけ。自分を押しつぶすだけのおもり。。
だから自分の世界から現実に戻るとき、その力も置いてきた。
美里は自閉症から回復し、普通に中学校に行き、友達も増えた。
小学校の前半はまともに授業を受けていないので分からないことだらけだったが、もともと頭はよかったらしく、あっという間に遅れを取り戻し、そこそこの高校に進学することができた。高校もなんの問題もなくすごし、あわただしい受験を経て、今の大学に入り、達見と出会う。
ついでに美里を自閉症から復帰させた女の子は美里と同じ中学に入ったが、高校は別だった。しかし、べつに申し合わせたわけでもないのに大学は同じところに進学をした。そして慶二と出会って交際をしている。まあ、つまりは茜だったわけだ。
美里と達見と茜と慶二。
大体いつもこの4人で行動していた。楽しくて悩みなんかなにもなかった。
本当に自分の能力に関しての記憶を封じ込めていたので、たまになる耳鳴りなんか別に気にならなかったし、自閉症だったことも忘れかけていた。
でも、忘れていた記憶を思い出させるような事件が相次いでしまった。
耳鳴りのあとに隣の住人が殺された。
数分後に列車の事故に遭う人たちの近くで耳鳴りがして、その人たちが行ってしまったらもうしなくなった。
前田さんの家の前を通るときにしていた耳鳴りが、そこのおばあさんが亡くなるとしなくなった。
ランニングをしていた男の人が近づいてくると耳鳴りが強くなって、遠ざかると弱くなった。そしてトラックに轢かれたあとは、もうしなくなった。
いやでも思い出す。
何もかも。
耐えられなかったから奥底にしまっておいた自分の力の記憶。
せっかく耳鳴りがしてもなんにも思わなくなっていたのに、思い出してしまった。
以上があの事故のあとに美里に聞いたことのすべて。
できれば信じないでくれって言われたけど、おれ自身、頭のどこかでは気づいていたこと。
疑うわけもなかった。
美里が一人にして欲しいといって聞かなかったから、おれはしぶしぶ帰ってきたってわけだけど。
腹もすいてないし、眠くもない。眠くもないが、今は何も考えたくなかったので布団にもぐりこんだ。
次から中編が始まります。




