その1 お蕎麦屋さんの受難
「ええいっ、カッチコッチうるせええっ!」
って時計に怒鳴りつけてみたら、その自分の声であたまがくーらくら。たまったもんじゃない。まさに耳もとで日本全国の鐘楼を全部を鳴らされた感じ。ぐわああああん。
なんでそんな馬鹿みたいな真似したかって言うと、時計のカチコチでさえ頭に響くような極めて重度の二日酔いに陥っているから。一秒ごとにミニ鐘楼を耳もとで鳴らされている気分。そしてさらに厄介なことに両手を柱に縛り付けられているもんだから、水を汲みにいったり、頭を抱えたりすることすらできないと言うこの状況・・・。
深夜4時。カーテンからもれてくる隣のアパートの明かりで何とか部屋の様子がわかるこの暗闇。痺れている手に血を通わそうと試みながらおれは心底後悔していた。
ことのハジマリは約十時間前。現在交際中の美里の家に遊びに行っていた時のこと。
「そういえば、あとで茜が来るって言ってたよ。」
と美里が言ったのを聞いてなんとなくやな予感がしていた。
「慶二は?」
「なんか課題がピンチだから徹夜でがんばるんだって。」
「・・・・こないのか?」
「こないよ?」
ふーん、そうか、慶二も大変だなー。なんていいながらまずいなー、と思ってはいたのだ。いたずら大好き人間の茜。それにほどよくストップをかける慶二。なのに慶二は来ないで茜だけが来る。そこから予想される今後の展開はまさに阿鼻叫喚!てなわけで、とんずらかましてやろうとドアに手をかけた瞬間、ドアが開いた。
「やっほー。美里―、タツミー、仲良くやってたかい?」
茶色でパーマがかかっている髪を肩まで伸ばした茜が満面の笑みで登場した。。
「?なにやってんのタツミ?」
とんずらかませに失敗して立ち尽くしていたおれに茜は声をかけてずかずかと部屋へと入っていった。
美里と茜がテーブルに腰をかけたのでおれもしぶしぶ腰をかけた。茜が持ってきたビニール袋に落胆しながら。そう、このとき逃げ出すべきだった。
「なに?そのビニール袋。」
と美里が訊くと茜はにんまりと笑ってビニール袋から直方体の瓶を出し、ドンとテーブルに置いた。
「良くぞ聞いてくれました!今日はなんとなんと、ウォッカを持ってきました!」
「ウォッカ!?あのすっごい強いお酒だよね?」
しかもおれの見たところあれは海外から直接取り寄せたもののようだった。ラベルに見慣れた日本語が見当たらない。
「そうです!今日はこれを飲むぞー!」
「おー!」
と二人は飲む気満々。困ったことに二人は相当に酒に強い。そしておれはさして強くはない。いや、弱くはないんだけどな?弱くはないんだけど、さすがにこの二人と飲むと体が持たないと少し抵抗してみる。
「いやまてよ。おれ達まだ未成年だぜ?ウォッカはまずいんじゃないか?いや、まずい。きっと体がぼろぼろになって、アル中になって、未来真っ暗になるって。な?チューハイとかビールにしとこうぜ?」
どうでしょうか?
「未成年はチューハイもビールも飲んじゃいけないんだよ?」
「そうそう。チューハイもウォッカも酒には変わりないんだからさ。ちょっとアルコール度数が違うだけだって。」
はい却下―。ウォッカを飲むことは決定事項のようです。度数の桁が違うんだけどなー。
それでも飲んでしまったら本当に冗談抜きで危険だからまた抵抗。
「じゃあ、二人だけで飲んでろよ。おれはちょっとパスするわ。な?」
どうでしょうか?
「くすん・・・。タツミが飲みたがるだろうと思って思い切って買ってきたのに・・・。高かったのに・・・。重かったのに・・・。くすんくすん。」
茜がくさい芝居をする。もう芝居ですらないか?
「ああ、泣かないで泣かないで茜。きっとタツミも飲んでくれるよ。ちょっと反抗期なだけだよ。」
そして美里もわざとらしくなぐさめる。
「ねぇ、タツミ、あたしの買ってきたウォッカ、本当に飲んでくれないの?くすん。」
「おれの生死にかかわるから飲みたくない。」
「ひどいっ。あたしがウォッカに毒でも入れると思うの?そんな風にあたしを見てたの?うわあああん。」
「あああ、茜、泣かないで。ちょっとタツミ!何でそんなこと言うの?」
「いや、ウォッカそのものが毒みたいなもので・・・。」
「うああああん!」
「タツミ、ひどいよ!茜が買ってきたものを毒だなんて!」
「美里!あたしもうこんな扱いされたくないっ。うあああん。」
「あやまって、タツミ!そしてウォッカを飲んで!」
「・・・・・」
そろそろ収集がつかなくなりそうだったのでびしっと言ってやった。
「とにかく!おれは飲まない。飲みたかったら二人で飲んでくれ。」
・・・いまのが決定的だったのか、二人はしんと黙り込んだ。
そして茜が美里にすがりついて、泣きまねをしながらこういった。
「ねえ美里、お願い。タツミをちょっと羽交い絞めにして。」
・・・・え?
「うん。わかった。」
・・・・ええ?
それからのことはいまいちよく覚えていない。たしか、美里に羽交い絞めにされ、茜にウォッカを口に流し込まれ・・・・今、こうして縛られている。おそらくウォッカで気を失ったあと、酔った茜がふざけておれを縛り付けたんだろう。
どうしておれはもっと真剣に逃げ出そうと考えなかったのか?チャンスはいくらでもあったはずだ。などと考えながら手を縛っているビニール紐をはずそうとがんばるのであった。・・・・ああ、あたま痛・・・。
人間はけっこう丈夫で、図太いもんだな。二日酔いであたまがんがん、手は縛られて感覚もない、そんな状況でもおれはあの後寝てしまったらしい。相変わらず耳もとに鐘はついているようだが。
時計を見ると9時。今日は日曜で講義もないからいつまでも寝ていられる。二日酔いでなければもっといいのにな。カーテンを開けなければわからないが外は快晴のようだ。手が縛られてなければもっといいのにな。はは・・・。
困ったことに、いつまでも寝ていられるのは茜や美里も同じことで、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。普段なら寝かせておいてやるところだが、今日はそうもいかない。起きて紐を解いてもらわないことにはこっちは水も飲めない。しかもさっきから尿意が強まってきているときた。朝だからしかたがないが、まさか美里の部屋で(どこでもそうだけど)水溜りを作るわけにはいかない。雨漏りだって言えばごまかせるかなー。なんて。
だいたい縛ったのはこの二人なわけだから、別に遠慮なんてすることはない。はい、息を大きく吸ってえ、
「起きろー!!このやろー!!」
・・・・・・。
「ふぁ?」
美里が起きてくれたようだ。ソファーから体を起こして朦朧としている。
「・・・耳鳴りがするー。」
そりゃそうだ。おれが昇天した後もウォッカを飲んでいたんだろうから、体が不調なほうが正常だ。みるとテーブルにふたの開いたウォッカの瓶と小さなコップが転がっている。まだ若い女子大生二人がウォッカ一瓶を飲み干したわけね?
「まだねるぅ・・・。」
ばたんと美里はまたソファーに寝てしまった。
「おい、美里、起きろってば!起きてこの紐を解いてくれって!さもないと深刻な雨漏りに悩まされることになるぞ!」
「・・・・・あまもり?だいじょうぶだよタツミー。外は・・はれてるよ・・・。」
「いいから、起きてこの紐を解けーっ。雨漏りに悩まされたいのかーっ。」
「ひもぉ?いいよ紐なんてほっときなよぉ。」
ほっといたら手が壊死してしまうってば。美里ってけっこう寝ぼけがひどい。普段ならかわいいなぁとか思う。しかし、何度も言うが雨漏りの危機なんだってば。
「忘れたのかっ?昨日、茜とウォッカを飲んだだろ?そして嫌がるおれを羽交い絞めにして無理矢理ウォッカを飲ませただろ?で、おれを紐で縛っただろ?今もまだおれは縛られたままなんだよ!」
「・・・」
十秒経過・・・。
「ああ!そうだったね。うん、ほどいてあげるよ。」
意識をはっきりさせてくれたらしい。美里はとたとたと紐を解いてくれた。
「ふう、まったく手が壊死するかと思った。うわ、真っ青じゃんか。」
急いでトイレに行く途中、まだぐっすり眠っている茜にクッションを投げつけてやった。
茜が目を覚ます頃にはもう十一時をまわっていた。
みたところ茜は二日酔いに悩まされてはいなさそうだ。腹が減ったとキッチンを徘徊している。相変わらず酒につよいな。棒パーティーで「おれは飲める」と大嘘ついて救急車初体験をしたどこかのおれとは大違いだ。あれか?脱水素分解酵素・・・とかいうのの違いなんだろうか?美里も水を一杯飲むだけでずいぶん回復したようだ。化け物め・・・。
美里はアパートに一人暮らしなので自然と外食で済ますことが多く、冷蔵庫の中は飲み物以外はほとんど空っぽだった。あとはジャムとかマーガリンとか、マヨネーズ。
というわけで三人でどこかに食べに行こうという話になり、茜の要望で蕎麦屋に行くことになった。なんでもそばつゆが恋しくてたまらないとか。まあ、二日酔いにはそばぐらいがちょうどいい。
「ちょっと先に行ってて。財布がどっかにいっちゃった。」
美里がテーブルの上をひっくり返しながら言う。
「わかった。ほら茜、いくぞ。」
「あーい。」
茜とアパートの前で待つ。住宅街のこの辺はあまり人通りもなく、静かだった。
「静かだねぇ。」
「ああ、日曜日だし、みんなゆっくりしてるんだろうな。
ところで、昨日おれの手を縛った実行犯はお前だろ?お詫びに昼飯をおごってもらおうか?」
すると茜は不思議そうな顔でこっちを見る。
「え?なに、まだ根に持ってたわけ?男らしくないな。おごるのは男の一番大切なしごとのひとつでしょ?」
「女の仕事は男に酒を飲ませて縛ることなのか?おい。」
「気にしない気にしない。あ、ほら、美里出てきた。」
タイミングよく美里がアパートの二階の部屋から出てきてしまった。まあ、この話はまた後ですることにしよう。
そのとき、静かだった町に男の怒鳴り声が響く。
「なんだと!?ふざけんじゃねぇぞ、おいこらぁ!」
そしてそれに言い返す女の声。
「しょうがないじゃないかい!無いもんは無いんだよ。それに大きな声を出すんじゃないよ。近所迷惑じゃないか。」
大声で言い争っているのを聞いて美里はあわてて階段を下りてくる。どうもその声は美里の隣の部屋から聞こえてくるらしい。
「な、なに?」
突然のことに茜は呆然としている。そこに美里が来て、わりと落ち着いた表情で言った。
「うちのお隣の立川さんだよ。大抵は留守にしてるんだけど、今日はいるみたい。」
「すごい声だったな。借金があるとか?」
「うん。らしいよ。ときどき借金取りが来てるもん。」
「み、美里,大変だね。引っ越ししたら?」
たしかに。隣にそんな人が住んでいたらたまったもんじゃないかもしれない。
「ううん。もう慣れちゃったよ。ほら、お蕎麦屋さん行こう?」
「そうだな。まあ、慣れちまったもんはしょうがないな。」
蕎麦屋に向けておれ達は歩き出した。
美里はまだ耳鳴りがするらしく、耳を押さえている。まあ、耳鳴りなんて気づいたらなおってるもんか。
梅にうぐいす。そして駅に蕎麦屋。なぜか駅の周辺にはかならず蕎麦屋がある。この西平駅も例外ではなく、すぐそばに蕎麦屋さんが店を構えている。ちなみにシャレを言ったわけでは断じてない。
おれも美里もまだ3分の2しか食べていないと言うのに茜はもうざるそばをたいらげ、そばつゆを堪能している。
「茜、食べるの速いね。」
ふふんとなぜか自慢げに笑っている茜。早食いは太るぞ?
そばつゆを飲み干した後もおれ達がまだ食べているから退屈になったのか、茜はなにやら割り箸とポケットティッシュに入っているちょっと固めの紙で遊んでいる。
「・・・なにやってんだお前。」
「・・・ほら、名刺で割り箸を折るっていう一発芸があるじゃない。あれ出来ないかなーって。」
何をやっているのかと思えば。飲み会の定番(?)割り箸折りに挑戦していたのか・・・。
ものは速いスピードでぶつかるとその硬さに関係なく強い衝撃を与えるのだとか。だから水に戦闘機が突っ込むと水面をバウンドするらしい。その原理で名刺のような紙でもすばやく叩きつけることで割り箸を折ることができるのだ!説明終わりっ。
「どれ、貸してみ。」
ふん! くにゃ。・・・割り箸は無事なまま。
「ふん!ふん!ふん!」
何回挑戦しても割り箸さんは憎たらしいほどに割り箸の形を保っている。
「ちょっと貸して。」
そばを食べ終わった美里が挑戦する。
「えいやっ。」
ぱき。
「あ、やった。折れたよ?」
「「おおおっ」」
割り箸は見事に折れた!すごいぞ美里!これで忘年会、新年会でウケることうけあいだ!
「美里、どうやったの?あたしにも教えて!」
美里先生にコツを伝授してもらったおれ達はこれで敵無しとばかりに折って折って折りまくった。気づけば三人の前には折れた割り箸の山。割り箸入れに入っていた割り箸はもう残りわずかになってしまった。
「さ、そろそろ帰ろうか。」
茜が腰を上げ、おれ達は店員さん達の刺すような視線を浴びながら蕎麦屋を後にした
どんなものでもいいので評価をくれると非常にうれしいです。




