Lesson:09
「治って……る?」
たしかさっきは高い熱にうなされて、かなり苦しげにしていたはずだ。
けれど今はうれしそうな顔で、ちょこんと床に座っている。まさかあのまま熱がある状態では、こんなふうにニコニコしながら座っていられないだろう。
「どうなってんだ……」
ある程度の状況は分かったが、余計に混乱する。なぜあれほど苦しそうだった子供が、あっという間に治ってしまったのか。
「まさか、ヴァイオリンか?」
信じ難い話だが、それしか思い当たらない。
思えば少年も母親も、最初からここで弾いてもらおうとしていた。だから少なくとも彼らは、子供の病気にヴァイオリンが効くと信じていたのだろう。
そして弾いたら、治った。まぁ治ったこと自体は偶然かもしれないが、とりあえず筋の通りそうな話はこれしかない。
「なんか、エラいことになったな」
ともかく治ってしまったのは事実だ。そしてこれが広まったら、この町中の人が押しかけかねない。ヘタをすれば、近隣の町からも来る恐れがある。
せっかく少し慣れた町だが、最悪とっとと逃げ出したほうがいいかもしれないと、あきらは思った。いずれにせよ、口止めしたほうがいいだろう。
少年の肩を叩き、こちらを向かせる。
「◇$@*」
不思議そうに問われたがそれには答えず、あきらはヴァイオリンと子供とを指差した。そして次に、自分の口と少年の口とを押さえる。
何度か繰り返すうち、察しのいい翠の少年は意味に気づいたようだ。何度かうなずくと、あきらとヴァイオリンを指差しながら、母親に向かって何か言いつつ片手で唇を閉じるしぐさをしてみせた。
この町の住人である少年に言われて、当然ながら母親はすぐに分かったらしい。あきらに向けて同じように、片手で唇を閉じてみせる。たぶん、これがここでの「言わない/言うな」というジェスチャーなのだろう。
――実は違う可能性もあるが。
もっとも確かめようがないから、違っていてもどうしようもないのだが。
どちらにしても一件落着らしいと、あきらはヴァイオリンの手入れを始めた。ここは割と乾燥した気候だから助かるが、それでも手入れを怠ったらどうなるか分からない。
その間に母親が一度家の奥へ姿を消し、両腕にいろいろなものを抱えて戻ってきた。あきらの前に並べているから、お礼らしい。
「こんなにいらないんだけどなぁ……」
暮らすに困っているくらいだからお礼自体はありがたいが、量によりけりだ。持っているバッグにも入らないほどの量は、正直困る。
だが母親のほうは、受け取らないと納得しそうに無かった。
「えーと、そしたらこれ、もらいます」
出された中からパンと果物、それに硬貨をらしきものを1枚だけもらう。
母親はさらにいろいろ持たせようとしたが、あきらは受け取らなかった。着ているものといい家の中の様子といい、この親子が豊かな暮らしをしているとはとても思えない。なのにいろいろもらっては、明日からの生活に困るだろう。ニューヨークにいた頃は自分も散々困っていたから、その辺の事情はよく分かる。
バッグの中にもらったものを詰め込むと、母親がドアを開けてくれた。帰ってもいいらしい。
「シー・ネイ、リュエ、ラダ!」
母親の足元で、すっかり元気になった薄青の髪の子が言った。最後の言葉は別れの挨拶だから、その前の二つの単語のどちらかが「ありがとう」だろうか。
「リュエレス、ラダラトゥ」
母親のほうは胸の前で手を組んで、少し違う言葉を言った。たぶんこちらのほうが丁寧な言い方なのだろう。
「ラダ」
別れの言葉を残して家を出る。
少年は上機嫌だった。上手く言ったのが嬉しいらしい。そしてまたあきらの手を掴んで、どこかへ連れて行く。
大人が子供に手を引かれているようじゃカッコ悪いな、とは思ったものの、振りほどくことは出来なかった。そんなことをしたら、たちまち困ってしまう。
連れて行かれたのは、今度は昨日の屋台だった。
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