Lesson:04
まばらに道を急ぐ人々はだいたいがズボンにブーツ、腰の辺りを紐で止めた丈の長いシャツ、さらにその上に丈の長いベストという格好だった。みな髪は短く、ある程度の年以上の人はつばのない帽子――バチカンの司祭のものに似ている――を被っている。
女性も似たような格好だがシャツの丈がとても長く、脛の中ほどかくるぶしくらいまであった。
(目立つな……)
他の男性と同じように短くしてある髪はいいとして、あきらが着ているインディゴブルーのジーンズに皮のジャケットは、技術も含めてこの場ではあまりにも異質だ。しばらくは旅行者か何かで済ませられるだろうが、場合によってはこの地の服を手に入れたほうがいいかもしれない。
そのうち人が増えてきた。どうやら中心街へ来たようで、少し先には広場も見える。
そして気づいた。
(言葉が違う?)
道端にはいろいろな物を並べたテーブルがあり、その向こうとこちらで何かを言い合っている。どうみても市場だ。
だがそこでやり取りされている言葉が、全く分からなかった。
(――まずいな)
言葉が通じないと言うことがどんな不利益を引き起こすか、あきらは身を持って知っている。何しろ日本へ来てまず直面したのが、「意思の疎通が出来ない」という非常事態だったのだ。
ただ幸いあきらが話していたのは英語で、日本人は全体的に拙いながらも英語の出来る人が多い。だからたどたどしいながらも話してくれる英単語を拾い、こちらも必死に覚えた日本語の片言を繋げて、どうにかやり取りが出来た。
けれどここは、それさえも望めない。
道の隅に寄り、塀に寄りかかって考える。
人の居るところにさえ来れば何とかできると思っていたが、これでは無理だ。持っている貴金属を換金して当座のお金を、ということさえ出来ない。
まぁ最悪、実力行使という手もあるが……さすがに最初からは使いたくなかった。
「どうするかな……」
今日のところはあの荒れ屋敷に引き返して、一泊してからまた出直すか。
と、服の裾が引っ張られた。
見ると子供が興味津々と言った顔で、自分を見上げている。翠の髪に翠の瞳の、若葉を思わせる十歳くらいの少年だった。
「なんだ?」
「○#※◇&!」
何か言っているのだが、全く意味が分からない。
「ごめん、言葉が分からないんだ」
この状態で言って通じるかと思ったが、少年は少し首をかしげると、得心したように二度頷いた。
そして今度は言葉を使わず、背中のヴァイオリンケースを指差す。
「あぁ、これか? ヴァイオリンだよ」
少年に降ろして中を見せてやると、翠の目が輝いた。しきりに指差してはこちらを見る。何をするものかと訊いているらしい。
「楽器だよ、っても通じないか。っと、触っちゃダメだ」
延ばされた手を押しとどめ、代わりに自分でヴァイオリンを出す。
その間も少年は何度か手を出してきたが、その都度あきらに止められ、最後は「触ってはいけないもの」ということを理解したようだった。
これから何が始まるのかと、目をきらきらさせている少年。その目の前で何もせずに仕舞うことも出来ず、結局弓も取り出す。
「松脂はさっき塗ったからいいか……」
緩めておいた弓の毛を戻し、あきらはA線を弾いた。ほんの少し低くなっていた音を調整し、他の弦も合わせる。
「△%*□?」
相変わらず少年が言っていることは分からないが、期待されているのは分かった。
「まぁ待てって」
苦笑交じりに言って、あきらはヴァイオリンを構える。
少し物悲しい、柔らかな出だし。
モンティ作、「チャルダッシュ」。早く細かい旋律が多く、極めるには相当の技巧が必要だ。だが一方で全体的に見せ場の多いこの曲は、こういう場にはもってこいだった。
ゆっくりとした、寂しさを歌いあげるような前半部。そして一転して、早く激しい旋律に変わる。
続く短調の速いパッセージ。音が駆け上がり駆け回り駆け下りる。
ふと見ると、また周囲に光が舞っていた。ただ今度はさっきのような柔らかさはなく、赤みを帯びた情熱的な感じだ。
(曲によって、色が変わるのか……)
どうしてこうなるかは分からないが、いろいろな曲を試してみたら楽しそうだ。
翠の少年はぽかんと口を開けて見とれていた。他にも気づいたらしい大人や子供たちが立ち止まり、聴衆となっている。
途中明るくゆったりした部分を挟んで、また早い旋律。弦を押さえる左指と、右手の弓とが目まぐるしく動く。
最後は速度を保ったまま、長調に転じて華やかに終わった。
「!!」
わっと周囲から歓声が上がる。喜んでもらえたらしい。そして開けたまま置いてあった楽器ケースに、ばらばらと何かが投げ込まれた。
「Wow, thank you」
つい英語が出たが、やはり伝わらなかったようだ。人々はあきらの言葉とは無関係にこちらを指さし、相変わらず謎の言葉で何事かを騒いでいる。
ケースに投げ込まれたものは小さな四角い金属片だった。だが形や大きさ、それに模様が同じものが多いから、恐らくお金だろう。