Lesson:12
「アキラ?」
うつむいてしまったあきらを、心配したのだろう。少年が翠の瞳で覗き込んできた。
その顔を見ながら思う。
(この子も、何も知らないのか……)
あきらには考えられない環境で、平然と生きている人たち。
そういうものだと言えばそうだ。生まれたときから音楽がないのだから、あったらうるさいと思うかもしれない。要は言葉が違うように文化が違うだけだ。
だが自分にそう言い聞かせても、うすら寒い気持ちは温まらなかった。音楽の無い世界で、やれる自信が無い。
「ムーチ!」
少年が大声で屋台の女性を呼んだ。
「◇*#%?」
「×◎&$」
2人の、相変わらず分からない話し声。ただ途中に「あきら」という単語が入ったから、自分のことが話題のようだ。
「アキラ?」
女性があきらの顔を覗き込んだ。
――薄翠の髪に、青い瞳。
青い瞳が少しだけ母親に似てるな、と思う。
「□▽¥○!」
彼女は何か言いながらあきらを引っ張って立たせ、肩を貸してくれた。
「あ、だいじょぶです……」
かなりショックは受けているが、自力で歩けないほどおかしくなっては居ない。だからあきらはお礼を言うと自力で立った。
「ハウイ」
「ヤー」
少年がバッグとヴァイオリンケースを、大事そうに持つ。
女性と少年とが歩き出し、少し行った先で立ち止まって振り向く。
「アキラ!」
こっちへ来い、ということらしい。
屋台は放っておいて大丈夫なのかと思ったが、女性はさっさと歩いて裏通りへと入り、小さな家のドアを開けた。
女性と少年とが入っていく。
「アキラ」
どうしたら良いかと戸惑うあきらを、少年が入り口で振り向いて呼んだ。入って来い、と言っているのだろう。
戸惑いながらも中へ入る。
――狭い部屋。
あの荒れ屋敷にあったような大きいベッドがひとつと、四角い木の衣装ケースらしきもの。それにかまどに調理道具らしきもの。あるのはそれだけだ。
女性と少年は部屋の真ん中へ行くと、ベッドをぽんぽんと叩いた。あきらの荷物もそこに置かれる。
(休め、ってことか?)
少し迷って、あきらは素直に従うことにした。示されたとおりベッドに腰掛ける。
正直ここへいきなり来てしまった時よりも、言葉が通じないと分かったときよりも、今のほうがダメージが大きい。
女性が心配そうにあきらを覗き込み、何かを言いながら肩を叩いたが、気は晴れなかった。
「ハウイ!」
少年が呼ばれて、女性が何かを言う。
それから「ここで待っていろ」というようなしぐさをした後、二人は慌てて出て行った。
知らない場所の部屋に、一人。そのことを今まで以上に感じる。隣に置かれたヴァイオリンとバッグとが全財産だが、それ以上にこの二つが重みを持って見える。
この世界に、他にあきらの知っている音楽はないのだ。
(中身、あるよな……?)
消えているわけは無いのだが、急に心配になる。
あきらはケースを開けてみた。
だが心配をよそに、古いヴァイオリンは相変わらずの顔をして、ケースの中に鎮座していた。
(――当たり前か)
そんなことを思いながらもほっとする。これでヴァイオリンに何かあったら、とてもやっていけない。
あきらはヴァイオリンを取り出した。
母親からもらった音叉を使って丁寧にA線の音を合わせ、他の三本の弦も響きを聴きながら調整していく。
いつもと変わらない音。
優雅な響きを聴いているうちに、少し気持ちが落ち着いてきた。