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Lesson:11

「アキラ!」

「ヤー。ハウイ……ヨラ」

 今朝覚えた、挨拶の言葉も付け加えてみる。


「ヨラ、アキラ!」

 互いに笑顔になった。

 こんな簡単なことに、丸一日。先が思いやられるが、それでも嬉しい。

 気をよくした少年が、いろいろなものを指差しては単語を言い始めた。


「ちょ、ちょっと待った」

 言いながら慌ててノートとシャーペンを出す。

 少年は見たこの無い物体に驚いたようだったが、もらったオレンジに似た果物をあきら指差すと、思い出したように単語を答えた。


「ポルカリ!」

「なる、ポルカリか」


 発音を書き留め、隣に「オレンジに似た果物」とあきらは書いた。こうしておけば後で見たときに、どの単語が何の意味だったか分かる。本当は携帯に内臓のデジカメを使いたいのだが、バッテリーのことを考えるととても使えなかった。


 その後は食べたり飲んだりしながら、少年の単語講座が延々と続いた。ただ、ほとんどが名詞だ。だからこれをすべて覚えたとしても、日常生活はままならないだろう。


 あきらの経験では、意思の疎通にはSVOのV、つまり動詞がかなり重要だ。最低限これが分からないと、「何をどうしたい」のかが全く伝わらない。が、この手の単語は「状況」や「行動」を表すために、訊くこと自体が難しい。


 日本語を覚えるときは、英語も出来るバイリンガルたちがアシストしてくれたが……今回は難関だ。

 まぁそれでも物の名前が分かっただけ、かなりの進歩だろう。

 と、どこかで鐘が鳴った。日が高いから正午の知らせかもしれない。


「ハウイ」

 屋台の女性が少年を呼び、何かを話しかける。


「○#◇%」

「――!」

 相変わらず謎だが、一つ二つ単語が拾えた。食べ物の話のようだ。お昼ご飯だろうか?

 ぼんやりやり取りを見ていると、あきらの前に皿が出された。


「り……リュエ」

 うろ覚えで、それでも言ってみると、屋台の女性の顔がうなずく。

「¥△&◎」

 そしてまたバンバンと背中を叩かれた。何だかよくわからないが、褒められているようだ。


 ただあきらの心中は複雑だった。

 言葉が通じたのは嬉しい。けれどこの状況、困難などというものではない。日本へ来たときのほうがまだマシだった。

 傍らのヴァイオリンに目をやる。これがなかったら、もう既に音を上げていたかもしれない。早すぎると言われそうだが、そのくらいここはストレスが大きかった。


(そういや、練習してないな)

 昨日はここへ来る前、音大で散々弾いてきたあとだった。だが今日は成り行きで一曲弾いただけで、まともな練習をしていない。

 だが埃っぽい外での練習は、出来れば避けたかった。


(あそこに帰ってやるか……)

 ここでのヴァイオリンが、どういう位置づけかはよく知らない。ただどうも、大っぴらに弾くべきものではなさそうだ。だいいちこの町には、何の曲も……。


(え?)

 自分で考えて呆然とする。

 思い違いでないかと耳を澄ます。

 けれどその耳に聞こえたのは、町の喧騒だけだった。


(音楽が、ない?)

 なぜ今まで気づかなかったのだろう?


 ニューヨークでもトウキョウでも、街中は音楽に事欠かなかった。道端や公園で演奏している人が居たり、店の中で流れていたり。他にも鼻歌を歌う人が居たりして、人の居るところには音楽あり、というのがあきらの感覚だ。

 だがここには、何も無い。

 演奏する人はもちろん、歌を歌う人も、仕事の合間に鼻歌を歌う人さえ居ない。


(なんで……)

 信じられなかった。

 楽譜がそこら中にあり、母が何かに付けて歌声を披露し、常にヴァイオリンが傍らにある。それがあきらの育った環境だ。だからあきらにとって、音楽は生活の一部だ。


 もちろん、他の人がそうでないのは知っている。けれどみんな酔えば大声で歌い始めたり、街中やTVで有名な曲を耳にしたりと、音楽に全く触れたことの無い人など居ないはずだ。

 なのに、ここでは……。


 寒さを感じて、あきらは身体を震わせた。日がさんさんと降り注いでいるのに寒い。

 ニューヨークでもトウキョウでも、音楽にだけは壁がなかった。みんなで同じ楽譜を読み、言葉が通じなくても奏でる音を競い合い、弾くもの同士は今の感情や心境を音で伝えられた。

 けれどここには、そういうものがそもそも「無い」。


 ここはあきらにとって、本当の異世界だった。

 ヴァイオリンのケースと、楽譜の入ったバッグを引き寄せる。今手元にある音楽は、たったこれだけだ。





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