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刺繍しか取り柄のないお針子令嬢なので、婚約者に嫌われていると思ったのですが。――おや? 婚約者の様子がおかしいぞ? ですわ

作者: 若松だんご
掲載日:2026/07/05

サスッ。シュルルル。チクッ。シュルルル。


青。赤。白。橙。桃色。黄色。

様々な色の花が咲き乱れる庭園の四阿で。その花を眺めるでもなく、ひたすらに手元だけを見続ける。

刺繍。

手にした針を規則正しい速さで動かす。この景色を布の上に映しとるために。

急いではダメ。焦ってはダメ。

次に布のどこに針を刺すべきか。次にどの色の糸を使うべきか。

無心に手を動かしていれば、自然と布と糸が教えてくれる。わたしは、それに従って手を動かすだけ。


(――できた!)


パチンと糸を切って、針を針山に戻す。

それから、布を刺繍枠から外して――。


(うん、上出来!)


軽く布の両端を持って、刺繍を絵画のように鑑賞!


「ねえ、なかなかの出来だと思わない?」


傍に控えていた侍女に感想を求めて――


「そうでございますね。素晴らしい出来でございますわ」


いつもの定型文感想をもらって、それまでの浮き立った気分がショボンと小さくなっていく。


(そう……よね)


わたしの刺繍。

今日の侍女じゃなくても、誰でも感想は同じ。


――素晴らしいですわ。

――素敵ですわ。


大抵、これ。

そして、口には出さないけど。続く言葉は――


――そんなに刺繍が好きなら、お針子に生まれればよかったのに。

――公爵家の令嬢のすることじゃないでしょ。

――刺繍なんて、淑女のたしなみ程度でいいのに。


多分だけど、そんなところ。

今日の侍女は初めてついてきてくれた人だけど、思ってることは似たり寄ったり。

今、口に出して言ってなくても、いつも聞かされている悪口だから、だいたい想像がつく。悪いけど慣れた。

ああ、そうだ。


「ごめんなさい。お茶、いただくわ」


侍女は傍で突っ立ってるだけが仕事じゃない。それもこんな四阿に主が来たのなら、その卓にお茶を用意するのが仕事。

刺繍道具をしまって。同じ卓にお茶が置いてあることに気づいた。


「わたくし、熱いのが苦手で」


だからこれぐらい冷めていたほうがうれしいの。

優雅に、そこは公爵令嬢らしくカップを手にする。けど。


(ゔ。ぬるい……)


熱いの苦手でもほどがあるってぐらいぬるい。

水一歩手前。お茶の香りもどっか飛んで行ってる。

正直、不味い。

けど。


(言った手前、飲まなきゃ!)


刺繍に夢中で、お茶のこと忘れていたなんて言えないもの。

新しく淹れ直してほしいところだけど、グッと背を反らし、カップの中身を一気飲み!

――って、やっぱりマズっ!


「お嬢様。それより、次の授業が始まってしまいます」


淹れたお茶を放置され、ぬるいというより冷たくなったそれを一気飲みされ。それでも淡々と仕事をこなす侍女が言う。


「――わかってるわ」


淑女らしく音を立てずにカップを戻す。

次の授業。

この言い方は正しくない。

正確には、次の次の授業。

今の時間、本来ならちゃんと授業を受けていなければいけなかったのだけど。


(どうせ、わたしなんかが受けても……。変わらないもの)


カップは戻したけれど、手を離して立ち上がる気になれない。

気が、重い。体も、重い。すべてが重い。

促されている次の次の授業も、その先の授業も。全部、ぜんぶ逃げ出してやりたい。

けど。


(それは、ダメね)


わたしは、ここへ何しに来ているの?

刺繍をするため?

違うでしょ。

貴族として、魔法を使えるようになるため――でしょ?


この国の貴族、そして王族は魔法を使う。

というか、魔法を使えるから貴族として民衆から崇められている。

公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。

その爵位は、使える魔法によって階級が決められている。そして、その魔法力は、生まれによって決まる。

風、土、火、水などの基本の魔法(四魔法)のどれかを使えたら、子爵、もしくは男爵に叙される。

治癒、時、雷などの、四魔法の派生形魔法が使えると、侯爵、もしくは伯爵に叙される。

そして、王族と公爵は、それらすべての魔法を巧みに操れる。

王国のまわりには、魔物、魔獣が出る。

王侯貴族は、それらと命をかけて戦い、民を護る。

それが〝高貴な使命(ノブレスオブリージュ)〟。

魔法を使えない貴族なんて存在しない。しないんだけど……。


(いるんだな、ここに)


わたし、リューリア・グランディアは、グランディア公爵家の末っ子。

魔導士として偉大な功績のある父さま、そして亡き母さま。二人の兄も、魔法と剣を重ねた魔法剣士として、王太子殿下の麾下にいる。

そんな立派すぎる両親家族を持っているのなら、わたしもさぞかしすごい力が――なかった。

魔法を学ぶため、この学園にも貴族の子女らしく入学したものの。わたしの力は、男爵家の令息令嬢よりも低く、それどころか、今年入学してきた後輩よりも低い。下手すれば、幼学校の生徒のほうが魔力が高いんじゃないかってぐらいのポンコツだった。


――本当に公爵家の娘なのか?

――橋の下で拾われてきたんじゃないの?


父さまも、兄さまたちもそんなことを言わないけど。


――本当は、公爵家の娘じゃなくて、下町のお針子の子なんじゃないの?


刺繍しかできない、刺繍しか取り柄のないわたし。

魔法なんて、どれだけ努力しても全然うまくならない。


「教室に戻る前に、少しだけ立ち寄ってもいいかしら?」


「立ち寄る――ですか?」


「ええ。出来上がったこれを、ラウルに贈りたいの。ちょうど彼の授業も終わった頃でしょうし」


本当は教室に戻りたくなくて。少しでも遅らせたいからが本当の理由。

気づいているのかどうか。わからないけど、侍女は無言で足の向く先を変えたわたしに従ってついてくる。


ラウルへの贈り物。

刺繍し終えた手巾(ハンカチ)

確か、彼の授業は体術だったはず。

この季節、静かにしていれば問題ないけど、激しく動けばかなり汗をかく。授業で汗をかいただろう彼に、手巾(ハンカチ)は必要だろう。だから、この手巾(ハンカチ)を贈りたいなって思ったの。

だってわたしは……。


(彼の、婚約者だから……)


最後にくっつけた言い訳の部分。

思っただけで、ポワッと頬が熱くなったのを自覚する。

ラウル・クォード。

クォード子爵家の次男で、わたしの、こっ、婚約者。(照れる)

クォード子爵家は代々炎を操る家柄で。ラウルには兄がいて、爵位はその兄が継ぐからと、わたしたちが七歳の時に、婚約が成立した。

次男だから、家を継ぐ必要がない。

それが主な理由とされているけど。


「――ラ~ウルッ!」


ちょっとだけ咳払いして声の調子を整えて、それからわざとらしいまでに明るく訓練場の柱の陰から、顔をピョコッと出す。


「リューリア」


そんなわたしに気づいたラウルが、練習用の剣を置き、こちらに近づいてくる。


「どうしたの、こんなところに」


「あのね。この手巾(ハンカチ)を渡そうと思って……」


おずおずと、手にしていた手巾(ハンカチ)を渡す。


「これは……」


「に、庭のお花がキレイだったから、それで、あの、ちょっと刺してみたいなって思って……」


明るく言いたいのに、声が尻つぼみ。

庭の花がキレイなのはいいとして。


――さっきまで刺繍をしてたのか?

――また刺繍?

――授業もほっぽって?


言われたらどうしよう。

そんな気持ちが、声だけじゃなく、体も委縮させていく。

ラウルに叱られたら。わたし、きっとものすごく落ち込む。

まあ、授業さぼってたわたしが悪いんだけど。


「ラウルのクラスの授業って、体術だって聞いたから。それで体術なら、いっぱい汗かくだろうし、汗かいたら、手巾(ハンカチ)必要だろうなって思って……その……」


考えておいた言い訳をまくしたてる。

どこからどう見ても、正当性のない言い訳。

汗をかくだろうから、手巾(ハンカチ)が必要だとしても。それに刺繍を施す意味はない。ましてや、自分の授業をさぼってまで。


「――ありがとう。ちょうど手巾(ハンカチ)が欲しかったところなんだ」


ニコッと笑って、差し出したことを後悔し始めてた手巾(ハンカチ)を受け取ってくれたラウル。


「それにしても、キレイな刺繍だね。色使いも鮮やかで。僕もいっしょに庭の花を見ているような気分になる」


「そ、そう?」


返ってきた言葉、それも褒め言葉に、うれしさでモジモジしてしまう。

花を刺繍したのは、なんとなくだったのだけど。こんな褒め言葉がもらえるのなら、題材に選んでよかったなと思える。


「こんなに素敵なもの、僕がもらってもいいのかい?」


「うん!」


周囲には、彼の同級生たちの「まぁた、刺繍かよ」の空気が漂ってるけど、そんなもの全部どうでもいい!

ラウルの向けてくれた笑みで、それ以外がどうでもよくなる。

金の髪と青い目をしたラウル。立派な体躯。たくましい体つき。それでいて貴族らしい優雅さも感じられる。彼の笑顔は、初夏の朝の空を思わせるような、そんな爽やかさを持っている。


「汗かいてるでしょ? そのために用意したのだから、遠慮なく使って!」


うれしい。

受け取ってくれたことが。

刺繍を褒められたことが。


「じゃあ、わたし、授業に戻るね!」


「ああ。また」


軽くスキップしたくなるほど、浮き立った心。

これなら、気分よく授業に取り組めるかも――?

彼の一言で、彼の笑顔一つでこんなに軽くなるなんて。


(わたし、単純すぎ)


ラウルとは、親の決めた婚約。

だけど、あんなに優しいラウルとの結婚を、わたしは楽しみにしている。

ラウルなら、どれだけ刺繍をしていても嫌がらないし、ラウルなら、きっとわたしを大切にしてくれる。


(あ、ダメ)


顔がゆるむ。にやける。

このまま教室に帰ったら、何を言われるか――


「なあ、それ使うのか?」


心臓のドキドキを抑えたくて、柱の陰に隠れたわたしに聞こえてきたこと。


「いや。これはとっておく」


それはラウルの声。ラウルと、彼の級友との会話。


(ラウル?)


ちょっと気になって柱から顔を覗かせる。


(――――っ!)


そこにあったのは、数人の級友に囲まれ、わたしが渡した手巾(ハンカチ)じゃなく、別の使い古したような手巾(ハンカチ)で汗を拭う彼の姿。


(どうして?)


どうして使ってくれないの?

遠慮なく使ってって言ったのに。ありがとうって言ってくれたのに。


「お前も大変だよなあ」


汗拭くラウルの肩に腕を置いた、彼の級友。


「あんな刺繍令嬢を相手にしなくちゃいけないんだもんなあ」


「庭の花がキレイだったからって。そんなことしてる暇あるなら、魔法の練習しろよなぁ。あれじゃあ、将来お針子決定だろ?」


ゲラゲラ。

そこに笑いが起きる。


「公爵令嬢だってのに。魔法、全然なんだろ? 彼女」


「子爵家の次男ってのも大変だよなあ。爵位継げねえからって、あんな落ちこぼれ令嬢と結婚させられるなんてさあ」


「公爵さまもそのへんを理解して、ラウルと婚約させたのかもなあ。ラウル、メッチャ優秀だしよぉ」


「不出来な娘をサポートさせるために? その前に、ちゃんと教育しろって話だけどな」


「違いない」


ゲラゲラゲラゲラ。

再び起きた笑い。

その中心にいるラウルは、何も言わない。俯き、微笑みすら浮かべているように見える。


(それは、肯定って意味?)


周りが言ってることは真実なの?

彼もわたしとの婚約をそんなふうに思っていたの?

わたしのことを、そんなふうに思っていたの?

だから。

だから、うれしそうに手巾(ハンカチ)を受け取ってくれても、それを使おうとしてくれないの?


「――戻ります」


どこにとは告げず、震える足を叱咤しながら歩きだす。

逃げ出したい。走り出したい。

ここじゃない、どこか誰もいない場所で、思いっきり泣いてしまいたい。


     *     *     *     *


刺繍令嬢。お針子令嬢。

わたしがそう呼ばれていること、知らなかったわけじゃない。

公爵家の令嬢なのに、魔法が全くダメな令嬢。刺繍しか取り柄のない娘。

知っていた。

それが事実だし。そう言われても仕方ないなって思っていた部分もある。

公爵家の娘なら、どんな魔法も難なくこなせなきゃいけないのに。


(ラウルとの婚約は、彼にわたしの補佐をさせるためのもの?)


どういう経緯で、彼と婚約に至ったのか知らない。

七歳と幼かったし、母さまが亡くなったばかりで、「どうして」なんて気にかけている余裕もなかった。

炎を操る子爵家の次男。

ラウルは婚約前年に入学した幼年学校から、その優秀さを現していた。


――ラウルが子爵家の長男だったらよかったのに。


そんな噂も耳にしたことがある。

家督は長男が継ぐ。

ラウルの家も、十歳年上の長男が継ぐことになっていたけど、ラウルは魔法において、その兄よりも優秀だった。

次男のラウルは、他家に婿養子に行くしかない。それをもったいながっての噂。


(そんなラウルだから、父さまはわたしの相手にって選んだの?)


同じく幼年学校に入学したものの、公爵家の娘とは思えないほどの能力しかなかったわたし。

これはダメだ。

そう思った父さまが、優秀なラウルに目をつけて、婚約に持ち込んだの?

次男だから、どれだけ優秀でも養子に行くしかないから? それなら、自分の娘の補佐をしれくれればいいって?


(わたし、ラウルと婚約できてうれしかったのに……)


彼が優秀だからうれしかったんじゃない。

彼が、落ちこぼれのわたしにも、態度を変えず接してくれたから。

高貴な生まれとも思えない、地味な砂色の髪と砂色の目をしたわたしでも、彼は一度も嫌な顔をしなかった。

刺繍しか取り柄のないわたしでも、彼はニコニコと笑ってくれていた。

能力的にも容姿的にも釣り合わないってわかっていたけど、でもラウルは大切にしてくれていたから。


(だから、誤解しちゃった……)


わたしが思ってるのと同じように、彼もこの婚約を喜んでくれているんだって。

わたしと結婚するのを、楽しみにしてくれてるのだって。


(大誤解)


あふれそうになる涙をこらえようと、深く息を吐きだす。

彼は、わたしを婚約者として大切に扱っていただけ。

いつでもニコニコとわたしの話を聴いてくれてたのも、わたしを好きだから――じゃない。

わたしの刺繍を馬鹿にしないのだって、わたしを好きだからじゃない。

あの手巾(ハンカチ)だって。うれしそうに受け取れば、わたしが喜ぶから。そんなの欲しくないと思っていても、笑って受け取った。

わたしが公爵家の娘だから。自分が家を継げない次男だから。


(最低)


そんな事情に気づきもせずに、浮かれていた自分が嫌。

好いてもらえる容姿も能力もないのに、好かれてるんだって勘違いしてた自分が嫌。

そして、真実を知って、こんなに腹立たしいのに。婚約破棄! なんて言い出せない自分が一番最低。


(ラウル……)


アナタがそこまでして手に入れたい「公爵家の婿」という立場なら、わたしアナタにその立場を差し上げるわ。結婚してあげる。でも。


(愛さなくても結構よ)


愛さなくても。演技なんてしなくても。

わたし、落ちこぼれだけど、だからって偽物の愛で騙され続けることには我慢ならないの。


     *     *     *     *


「――お嬢さま」


遠慮がちな叩扉のあと、おずおずと部屋に入ってきた侍女。その顔が隠れるほど大きな花束。


「あの、こちらのお花が届いたのですが……」


「いつのものように、活けておいてちょうだい」


ベッドの上から、指示を出す。


「はあ……」


「活ける花瓶がないなら、適当に捨てておいて」


今日の花。

色とりどりのガーベラ。

ピンクは思いやり、愛情。

オレンジは喜び、太陽。

白は希望、純粋。

黄色は優しさ、究極の愛。

色に関係なく、全体の意味として、希望、前向き、常に前進がある。

愛を伝えるのにも、病気平癒を願うにもうってつけの花。

そして、おそらくだけど、その本数は40本ってことろかしら。ガーベラ40本なら、「アナタに永遠の愛を誓います」だったかしら。


(白々しいわ)


花に意味があること。それぐらい、貴族なら誰でも知っている。

でも、その意味が真実かどうかは、かなり怪しい。


(騙されたりするものですか)


あの日以来、わたしは学校を休んでいる。

特に体調が悪いわけじゃないけど、それでも学校なんて行きたくなかった。

ラウルに会いたくなかったから。

以前なら、毎日だって、いつだって会いたいと思ってた相手だったけれど。今は、いつであっても会いたくない筆頭になっている。

だからずる休みを決め込んだ。

どうせ、あと一か月もしたら学校は卒業することになる。どれだけ落ちこぼれでも、その時が来たら自動的に卒業させられる。貴族の学校に留年、退学は存在しない。

そして、卒業したら彼との結婚が待っている。

でも。


(それまでは会いたくない)


心の整理がつかない。

心の準備ができてない。

だから。

学校を休み続けている婚約者を心配(するフリを)して、こうして毎日花とともに彼がやってきたとしても、わたしは彼に会いたくない。

病気だから。今は安静にしていたいから。

お気持ちだけは受け取っておきます。それで満足してお帰りください。

本当なら、その花すらも受け取りたくないけど、花に責任はないから。

毎日まいにちラウルが訪れるから、仕方なしに受け取った花は、いまやわたしの部屋を埋め尽くすほどにあふれるようになっている。わたしの部屋、お花屋さん状態。花瓶が足りない。


(はあっ……)


花と侍女が部屋を立ち去るのを見届けて。

パタリと体を枕に埋める。

毎日がこんな調子。

ベッドから出る気力も、起きて着替える気力もない。

なんなら、あれだけ大好きだった刺繍をする気力も起きない。

最初は、学校ずる休みして自由な時間がいっぱいできたのだし、好きなだけ刺繍に取り組もう! って思ってたのだけど。今は、針を持つことすら億劫。何もしたくない。


(ダメだなあ……)


このままじゃいけないのはわかってる。

父さまも兄さまたちも心配してくださってる。

ラウルと違って、本物の心配。

リューリアが休むだなんて、よっぽどのことがあったんだろう。そう仰ってた。

だから、ゆっくり落ち着くまで休んだらいいとも言ってくださった。

そして、ラウルのことも。

わたしがこうして見舞いに来た彼を追い返していること。そこから、「二人の間で何かあったな」と勘づかれている。でも、何も言わないでくれている。


(優しい家族)


落ちこぼれのわたしには過ぎた家族。

わたしが刺繍しか取り柄のない娘でも、地味な見た目の妹でも。そんなこと関係なしに大切にしてくれる家族。

何も言わない、何も聞かないでいてくれているけど、きっとものすごく心配させている。

それに、ラウルのことも。

今はこうしてずる休みしていられるけど、卒業したら彼との結婚が待っている。

結婚したら、わたしは優秀な彼に愛される新妻を演じなければならない。その注がれるだろう愛が偽物だとわかっていても。「公爵家の婿」としての演技だとわかっていても。心の中じゃ、他の学友と同じで、刺繍しかできない落ちこぼれの令嬢とせせら笑っていたとしても。

わたしは、彼に愛される新妻にならなくちゃいけない。

父さまたちを安心させるために。

これ以上迷惑をかけないために。

そして、彼が演技してまでも欲しがってる「公爵家の婿」の立場をあげるためにも。


(わたし、思いきれないでいるのかな)


彼の態度が演技だとわかっても。

虚言の花言葉しかない花に埋もれるこの部屋で。

その花びら一片程度でもいいから、真実が紛れていることを、情けないけど願ってしまう。


     *     *     *     *


――卒業まで、家に閉じこもっていたい。


そんなわたしの願いは、学校の行事どもにアッサリと打ち砕かれた。

卒業を前にした、夏至のパーティ。

季節の移り変わりは、魔力にも影響する。夏至は、魔力が一番増大する日として位置づけられている。

もとは、一年で一番日の長いこの日を祝う、もたらされる魔力に感謝するパーティだったのだけれど。今では元来の意味を忘れ、ただの「卒業記念パーティ」と化している。

そして、卒業したら結婚するだろう相手を紹介しあう場になっている。

だから、卒業生だけでなく、その伴侶も家族も、年齢関係なく出席するのだけれど。


(行かなきゃダメ……よね?)


行きたくない、ラウルに会いたくなくても、結婚するのだから、このパーティを欠席するわけにはいかないよね。

それに、このパーティまで欠席してしまったら、父さまたちを心配させてしまう。

それまで、このパーティに参加することを楽しみにしていた娘が、仮病を使ってまで行きたくないなんて言い出したら。今までは黙っていてくれていても、こればかりは口を出してくるだろう。

余計な心配をかけたくない。

だから。

だから、うれしくもないのに、仕立屋にお願いしてあったドレスに袖を通す。

ドレスは、目の覚めるようなハッキリとした青。ラウルの瞳の色を意識して選んだ。

けど、そんな色は地味な見た目のわたしに似合わないから、フワッと白のオーガンジーをスカート部分の上に重ねて、青の鮮やかさを軽減させている。肩から胸にかけても、貧弱さを隠すために、同じ白の布でヒラヒラさせた。

いつもなら。普段のわたしなら。

そのオーガンジーの裾にでも刺繍を施していただろう。それこそ、ウキウキと色を選んで、いそいそと針を持つ手を動かして。

今も、その一部には、ウキウキの跡として、金色の刺繍が施されている。

本当のことを聞くまで。わたしは、「せっかくだから彼の髪の色を刺繍しよう!」と頑張っていたのだ。

けど。


「――ありがとう。もういいわ」


着付けを手伝ってくれた侍女たちに声をかける。出ていってほしい、一人にしてほしいという意味だ。


「では」


侍女たちが部屋から下がる。

ポツンと残された部屋。着飾ったわたしの映る大きな鏡。

どれだけ香油をつけて、どれだけ櫛梳って結い上げても、全然美しく感じられない砂色の髪。白さしか自慢の残らない顔立ち。

華やかすぎるドレスの色は、白のオーガンジーを重ねても、自分には不釣り合いで。そのオーガンジーの裾の刺繍は、中途半端で止まってる。


(フフッ。わたしらしいわね)


落ちこぼれのくせに、身分ばかりで中身が伴わない。

ラウルへの気持ちも中途半端。なのに、結婚はする。

何もかもが中途半端。何もかもが不釣り合い。

滑稽な道化師。

このパーティでも、「その身分で優秀な彼を買った」とか笑われるんでしょうね。婚約させられたラウルに同情しながら。


「――お嬢さま、クォート家のご令息がいらしておりますが」


「わかったわ。――参ります」


グッと、決意を固めたわたしが鏡に映る。

笑われてもいい。バカにされても、なんだって。

これが、最初の正念場よ。


     *     *     *     *


ラウルは、侍女が告げに来たように、婚約者らしくわたしを迎えに来た。

パーティに参加するのに、婚約者を同伴するのは当然だから。

でも。


(何も言わない)


わたしが部屋を出て、階段を下りて行っても。

わたしの手を取り、馬車に乗り込んだ時も。乗り込んでからも。パーティ会場についてからも。

ラウルは、一言も話さない。

それどころか、ずっとわたしから視線をそらしたまま。


(そんなに気に入らない?)


以前は、もう少し演技をしてくれてたでしょ?

以前なら、演技でも「キレイだよ」とか「惚れ直した」とか、心浮き立つような世辞を言ってくれてたでしょ?

なのに、今ときたら。


(もうお世辞すら要らないって思ってる?)


もう卒業するのだし。

いい加減お世辞言って機嫌取るのも疲れた?

わたしが見舞いすら受け付けなかったことで、自分の本音がバレたって気づいた?


(いいわよ。そっちがその気なら)


別におべっか言われてうれしいわけでもないし。

そっちがそういう態度なら、わたしもツンとすましているだけよ。――似合わなくても。

どれだけ紳士的にエスコートされても、わたしの心は羽ばたかない。

にこやかに、集まった方々に「婚約者です」と紹介されて回られても。わたしはお人形のようにただ笑ってそこにいるだけ。

彼とのダンスだって。最初の一曲は婚約者と踊るのが慣わしだから。わたしは、義務としてそれを受けるだけ。

けど、二曲目は自由だから。

わたしを壁際のソファで休ませると、彼はサッサと違う令嬢と踊りに行った。婚約者はいても、まだ結婚していないから。二曲目は誰と踊ってもいいから。彼は優秀で人気者だから。

「疲れただろう。そこで休んでいて」とだけ言い残して、ラウルは群がる女性とともに去っていった。


(――別にいいわよ)


婚約者に義理は果たしたわけだし。後は好きにしたらいいわよ。

婚約者は、悋気など起こさず、ここで大人しく座っていますわよ。

以前なら、そんな人気者の彼の姿に、ジリジリと胸を焼くような感覚に陥ってたのに。今は、スンッと心が凪いだまま。何とも思わない。


(不思議なものねぇ)


自分でも思う。

人の心って、こんなにもアッサリ変われるんだ。


「――失礼」


ソファに淡々と座ってたわたしにかかった声。いつの間にか、目の前に立っていた紳士。わたしより少し年上。おそらく二十代半ばぐらいの黒髪の男性。


「一曲、お相手願えませんか?」


え? わたし?

驚き、キョロキョロしてしまったけれど。


「アナタですよ。リューリア・グランディア公爵令嬢」


その紳士に笑われてしまった。

というか、いつの間にか、わたしの名前まで把握されてる。


(誰?)


パーティに参加しているのだから、それなりの身分の方だと思うんだけど。わたし、この方を知らない。


「ああ、申し訳ない。私は、ラズ。ラズ・ハルトマン。この学校に新しく赴任してきた教師です」


「教師?」


新しく赴任してきたって。この時期に?

不思議に思うけど、最近やってきたってのなら、わたしと面識がなくても仕方ないかも。

でも。


(ほんとに教師?)


その恭しくわたしをダンスに誘う様子とか。ただの一介の教師には思えないんだけど。


「では、参りましょう。次の曲が始まってしまいます」


グイッと勝手に手を取ったその教師。

って、待って! わたし踊るなんて一言も言ってないんだけどっ!

攫われるように連れてこられた広間の真ん中。


「さあ、踊りますよ」


それはまるで王子様のダンス。滑るように始まった素敵なワルツ。

だけど。


(わわわっ……!)


驚くわたしは、その動きについて行くのに精一杯。というか、元々ダンスは苦手。音楽に体がついていかない。一拍も二拍も遅れてしまう。


「大丈夫ですよ。気楽にしてくださって」


いや、気楽にって言われてもっ!

誘われた限りは、ちゃんと踊らなきゃ!

足元は見ちゃいけない。相手の顔だけ見て、音楽に合わせて……。


ムギュっ!


(やっちゃった――!)


先生の足、思いっきり踏んじゃった――って!


(キャアアアアッ!)


その足の甲に載せられたまま、グルンと回ったわたしの体。遅れてついてくるドレスのスカート。花が開いたように、それは美しい光景だったかもしれないけど。


(目っ、目がっ……!)


目が回る! クワンクワンするっ!


「ハハッ」


笑ってるんじゃないわよ、このクソ教師!


「だから、大丈夫と申し上げたでしょ」


茶目っ気タップリに片目をつぶって見せるラズ先生。


「次も気にせず、いっぱい踏んでください」


いや、それはいくらなんでも。

それに、できることなら、もう振り回されたくない。

目が回る。最近ずっと引きこもってばっかりだったことのツケが来た。体、メチャクチャ弱くなってる。


「私はね、君を壁の花にしておくのはもったいないと思うのですよ」


「え? あ、あの?」


「君のその美しい容姿もさることながら、そのドレスの刺繍が気になってね」


一瞬、真っ赤になりそうだった体が、ちょっとだけ冷えた。

ドレスの刺繍。

白のオーガンジーに刺した刺繍は途中で止まっている。見る人が見れば、「あれ、なんだ?」ぐらいの印象は持つだろう。

――ラウルは、何も言ってくれなかったけど。


「このパーティのために刺していたのですが、途中で具合が悪くなってしまって……」


対ラウル用に準備していた言い訳を、先生に告げる。

この刺繍は、パーティ用に頑張っていたのだけれど、途中で学校を休むぐらいの体調不良になって、それで未完成なんです。

本当じゃないけど、嘘もついていない。

大好きな刺繍もできないぐらい落ち込ませたのはラウルなんだから。ラウルのせいで、針を持つ気力も起きなかったんだから。

自分にできないなら、仕立屋にお願いしてもよかった。キチンと仕上げてもらっても問題なかった。

けど、そうしなかったのは、彼へのあてつけ。

アナタのために、キレイに装ってなんかあげない。キレイじゃなくても、アナタは立派にエスコートできるんでしょ? そういうあてつけ。実際、彼は完璧にエスコートしていたし。刺繍についても、何も言わなかったし。

まあ、その態度で、わたしに関心がないのがバレバレだったけれど。


「――さて。曲も終わった。君を彼にお返ししなくちゃいけない――かな?」


お返し? 誰に?

曲の終わりと同時に終わったダンス。その言葉にキョロキョロしてしまうけど。


(あ、ラウル――)


そういえば、彼が婚約者だったわ。

ツカツカと怒ったように、それでいてマナーだけは忘れてない歩き方で、ラウルがこちらによって来る。

もうあと一歩。ラウルがわたしに触れる手前で、先生がわたしから手を離す。


「じゃあね。君とのダンス、とても有意義だったよ」


また軽く片目をつぶってみせる先生。教師にしては、軽すぎる態度。


「リューリア」


代わって、低いラウルの声。


「君は、学校を休むほど体調がよくなかったんじゃないのか?」


「そう……ですけど」


ラウル、怒ってる?

わたしが勝手にダンスのお誘いを受けたから?

わたしが先生と注目を集めるようなダンスをしたから?


(自分も他の令嬢と踊ってたくせに)


二曲目以降は、誰と踊っても自由。

そういうルールなのだから、怒られる筋合いはないのだけど。


「――帰ろう」


ひったくるようにわたしの手を取ったラウル。そのままズカズカと大股で歩き出す。


(なんなのよ、いったい)


自分は他の令嬢と踊ったくせに。わたしが踊ると怒るわけ?


――他にも令嬢がお待ちですけど、踊らなくてよいのですか?


言ってやろうか。

痛烈だろう嫌味を彼に。

喉まで出かかった言葉だったけれど、なんとか収めた。

それでなくても、馬車までわたしを連れて行った彼の手。握られた手首がものすごく痛い。以前の彼なら、絶対やらなかっただろう強引な手。

これ以上彼を激昂させるようなことを言ったら。――どうなるかわからなくて、怖い。


     *     *     *     *


――卒業まで、家に閉じこもっていたい。


そんなわたしの願いは、学校の行事どもにアッサリと打ち砕かれた。それも粉々に、完膚なきまでに打ち砕かれた。パーティの次はこれ。


卒業試験。


本来なら、そんなもの行われなくても予定通り卒業できるのだけれど。


――卒業する諸君の能力を知りたい!


とかなんとか、王太子殿下が仰られたそうで。

卒業して、結婚したとしても、貴族なら魔物退治に出なければいけない。それが貴族の務め。

誰がどこに討伐に出るかは、王が決める。だから個々の能力を知っておきたいのだという。


――能力を知るには、実践あるのみ!


とかなんとか。脳みそ筋肉な命令が出た。

ちなみに、その試験は休むこと不可なんだとかなんとか。ベッドの上で、指折り卒業の日を待っていたわたしも、容赦なく引きずり出された。


(卒業試験ねえ……)


引きこもりにはまぶしすぎる、夏の日差し。

その下に集まった生徒たちは、杖だの剣だの弓だのなんだの。自分の魔法と相性のいい得物を持っている。

わたしも、試験で動きやすいよう、ドレスではなく男性と同じ格好をしているけど、得物は……。一応、母さまの形見の一つ、透明な珠のついた杖を持ってきた。――使いこなせるかどうかは疑問だけど。


「さて、諸君! 今日はお集まりいただき、ご苦労!」


集まる生徒たちが、一斉に声の方を向く。壇上にいたのは、あのラズ先生。

どうして新米の先生が?

やけに偉そうな言葉遣いだけど?

疑問に思ったけれど、それよりも内容、内容!


「今日の試験は、東のルーヴェルジュの森で執り行うが。なに、心配はいらない。諸君がいつも練習している森だ。どういう場所が君たちの方がよく知っているだろう」


それはそう。

ルーヴェルジュの森なら、この学校の生徒なら誰もが知っている。

本当の魔物、魔獣はいなくて。実技の授業で、先生が魔法でそれらしい生物を生み出し、それを倒させるときに使う、そういう森。どこにどういう植生があって、どこにどういう魔物が出現するか。知らない生徒はいないと思う。


「この試験は、普段の君たちの能力を見極めるためのものだ。現れた魔物を倒せないからといって、卒業が取り消しにはならない。安心したまえ」


あ、それはありがたい。

わたし、一度も倒せたことないんだよね。


「ただ、ここでの結果次第では、王宮に召し上げられる可能性がある――ということは言っておこう」


その言葉に、生徒がザワッとどよめいた。

王宮に召されるということは、それだけ能力が認められたってこと。

わたしも父さまと兄さまたちが王宮で働いていらっしゃるけど。

身分の低い、子爵、男爵家の子女からしたら、垂涎の地位なのかもしれない。


(ラウルは――?)


どんな反応なのかしら。

彼にとっても、王宮仕えは魅力的な話なんじゃない?

チラリと彼の反応を盗み見る。

わたしから離れたところ。なぜか女性に囲まれるようにして立っていた彼の表情は、よくわからなかった。


(って、なんで女性に囲まれてるのよ!)


別にわたしの横にいろとは言わないけどさ。だからって、女性侍らせて何してるのよ。

よくわからないけど、不快!


「森を探索するパーティは、こちらで決定させてもらった。一応の能力バランスは考慮させてもらっている。その腕に輝く光が同じ者同士、パーティを組んでくれ」


光?

思った瞬間、左の腕に光の環が浮かんだ。

つまり、わたしは腕を緑に光らせている人と組むってことか。


「――ゲッ」


「なんだよ、刺繍令嬢かよ」


お互いがその腕の光を見ながら移動してたら、前から来た二人組にそんな言葉をぶつけられた。

痩せぎすノッポと、デブでチビの二人組。

二人とも、たしか、ラウルと同じ子爵家の令息。そして、心底わたしと同じ色だったことを残念がってるけど。


(『ゲッ』はこっちのセリフ!)


出たくもない試験に引きずり出されて、「ゲッ」って言われる筋合いはない! 文句なら、勝手にパーティを組んだ先生たちに言いなさいよ!


「お前、俺たちの足を引っ張るなよ」


それもこっちのセリフよ!

返事の代わりに、心の中でイーッと嫌な顔をしておく。


「――リューリア」


そんなわたしたちに近づいてきたのはラウル。(と取り巻き女性たち)


「君の仲間は……ああ、ブリックスとジスランか」


ラウルは、この二人を知ってるのだろう。妙に納得したように頷いてる。


「なんだよ、ラウル」


ラウルの態度に、ジズランと呼ばれた、ノッポの方が剣呑な雰囲気を醸し出す。


「俺たちだって迷惑してるんだぜ?」


続いたのはブリックスらしいデブ。

わたしと組まされ不満だということ、隠しもしない。


「別に、君たちが僕のリューリアと組んでいること。不満なわけじゃないよ」


二人の不穏な空気に気づいたのかどうなのか。ラウルが笑って言った。

けど。


(「僕のリューリア」ってなによ)


気持ち悪いわ。そんなこと、これっぽっちも思ってないくせに。


「それよりも、君たちにならリューリアを任せられるかなって。そう思ってるんだ」


それは、わたしと彼らがどっこいどっこいレベルの魔法力だから?

君たち程度なら、相手にもならないその程度だから?

どっちにしたって、とにかく腹が立つ!


(なによ、自分はご令嬢たちを侍らせパーティのくせに!)


ラウルと共にいたのは、マリアベル伯爵令嬢と、クラリッサ侯爵令嬢。

子爵令息と、伯爵令嬢、侯爵令嬢という組み合わせ。この場合、魔力の足りない子爵令息のラウルを伯爵令嬢、侯爵令嬢が援ける、どっちかというとラウルが二人の脚を引っ張るような組み合わせに見えるけど実際は逆。ラウルの魔法力は学年一位、子爵令息には思えないほど、二人を引っ張っていけるだけの能力を持っている。だから、最強じゃないけど、能力的にそこまでバランスの悪い組み合わせじゃない。じゃないけど……。

マリアベルもクラリッサも、いつもラウルを取り巻いてる令嬢の仲間。その二人が、パーティに選ばれたことに、妙な作為を感じるのはわたしだけかしら。


「行くわよ、二人とも!」


別に結果を出さなきゃいけない試験じゃないけど、なんとなく、アイツらに負けたくない!


「お前が仕切るな!」


デブとノッポが叫んだ。


     *     *     *     *


ルーヴェルジュの森は、森というのだから木は生えているけど、あるのは木だけじゃない。

小さいけれど湖も沼もあって、崖はもちろん草原、山なんてのもある。

この森に動物はいるけど魔獣、魔物はいない。

王都に近いというのもあるけど、基本ここは学校の授業で利用するために育まれている森で、授業に利用する場合のみ、教師が作り出した魔物が生息するようにできている。(王都近くに本物の魔物が生息してたら危険)

だから、今回の試験のために、あらゆるところに、あらゆるところから頻出するように魔物が出現するように作られているのだけれど。


(いない……わね?)


「もう、狩りつくされた……のか?」


剣を両で持ったデブ、ブリックスが木の上の方をキョロキョロ眺めて言う。


「でも、おかしな空気は……あ、あるぜ?」


わたしと同じように杖を持ったノッポのジスランが、デブの後ろから、デブを盾にして周囲を伺う。

どっちもヘッピリ及び腰。

情けないわね! ビビってるんじゃないわよ!

言いたいけれど、わたしも似たようなものだから言えない。

森には、わたしたち以外のパーティもいるはず。そして、いつでもどこでも狩れるように、魔物の幻影が用意されているはず。そして、普通に暮らしているだろう動物たちも。

なのに。

森は異様なまでに静かだ。

動物の鳴き声はおろか、他のパーティの声すらしない。

ただ時折、大きく茂りすぎて黒っぽく見える梢がガサガサと恐ろし気な音を立てるだけ。


(なにか、おかしくない?)


いつもの授業で入る森は、もっと明るくて、もっと心地よい場所だったはず。そりゃあ魔物が出たら本気で戦わなきゃいけないけど、本来は穏やかな場所だったと思う。

それが……。


「な、なあ。一度戻った方がいいんじゃねえか?」


不気味さに耐えられなくなったのか、ノッポが言う。

なによ、情けないわね。

言いたいけど、ここはノッポの意見に賛成。

釣果ゼロは悲しいけど、これ以上ここに留まるのも得策じゃない。

肌が、全身が鳥肌というか、ピリピリとした痛みを感じてる。これ、絶対普通じゃない。

魔力ゼロでも、これだけはハッキリと感じられる。


「よ、よし、じゃあ一度戻るか!」


恰好つけたつもりかもだけど、宣言したデブの声は甲高く裏返っていた。

その宣言に、わたしも二人も回れ右で一目散! 森の出口、通ってきた道を後戻り――って!


「待って!」


「歩く」というより「走る」になっていた二人を鋭く制止!


「な、なんだよ!」


「やりたきゃお前一人でやれよ! 俺たちは一度体制を整えてからだなっ!」


「そうじゃないの! 来るわよ!」


「へ? 来るってなんだ――わああああっ!」


黒く闇の塊のように見えた木々の向こう。そこからノソリと現れた黒い大きな塊。


「ベヒー……モス?」


「う、嘘だろ?」


熊や獅子よりも大きく、頑丈そうな体躯。禍々しい角。黒光りするのたてがみ。そして獰猛そうな顔立ちは教科書に載っていたそれを想像させるけど。


(この森にそんな魔獣、いる?)


この森はあくまで試験用の森で。卒業試験だからって、そんな最恐魔獣を用意したりする?


「あぶない!」


誰かが叫ぶ。

とっさに、全員その場から飛んで攻撃を避けるけど。


「ひっ、火っ!」


「ベヒーモスが火を噴くなんて聞いてねえっ!」


ベヒーモスはその強靭で巨大な体躯と、凶暴な爪と角。そういった物理で攻撃してくる魔物のはず。

それが、――炎?

新種のベヒーモスかもね――なんて茶化す余裕はない。

ドォン、ドゴォンと大地を揺るがすような音を立てて放たれる火球から逃げるので精いっぱい。木や岩の陰に隠れたところで、それすらも木っ端微塵に、なんでも燃やし尽くすような火球に安全な場所なんてない。


「なんだよ、この試験――っ!」


二人のどっちかが声を上げた。

逃げたところで意味がない。隠れたところで意味がない。

攻撃する余裕すらなく、ひたすら火球を避けるだけ。

でも。


(ちょっと待って!)


このベヒーモス(もどき)、こっちを見てない?

腕に怪我して岩陰に隠れたデブ。攻撃を試みたものの失敗して足を滑らせ地面に這いつくばった恰好のノッポ。

二人が近くにいるってのに、あのベヒーモス、わたしを見てない?


グルルル……。


(やっぱりそうだ!)


ギラギラの金色の目と、ばっちり目が合った!


ドォン!


目が合った次の瞬間、二人よりも遠くにいたわたしに向けて火球を吹く! ドドドッと地面を蹴ってこちらに走って来る!


(なんでわたしなわけっ!?)


獲物にするなら、まだ元気なわたしより、手負いの攻撃できないでいる二人の方がいいでしょっ!? どうして一番遠くにいたわたしに狙いを定めるのっ!?

仲間を餌食にして、自分だけ逃げようと思っちゃいないけど、その異様さに気づく。気づいてしまった。


(コイツ、わたししか狙ってない……)


二人が怪我したりしたのは、それはベヒーモス(もどき)に攻撃をしかけたからで。そうしなければ、コイツは二人を眼中に入れてない。執拗なまでに、わたしだけを狙ってくる。


「お、おい……」


「あのベヒーモスって……」


そのことに、二人も気づいたのか、呆然とわたしとベヒーモス(もどき)を見ているだけになった。


(なんで、わたしなのよぉっ!)


攻撃から全力で逃げる。

女が好き? んなバカな。そんなベヒーモスの習性なんて知らない。

攻撃してきた奴に反撃するってのなら、わたしは一度も攻撃していない!

じゃあ、なんでっ!?

答えなんて知らない。答えなんてわからない。

けど。


(こうなったら!)


追いかけられるだけ、攻撃されるだけは気に喰わない!

逃げる足を止め、背後に迫るベヒーモス(もどき)に向き直る。

魔力なんてほとんどないわたしだけど、これでも公爵家の娘! この、母さまの杖を借りれば、少しぐらい魔法を撃てるっ! ――ハズっ!


右手に持ってた杖を水平に、左手を添えて目を閉じる。

目を閉じるのは怖いけど、そうすることで精神統一!


「迸れ、水流!」


学んだ通り、全身全力の魔力を杖に込めて、迸る水っ!


ペチョ。


「あ、あれっ!?」


精神統一して。全身の魔力を集めて。母さまの杖を借りたのに。

杖から迸ったのは、ぺチョッと情けない音の水。顔を洗うのにちょうどいい大きさの水の塊。

ベヒーモスの勢いをそんな水で止められるわけもなくって。


(あ、死ぬ)


近づく災厄。大きく振り上げられた黒く毛むくじゃらな腕の先のキラリと光る爪に死を予感する。

これって、あくまで試験なんだよね? 死ぬなんてありえないよね?

思いたいのに、思えない。

あの大きく鋭い爪が、わたしを殺すんだ。

それだけ。


「――リューリアっ!」


覚悟を決めかねたわたしを呼ぶ、鋭い声。そして。


ギィンッ!


わたしとベヒーモス(もどき)の間に入ってきた黒い影。その影が、ベヒーモスの爪を剣で受け止めた。


「ラ……ウル?」


「大丈夫かっ!?」


ギチギチと剣を鳴らしながら、わずかに彼が振り返る。


「だい……じょうぶ」


尋ねられたから答えたけど。信じられなかった。

ラウルがどうしてここに?

どうして彼が助けてくれるの?

心と頭が麻痺したようで、うまく思考が働かない。


「――ブリックス! ジスラン! お前ら無事かっ!?」


ベヒーモスと対峙しながら、ラウルが叫び問う。


「あ、ああ……」


「俺たちは無事だ……」


「だったら、リューリアを連れて逃げろ! 先生たちに知らせるんだ!」


ラウルの指示。

この状況は異常。

この森にこんな凶暴な魔物がいるわけがない。

先生たちに知らせろ。

そして逃げろ。

的確。的確な指示、命令なんだけど。


「だっ、ダメだ、腰が抜け……」


それは二人とも同じだったようで、助っ人ラウルの登場で腰が抜けて動けないらしい。這う這うの体で岩陰から出てきたブリックスが、体を痛めたのかうつ伏せ這いつくばったままのジスランに近づいたのが限界といった感じ。それでわたしを連れて逃げるとか、先生を呼んでくるなんて、もうどこからどう見ても無理!


「――チッ!」


ベヒーモスの腕を剣で跳ねのけ、ラウルがこっちに手を伸ばす。

苛立ったような彼の横顔。そして。


(――光?)


わたし、そしてジスランたちを包み込むように放たれた光。それは丸く透明な膜になっていき――


「僕がコイツを倒すまで、そこにいろ!」


またベヒーモスの爪を受け止めるラウル。


「待って! そいつ、火を噴くの!」


守ってくれるのはいい。けど、ちゃんと危険なことを教えなきゃ!


「――え?」


一瞬こちらをふり返ったラウル。


ゴオッ!


同時にベヒーモスが火球を吐く。


「きゃあっ!」


ラウルがやられる!

叫ぶしかなかったわたしと違って、ラウルは間一髪のところで、ヒラリと飛びずさって、火球をかわす。


「ラウルっ!」


「……なるほど。火を噴くベヒーモスってことか。こいつは、珍しい魔獣だな」


ベヒーモスを睨みつけたまま、ラウルが剣を持ち直す。


「ラウルっ!」


「大丈夫だ。コイツは僕が倒す。君はそこで見ていたらいい」


見ていたらいいって。


(見ていたくないわよ、そんなの!)


アナタが戦うところなんて! アナタが危ないのに見ているだけだなんて!

ジリジリと胸が焦げる。

「公爵家の婿」、その立場欲しさにわたしと婚約したんでしょ?

わたしのことなんて、なんとも思ってないんでしょ?

魔力ナシのわたしのお守りなんて、嫌だと思ってるんでしょ?


だったらなんで、そんなに必死に戦ってくれるの?


わからない。

わからない。もどかしい。

ラウルは、宣言通りベヒーモスを倒すつもりなのか、火球を避け、爪を避け、身を翻し、護りから攻撃、そして護りへと目まぐるしく転じていく。


「スゲー」


近くにいた二人がその動きに圧倒されたような感想を漏らすけど、同じく見てるだけのわたしはそれどころじゃない。

護ってもらえてうれしい。けどそれを圧倒するぐらいの恐怖が押し寄せる。

ラウルが学年一位の能力を持っていたからって何?

ラウルなら勝てるって保証はどこ?

スレスレで火球を避けた時。その巨体で弾き飛ばされた時。

体勢を立て直し、剣を構えたことに、彼が生きていることに安堵するけど、だからって安心できるわけじゃない。

彼の攻撃で、ベヒーモスが傷ついているように、彼もベヒーモスの攻撃で傷ついている。朝見たときに立派に感じた彼の装いは、泥と草の汁と彼の血で汚れ、所々火球のせいで焦げている。

攻撃を受け続けている剣も、あまり無事な感じがしない。


(誰か、誰か来て!)


どうしてラウルだけなのっ!?

ラウルの仲間はどうしたのっ!?

先生はっ!? 試験なんだから、どこかで見ているんじゃないのっ!?


(このままじゃ、ラウルがっ、ラウルがっ!)


「――まったく。とんでもないのを作り出すよな」


チャキ。


静かに。ベヒーモスを睨みつけたままラウルが呟いた。


「でも。覚悟はできているよね」


覚悟?

なんの覚悟?


頬を伝って流れ落ちた血と汗を手の甲で拭う。それから剣を構え直して――


「うぉぉおおぉっ!」


普段の彼では聞かないような声を上げて、ベヒーモスに突撃! 剣に炎をまとわせて――


ズガシュッ!


ベヒーモスの眉間に突き立った彼の剣。


グオオオオオォっ!


その剣にぶら下がったような格好になったラウルを、ベヒーモスの腕が引きちぎろうともがくけど。


ゴォォォッ!


剣にあった炎がくぐもった音を立てる。ベヒーモスの眉間の奥、体内から奴を燃やし尽くしているらしい。

炎の獣に炎は効くのか。

答えは無理だろう――と言いたいことろだったけれど、結果は違った。

ベヒーモスの瞳から殺気どころか生気すら失せ、彼を引き裂こうと動いていた腕が痙攣して止まる。そして、ゆっくりとその巨体を傾け。


ズズゥン。


大きな地鳴りを残して、ベヒーモスが倒れた。

だらしなく開けた口からは、ベロンと焼けた舌が垂れる。


「やった!」


「ラウルの奴が、ベヒーモスをやっつけた!」


隣の球から、ジスランたちが喜び叫ぶ。

やった。さすがだ! 学年一位はダテじゃねえな!

二人の称賛は理解できるけど。


「――ラウル!」


ベヒーモスから剣を引き抜き、倒れたベヒーモスから地面に降り立ったラウル。

重たげに血まみれの剣を持って、こちらをふり返り、いつもの笑顔を浮かべるけど。

その体は、ベヒーモスに続くように、ゆっくりと地面に倒れていく。


「ラウル!」


なによ、この膜!

ラウルが倒れたってのに、わたし、出ることも叶わないじゃない!


ダンダンと力いっぱい膜を叩く。

ここから出しなさいよ! 

ラウルが! ラウルがっ!


ダンッ!


両手の拳を思いっきり叩きつける。

護られるばっかりは嫌なの!


ダンッ!


――――え?

何度目かの殴打。そこで、いきなり膜が消えた。スコーンと抜けたわたしの拳。つづいて体。

どうして? って、そんなことより!


「ラウル!」


歩くのも走るのももどかしい。転げるように、倒れたラウルに近づき彼を呼ぶ。


「……リューリア。無事?」


もう! なんでそんなこと訊くのよ!


「無事、よ。アナタのおかげで」


「そっか、よかった……」


よくないでしょ!

無事じゃないのは、アナタの方でしょ!

体のあちこちから血が流れ、服も焦げて裂けている。

顔も青白く生気がない。

そしてその顔の左半分は、見るにたえないほど酷く焼けただれている。あのベヒーモスの炎のせいだ。

開かない左目。いつものその青い目を縁取る長いまつ毛も焼けて無くなってしまってる。


「全然、よくないわよ……」


こらえようと思ったのに。

我慢できなかった涙が、一つ、また一つと零れ落ちていく。


「いいんだよ。これで君が狙われることもなくなる」


「――え?」


それってどういうこと?

あのベヒーモスの動きで、なんとなく「狙われてる」ことは理解できてたけど。

あれって、勘違いじゃなかったってこと?


「いいな。君が泣いてくれるのなら、悪くない」


深く、深く息を吐きだしたラウル。その傷はその火傷は、とても痛い苦しいはずなのに、微笑んだ。


「幸せに、リューリア。君を幸せにするのが僕はじゃないことは悔しいけど」


ちょっと待って!

わたしを幸せにするのがアナタじゃないってどういうことよ! アナタはわたしの婚約者でしょ!?

問いたいのに問えない。叫びたいのに叫びたい。


「嫌、嫌よ……」


どうしてそんな風に言うのか。理解できてるけど、納得したくない。


「ラウル……」


冷たくなってる彼の手を取る。少しでも、少しでいいからわたしの熱が彼に伝わるように。


「リューリア、愛してる……よ……」


それはとても掠れていて。とても聞き取りにくい音で。

それは彼の最期の一息。最期の言葉。


「嫌っ、嫌よっ! ラウルっ! ラウルっ!」


焼けていない右の顔に、静かな微笑みをたたえた彼。手の冷たさはそのまま腕へ体へと広がっていき――。


「いやあああああっ!」


冷たい手を握りしめるわたしの感情が爆発した。

ラウルがっ! ラウルが死んじゃうなんてっ!

わたし、ラウルに何も言ってない!

助けてくれたお礼も! 護ってくれてありがとうって言ってない!

それから。


わたしも大好きだよって伝えてない!


わたし、ラウルのことが好きだった。大好きだった。

刺繍しかできない、魔力のないわたしでも、ラウルは大切にしてくれた。

わたしの刺したハンカチをうれしそうに受け取ってくれてた。みんなみたいに、バカにしたりしなかった。

わたしが仮病を使って学校を休んだ時も、せっせとお見舞いに来てくれてた。見舞いの花で想いを伝えてくれていた。


(わたし、バカだ)


どうして彼がわたしをなんとも思ってないって思っちゃったんだろう。

彼は、こんなに。こんな風に命をかけて護ってくれるぐらい、わたしを大事にしてくれていたのに。

どうして。どうしてわたしは……。


「うわああああああぁっ!」


声を限りに泣き叫ぶ。

今更知っても遅いのよ!

ラウルはっ! ラウルはっ!


「――おい、お前ら無事かっ!?」


「って、なんじゃこりゃあ!」


叫ぶわたしの後ろ、先生たちの声が聞こえた。


「よっ、よくわかりません!」


「公爵令嬢が泣きだしたら……!」


あの二人が先生たちに説明しているのだろう。でも。


(なにもかもが、遅いのよ……)


涙でよく見えない。けど、声のした方をぼんやりと首を回して眺める。


「……ラズ先生?」


なんとなく見えた容姿に、そこにいるのが新任のラズ先生だと理解する。そしてとても驚いた顔をしているのも。

当然よね。生徒が亡くなったんですもの。


「リューリア嬢……」


「先生、ラウルが、ラウルが死んじゃった」


淡々と結果を伝えたつもりだった。


「ベヒーモスもどきに襲われて。助けに来てくれたラウルは死んじゃった。学校の卒業試験って、こんなに過酷なのですか? ラウルが死んじゃうほど過酷なものなの? 生徒が死んじゃうのも、織り込み済みな試験だったのですか?」


先生が悪いわけじゃないのかもしれない。けど、今のわたしは誰かに怒りをぶつけないといられなかった。


「落ち着け、リューリア嬢」


「これのどこが落ち着けるってんですか!」


わたしの両肩に手を置いた先生。


「ラウルはっ! ラウルはわたしを護って、死っ、死んじゃったんですよ!」


絶叫。

続く、嗚咽。

婚約者を目の前で失って、それで落ち着いてる令嬢なんているんですか!


「だから、落ち着け! ラウルは生きている!」


わたしに負けないぐらい大声を上げたラズ先生。――って。


は? 生きてる?

ラウルが?


「とりあえず、力を収めろ!」


驚きに涙が止まる。と同時に。


「なっ、なんですかっ、これっ!」


周囲にビックリ。

わたしを中心に、あたり一面に広がる白と金色の波。それは水の波のようにどこまでも広がっていて、森の奥、木々で隠れた場所まで明るく照らしている。


「あ、あのっ、これって!」


わからない。わからないから先生に問う。


「君の力だ」


は?


「わたしの力?」


「自分の姿、よく見てみろ」


わたしの姿? って。


「ええええええっ! なっ、なんですか、これっ!」


わたしのかっ、髪がっ! 視界に映るその髪は、いつもの冴えない砂色じゃなく、銀色。それが、驚くわたしにまとわりついてる。

そして。


「フアァアア。――って、あれ? リューリア?」


「ラっ、ラウルっ!?」


なんで、どうしてっ!?

死んだと思ったラウルが、昼寝から起きたばかりみたいな顔してムクッと上半身を起こした。


「あっ、アナタ、その顔っ!」


火傷がない! 体も、服こそ破れて焼けて痛々しいけど、血も止まって、いつものラウルに戻ってる。


「それが君の本来の姿と力だ」


「――は?」


本来の姿と力?

なにそれ。

答えを知っているのか。勝手に一人腕組みをしてウンウン頷く先生を凝視。

知ってるなら、教えなさいよ! わからないことを教授する。それが先生の仕事ってもんでしょうが!


「――君は、本来の姿を封印されていたんだよ」


「は?」


先生ではなく、ラウルが説明を始めた。


「僕としては、今までの君でよかったんだけどね」


傷は癒えても体力までは戻ってないのか、ゆっくりと大儀そうにラウルが立ちあがる。


「恋人の窮地に、その封印が解かれたというところかな」


継いで話始めた先生。「恋人」という部分に、からかいめいたものを感じたのか、ラウルが少し嫌な顔をした。


「君の本来の力。君も見ただろう、あの治癒の力だよ」


ほえっ!?


「えっと、あの、今のブワワッって波みたいなヤツが、ですか?」


「そうだ。目の前の対象者だけじゃなく、あたり全員を治癒してしまう。そういう力だ」


そうなの?

周囲を見回すと、それまで怪我をしていたはずのブリックスたちも、自分の身に起きたことが信じられないのか、お互いに傷が無くなったことに驚いて、それからわたしの方を見た。お前がやったのか? 二人ともわたしといっしょで信じられないのだろう。


「まあ、それだけじゃないけどね。リューリアの力は」


言いながらラウルの差し出した手を素直に受けると、ヨッと軽い掛け声とともに、引っ張り上げられた。


「君の力は強大だ。僕がかけた渾身の防御魔法も、アッサリと打ち破った」


へ?


(あの球体を破ったのって……、わたし?)


ガンガンダンダン叩いてたけど。殴ったぐらいじゃ破れない強固なものだったけど。

憮然とした顔のラウル。どうやら正解らしい。

けど。


「――リューリア!」


フラッと強いめまいに襲われる。

力が入らない。意識が遠のく。


「無茶な力の使い方をするからだ」


そんなこと言われましても。

先生の言い方に反論したくても、それもできない。

ラウルが無事だったこと。そしておそらく無制御な力を使ったせいで。

背中に、温かく安心するラウルの腕を感じて、わたしは意識を失った。


     *     *     *     *


――この子の力は強大すぎる。


誰かの声が聞こえる。


――その力を自身で操れるようになるまで、封じておいた方がよい。


誰?

女性ってことしかわからない。年配の女性。


――いつか、この子が真に力を必要とするまで。いつかこの子が、この力を正しく使えるようになるまで。


これは誰?

わたしの力を封じたのは誰なの?

尋ねたいけど、意識が遠ざかる。


――それまでは。それまでは、この子が善き子に育つよう、しっかり導くのじゃぞ。


     *     *     *     *


「――ンッ」


暗い瞼の裏に、明るい光を感じて、身じろぎする。


「リューリア、目が覚めたかい?」


「ラ……ウル?」


瞼を開いた先、そこには、心配そうな顔から緊張が解け、ホッと安堵した顔に変化していくラウルがいた。


「わたし……」


状況が飲み込めない。


「大丈夫。ここは、学校の医務室。君はあの森で力の使い過ぎで倒れたんだよ」


森? 力? 倒れた?

――って!


「ラウル! ラウルのほうこそ、大丈夫なのっ!」


わたしより、寝てなきゃいけないのはラウルのほうでしょ! あんな酷い怪我をしたんんだからっ!

ガバッと身を起こし、彼に手を伸ばし飛び掛かるけど。


「大丈夫。君のおかげでね」


その手を優しく受け止められてしまった。


「それよりも、その君の髪と目……」


わたしの髪と目?

疑問に思うより早く、ラウルが手鏡を差し出してきた。自分で見ろ。そういうことらしい。

けど。


「なっ、なにこれぇぇっ!」


倒れる直前、ラズ先生からも指摘されたけどっ!


「かっ、かかっ、髪がっ! 目がっ!」


髪は、あの時知ったのと同じ、青味を含んだ銀色。そして目は、金粉をまぶしたような、空色。

今までの、色なし砂色のわたしはどこ行った?


「それが君の本来の姿だ」


「ラズ先生?」


ここにはラウルとわたしだけなのかと思ったら。ラウルの背後から近づいてきたラズ先生。


「ここからは、私が説明しよう」


ラズ先生が?

ラウルを押しのけるように、自分で持ってきた椅子を置いて、ベッド脇を陣取った先生。


「君の今までの姿は、聖女である、私の曾祖母がかけた呪いだったんだ」


呪い?

というか、曾祖母が聖女って……。


「あの。ラズ先生って、王族の方なのですか?」


聖女は、現国王の祖母。だから、曾祖母が聖女っていうのなら、先生も王族ってことになる。


「まあ、これでも〝王太子〟って肩書を持ってるけどね」


「おっ……!」


王太子っ!?


「こっそり学校に潜入するため、姿を変える幻術をかけてあるが。そのあたりは一旦置いておこう。今は君の話だ」


「はあ……」


それだけでもビックリなのに、置いとかれた。


「君は、優秀なグランディア公爵家の娘として生まれた。魔導士と一流の父親と、治癒士として一流の母親。その二人のもとに生まれた君は、人としてあり得ないほどの膨大な魔力を有していた」


「わたしが……ですか?」


「学園で、落ちこぼれ扱いだったから。信じられないのも無理はない。だがそれも、聖女である亡きお曾祖母さまがかけた呪いなんだ」


「聖女さまが?」


「ああ。君の魔力は生まれたばかりの赤子が持つには強力すぎる。そして、その魔力ゆえに、聖女になることもあれば、闇に落ちて魔王になることもあると予言された」


「聖女に……」


そして魔王に。いや、この場合魔女王?

関係ないようなことで、うむむと考え込んでしまう。


「本来なら君の魔力は国にとっても諸刃の刃となりかねない。お曾祖母さまは危険と判断して、すぐにでも殺そうとなされたんだが。それを公爵が助命を願い出た」


「父さまが?」


「ああ、夫婦そろって。魔力が危険なのは承知している。だが、生まれたばかりの赤子に罪はないって」


それは確かに。

魔力が異常だからって、殺されていいわけがない。

両親なら、なおさらそう思うだろう。


「それで、君が善悪の判断がつくようになるまで魔力を封じることとなった。そして封印が解けた時、善き心のまま魔力を使えるよう導けと、公爵たちに命じた。善き心があれば、聖女になれるからとね」


(父さま、母さま……)


お二人は、どんな気持ちでわたしを育てたのだろう。

扱いを間違えば魔王になりかねない娘。正しく育てれば聖女になる娘。


「目論見どおり、君は善き心のままに魔力をふるえる女性に成長したようだ。その点は、公爵に感謝だな。二人の慧眼に恐れ入る」


両親がどういう思いを持ってわたしを育ててくださったのか知らないけれど、優しく、時に厳しく大切に育ててくれたと思う。母さまは早くに亡くなってしまったけれど、よくわたしを抱きしめてくださっていた。父さまも、魔力がなくて落ちこぼれなわたしを見捨てたりせず、兄さまたち同様に、いえ、兄さまたちよりも大切にしてくださっていた。


「王族としては、君のその魔力とかけた呪いについて、監視する立場にあったんだが……」


ボリボリと後頭部を掻く先生。


「お曾祖母さまが公爵たちの決意に絆されたのか、こちらにも呪いをかけてたんだ」


「呪いを……ですか?」


「そう。君の魔力も、かけられた呪いも、すべて忘れるという呪い。それは王族だけじゃなく、この世界全体に行き渡っていた」


「じゃあ、わたしの両親がかけてくれた愛情ってのは……」


「君を娘として大切に思っていた証。魔力云々を抜きにした純粋なものだ。誇っていい」


そう……なんだ。

娘を魔王にしないように、愛情深く接したんじゃなくて。娘をただ愛しいから大切にしていた。そういうことなんだ。


「それで。聖女としての能力を開花させたわけなんだが……」


そこまで言って、先生がチラリとラウルを見る。


「君が聖女として、癒しの力を顕現させた今、君たちの婚約を破棄して、リューリア。君には新たに王族との婚約を結んでもらわなければならないんだが」


「え?」


「聖女の力は国の宝だ。だから王族と結婚して、その力を国ために振るってもらわなければいけない。お曾祖母さまがそうしたように」


「そんな……」


「僕は嫌ですよ。婚約破棄なんてしません」


それまで黙って聞いていただけだったラウルが口を開いた。


「僕の意志は無視ですか?」


「ラウル……」


普段の彼からは想像もできない、怒気を孕んだ口調。


「たとえそれが正しい道だとしても。僕は絶対リューリアを離しません!」


その言葉に、胸がギュッとなる。

うれしい。

そこまで想われていたことに、幸せが体の隅々まで行き渡る。


「あー。そんな噛みつくな。お前たちの仲を引き裂こうと思ってねえから」


先生の口調が一気に砕けた。


「俺としても、そんな野暮なことはしたくねぇんだよ」


一人称が「俺」に。座る姿勢も一気にだらける。


「ラウル、お前がずっと頑張ってきたことは知ってる。火属性以外の力を手に入れようと無茶してたもんな。幼学校だけじゃ満足しねえのか、王宮にまで勉強に来てたし。俺にも喰いついて、必死に学ぼうとしてたもんな。公爵家の婿に相応しいだけの力が欲しいって」


「そっ……」


正解……なんだろうか。絶句したラウルが顔を赤くする。


「照れるな、照れるな」


カラカラと先生が笑う。


「最初は、リューリアの魔力目当てで好きだ大事だ言ってるのかと思ったがよ。そうじゃないってわかって、俺としては満足だ」


一瞬で笑いを収め、ものすごく真剣な表情に戻った先生。

って。


「わたしの魔力って……。なんですか?」


先生の話が本当なら。生まれてすぐに魔力を封じられたわたしの魔力って何?


「ああ、君の刺繍だよ」


「刺繍?」


あんなものが? 魔力?


「……君の刺繍には、わずかだけど魔力がこもっていたんだ」


俯き、観念したように吐き出したラウル。


「そうなの?」


聞き返すと、無言のまま頷かれた。


「まあ、封じたといっても完璧にとはいかなかったらしくてな。刺繍の糸にわずかながら魔力が混じってた」


「はあ……」


そうだったんだ。


「と言っても、わずかでも強大だ。コイツが持っていた手巾(ハンカチ)には、すべて国が出した護符以上の魔法が縫いこまれていた」


そ、そんなに?

そんなに凄い魔力があの手巾(ハンカチ)に?

コツンとラウルの頭を小突く先生の言葉に、目をしばたかせる。


「その手巾(ハンカチ)の魔力に気づいたコイツがお前を手放さないのかと思ったがよ。そうじゃなくて安心した」


カラカラカラ。

先生の笑いはとても豪快。


「知ってるか、リューリア。コイツ、自分から婚約したいって、公爵家に乗り込んでさ。自分は子爵家の次男で跡取りにはならないから、リューリアを大切にするからって公爵に頼み込んだんだ」


「え?」


ラウルが?

頼み込んだ?

婚約を? 

ラウルが優秀だから。だから、落ちこぼれのわたしを介助させるために、父さまたちが婚約に持ち込んだんだって思ってたんだけど。違うの?


手巾(ハンカチ)を手に入れるためだけなら、全力でぶっ潰すところだったんだがな」


軽く片目つむってみせた先生。

そんな先生に頭を小突かれても身を小さくしているラウルを見るのは、ちょっと新鮮。いつものラウルなら、もう少し堂々として、もう少し爽やかな王子然としているのに。


「――先生。そろそろご退出願えませんか」


って、あれ? そうでもない?

低い、地の底から響いているかのようなラウルの声。


「そうだな。ちゃんと告白するんだぞ、坊や」


捨て台詞?

一瞬で、シュンっと先生が姿を消す。おそらく王族のみが使えるという、転移魔法。

先生って王族だったんだ。

名乗られても、その話し方とか王族らしくなかったので、今更のように驚く。


「……まったく、あの方は」


やっと一息つけたのか。ラウルが消えた先生がいた方に向けて、フウっと深く息を吐きだした。


「あの、ラ、ラウル……」


何を訊けばいい?

わからなかったけど、その名前を呼ぶ。


「ああ、ごめん」


ラウルが意識と体をわたしに向き直す。


「そうだね、一から説明しないといけないよね」


真摯な態度のラウルに、わたしもベッドの上で居住まいを糺す。


「僕が婚約を申し込んだのは、――悔しいけどあの方の仰る通りだよ。幼学校に入って、僕は君に恋をした。君が好きだ。君を守りたいって思ったんだ」


「ラウル……」


「子爵家の僕が、公爵家の君を妻にするのは難しい。だから努力した。誰にも負けないように。王太子であるあの方に師事したのも本当。でも、君の魔力が封じられていたとか、そういうことは一切知らなかった」


ラウルもまた、先代聖女さまの呪いが及んでいたんだろう。


「だから、魔力に乏しい君を守れるだけの力が欲しいと思ったんだ」


「そうなんだ」


どこをどう見て、どういう機会に彼がわたしを好きだと思ってくれたかは知らない。

けど、彼はその想い一つで、ここまで頑張ってくれていた。

子爵家生まれの彼が、どれだけ厳しく研鑽を積んできたのか。

公爵家のわたしと結婚するために。

魔力のないわたしを守るために。

それは、「スゴイ」では済まされない、途方もない努力だったと思う。嫌になったこともあるだろう。泣きたくなったことだってあっただろう。

でも、それを表に出さず、彼はここまで来た。


「……ごめんなさい」


「リューリア?」


「わたし、アナタが公爵家の婿の立場欲しさにわたしを娶ろうとしてるんだって。そう思ってたの……」


バカみたい。バカよね。

勝手にそう思い込んで、勝手に会うのを避けてた。あんなにたくさんの花を贈られても、信じていなかった。


「ごめんなさい……」


謝っても謝り切れない。許してもらえるわけもない。


「リューリア、君が悪いわけじゃない」


「でっ、でもっ……」


気づけば、ポロポロボロボロと勝手に涙が零れ落ちてた。

幾筋も幾筋も。

上掛けを掴んでこらえようとするけど、全然涙は止まらなくて。


「いいよ」


静かにわたしを抱き寄せたラウル。

流した涙が、ラウルの胸にしみこんでいく。


「リューリア」


その涙が収まるころ。わたしの身を離してラウルが言った。


「君は、その……、封印が解けて、〝聖女〟と呼ばれるにふさわしい魔力を取り戻したわけだけど……」


なぜかラウルが言い淀む。


「聖女となれば、婚約者は僕でなくて、王族の誰か、例えばアルラズリュード殿下と婚約するべき立場になったわけだけど……」


「アルラズリュード殿下?」


「ラズ先生の本名」


「ええっ!? ラズ先生って、アルラズリュード殿下だったのっ!?」


驚き。驚嘆。

そういえば、ラズ先生って、王太子って言ってたっけ。

話の内容が衝撃過ぎてうっかりしてたけど。王太子って言ったら、アルラズリュード王太子殿下のことじゃない。

王族の中でも頭一つ飛びぬけたぐらいの魔法の才能のある王太子殿下。兄さまたちがお仕えしてる相手で、お目にかかったことなら、何度かあるけど。

まさか、ラズ先生と殿下が同一人物だなんて。これっぽっちも思ってみなかった。先生(殿下?)の変身魔法、スゴイ。


「その殿下だけど。殿下の曾祖母君がそうだったように、聖女を娶る資格は充分にあると思うんだ」


聖女の伴侶は、魔力に秀でた人物が相応しい。

この国の常識。

また聖女を妻にして子孫を残すことで、王族はその莫大な魔力を有する一族として繁栄してきた。

だから、聖女としての力を顕現した今、わたしの夫に相応しいのはラウルじゃなくて、アルラズリュード殿下のほうって寸法になる。――けど?

ラウルもそれがわかってるのか、わたしから離れ、一定の距離を保つように座り直してる。抱きしめてしまったのは、わたしが泣いちゃったから。でも今は、取り戻した理性で、それ以上の接触を避けようとしている。


「――バカ」


「りゅっ、リューリアっ!?」


「わたしの婚約者はアナタでしょ?」


アナタが距離を置くってのなら、わたしから近づくまで。

驚くラウルを、思いっきり抱きしめる。――というか、体格差があるから、わたしがしがみつく格好になっちゃったけど。


「わたし、結婚するならラウル、アナタがいいわ」


「リューリア」


「わたしのどこを好きになってくれたのか知らないけど。でも、わたしと結婚するため、努力を続けてくれてたんでしょ?」


「それは、もちろん……だけど」


ラウルが言い淀む。


「だったら、ラウルと結婚したい。ラウルじゃなきゃ嫌よ」


彼はずっと努力してくれていた。わたしのために。

その恩に報いたいとかじゃない。そんなに思ってくれていた彼に応えたい。

だって。


「好きなの、ラウル」


わたしもラウルが好き。

好きだから、手巾(ハンカチ)を褒めてもらえてうれしかった。

好きだから、手巾(ハンカチ)を使ってもらえなくて悲しかった。

好きだから、身分が欲しくて婚約したと聞いて悲しかった。

好きだから、他の女の子と親しくしてるのが悲しかった。

好きだから、勝手に傷ついて、会わないことを選んだ。

好きだから、封じられた力を顕現させるに至った。


「ラウルじゃなきゃ、嫌」


聖女だからって、ラウル以外と結婚させられるのなら、わたし、この魔力を使って、地上最悪の魔王になってやるわ。魔王になって、ラウルと結婚できるまで駄々をこねるように暴れてやる。

それぐらい、ラウルが好きなの。


「こんな恰好になっちゃったけど。それでも好きでいてくれる?」


砂色のわたしじゃなくて、これが本来のわたしみたいだけど。こんなふうに容姿が変わってしまっても、それでも好きでいてくれる?

訊いた声は、自分でもビックリするほど小さかった。

けれど。


「好きだよ、リューリア」


ラウルの喜びを含んだ声が、ハッキリと聞こえた。


「君が本来の姿を取り戻して。驚くばかりだけど、それでも気持ちは変わらない」


しがみつくようだったわたしを、優しく剥がすラウル。

少し距離を置かれたことで、彼の熱く真摯な瞳が泣きそうなわたしを映し出す。


「君が聖女だとわかって。距離を置こうと思ったけど……。無理だな」


顔をクシャっと歪めた彼。

どうしたの? 訊くより早く口がふさがれる。

熱く重なったラウルの唇。

それは何度でも角度を変えて、わたしの唇をついばむように、押し付けるように何度でも重ねられる。


「愛してる、リューリア」


唇だけじゃない。

くり返されるキスとともに、体もグッと彼に抱き寄せられる。

それは甘く蕩けるような心地よさで。胸の奥から小鳥がいっせいに飛び立つようで。


(ラウル、好き……)


うっとりと身を委ねたくなる心地よさだった。


     *     *     *     *


卒業から一か月後。

わたしは、青銀色の髪の上に、深くベールを被った。

今日は、わたしとラウルの結婚式。

わたしが聖女とわかって。なんだかんだといろいろあったけど、アルラズリュード殿下のお力添えもあって、わたしとラウルの結婚の許可が下りた。

わたしが力を顕現したのは、ラウルのことがあったからだし?

ラウルと結婚させてくれなきゃ、わたし魔王(女魔王?)になってたかもしれないし?

ということで、やや強引にこの日にこぎつけた。

彼を想う純白のドレスには、この日のためにと自分で施した刺繍。ベールには彼の髪の色である金の糸を刺した。

ラウルの首に巻かれたクラヴァットは、わたしの髪の色、青銀色。

そして、彼は公爵家の婿としてでなく、クォード子爵としてわたしと結婚する。


あの卒業試験のベヒーモスもどきの正体は?


それの答えが彼の地位。

あのベヒーモスもどきは、試験のために用意された魔獣じゃなくて。ラウルの兄が放った呪物。

爵位無しで終わるはずだった弟が、わたしと結婚することで公爵家の婿という高い地位を得ることを良しとしなかった彼の兄が放ったものだとかで。わたしが死ねば、ラウルはその地位を得られなくなる。ラウルのように魔力の高い者は無理でも、魔力ナシだったわたしなら倒せる。そう考えて放たれた物だったそう。


――兄上も浅はかだよね。


呪物は、倒されればその力が呪った当人に返る。

ベヒーモスもどきを倒され、クォード子爵となるはずだった彼の兄は、変死という届け出があった。そして、すべての責を負う形で、彼の父は隠棲し、家督はラウルに譲られることになった。

ラウルは、あのベヒーモスもどき、誰が用意したものかわかっていたのだろう。だから、倒す時、「覚悟はできているね」と訊いた。

優しい彼のことだ。どれだけ兄に嫌われていても、兄を倒すことをためらう気持ちはあったと思う。だけど、それ以上にわたしを護る気持ちが強かった。

倒すことで、呪物を返すことで兄がどうなるかわかっていても。

倒したことで、自身が傷つくことになっても、それでもわたしを護ることを選んだ。


(ラウル、好き――)


彼が兄を倒したことを悔いているのなら。わたしは、そんな彼に一生寄り添っていくことを誓う。

刺繍の入ったベールを彼の手が持ち上げる。

そこにあった、温かく優しい青の瞳。わたしの大好きな彼の瞳。

その瞳にニッコリ微笑みかけると、優しい誓いのキスが落ちてきた。

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